↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
PR
141/318

第133話 「三条西家の台所と、揃わない大根」

 ――心だけでは、同じ一椀を作れない――


 三条西公条さんじょうにし・きんえだの屋敷を訪れた朝、茶太郎は門前で何度も紹介状を確かめた。


「字は変わらへんで」


 父の宗次そうじが笑う。


「分かってる。でも、緊張すると苦い味がするの」


 茶太郎の足元では、茶丸ちゃまるが平然と顔を洗っていた。


「……ニャッ」


 山科言継やましな・ときつぐから預かった紹介状には、こう記されている。


『宇治に、心を鎮める料理を作る幼子あり。ただし、技はいまだ未熟』


「最後の一言、いらないと思う……」


「そこが一番大事なのだろう」


 宗次が戸を叩いた。


 三条西家は、和歌や古典、香の道を伝える家である。

 屋敷の奥には写本が積まれ、床の間には季節の花が生けられていた。

 華やかに見える一方、台所の米櫃は半分ほどしか満たされていない。


 戦乱の京では、公家の家といえど食材を無駄にはできなかった。

 公条は、五歳の茶太郎を見ても笑わなかった。


「長刀を取り戻し、三好長慶の決断を変えた料理人とは、そなたか」


「決めたのは長慶さんです。ぼくは料理を作っただけです」


「なるほど。言継が気に入るわけだ」


 公条は茶太郎の前へ、一本の大根を置いた。


「では、その料理を見せてもらおう」


「何を作ればいいですか?」


「十人分の汁を作れ。全員へ、同じ大根を三切れずつ入れるのだ」


 茶太郎は目を瞬いた。


「それだけ?」


「それだけのことができればな」


 台所預かりの藤四郎とうしろうが、子どもの手に合わせた小さな包丁を持ってきた。

 刃はよく研がれているが、切っ先はわずかに丸めてある。


「まずは握ってみなされ」


 茶太郎は右手で柄を握る。

 けれど力を入れると肩まで上がり、刃先がぐらついた。


「包丁を腕だけで押すな。足を開き、腰を据える」


 茶太郎は足を開く。

 開きすぎて、尻餅をついた。


「にゃ」


 茶丸が呆れたように鳴く。


「茶丸は包丁を持たないからいいよね」


「……ニャッ」


 茶丸は四本の足を安定させ、見本のように構えた。


「猫に教わっとるぞ」


 藤四郎が笑った。


 茶太郎は立ち直り、大根へ手を添える。

 鑑定を使えば、大根の水分や傷んだ場所は分かる。

 縁の糸を見れば、畑や育てた人の思いも感じられる。


 だが、同じ厚さへ切る線までは現れない。


 一切れ目は厚い。

 二切れ目は斜め。

 三切れ目は薄すぎた。


「……揃わない」


「霊に頼んでみるか?」


 公条が尋ねる。

 茶太郎は首を振った。


「料理するのは、ぼくの手だから」


 何度切っても、形はばらばらだった。

 やがて三十切れを並べたが、同じ大きさのものはほとんどない。

 茶太郎は悔しそうに唇を噛んだ。


「これでは駄目です」


「ならば捨てるか?」


「捨てません」


 茶太郎は大根を厚さごとに分けた。


 厚いものを先に鍋へ入れ、薄いものは時間を置いてから加える。

 同じ頃合いに煮えるよう、入れる順番を変えたのだ。


 藤四郎が片眉を上げる。


「失敗を鍋の中で揃えたか」


 昆布と干し椎茸の出汁へ、塩と少量のたまりを加える。

 最後に刻んだ大根の葉を散らした。

 十の椀へ、三切れずつ盛る。


 見た目は揃っていない。

 だが食べてみると、どれもほぼ同じ柔らかさになっていた。


 公条は一椀を食べ終え、箸を置く。


「悪くない」


 茶太郎の顔が明るくなる。


「しかし、合格ではない」


 今度は肩が落ちた。


「なぜだと思う」


「形が違うから?」


「それだけではない。そなたは鍋を見続け、椀を出すのが遅れた。最初の客と最後の客では、汁の温度が違う」


 茶太郎は十の椀へ触れた。


 本当だ。

 最初によそった椀は、すでに少し冷めている。


「料理は、うまいものを一つ作れば終わりではない」


 公条は静かに続ける。


「誰へ、いつ、どの順で出すか。器は足りるか。食べ終わるまで温かいか。客の身分が違っても、粗末に扱われたと感じさせぬか」


 茶太郎が救ってきたのは、目の前で苦しむ一人の心だった。

 けれど料理番は、多くの人へ同時に膳を出さなければならない。

 味だけでなく、刻、量、器、人の流れまで整える必要がある。


「ぼく……何にも知りませんでした」


「五歳で全て知っている方が恐ろしい」


 公条は、ようやく笑った。


「知りたいと思えるなら、これから覚えればよい」


「教えてもらえますか?」


「私は料理人ではない。だが、京には技を守ってきた者がいる」


 公条は床の間へ目を向けた。


 そこには、一本の柳と、白い野花が生けられていた。

 豪華な花ではない。

 けれど柳の流れと花の位置によって、何も置かれていない空間まで美しく見える。


「料理を学ぶなら、まず形を見る目を養え」


「花で?」


「花も、膳も、余白が人の心を動かす」


 公条は一枚の札を茶太郎へ渡した。

 札には、六角堂ろっかくどう池坊専慶いけのぼう・せんけいの名が記されている。


「明日、この花を立てた僧に会うがよい」


 茶太郎は床の間を見つめた。


 花に霊性は宿っていない。

 それでも、目を離せない。

 言葉にできない思いが、枝の傾きと花の向きだけで伝わってくる。


「料理にも、こういうことができるのかな」


 茶丸が白い野花の前へ座り、尾を一度だけ揺らした。


「……ニャッ」


 第三章最初の修行は、包丁ではなく——

 一本の花を、きちんと見ることから始まった。

お読みいただき、ありがとうございます。


揃わない大根は、茶太郎にとって新しい修行の始まりでした。思いやりだけでは届かない一椀を、これから少しずつ学んでいきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。