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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第148話 「朱雀の火見と、狙われた薬札」

 ――守る火と、奪う火――


 朱い鳥の影が消えた後も、炊事場の炎は静かに揺れていた。


 茶太郎たちは藁束を遠ざけ、焚き口の周囲へ水を撒いた。


「さっきの鳥……火の神様なの?」


 レオが尋ねる。

 茶丸は炎を見つめたまま、短く鳴いた。


「……ニャッ」


 道三は煎じ薬を火から下ろした。


「火を消さなかったところを見るに、火除けの神ではあるまい」


「火の行き先を教えてくれた」


 茶太郎は赤い羽が示した方向を思い出す。


「青龍と同じだ。危険を消すんじゃなくて、気づかせてくれるんだよ」


 その夜、茶太郎たちは火の番を増やした。

 炊事場、薬を煎じる竈、病人を暖める火鉢。

 火をすべて消せば安全になるわけではない。白湯を作り、傷を洗う道具を煮沸し、病人の体を冷やさないためには、火が必要だった。


 甚八じんぱちは寝床から起き上がろうとした。


「火の番なら、座っててもできる」


「駄目じゃ」


 道三が即座に止める。


「熱が下がったように感じても、傷が治ったわけではない」


「でも、人手が足りへん」


 すると京鈴きょうすずが、甚八の槌を抱えた。


「今夜は、うちが火の音を聞く」


「おまえ一人では無理や」


「一人やない」


 京鈴の後ろには、はち市松いちまつ、下京の子どもたちが並んでいた。

 子どもだけで消火はしない。

 異変を見つけたら板木を鳴らし、大人を呼ぶ。水桶へ勝手に近づかず、決められた場所で見張る。


 墨屋宗白すみや・そうはくは町組の者を通りごとに配置した。


「子どもに火を消させるな。知らせを受けた大人が動け」


 影猫衆も屋根と路地へ散った。

 虎吉は炊事場の梁へ上がり、八雲は井戸端、白灯あかりは薬棚の下へ潜る。

 翁は耳先の欠けた顔を夜空へ向けた。


「ニャア……」


 茶丸にだけ、その声の意味が届く。


『今夜の風は西から東へ流れる。火が出れば、焼け跡ではなく新しい仮小屋へ向かう』


 茶丸は茶太郎の足元へ戻り、念話で伝えた。


『……西を……警戒しろ……』


 夜半。

 京鈴が、ふいに顔を上げた。


「音が違う」


「何の音?」


 市松が身を固くする。


「薪が爆ぜる音やない。濡れたものが、焼けて縮む音……」


 炊事場の火は正常だった。

 薬を煎じる竈にも異常はない。

 だが、薬札と患者の記録を保管した小屋の裏で、細い煙が上がっていた。


「火や!」


 八が板木を打ち鳴らす。

 カン、カン、カン――。

 下京の夜へ、鋭い音が響いた。


 小屋の壁際では、油を染み込ませた布が燃えていた。すぐ隣には乾いた木札と薬草が積まれている。

 茶太郎が水桶へ走ろうとすると、炎の中に朱い羽が現れた。

 羽は火の粉に乗り、東側の屋根へ向かう。


「火は東へ広がる!」


 茶太郎の声を受け、町組の者たちは東側の荷物と藁束を退けた。

 別の者が屋根へ水を掛ける。


 宗白が指示を飛ばした。


「燃えている壁だけを見るな! 風下を濡らせ! 隣の板塀を外せ!」


 朱い羽が火を消すことはない。

 だが、次に燃える場所を示し続けていた。

 京鈴は目を閉じ、炎の音を聞く。


「壁の中へ入ってる! 上の横木が危ない!」


 甚八の仲間たちが長い鉤棒で壁板を引き剥がした。

 火は柱へ移る寸前で露出し、水と濡れた筵をかぶせられる。

 やがて煙だけが残った。

 小屋は半焼したが、患者の記録と薬札の多くは八が抱えて運び出していた。


「失敗の札も、薬の札も……残っとる」


 八の腕の中で、木札が小さく鳴った。

 茶太郎は煤けた小屋の裏へ回る。


 そこには、割れた油壺と、半分焼けた布が残っていた。

 弥七やしちが布を拾い、指先で匂いを確かめる。


「これは竈から飛んだ火やない。松脂を混ぜた油が染み込ませてある」


 日置雪へき・ゆきも地面へ膝をついた。

 銀髪が月明かりを受け、白く光る。


「足跡が一人分。小屋へ近づき、火をつけた後、西の路地へ逃げています」


「誰かが……薬の小屋を燃やそうとしたの?」


 茶太郎の問いに、弥七は答えなかった。

 代わりに、焼け残った布の端を示す。

 そこには、墨で小さな印が描かれていた。


 輪の中へ、三本の黒い爪。


 茶丸の毛が逆立つ。


『……以前……焼け跡で見た印だ……』


 火事で空いた土地を奪い、材木や食料を高値で売る者たち。

 下京が立ち直れば、儲けを失う者がいる。

 そして今度は、病を抑えるための記録まで狙われた。


 その時、消えかけた火の中から朱い鳥が姿を現した。

 炎のような冠羽と、夜を切り裂く大きな翼。


『我が名は朱雀すざく


 凛とした女の声が響く。


『我は火を生み出さぬ。人の悪意を焼くこともできぬ。ただ、火がどこへ走り、何を奪うかを示す』


 茶太郎は煤に汚れた顔を上げた。


「それで十分です。あとは、ぼくたちが止めます」


 朱雀は厳しい瞳で茶太郎を見つめた後、わずかに翼を下げた。


『ならば覚えておけ。火に善悪はない。守る火と奪う火を分けるのは、それを扱う者の意志だ』


 朱雀の姿が、赤い火の粉となって消える。


 弥七は路地の暗がりへ目を向けた。


「犯人は、まだ近くにおる。甲賀の追い方を使えば、足跡を拾える」


 雪が袖の中から短い縄を取り出す。


「影猫衆と先へ行きます。茶太郎たちは患者と火を守ってください」


 屋根の上で、虎吉の鍵尻尾が一度だけ揺れた。

 茶太郎は追いかけたい気持ちを抑え、薬札を抱えた八の隣へ立つ。


「ぼくは、ここを守る」


 追う者。

 火を消す者。

 病人を支える者。


 役割は違っても、目的は一つだった。

 下京の夜の奥で、三本爪の印を持つ者たちが、再び動き始めていた。

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『茶太郎がゆく』
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