第152話 「白虎が読む鉄と、使番・長逸の正体」
――偽りの荷車に残された、本物の槌跡――
偽の茶荷を運んできた荷車は、森家の庭へ隔離された。
油を含んだ布や湿った茶葉は、上質な茶から遠ざける。鉄針の仕込まれた留め金も、素手では触れず木箱へ収めた。
翌朝、荷車から外した車軸と留め金が、船で下京へ運ばれた。
甚八は寝床へ横になったまま、それらを調べる。
「俺を宇治へ連れていけば早かったやろ」
「傷が治っていないから駄目」
茶太郎が即答した。
「無理に動いて悪くなったら、鉄を見る人がいなくなるよ」
「五歳児に叱られた……」
甚八は不満そうだったが、道三に睨まれると大人しく鉄へ向き直った。
車軸の表面には煤が付き、一見しただけでは普通の古鉄に見える。
しかし甚八は小槌で軽く叩き、響きを聞いた。
高い音。
濁った音。
同じ車軸でも、場所によって音が違う。
「つぎはぎや。折れた武具や農具を集めて、一つの車軸へ鍛え直しとる」
「どこの鍛冶場か分かる?」
「まだ分からん。けど、急いで作った鉄や」
甚八は車軸の端を布で拭った。
「表面だけ整えて、内側の割れを残しとる。重い荷を何度か運べば折れるで」
その瞬間、車軸の内側から三本の白い筋が浮かび上がった。
白虎の瞳が鉄の表面へ映る。
『ここだ』
低い声とともに、一本の筋が車軸の中央へ集まる。
甚八が示された場所を小槌で叩くと、鈍い音が返った。
「中で割れが進んどる……この荷車、都へ戻る前に壊れるよう作られとったんや」
「証拠を運んだ人まで、怪我をする仕掛けだったの?」
茶太郎の胸へ、冷たい味が広がった。
粗悪な茶で宇治の信用を壊す。
偽荷が見つかっても、荷車を壊して証拠を失わせる。
偶然に見せかけた罠が、幾重にも用意されていた。
茶太郎は白虎へ尋ねた。
「どこで作られた鉄か、分かる?」
『我が読めるのは、鉄に残る力と傷だ。作り手の名までは分からぬ』
白虎も万能ではない。
危険な割れ目を示せても、それを作った人間までは探せなかった。
「でも、ここからは俺の仕事や」
甚八は留め金の裏を指でなぞった。
「この槌跡、右から二度、左から一度。最後に角を立てる癖がある」
「知ってる打ち方なの?」
「下京の西に、壊れた武具を買い集める鍛冶場がある。昔、俺も鉄を売りに行った」
甚八は少しだけ目を伏せた。
「店主の名は重蔵。腕は悪くない。けど、銭になるなら武器でも罠でも作る男や」
弥七は、すぐに踏み込むことを選ばなかった。
「重蔵が作ったとしても、依頼した者が別におる。先に押さえたら、その先が切れる」
日置雪が提案する。
「偽の荷車が壊れ、鉄だけ回収されたように見せましょう。重蔵か仲買人が確認に来るかもしれません」
囮に使うのは、壊れた荷車の一部だけ。
町組が管理する空き地へ置き、弥七と雪、影猫衆が周囲へ隠れる。
茶太郎は離れた炊事場へ残った。
夜の見張りに出る町人たちへ、温かい《近江水霊の黄金経帯麺》を用意するためだ。
「ぼくも行けば、誰が嘘をついてるか味で分かるかもしれない」
「暗がりで矢が飛んできたら、味を見る前に終わりや」
弥七は厳しく言った。
「茶太郎の力は、捕らえた後で使えばええ。役目の順番を間違えるな」
「……うん。ここで待つ」
茶丸と白灯は、茶太郎のそばへ残った。
虎吉と八雲、翁が追跡へ加わる。
夜半。
空き地へ、一人の男が現れた。
旅商人の姿をしているが、荷車を見る目は品物を確かめる商人のものではない。
男は車軸へ触れ、周囲を見回した。
「鉄だけ残ったか……あの者ども、始末までしくじりおって」
屋根の虎吉が尻尾を振る。
合図を受けた雪が、男の退路へ回った。
「誰の始末ですか」
男は驚いて短刀を抜く。
だが、その刃へ白い光が走った。
白虎が刃の根元にある亀裂を示す。
弥七は正面から斬り合わず、鞘を短刀の腹へ打ちつけた。
刃は亀裂から折れ、地面へ落ちる。
「鉄は嘘をつかへんな」
男は逃げようとしたが、翁が背後から肩へ飛びついた。雪が足を払い、縄で両腕を縛る。
男の懐から、偽の荷印と書状が見つかった。
書状の宛名はない。
ただし、末尾には三本爪の印と、次の指示が記されていた。
『三好と幕府、双方へ異なる噂を流せ』
翌朝、男は宇治へ移され、長逸の前へ引き出された。
長逸が顔を見せた瞬間、男の表情が変わる。
「なぜ……あなたがここに……」
長逸は静かに問う。
「私を知っているのか」
男は逃げ道を探すように周囲を見回した。
しかし槙島城の武者と宇治の自衛衆が、すべての出口を塞いでいる。
「知らぬはずがない……」
男の口から、隠されていた名がこぼれた。
「三好長逸様……!」
茶太郎は長逸を見上げた。
「三好……長逸……?」
槙島城から来た若い使番。
猫へ触れられるだけで顔を赤くし、マタタビの匂い袋で猫たちと踊った武者。
その人物こそ、三好一族の長老格へ連なる三好長逸本人だった。
長逸はしばらく黙っていた。
やがて茶太郎たちへ向き直り、深く頭を下げる。
「黙っていて、すまなかった」
「どうして、使番のふりをしてたの?」
「宇治の者たちが、三好の名へどう接するか知りたかった。そして――」
長逸は三本爪の書状を握る。
「三好家の内側に、この者たちと通じる者がいる可能性を疑っていた」
敵は三好と幕府を争わせようとしている。
しかも、その手は三好家の内側にまで伸びていた。
白虎の姿が、朝日を受けた刀身へ映る。
『鉄の割れは、外から見えぬ』
その言葉は、三好家の内部に潜む亀裂を告げているようだった。
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