第155話 「六角堂の白蓮と、二人の庖丁人」
――同じ卓へ座る前に、同じ厨房へ立つ――
三好方と幕府方の会談場所には、下京の六角堂が選ばれた。
どちらかの城や屋敷では、相手方が警戒する。
焼け跡の復興へ力を貸し、町組との縁も深い六角堂なら、武家だけでなく町衆も見届けることができた。
会談に先立ち、茶太郎は父・宗次とともに厨房へ入った。
そこには、二人の庖丁人が待っていた。
一人は、幕府の内膳を預かる進士晴舎。
もう一人は、三好方に仕える坪内石斎。
二人とも当代屈指の料理人だったが、互いへ向ける目は鋭い。
「幕府の御前へ出す膳である。三好方の者へ、出汁の管理まで任せるわけにはいかぬ」
晴舎が言う。
石斎も引かなかった。
「三好様のお口へ入る物を、幕府方だけで作るわけにもまいりませんな」
「ならば厨房を二つに分けるか」
「別々に作れば、相手が何を入れたか確かめられぬ」
二人の間に、見えない刃が走っていた。
茶太郎は並べられた二つのまな板を見つめる。
「同じ厨房で、両方が見ながら作ったら駄目ですか?」
晴舎と石斎が同時に茶太郎を見る。
「幼子よ。そう簡単な話ではない」
「でも、別々に作るから疑うんですよね」
茶太郎は八が作った木札を取り出した。
材料が届いた場所。
受け取った者。
洗った者。
火へかけた時刻。
味を確かめた者。
一つずつ記録できるよう、印が刻まれている。
「幕府方と三好方から、一人ずつ確認する人を出します。材料を開ける時も、料理する時も、二人で見てもらいます」
宗次が続ける。
「水も一つの井戸だけに頼らず、二か所から運んで別々に確認しましょう。異常がなければ、煮沸して同じ甕へ合わせます」
晴舎は木札を手に取った。
「この印は何だ」
「失敗した時の印です」
「祝いの膳へ、失敗を持ち込むつもりか」
「隠すより、残した方が安全だから」
茶太郎は答えた。
「間違えた鍋を使わないようにできます」
石斎が喉の奥で笑う。
「晴舎殿。五歳児の方が、我らより疑いの扱いを心得ておるようですな」
「そなたも疑っていたであろう」
「無論です」
二人はしばらく睨み合った後、同時に息を吐いた。
「よかろう」
晴舎が言う。
「ただし、幕府方の毒見役も立ち会わせる」
「三好方からも出しましょう」
こうして、一つの厨房へ二つの庖丁が並ぶことになった。
晴舎は式庖丁と饗応の作法を担う。
石斎は鯉や鳥の下処理と、火入れを担う。
茶太郎は二人の間で、出汁と茶料理を整える。
茶太郎が考えたのは、豪華さを競う膳ではなかった。
近江の海から届いた昆布と燻しモロコ。
宇治の干し椎茸。
下京で作られた味噌。
奈良から運ばれた胡麻と葛。
各地で結ばれた縁を、一つずつ使う。
「全部を混ぜるのではありません」
茶太郎は説明した。
「最初は同じ澄まし汁を飲んでもらいます。その後は、それぞれが好む薬味や味噌を少しずつ加えます」
「同じ味を強いるのではなく、同じ始まりを持つ膳か」
晴舎が呟く。
料理の名は――
《水霊三縁の澄み膳》。
幕府、三好、そして京の町。
三つの縁が、同じ水から始まる料理だった。
だが、問題は料理だけではない。
座る位置。
膳を出す順番。
刀を預ける場所。
警護の人数。
どちらを先に通すかだけでも、面目を争う理由になる。
墨屋宗白が町組を代表し、双方の役人と調整を続けた。
「幕府方を先に入れれば、三好方が待たされたと怒る。三好方を先に入れれば、幕府を軽んじたと言われる」
「一緒に入れば?」
京鈴が言った。
宗白は眉を上げる。
「門は一つや。横に並べば狭い」
甚八が寝床から作った図を差し出した。
「正面だけ使うから詰まるんや。仮の入口をもう一つ作って、同時に庭へ入ればええ」
六角堂を傷つけず、仮囲いの一部へ同じ幅の入口を設ける。
双方が同時に入り、白い敷石の前で合流する形となった。
動けない甚八の知恵が、会談の道筋を作った。
準備を終えた夜。
茶太郎は一人で六角堂の本堂へ手を合わせた。
「料理は作れます。でも、みんなが仲良くなるかは分かりません」
返事はない。
ただ、堂内に白い花の香りが漂い始めた。
暗がりの中から、大きな白蓮が浮かび上がる。
その上に座していたのは、端正な顔立ちの僧侶だった。
どこか幼く、女性のような柔らかさを持つ顔。
身にまとう白い納の袈裟には、色も形も異なる布が幾重にも縫い込まれている。
「あなたは……?」
『この堂で、人々の誓願を聞く者』
僧侶の姿をした救世観音は、静かに微笑んだ。
『かつて親鸞がこの堂へ籠った時、私は聖徳太子の姿を借り、夢告を授けました』
「法然上人へ会うように?」
『会えば迷いが消えると告げたのではありません。迷いながらも進むべき方角を示しただけです』
救世観音は、縫い合わされた袈裟へ手を添える。
『異なる布は、同じ色にはなりません。それでも縫い目があれば、一枚の袈裟となる』
「幕府と三好も?」
『縫うことはできます。けれど、糸を切るか守るかは、人が選ぶこと』
茶太郎は白蓮を見つめた。
「明日の料理で、縫い目を作れますか?」
『まだ見えない未来も、一歩ずつ描いてゆけばよい。そなたの一椀は、その最初の一針となりましょう』
白蓮の光が薄れ、救世観音の姿は本堂の静けさへ溶けた。
翌朝。
六角堂の二つの入口へ、幕府方と三好方の一行が同時に姿を現した。
中央の白い敷石で、二つの流れが向かい合う。
茶太郎は厨房で、最初の澄まし汁を椀へ注いだ。
戦を始めるためではなく、同じ事実を確かめるための会談が、まもなく始まろうとしていた。




