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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第147話 「柳水鎮の苦煎と、火を見つめる朱き羽」

 ――熱を隠すのではなく、その原因を見つける――


 甚八じんぱちの左腕は、赤く腫れ上がっていた。

 昼間、崩れた材木を支えた際に釘で傷つけたという。


「こんなん、唾つけとけば治る」


 甚八は強がったが、額には汗が浮かび、指先まで震えている。

 曲直瀬道三まなせ・どうさんは傷へ顔を近づけた。


「いつ負った」


「昼前や」


「何で洗った」


「……洗ってへん。忙しかったから、布を巻いただけや」


 巻いていた布は煤と泥で黒く汚れていた。

 道三が布を外すと、傷の奥に小さな木片が残っている。


「熱だけを下げても、この木片が残れば治らぬ」


 茶太郎は柳の皮を使えばよいと考えていた。

 だが、その前にするべきことがあった。


「まず、傷をきれいにするんですね」


「そうじゃ。熱は敵とは限らぬ。身体の中で異変が起きているという知らせでもある」


 道三は甚八を炊事場から離れた明るい場所へ寝かせた。

 茶太郎は清水を十分に沸かし、傷を洗うための白湯を用意する。

 刃物と金具は別の鍋で熱し、清潔な布も湯へ通した。


 甚八が顔を引きつらせる。


「お、おい。まさか、その刃物で切るんか?」


「木片を取らねばならぬ」


「やっぱり寝たら治る! 急に元気になってきた!」


「逃げる元気だけはあるようじゃな」


 道三が甚八の肩を押さえる。

 茶丸も甚八の腹の上へ座った。


「……ニャッ」


「茶丸まで押さえんでも逃げへん! たぶん!」


 道三は傷を白湯で洗い、奥に残った木片を慎重に取り除いた。

 膿と血が流れ、甚八が歯を食いしばる。


 茶太郎は何度も新しい布へ替え、汚れた布を清潔な物と混ぜないよう分けた。

 最後に傷をもう一度洗い、煮沸して乾かした布で覆う。


「縫わないんですか?」


「汚れの残る傷をすぐ閉じれば、悪いものまで中へ閉じ込めることがある。まずは流れ出る道を残す」


 青龍せいりゅうの言葉と同じだった。

 流れを止める前に、何が流れているのかを見極める。

 処置を終えても、甚八の熱と痛みは強かった。


「ここで柳を使う」


 道三は川辺で採った柳の皮を取り出した。

 表面の汚れを落とし、細かく刻んで水から静かに煮出す。

 茶太郎が酢の瓶へ手を伸ばすと、道三が止めた。


「余計なものを加えれば、何が身体に合わなかったのか分からなくなる。まずは昔からの煎じ方を、正しく揃えるのじゃ」


 はちは柳皮の量、水の量、火へかけた時刻を木札へ記した。


「正丸と札の色を変えるで。黄色は腹の薬、青は白湯、柳は……」


「赤にしよう」


 京鈴きょうすずが火を見つめて言う。


「熱の薬やから」


 柳の煎じ汁は、草木の渋みを凝縮したような味だった。

 茶太郎は少量を匙へ取り、匂いを確かめる。


「これも苦い……」


「薬を甘くしすぎれば、必要以上に欲しがる者も出る。苦いまま使う意味もある」


 道三は煎じ汁を《柳水鎮りゅうすいちんの苦煎》と名づけた。


「甚八は子どもではない。胃の病も、血が止まりにくい様子もない。ゆえに少量を試す」


「熱が下がれば、治ったことになる?」


 茶太郎が尋ねると、道三は首を横に振った。


「ならぬ。痛みや熱が和らいでも、傷の腫れが広がれば悪化しておる。薬で知らせを隠したまま働かせるのが、もっとも危うい」


 甚八は苦煎を口に含み、目を固く閉じた。


「正丸よりはましや……いや、どっちも嫌や……」


「元気になったら、お寅婆に甘い物を借りるとええ」


「貸しや。生き延びたら利子つきで返し」


 お寅婆の声に、甚八は力なく笑った。

 その夜、甚八は作業へ戻ることを許されなかった。


 八が一刻ごとに熱を確かめ、京鈴が白湯を運ぶ。茶太郎は消化しやすい薄粥を作った。

 熱は少し和らいだが、傷の赤みはまだ残っている。


「明日も洗う。腫れが腕を上がるようなら、さらに手を考えねばならぬ」


 道三の言葉に、茶太郎はうなずいた。


 一度の薬で劇的に治ることはない。

 治療とは、小さな変化を見逃さず、間違った道へ進ませない仕事なのだ。


 夜更け。


 道具を煮沸していた火が、風もないのに細く揺れた。

 炎の中から、一枚の赤い羽が浮かび上がる。


「……鳥の羽?」


 レオが手を伸ばそうとすると、茶丸が前足で止めた。


「ニャッ」


 赤い羽は、焚き口から飛び出した小さな火の粉へ触れる。

 すると羽の先が、火の粉の飛ぶ方向を静かに示した。


「火の粉が、乾いた藁の方へ行く!」


 京鈴が叫んだ。


 甚八の代わりに火を見ていた若者が、すぐに藁束を遠ざける。茶太郎たちも水桶を運び、火の周囲を片づけた。


 赤い羽が火を消したわけではない。

 火の粉が向かう先を示しただけだった。

 炎の向こうに、翼を広げた朱い鳥の影が映る。


『火は命を温め、食を作り、薬を煎じる』


 凛とした女の声が響いた。


『されど、扱いを誤れば、築いたものをすべて奪う』


「あなたは……?」


『いずれ名乗ろう。まずは、その小さな火を正しく守ってみせよ』


 朱い鳥の影は、炎の奥へ消えた。

 茶太郎は水桶を握ったまま、静かに火を見つめた。


 水の流れを示す青龍。

 そして、火の行方を告げる朱い羽。


 下京を立て直す人々のそばで、新たな守護者が目覚めようとしていた。

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『茶太郎がゆく』
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