↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
PR
140/317

第132話 「帰ってきた長刀と、百の縁」

 ――焼け跡に残ったものが、次の時代を結ぶ――


 二代目の長刀が、近江の海から下京へ帰ってきた。


 刃は油布に包まれ、堅田衆かたたしゅうの船改め状とともに、長刀鉾町なぎなたほこちょうの会所へ運び込まれた。


 天文法華の乱以来、祇園会ぎおんえは途絶えたまま。

 鉾を建てる町家も、車輪を直す材木も、祭りを支える銭も足りない。

 それでも長刀の帰還を知った町衆は、焼け跡の会所へ集まってきた。


「おかえり」


 京鈴きょうすずが、刃の前へ焼けた鈴を置いた。

 誰に教わった言葉でもない。

 その一言を聞いた老人たちが、顔を伏せた。


 墨屋宗白すみや・そうはくは、堅田衆から渡された状と、はちの結び紐、鉾町に残っていた古い記録を照らし合わせる。


「銘も長さも間違いない。これは、鉾町の長刀や」


 大舘常興おおだち・じょうこうも頷いた。


「幕府の改めを済ませた。今後は町組と幕府、双方の記録へ残す」


 一枚の証文へ全てを預けない。


 帳面。

 木札。

 結び紐。


 異なる記録を残し、後から確かめられるようにする。

 灰帳衆はいちょうしゅうとの戦いで下京が学んだ、新しい守り方だった。


 町衆の一人が長刀を見上げる。


「これで、すぐ鉾を建てられるやろか」


 甚八じんぱちが、焼けた車輪の金具を撫でた。


「まだ無理や。木も縄も人手も足りへん」


 喜びに満ちていた人々の顔が曇る。


 茶太郎は長刀の前へ進んだ。


「すぐじゃなくてもいいと思う」


「祭りができんのにか?」


「うん。長刀が帰ってきたから、今度はみんなが帰ってくる場所を作れるよ」


 鉾は、長刀だけでは動かない。


 木を削る者。

 縄をう者。

 車輪を直す者。

 囃子を奏でる者。

 通りを整え、食事を作り、見物人を導く者。


 一つでも欠ければ、鉾は進まない。


「まだ見えない祭りも、一つずつ、自分たちで作ればいいよ」


 宗白は長刀を見つめ、静かに頷いた。


「なら今日は、長刀を掲げる日やない。帰ってきたことを、皆で覚える日にしよう」


 町衆は長刀の前へ、一本の長い縄を伸ばした。

 鉾を引くための縄ではない。

 焼け跡から集めた短い縄を、各町の者が少しずつ持ち寄り、結び合わせたものだった。


 宇治から来た者。

 下京に残った者。

 堺から戻った者。

 比叡山から薬草を運んだ者。

 甲賀の山道を守った者。

 堅田の水路を開いた者。

 幕府、細川、三好の使者も、それぞれ一本を加えた。


 結び目は揃っていない。

 太さも色も違う。

 それでも百を超える手が、一本の縄を支えた。

 茶丸ちゃまるが縄の上を歩き、中央で座り込む。


「そこは猫の席やないで」


 甚八が言う。


「……ニャッ」


 茶丸は動かない。

 虎吉とらきち希太きたも縄のそばへ集まり、影猫衆の猫たちまで次々と座った。


「これでは引けんな」


 大舘が渋い顔をする。


「今日は引かへんから、ええんちゃう?」


 京鈴の言葉に笑いが起きた。


 茶太郎は会所の外で、大鍋を用意していた。


 献立は、結びすいとん。

 宇治の茶を練り込んだ生地を小さく丸め、下京の蕪、比叡山の干し椎茸、近江から届いた豆を一つの鍋で煮る。

 味は味噌、塩、たまりの三種類から選べるようにした。


「好きな味で食べてください。でも、すいとんは同じ鍋です」


 三好長逸みよし・ながやすが、たまりの椀を受け取る。


「長慶殿が聞けば、また食べたがるな」


 秋野新九郎あきの・しんくろうは塩と柚子。


 大舘は焼き味噌を多めに溶いた。


 三人は互いの椀を見て、何も言わない。

 ただ、同じ鍋の前に並んで立っている。


 それで十分だった。


 少し離れた場所には、灯屋宗玄あかりや・そうげんがいた。

 両手には、まだ火傷の布が巻かれている。


 罪の裁きは終わっていない。

 だから自由ではなく、大舘の監視下で、奪われた証文の持ち主を確かめる作業を命じられていた。


 宗玄は一枚の木札を読み上げる。


「西洞院、塗師屋弥兵衛。一家は堺に避難、生存の知らせあり」


 薄墨のおうすずみのおたえが控えへ書き、宗白が結び紐を確認する。

 名を消した男が、今度は名を戻していく。


 謝罪だけでは終わらない。

 一人の名につき、一つの証拠を探す。

 それが宗玄の最初の償いだった。


 すすは宗玄の足元に座り、自分の椀が出てくるのを待っている。


「猫の分は味噌を入れないでね」


 茶太郎が言う。


「心得ております」


 宗玄は煤の前へ、冷ました鶏肉と出汁の椀を置いた。

 煤は匂いを嗅ぐ。

 それから宗玄の焼けた手へ頬を寄せ、静かに食べ始めた。


 誰も宗玄を許したとは言わなかった。

 けれど、償う道まで閉ざす者もいなかった。


 夕暮れ。


 長刀は新しい箱へ納められた。

 宗白が蓋を閉じ、京鈴が焼けた鈴を回収する。


「また、お祭りの日に会おな」


 ちりん。

 小さな音が、焼け跡の通りへ響いた。


 その帰り道、山科言継やましな・ときつぐが茶太郎へ声をかけた。


「今日のすいとん、味は悪くなかった」


「ほんと?」


「だが、大きさが揃っておらぬ。煮えすぎたものと、芯の残ったものがあった」


 茶太郎は目を丸くした。


 人の心を鎮めることはできても、同じ大きさに切り分ける技術はまだ足りない。


「料理は心だけでは完成せぬ」


 言継は一通の紹介状を差し出した。


 宛名は、三条西公条さんじょうにし・きんえだ


「京には、包丁、膳、茶、花、香を極めた者たちがいる。そなたが本当に料理人を目指すなら、学びに来るがよい」


 茶太郎は紹介状を両手で受け取った。

 茶丸が隣で尾を揺らす。


「……ニャッ」


 守るだけの旅は、ここで一区切り。

 次は、作るために学ぶ旅が始まる。


 茶太郎、五歳。

 宇治の縁の料理人は、まだ包丁の持ち方すら知らない。

 それでもその手には、百を超える縁が結ばれていた。


 第二章 完。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。


帰ってきた長刀と、ここまで結ばれてきたたくさんの縁。第二章にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。次の歩みもご一緒いただけたら嬉しいです。


もしこの物語を気に入っていただけましたら、ブックマークやご評価で、そっと応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。