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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第141話 「三縁水鏡の重ね椀」

 ――同じ席で、違う決まりを守る料理――


 翌朝、興福寺こうふくじの客殿には三つの席が設けられた。


 一つは、肉や魚を口にしない僧たち。

 一つは、力のつく鳥料理を求める武士たち。

 もう一つは、香りと盛りつけを重んじる公家たち。


「三種類の膳を作ればよいのではないか」


 坪内石斎つぼうち・せきさいが尋ねた。


「それだと、別々の食事になっちゃう」


 茶太郎は首を振る。


「同じ料理から始まって、最後だけ変えたいです」


 共通の土台に選んだのは、昆布と干し椎茸の出汁だった。

 そこへ蕪、大根、豆腐、芹を加える。

 肉も魚も使わないため、僧も口にできる。


 だが、ここから先は三つの鍋へ分けた。


 僧の鍋には、白胡麻と葛の餡。

 武士の鍋には、昨日作った雉の黄金出汁と、十分に火を通した腿肉。

 公家の鍋には、白味噌と柚子皮を加える。


 料理の名は——


 《三縁水鏡さんえんみずかがみの重ね椀》。


 水鏡のように同じ景色を映しながら、見る者によって表情が変わる椀である。


「気をつけるのは味だけじゃないよ」


 茶太郎は三枚の俎板を並べた。


 野菜用。

 雉用。

 盛りつけ用。


 包丁、布、柄杓も分ける。

 はちは、それぞれの道具へ異なる結び紐を付けた。


「一つ結びは僧の膳。二つ結びは武士。輪の結びは公家や」


 京鈴きょうすずは鍋の音を聞き分ける。


「右は胡麻。真ん中は雉。左が白味噌」


 甚八じんぱちは竈の間へ土の板を置き、汁が跳ねても隣の鍋へ入らないようにした。


「そこまでする必要があるのか」


 若い下働きが尋ねた。


「雉をすくった柄杓で僧の鍋を混ぜたら、見た目では分からないよ」


「少しくらい入っても、腹は壊さん」


「でも、その人が守ってきた決まりを壊しちゃう」


 茶太郎は答えた。


「食べられることと、食べていいことは同じじゃないから」


 調理は順調に進んだ。


 ところが配膳の直前、手伝いの少年が柄杓を取り違えた。

 二つ結びの柄杓を、胡麻餡の鍋へ入れかける。


「待って!」


 八が腕をつかんだ。

 柄杓の先は、まだ鍋へ触れていない。


「紐が違う!」


 少年の顔が青ざめる。


「す、すみません!」


「触れてないから大丈夫。気づいてくれてありがとう、八」


 茶太郎は少年を責めず、柄杓を元の場所へ戻した。

 だが、それを見ていた老僧が眉をひそめる。


「もし、すでに触れていたならどうする」


「僧の鍋は作り直します」


「隠して出せば、誰にも分からぬぞ」


「ぼくたちには分かります」


 茶太郎は老僧を見上げた。


「知らなければ守らなくていい、にはしたくありません」


 老僧は何も言わず、席へ戻った。


 三つの椀が同時に運ばれる。

 器も、蕪と豆腐の置き方も同じ。

 違うのは、仕上げの香りと力強さだけだった。


 僧の椀は、胡麻の濃厚なコク。

 武士の椀は、雉の旨味と山椒。

 公家の椀は、白味噌の甘みと柚子の香り。


 武士の一人が、僧の椀を覗き込む。


「肉もないのに、それで力が出るのか」


 老僧は胡麻豆腐を箸で割った。


「そなたの雉より、胡麻の方が腹に重いかもしれぬぞ」


「まさか」


 交換はできないため、茶太郎は試食用に用意した小椀を二人へ差し出した。


 武士は胡麻餡を味わい、目を丸くする。


「確かに濃い……」


 老僧も雉を食べはしなかったが、黄金出汁の香りを確かめた。


「強い香りだ。山椒がなければ、後へ残りすぎるだろう」


 互いの決まりを捨てなくても、相手が何を好むかは知ることができる。

 三つの席の間にあった張り詰めた空気が、少しずつほどけていった。


 公家の客が椀を置く。


「三者を同じ味へ従わせるのではなく、同じ形から別の味を開いたか」


 石斎が茶太郎を見る。


「幕府、細川、三好に出した鍋と同じ考えだな」


「はい。でも今回は、道具も分けました」


「政にも必要かもしれぬな。言葉を交わす席は同じでも、守るべきものまで混ぜてはならん」


 食事の後、あの老僧が茶太郎を呼び止めた。


「決まりを守るとは、他人を遠ざけることだと思っていた」


 老僧は、胡麻豆腐の覚え書きを差し出す。


「だが、そなたは分けることで同じ席を作った。この献立を寺に残してよいか」


「はい。失敗した作り方も一緒に書いてください」


「失敗までか?」


「同じだまを作る人が減るから」


 老僧は笑い、覚え書きへ失敗の頁を加えた。

 夕暮れ、茶太郎たちは春日野の泉へ戻った。


 白鹿カスガが、古い石の前で待っている。

 その石は、秘密基地の扉を初めて開く時に使う地の目印とよく似ていた。


 茶太郎は石へ手を置く。


 宇治の茶畑から続く白い地脈。

 木津川沿いを歩いて結んだ人の縁。

 春日の泉から流れる澄んだ水の糸。

 三つが、かすかに触れ合った。


「ここから基地へつないでもいい?」


 カスガはすぐに応えない。


 茶太郎の手。


 洗い分けた調理道具

 胡麻豆腐の覚え書き

 そして、傷ついた若鳥を預けた薬師の方角


 一つずつ確かめるように見渡す。

 やがて白鹿は石へ近づき、角の先を静かに触れさせた。


 しゃらん。


 首の鈴が鳴った瞬間、石の表面へ白い鹿角の紋が浮かんだ。

 質量も土地も移動しない。

 ただ、茶太郎が自分の足で訪れ、奈良の者たちに認められた縁が、秘密基地へ帰る一本の道になった。


「開いた……」


 扉の向こうに、宇治の茶畑が見える。


 ただし開閉できるのは茶太郎だけ。

 運べるものも、人の手で扉を通せる量に限られる。


 カスガは扉をくぐらず、その前へ座った。

 奈良を離れない守り手として、茶太郎たちの帰路だけを見届ける。

 茶丸も扉の反対側へ座り、白鹿と向き合った。


「……ニャッ」


 宇治側は自分が守る。


 カスガの鈴が一度返事をした。


 奈良と宇治を結ぶ扉が生まれたことで、茶太郎の料理修行は次の土地へ進める。

 その夜、堅田衆から一通の木札が届いた。


『近江の海で、保存した魚が次々と傷んでいる』


 奈良で命の扱い方を学んだ茶太郎に、今度は——


 時間を越えて食材を生かす方法が求められようとしていた。


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『茶太郎がゆく』
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