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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第158話 「摂津の友照と、蜜を失った蜂の家」

 ――甘い蜜を得る前に、蜂が帰れる場所を守る――


 摂津へ向かう朝。


 茶太郎たちは宇治から船へ乗り、宇治川を下った。

 淀川へ入り、山崎を過ぎて摂津の山里へ向かう。


 茶太郎が摂津を訪れるのは初めてだった。

 そのため、秘密基地の亜空間扉は使えない。

 土地を訪れ、そこに暮らす人や霊との縁が結ばれなければ、小戸は開かないからだ。


 同行するのは、父・宗次、三好長逸みよし・ながやす弥七やしち日置雪へき・ゆき

 茶丸と白灯あかりも荷の上へ座っていた。

 船には、地下土蔵で見つかった偽の蜂蜜帳面と、鷹の羽根を真似た荷印が積まれている。


「本物の高山家の印とは、羽根の数が違う」


 長逸は二つの印を並べた。


「だが摂津の外で見れば、気づかぬ者の方が多いだろう」


 偽印を使った者たちは、高山家の名で山里から蜂蜜を集めていた。

 蜜の値を不当に下げ、応じない者には三好方の徴発だと脅していたという。


「三好の名前も、高山の名前も使われてるんだね」


「名は便利な武器になる」


 長逸は苦々しげに答えた。


「持ち主が知らぬ場所でも、人を従わせられるからだ」


 摂津の山里へ着くと、甘い花の香りが風に混じっていた。

 山裾では、丸太をくり抜いた蜂の巣箱が並んでいる。

 しかし蜂の羽音はほとんど聞こえない。


 いくつもの巣箱が倒され、中の巣は根こそぎ切り取られていた。


「遅かったか……」


 長逸が呟く。

 その時、一つの巣箱の前で、小さな男の子が大人たちと言い争っている声が聞こえた。


「全部取ったらあかん! 蜂が食べる蜜までなくなる!」


「子どもに何が分かる」


「蜜を残せば、また来年も採れる!」


「仲買人は今すぐ全部渡せと言うとるんや。三好様の御用やぞ」


 男の子は茶太郎より少し年上に見えた。

 年は六歳ほど。

 日に焼けた顔に、蜂蜜色の瞳を持っている。


「それ、三好の命令やない!」


「友照、黙っとれ!」


 高山友照たかやま・ともてる

 高山家の一族に生まれ、蜂の巣を見ることが好きな子どもだった。


 長逸が前へ出る。


「その命令書を見せてもらおう」


 村人が差し出した文には、三好家の名と高山家の荷印が押されていた。

 長逸は一目見るなり、首を横へ振る。


「偽物だ。三好家は、このような蜂蜜の徴発を命じていない」


「しかし、仲買人は三好様の使いだと……」


「その使いの名は?」


 村人たちは答えられなかった。

 命令書を見せ、逆らえば田畑を取り上げると脅され、名を確かめる余裕すらなかったのだ。


 友照は長逸ではなく、茶太郎を見つめていた。


「おまえ、誰や?」


「宇治の茶太郎」


「なんで猫を二匹も連れとるん?」


「仲間だから」


 白灯が荷の上から、静かに友照を見返す。

 茶丸は巣箱へ鼻を近づけ、すぐに離れた。


『……蜜の匂いはある……だが、子を育てる匂いが薄い……』


 茶太郎が巣箱を見ると、中には幼虫を育てる部分まで切り取られた跡があった。


「蜂の家を、壊しちゃったんだね」


「そうや!」


 友照は勢いよくうなずく。


「蜜だけ少し取ったら、蜂はまた作る。でも全部取ったら、食べる物も子どももなくなる。蜂は逃げるか、死んでしまう」


 仲買人たちは短い間に多くの蜜を集めるため、煙で蜂を追い払い、巣をすべて壊す方法を教えていた。

 その年の蜂蜜は増える。

 だが翌年、同じ場所から蜜は採れない。


 茶太郎は、近江で腐った魚を見た時のことを思い出した。


「今日たくさん取ることだけ考えて、次の蜂を守ってないんだ」


 友照が茶太郎の手をつかむ。


「分かるんか?」


「うん。魚でも同じだったから」


「魚と蜂は違うで」


「違うけど、取り尽くしたら次がなくなるのは同じだよ」


 友照はしばらく茶太郎を見つめた後、初めて笑った。


「変なやつやな」


「友照も変だよ。蜂と話してるみたいだった」


「話してへん。見てたら分かるんや」


 突然、一匹の蜂が友照の顔の周りを飛んだ。

 友照が追い払おうと手を振る。


「動かないで」


 茶太郎が止めた。


 蜂は攻撃するように飛んでいるのではない。友照の汗の匂いへ寄ってきただけだった。

 二人が静かにしていると、蜂は近くの草花へ移った。


「手で払った方が危ないんやな」


「たぶん。ぼくも全部は分からない」


 茶太郎は巣箱の周囲を観察した。


 日当たりが強すぎる場所。

 雨水の溜まる窪地。

 風が直接吹きつける斜面。

 置かれた環境も、それぞれ違っている。


 巣箱の近くには、蜂が安全に水を飲める場所もなかった。

 茶太郎は浅い器へ水を張り、小石と細い枝を入れた。


「なんで石を入れるん?」


「蜂が溺れずに止まれるように」


 友照が器をのぞき込む。


 しばらくすると、一匹の蜂が小石へ降り、水を飲み始めた。


「来た……!」


「でも、これだけで蜂が戻るとは限らないよ」


 茶太郎は空になった巣箱へ触れた。


「蜂が暑くない場所、雨が入りにくい場所、巣を作りやすい形。少しずつ比べないと」


 友照の目が輝く。


「巣箱を作り直すんか?」


「一緒に試そう。失敗した箱も残して、蜂がどれを選ぶか見るんだ」


「やる!」


 友照は即答した。

 その日の調査で、村の外れに偽の荷印を付けた空の蜂蜜壺が見つかった。


 仲買人たちは既に姿を消していたが、轍は西へ続いている。

 長逸と弥七は、大人たちと追跡の相談を始めた。


 茶太郎と友照の役目は、追うことではない。

 壊された蜂の家を、もう一度作ることだった。


「茶太郎」


「なに?」


「蜂が戻ってきたら、一番に蜜を食べさせたる」


「全部取ったら駄目だよ」


「分かっとる!」


 二人の前で、小さな蜂が水場から飛び立った。

 花の間を巡り、山の奥へ消えていく。


 宇治の料理人と、摂津の蜂好き。

 二人の子どもの縁は、一匹の蜂から結ばれ始めた。

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『茶太郎がゆく』
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