↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
PR
157/319

第149話 「三本爪の火付けと、燃え残った水札」

 ――追う者、守る者、利用された者――


 三本の黒い爪が描かれた布を残し、火付け人は西の路地へ逃げた。

 弥七やしち日置雪へき・ゆき、そして影猫衆が、その跡を追う。


「雪、足跡を見失うな」


「分かっています」


 雪は地面へ目を凝らした。

 足跡は細く、歩幅も狭い。大人ではなく、まだ成長しきっていない者のものだった。


 屋根の上では虎吉が先行し、八雲と白灯あかりが左右の路地へ分かれる。

 弥七が泥に残った足跡を指でなぞった。


「右足だけ、草履の緒が緩んどる。急いだ跡や」


 しかし次の辻で、足跡が突然消えた。


「消えた……?」


「いや。草履を裏返したんや」


 弥七は反対方向へ続く、不自然な泥の跡を見つけた。


「誰かに追われることを知っとる。素人やけど、逃げ方を教えられとるな」


 雪は暗い路地の先を見た。

 そこには焼け残った土蔵と、半壊した仮小屋が並んでいた。


 その頃、茶太郎は火事の現場へ残っていた。

 追いかけたい気持ちはあったが、今の自分が行けば、弥七たちの足手まといになる。


「ぼくは、ここでできることを探す」


 はちが運び出した木札を床へ並べる。


 料理の札。

 薬の札。

 患者の札。

 水場と水路を記した札。


 すべて無事に見えたが、一枚だけ端が黒く焦げていた。


「これ……井戸の札や」


 八が拾い上げる。

 そこには、青龍が示した地下水の流れと、使用を止めた井戸の位置が記されていた。

 茶太郎は半焼した小屋を振り返る。


「狙われたのは、正丸じゃないのかもしれない」


「どういうことや?」


「火をつけられたのは、薬棚から少し離れた場所だよ。そこには水の札が置いてあった」


 墨屋宗白すみや・そうはくが険しい顔になる。


「病人の数と、井戸の場所を記した札か」


 井戸が汚れていると分かれば、町組は使用を止める。

 代わりに安全な水を運び、病の広がりを抑える。

 しかし、それを困る者がいた。


 焼け跡へ水を運び、高値で売っていた者。

 汚れた土地を捨て値で買い集めようとしていた者。

 病が長引くほど儲かる者たちだ。


「水の札を焼けば、どの井戸が危ないか分からなくなる」


 茶太郎の言葉に、宗白は拳を握った。


「病人が増えれば、復興も止まる。偶然の火事に見せかけ、町を弱らせるつもりか」


 その時、甚八じんぱちが寝床から声を上げた。


「茶太郎……油壺を見せてくれ」


「起きたら駄目だよ」


「寝たままでええ。匂いなら分かる」


 茶太郎は道三の許可を得て、割れた油壺の欠片を甚八の近くへ運んだ。

 甚八は鼻を近づけ、眉をひそめる。


「灯明用の油だけやない。松脂が混じっとる。それに、底へ細かい鉄粉が残っとる」


「鉄粉?」


「火打ちの火花を拾いやすくするためやろ。鍛冶場の近くで作られた細工かもしれへん」


 負傷して動けなくても、甚八にしか分からないことがある。

 茶太郎は少し笑った。


「甚八も、ちゃんと戦ってるんだね」


「戦ってへん。寝かされとるだけや」


 そう言いながら、甚八は照れたように顔を背けた。

 一方、西の路地では、虎吉が短く鳴いた。


「ニャッ!」


 半壊した仮小屋の陰から、小さな影が飛び出す。

 粗末な着物をまとった、十歳ほどの少年だった。

 少年は焼けた板を投げ、逃げようとする。


 雪は正面へ回り込まず、逃げ道の先へ縄を低く張った。

 少年の足が縄へ掛かり、泥の上へ転ぶ。


「来るな!」


 少年は懐から火打石を取り出した。

 だが、八雲が手首へ飛びつき、火打石を地面へ落とす。白灯がその上へ座った。


 弥七は刀を抜かなかった。


「火をつけたんは、おまえか」


「知らん!」


「右の草履の緒が緩んどる。小屋の裏に残った足跡と同じや」


 少年の顔から血の気が引いた。

 雪は少年の懐から、小さな木札を取り出した。


 三本の黒い爪。

 裏には、食事を受け取る場所と時刻が刻まれていた。


「誰に渡されたのですか」


 少年は唇を噛み、答えない。

 腹が、ぐうっと鳴った。


 弥七は少年の痩せた手を見た。


「火をつけたら、飯をやると言われたんやな」


「……妹がおる」


 少年は地面を見つめたまま、震える声で答えた。


「火をつけたら、妹にも粥をやるって……断ったら、寝床を燃やすって……」


 弥七と雪は顔を見合わせた。

 少年は火付け人だった。


 だが、三本爪の仲間ではない。

 食べ物と恐怖で、使われただけだった。


 少年を連れて戻ると、町人たちが怒声を上げた。


「こいつが火をつけたんか!」


「縄で縛れ!」


「役人へ突き出せ!」


 少年は肩をすくめ、目を閉じた。

 茶太郎は少年の前へ、温かい《青流水霊のやわらぎ麺》を置いた。


「先に、妹さんの居場所を教えて」


「……罰を与えへんのか」


「火をつけたことは、なかったことにはできない」


 茶太郎は少年から目をそらさなかった。


「でも、お腹を空かせたまま問い詰めても、本当のことを話せないと思う」


 墨屋宗白が町人たちを制した。


「裁きを急ぐな。後ろで命じた者を見つけねば、別の子が使われるだけだ」


 少年は震える手で椀を持った。

 一口すすった瞬間、目から涙がこぼれる。


「妹は……四条の西にある、焼けた油倉におる」


「命じた者も、そこにいるの?」


 少年は首を横に振った。


「顔は見てへん。黒い布で隠してた。でも……袖から、三本の釘が鳴る音がした」


 甚八が目を開いた。


「釘を束ねた音……鍛冶職人か、それを装った者や」


 弥七は木札を裏返した。

 端には、消えかけた別の印があった。

 山崎から運ばれる灯明油の荷印。

 だが、本来の印とは線が一本だけ違っている。


「偽の荷印や」


 弥七が低く呟く。


「火付け人は、油の流れへ紛れ込んどる」


 茶太郎は焦げた水札と、偽の荷印を並べた。


 病を広げる水。

 町を焼く油。

 二つの流れは、下京のどこかで結ばれている。


 その時、薬棚の火が朱く揺れた。

 朱雀の羽が一枚だけ現れ、西の空を指す。

 青龍の光も、水桶の中から同じ方角へ伸びていた。


 水と火。


 二柱が示した先には、四条の焼けた油倉があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。