第151話 「宇治茶倉の偽荷と、白虎の警告」
――茶を焼かずに、信用を焼く――
『次は南。宇治の茶倉を絶て』
油倉の帳面に残された文字を見た瞬間、茶太郎は秘密基地の扉を思い浮かべた。
「扉を使えば、すぐ宇治へ戻れる」
だが、橋姫が静かに首を横へ振る。
「大勢を一度に通せば、秘密基地と下京を結ぶ地脈に負担がかかります」
亜空間の小戸は、茶太郎が訪れ、土地や霊との縁を結んだ場所にしか開かない。
開閉できるのも茶太郎だけ。
人や荷を無制限に運べる道ではなかった。
「先に少人数で戻り、宇治へ知らせる。下京の人たちは普通の道と水路で後から来てもらおう」
茶太郎は茶丸、弥七、日置雪とともに小戸をくぐった。
八は下京へ残り、油倉の帳面と患者の記録を守る。
「こっちは任せて。新しい動きがあったら、影猫衆に知らせてもらう」
小戸の先は、宇治の秘密基地だった。
茶太郎が最後に通り抜けると、扉を閉じる。
淡い光が消え、地脈の揺れも静まった。
「続けては開けられへんな」
弥七が床へ手を当てる。
「うん。地脈が落ち着くまで休ませる」
茶太郎たちは、すぐに森彦右衛門――ひこじいの茶倉へ向かった。
連絡を受けた父・宗次や伊平じいさん、宇治の茶師たちも集まる。
ひこじいは帳面の切れ端を見ても慌てなかった。
「茶倉は一つやない。どこが狙いか分からぬまま騒げば、こちらから混乱を広げるだけじゃ」
「どうしたらいい?」
「まず、今ある茶と、これから届く茶を分ける」
ひこじいは茶師たちへ命じた。
倉にある茶壺の数を確認する者。
出入り口と屋根を調べる者。
運び込まれる荷の印を確かめる者。
不審な荷を置く離れを用意する者。
茶太郎は火を警戒していた。
だが、ひこじいは鼻を指した。
「茶は火だけに弱いのではない。湿り気と臭いを吸えば、売り物にならぬ」
油を近くで燃やさなくても、茶倉へ染み込ませればよい。
濡れた粗悪な茶へ入れ替えるだけでも、宇治茶の信用は失われる。
「茶を焼かなくても、茶師を潰せるんだ……」
「商いで最も恐ろしい火は、信用を焼く火じゃ」
その日の夕刻、一台の荷車が茶倉へ到着した。
「木幡の茶園から、追加の茶葉を運んできました!」
荷車には、宇治の茶師が使う印が付けられている。
だが茶太郎が近づくと、胸の奥に酸っぱく濁った味が広がった。
「待って。この荷、茶の匂いが変だよ」
荷運びの男が顔をしかめる。
「子どもに何が分かる。急がんと日が暮れるぞ」
ひこじいは荷を倉へ入れなかった。
「ならば、ここで印と帳面を確かめる」
茶師が控えと照合する。
印の形は正しい。
だが、届ける日が一日早く、荷の数も一箱多い。
「木幡からの荷なら、六箱のはずじゃ」
男の目が泳いだ。
「急に増えたんや。収穫が多うて……」
弥七が荷車の車輪を見る。
「木幡の道を通った車輪やない。泥に川砂が混じっとる。伏見側から来た跡や」
雪が荷箱の縄へ手を伸ばした時だった。
鉄の留め金へ、三本の白い筋が浮かび上がる。
白銀の虎の瞳が、一瞬だけ金具へ映った。
『触れるな』
低い声が響く。
雪は手を止めた。
弥七が横から確認すると、留め金の裏に細い鉄針が仕込まれていた。
「縄を解けば、手へ刺さる仕掛けや」
茶丸が毛を逆立てる。
『……針に……嫌な匂いがある……』
道具を使って留め金を外すと、荷箱の中から強い湿気と油臭が漏れ出した。
入っていたのは上質な宇治茶ではない。
湿って変色した古い茶葉と、油を染み込ませた布。
さらに底には、宇治茶師の荷印を押すための偽の木型が隠されていた。
「これを倉へ入れれば……」
宗次が息を呑む。
「臭いと湿気が、他の茶へ移る」
粗悪な茶を宇治の正規品として都へ送れば、飲んだ者は宇治茶そのものを疑う。
茶倉を焼かずとも、商いを絶つことができる。
男たちは逃げようとした。
だが、茶師たちの自衛衆と弥七が退路を塞ぐ。
一人は荷車を捨てて川沿いへ走ったが、屋根から飛び降りた虎吉が顔へ張りついた。
「うわあっ! 猫! 猫を取れ!」
「ニャアッ!」
男が転んだところを、雪が縄で捕らえる。
茶太郎は戦いへ近づかず、宗次の後ろから様子を見守った。
騒ぎを聞きつけ、槙島城から長逸が武者を連れて現れた。
「茶太郎殿、無事か!」
「ぼくは大丈夫。でも、この荷が……」
長逸は偽の木型と三本爪の印を見た瞬間、表情を変えた。
「この荷印の作り方……阿波の者が使う偽装に似ている」
ひこじいが鋭く問い返す。
「なぜ、使番のおぬしが阿波の偽装を知っておる?」
長逸は一瞬だけ言葉に詰まった。
「槙島城で、三好方の荷改めを手伝ったことがある」
答えは自然だった。
しかし弥七は、長逸の手元を見ていた。
長逸は偽印を、初めて見る物のようには扱っていない。
どこを押せば印が外れるか、知っている手つきだった。
捕らえた男の懐から、一枚の触書の下書きが見つかった。
『宇治茶の腐敗は、三好方の乱暴なる徴発によるものなり』
まだ誰にも配られていない文書だった。
「三好が茶を奪い、粗末に扱ったと噂を流すつもりだったのか」
宗次の言葉に、長逸は拳を強く握った。
「三好と宇治を争わせるための工作だ」
茶太郎は長逸を見上げた。
いつもの穏やかな使番の顔ではない。
家の名を傷つけられた武将の目をしていた。
「長逸さん……三好家のことを、大切にしてるんだね」
「私は……」
長逸は何かを言いかけ、口を閉じた。
その時、偽の留め金に再び白い光が走る。
茶倉の壁へ、巨大な白虎の影が映った。
『偽りは口で作れても、鉄に刻まれた仕事までは消せぬ』
白虎の瞳は、荷車の車軸を見つめていた。
甚八が見れば、どの鍛冶場で作られた鉄か分かるかもしれない。
下京の油倉。
宇治の偽荷。
二つを結ぶ者は、まだ捕らえた男たちの先にいる。
そして長逸が隠している名もまた、三好家へつながっていた。
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