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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第145話 「青流のやわらぎ麺と、水鏡に映る青龍」

 ――百人の料理から、一人のための料理へ――


 炊き出しの列から離れた場所で、小さな男の子が腹を押さえていた。


 名は市松いちまつ


 京の大火で家族とはぐれ、下京の仮小屋で暮らしているという。


「いつから痛いの?」


 茶太郎が尋ねると、市松は力なく答えた。


「昨日から……水を飲んでも、お腹が鳴る……」


 額には汗が浮かび、唇も乾いている。

 茶太郎は経帯麺の椀を下ろした。


「この麺は、今の市松には強すぎるかもしれない」


「食べたら元気になるんと違うん?」


 京鈴きょうすずが不安そうに聞く。


「弱っている時は、元気な人と同じ料理が負担になることもあるんだ」


 茶太郎は《鑑定》を使おうとした。

 しかし、浮かんだのは曖昧な光だけだった。


 ――水気の不足。

 ――腹部の乱れ。

 それ以上は分からない。


「料理の力だけで、病の名前まで決めちゃ駄目だ」


 茶太郎は影猫衆へ頼み、近くに滞在していた曲直瀬道三まなせ・どうさんを呼んだ。

 道三は市松の脈と腹を診て、飲んだ水や食べた物を詳しく尋ねる。


「濁った井戸水を飲んだ可能性がある。今は無理に固い物を食べさせず、煮沸した水を少しずつ与えよう」


 道三は茶太郎を見る。


「食べ物は薬の代わりではない。されど、弱った体が戻る道を支えることはできる」


「はい。一口ずつ食べられる料理を作ります」


 茶太郎は百椀用の濃い出汁を、そのまま使わなかった。

 新たに清水を十分に沸かし、昆布と風干しモロコを少量だけ加える。香りが移ったところで、すぐに引き上げた。

 塩も溜まりも、ほんのわずか。

 経帯麺は短く折り、弾力が消えるまで柔らかく煮る。


「せっかくの麺のコシがなくなるで?」


 はちが尋ねた。


「今日は、コシより食べやすさが大事なんだ」


 さらに吉野葛を水で溶き、汁へ少しずつ加えた。

 透明なとろみがつくと、汁は冷めにくくなり、短い麺にも優しく絡んだ。


 料理の名は――

 《青流水霊せいりゅうすいれいのやわらぎ麺》。


「まだ熱い。少し待とう」


 京鈴が椀の音を聞く。


「もう少し。湯気の声が強い」


 茶太郎は何度も混ぜ、匙に一口だけすくった。

 道三が温度を確かめてから、市松の唇へ運ぶ。


「急がず、ゆっくりじゃ」


 市松は恐る恐る口へ含んだ。


「……あったかい」


 しばらく待っても、痛みは強くならなかった。


 もう一口。

 さらに一口。


 茶太郎は食べられるからといって、椀をすべて与えなかった。


「今日はここまで。水も少しずつ飲もう」


「もっと食べたい……」


「明日、お腹が落ち着いたら続きを作るよ」


 市松は残念そうにしたが、素直にうなずいた。

 八は新しい木札へ、市松が食べた量と時刻を書き込む。


「大勢に配る札と、一人を見る札は分けた方がええな」


「どうして?」


「百人分の鍋が成功しても、市松が食べられへんかったら、この子にとっては失敗やから」


 八の言葉に、茶太郎は深くうなずいた。

 その時、仮小屋の外から騒ぎ声が聞こえた。


「この井戸の水、昨日から濁っとる!」


「上の水路が詰まったんやないか?」


 市松が飲んだという井戸だった。


 茶太郎たちが向かうと、水面に青い光の輪が浮かんでいた。

 光は井戸の縁から地面へ走り、路地の下を通って、壊れた排水溝の前で止まっている。

 甚八が板を外すと、中には灰、藁、泥が詰まっていた。


「これで汚れた水が戻ってきたんや」


 住民たちは井戸の使用を止め、別の安全な水場から水を運んだ。詰まりは人の手で取り除き、井戸は洗った後もしばらく飲用を避けることになった。


 青い光は、汚れを消してはくれない。

 ただ、流れが止まった場所を示していた。

 茶太郎が水面をのぞき込むと、そこには長い角と青い鱗を持つ影が映っていた。


『一つの流れを、すべての者へ押しつけてはならぬ』


「あなたは……誰?」


『我は青龍せいりゅう。東を巡り、水と道、人の行き先を見守る者』


 青龍の影は静かに茶太郎を見つめた。


『我に病は治せぬ。水も運べぬ。料理も作れぬ』


「じゃあ、何ができるの?」


『乱れた流れを示す。それを正すかどうかは、人が決める』


 その言葉を残し、青龍の姿は水紋の中へ消えた。


 翌朝。


 市松は、仮小屋の前で起き上がっていた。


「茶太郎……昨日の、もう一回食べたい」


 茶太郎が笑うと、京鈴は市松の隣へ黙って椀を置いた。


 八は新しい木札を取り出す。

 一人のために調整された《青流水霊のやわらぎ麺》は、やがて下京の病人や老人、幼い子どもへ届ける料理となった。


 そして青龍が示した地下の水路は、焼けた都を立て直すための、新たな道筋へつながり始めていた。


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『茶太郎がゆく』
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