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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第154話 「若き三好長慶と、二つの文の味」

 ――疑いを選ぶ前に、同じ卓へ座る――


 三好長慶みよし・ながよしとの対面は、槙島城で行われることになった。


 茶太郎は父・宗次、森彦右衛門、茶丸とともに城へ向かう。

 政治の話をする場には、山科言継やましな・ときつぐも立ち会った。


「茶太郎、今日は料理だけに集中しなさい。難しい話は大人が引き受ける」


 宗次に言われ、茶太郎はうなずいた。


 五歳の自分が、三好家と幕府の関係を決めるわけではない。

 ただ、同じ場所で話をする人々へ、料理を作ることはできる。


 城の広間で待っていた三好長慶は、茶太郎が想像していたより若かった。

 まだ少年の面影を残している。


 だが背筋はまっすぐ伸び、その目には多くの家臣を背負う者の緊張があった。

 隣には、本来の姿で出仕した三好長逸みよし・ながやすが控えている。


「そなたが茶太郎か」


「はい」


「元気玉、美味であった。特に蜂蜜の甘みがよい」


 長慶は真面目な顔で言った後、長逸を見る。


「ところで長逸。猫と踊ったという話は真か」


「長慶様、その件は政治と関係ございません!」


「家中の士気に関わるかもしれぬ」


「関わりませぬ!」


 長逸の耳が赤くなる。

 茶丸が短く鳴いた。


「ニャッ」


「茶丸殿まで肯定なさるな!」


 張りつめていた広間へ、わずかな笑いが広がった。

 だが、長慶はすぐ表情を戻した。


「茶太郎。そなたへ見てもらいたい物がある」


 長慶が差し出したのは、二通の文だった。


 一通には、三好方から宇治の茶を徴発するという命令。

 もう一通には、幕府が三好方の船を止めるという命令が記されている。

 どちらにも、それらしい印が押されていた。


「二通のうち、少なくとも一つは偽物だ」


「どっちが偽物か、当てるんですか?」


「いや。そなたなら、どうするかを聞きたい」


 茶太郎は文を見比べた。

 紙の違いも、墨の違いも分からない。

 霊性味覚を使っても、文からは書いた者の不安と悪意が混ざった苦い味しか感じられなかった。


「分かりません」


 家臣たちがざわめく。

 だが長慶は、茶太郎を急かさなかった。


「続けよ」


「分からないから、両方へ聞きます。三好が本当に出したのか。幕府が本当に出したのか」


「片方が嘘を申したら?」


「同じ場所で聞きます」


 茶太郎は二通の文を並べた。


「別々に聞いたら、違う答えを言われるかもしれない。でも同じ卓に座れば、相手が何を言ったか、その場で分かるから」


 長慶の目が、わずかに見開かれる。

 山科言継が扇の陰で微笑んだ。


「幼い答えにございますが、理には適っておりますな」


「幼いからこそ、余計な駆け引きがない」


 長慶は二通の文を見つめた。


「私の父・元長も、讒言と疑いの中で命を落とした」


 広間が静まる。


 三好元長みよし・もとながは、細川家の争いへ巻き込まれ、自害へ追い込まれた。

 長慶は父を失った後も、父を死へ追いやった細川晴元のもとで働かなければならなかった。


「疑いは、時に刃より早く人を殺す」


 長慶は静かに続けた。


「ゆえに私は、確かな証拠を求める。だが証拠を求めるあまり、誰も信じられなくなることも恐れている」


 茶太郎は長慶の胸から、焦げた茶のような味を感じた。

 怒りだけではない。

 悲しみと、迷いと、それでも前へ進もうとする苦さだった。


「料理を作ってもいいですか?」


「この流れで料理になるのか?」


「二つの文を読んだら、二つの味を合わせたくなりました」


 茶太郎が用意したのは、二種類の出汁だった。


 一つは、近江の海から届いた燻しモロコと昆布の出汁。

 もう一つは、宇治の干し椎茸と茶葉から取った出汁。

 別々に味わえば、魚の力強さと、山の深い香りが際立つ。


 茶太郎は二つをすぐには混ぜなかった。

 少量ずつ合わせ、長慶と長逸、言継、宗次に味を確かめてもらう。


「魚が強すぎる」


「ならば、山の出汁を少し増やします」


「今度は椎茸の香りが前へ出たな」


「もう一度、割合を変えます」


 何度か試した後、二つの旨味が争わず、互いを支えるところへたどり着いた。

 その出汁で経帯麺を煮て、宇治茶の若葉を少量添える。


 《水霊双流すいれいそうりゅうの結び麺》。


「最初から半分ずつでは、合いませんでした」


 茶太郎は長慶の前へ椀を置く。


「相手の味を見ながら、少しずつ合わせないと」


 長慶は麺をすすった。


 近江の水の味と、宇治の山の味。

 異なる二つの流れが、一つの椀でつながっている。


「どちらかを消した味ではないな」


「どっちも残っています」


「違うまま、同じ椀に収まるか……」


 長慶は、もう一口すすった。

 そして長逸へ命じる。


「三本爪の証拠と二通の文を、幕府へ届ける。こちらの報告と一字も違えぬ写しを作れ」


「承知しました」


「山科卿には、双方が同じ文を受け取った証人となっていただきたい」


 言継が頭を下げる。


「お引き受けいたしましょう」


 三好だけで調べれば、幕府は隠し事を疑う。

 幕府だけで調べれば、三好は罪を着せられたと疑う。

 ならば最初から、同じ証拠を同じ言葉で共有する。


 敵が狙った二つの流れの分断を、長慶は拒んだ。

 食事が終わる頃、幕府からの使者が槙島城へ到着した。

 使者が携えていたのは、足利義晴あしかが・よしはるの返書だった。


『三好方と同席し、証拠を改めることを承知する』


 ただし、末尾には条件が記されている。


『会談の膳は、宇治の幼き料理人に任せたい』


 茶太郎は返書を見上げた。


「ぼくが……幕府と三好の料理を?」


 長慶は、わずかに笑った。


「同じ卓へ座れと申したのは、そなたであろう」


 二つの文から生まれた一椀が、三好と幕府を同じ食卓へ導こうとしていた。


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『茶太郎がゆく』
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