第153話 「長逸の告白と、長慶へ届く元気玉」
――隠した名を明かし、二つの流れを結ぶ――
「三好長逸様……!」
捕らえられた男が口にした名は、茶倉の空気を一変させた。
槙島城の若い使番。
宇治川の異変を調べ、茶太郎たちと霊の騒動を乗り越えた長逸。
その正体は、三好一門の若武者・三好長逸本人だった。
長逸は人払いを求めなかった。
茶太郎たちだけでなく、森彦右衛門、宗次、宇治の茶師、町組の代表が見守る中で話し始める。
「私は一年前から、使番の姿で宇治と京を巡っていた」
「どうして本当の名前を隠してたの?」
茶太郎の問いに、長逸はまっすぐ答えた。
「三好の名で京へ入れば、それだけで軍勢の下見だと疑われる。幕府方は警戒し、三好方の者も私へ本当の姿を見せなくなるからだ」
天文法華の乱で焼けた京では、さまざまな噂が飛び交っていた。
三好が都を奪う。
幕府が三好を討つ。
寺社が再び兵を集めている。
真偽の分からない噂が、人々の不安を煽っていた。
「その中で、三好家の名を使った偽の命令が現れ始めた。米や材木、茶を差し出せとな」
長逸は偽の触書を開いた。
『宇治茶の腐敗は、三好方の乱暴なる徴発によるものなり』
「これも同じだ。三好が命じたように見せ、宇治との信頼を壊そうとしている」
ひこじいが腕を組む。
「ならば、なぜ今まで黙っておった」
「敵が三好家の動きを知りすぎていたからだ」
長逸の声が低くなる。
「命令を出す前に、その内容が漏れたこともある。ゆえに私は、三好家の内側に通じる者がいると疑った」
表立って調べれば、裏切った者は隠れる。
長逸は身分を伏せ、槙島城の使番として荷の流れや噂を追っていた。
「長慶様にも、本当の目的をすべて伝えてないの?」
「私が京と宇治を見てくることはご存じだ。だが、内通者の疑いについては、証拠を得るまで口にしなかった」
茶太郎には、政治のすべては分からなかった。
それでも、長逸が一人で大きなものを抱えていたことは伝わった。
「長逸さん……ずっと怖かった?」
「武士が怖いなどと――」
長逸は言いかけ、膝へ乗ってきた希太を見た。
希太は長逸の手へ顔をすり寄せる。
「にゃ……」
「……怖かった」
長逸は希太の背を撫でながら、ようやく認めた。
「私の報告一つで、三好と幕府が争うかもしれぬ。間違った者を疑えば、家中まで割れる。答えが見つからぬまま、進むことが怖かった」
茶太郎は少し考えてから答えた。
「答えが見つからなくても、探しながら歩けばいいと思う」
「探しながら……」
「でも、一人で探さなくてもいいよ」
長逸の指が止まる。
ひこじいが鼻を鳴らした。
「五歳児に、ようやく本音を引き出されたか」
「面目ない……」
長逸は苦笑した。
その後、長逸は一つの決断をした。
三本爪の書状、偽の荷印、油倉の帳面。
見つかった証拠を、三好家だけで抱え込まない。
同じ内容を、三好長慶と室町幕府の双方へ届けるという。
「片方だけへ伝えれば、都合の悪い部分を隠したと疑われる。山科言継卿にも立ち会っていただき、同じ証拠を見てもらう」
宗白がうなずく。
「異なる噂を流す敵には、同じ事実を同時に渡す。それが一番効く」
長逸は茶太郎へ向き直った。
「もう一つ、頼みがある」
「料理?」
「なぜ分かった」
「長逸さん、頼む時はいつもぼくの手元を見るから」
長逸は困ったように笑う。
「この証拠とともに、長慶様へ料理を届けたい」
三好長慶は、まだ若い。
だが一門と家臣をまとめ、細川晴元を支えながら畿内の争いへ向き合っている。
食事を後回しにし、馬上で済ませることも多いという。
「長慶様は何が好きなの?」
「甘い物は嫌いではない。だが、甘い物を好むと知られるのを少し恥じておられる」
弥七が肩を揺らした。
「どこかの使番と同じやな」
「私は猫が好きなだけだ!」
「甘味も好きやろ」
「……否定はせぬ」
茶太郎は、長い移動にも耐え、忙しい時に少しずつ食べられる料理を考えた。
炒った大麦。
細かく砕いた胡桃と胡麻。
燻しモロコの粉。
宇治茶葉。
それらを水飴と貴重な蜂蜜で練り、小さな球へ丸める。
腐りやすい水分を増やさず、一つずつ乾いた笹で包んだ。
既に下京の復興作業で作っていた携帯食を、長慶へ合わせて調整したもの。
《宇治水霊の元気玉》。
茶太郎は一つを長逸へ渡した。
「先に食べてみて」
長逸が口へ入れる。
水飴と蜂蜜の柔らかな甘さ。
大麦と胡麻の香ばしさ。
後から燻しモロコの塩気と、茶葉の苦みが追いかける。
「甘いが、甘いだけではない。力が戻る味だ」
「長慶さんが疲れた時、一つずつ食べてもらって」
八は材料と製造日を木札へ記した。
「長く置けるとは決めつけへん。途中で包みを開けて、匂いや湿り気を確かめてな」
「承知した」
長逸は元気玉の箱と、三本爪の証拠を受け取った。
出立する前、茶太郎の前へ膝をつく。
「今度会う時は、使番ではなく三好長逸として参る」
「うん。でも長逸さんは、長逸さんだよ」
希太も前足を上げた。
「にゃ(※ヨシ)」
長逸は少し迷った後、同じように拳を上げる。
「……ヨシ」
数日後。
三好長慶のもとから、宇治へ返書が届いた。
短い文だった。
『証拠、確かに受け取った。元気玉も美味であった』
その下には、少し小さな文字が続いていた。
『三好長逸を猫と踊らせた料理人に、一度会ってみたい』
長逸から長慶へ。
一粒の元気玉が、乱世を動かす新たな縁を結び始めた。
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