第14話 「大吉山の鵺の子と、槙島城の狸騒動」
――渋い狸と錆びた茶釜が、孤独な霊への道を開く――
大吉山へ向かう準備をしていた茶太郎のもとへ、槇島城から使いが来た。
長逸が、城へ来てほしいという。
「鵺の子の様子も気になるけど……」
「急を要する病人がおるらしい」
かん太が使いの文を確認した。
「先に城へ寄ってから、大吉山へ向かおう」
茶丸も山の方角を見つめる。
『鵺の気配はまだ動いていない。少しの猶予はある』
茶太郎は頷き、縁、こたろ、かん太、二匹の猫とともに槇島城へ向かった。
◇
「茶太郎殿。急に呼び立てて申し訳ない」
城門では、腕に包帯を巻いた長逸が待っていた。
「傷は大丈夫?」
「薬師の言いつけどおり、無理はしていない」
長逸は城内を見回し、声を落とした。
「宇治橋で起きたことについて、城中ではさまざまな噂が流れている。大鯰を見た者も多いからな」
「みんな、怖がってるの?」
「怖がる者もいれば、神の加護だと喜ぶ者もいる。だが、今日はその話ではない」
長逸は一行を離れへ案内した。
「阿波から来た霊狸が、昨日から寝込んでいる」
「狸さん?」
「城の薬師は、熱もなく、命に関わる様子ではないと言う。だが、本人が今にも死にそうな顔をしているのだ」
部屋へ入ると、布団の上に丸々とした狸が寝ていた。
腹を抱え、天井を見つめている。
「……わしは、もう駄目かもしれん」
低く渋い声だった。
「どこが苦しいの?」
茶太郎が布団のそばへ座る。
「腹が張って、体が重い。霊気も巡らん」
茶太郎は狸から伝わる味を確かめた。
病や傷の鋭い苦みはない。
代わりに、甘さと酒のような熱が腹の辺りで渦巻いている。
「昨日、何を食べたの?」
「団子を少々」
「幾つ?」
「……十ほど」
「ほかには?」
「干し柿と、城の者にもろうた餅。それから霊酒を二杯……いや、三杯じゃったかのう」
長逸が目を閉じた。
「昨日から何度聞いても、団子のことしか話さなかったのだ」
「食べすぎだよ」
「やはり、そうか……」
狸は顔を布団へ埋めた。
「わし、自分、不器用なんで……断れんかったんじゃ」
「食べ物を断れないことを、不器用とは言わへんで」
かん太の指摘に、こたろが声を上げて笑う。
「たぬきさん、食べすぎ〜!」
『情けないにゃ』
希太も呆れたように尾を振った。
茶太郎は狸へ、冷まし湯を少しずつ飲ませた。
「今日はもう食べないで、ゆっくり休んで。痛みが強くなったり、吐いたりしたら、すぐ薬師さんを呼んでね」
「料理は作らんのか?」
「今は食べない方がいいよ」
「料理人に食べるのを止められるとは……」
狸は深刻な顔をしたが、しばらくすると腹の霊気が少しずつ動き始めた。
◇
「名を聞いてもいい?」
「金長じゃ」
狸は体を起こし、壁へ背を預けた。
「阿波の狸が、群れを導く者へ代々渡してきた霊名じゃ。わしは今代の金長ということになる」
「どうして宇治に来たの?」
縁が尋ねると、金長の周囲にあった黄色い糸が暗く沈んだ。
「阿波の山で、狸同士の争いが起きた」
金長は腹の上へ前足を置く。
「化け比べや縄張り争いなら、昔からある。じゃが近頃、山奥の黒狸たちが“怨気”を使い始めた」
「怨気?」
「怒りや恐れを集め、相手の心へ流し込む術じゃ。争いは大きくなり、山の霊水まで濁ってしもうた」
茶丸が金長を見つめる。
『お前は戦いに敗れ、阿波を離れたのか』
「……そうじゃ」
金長は一度目を伏せた。
「仲間を守れんかった。何か役に立つ力を探そうと海を渡り、三好の縁を頼って畿内まで来た」
「逃げたんじゃないよ」
茶太郎が言った。
「助けを探しに来たんでしょ?」
「そう言うてくれるか」
「祠神さまが教えてくれた。引き返すことは、負けじゃないって」
金長はしばらく茶太郎を見つめ、それから小さく笑った。
「わしより、よほど立派なことを言う子じゃ」
縁には、金長から阿波の方角へ伸びる糸が見えた。
「糸は切れてないよ。金長さんは、まだ阿波とつながってる」
「……ありがたいのう」
金長は布団の脇に置かれていた包みを引き寄せた。
「茶太郎はん。礼になるか分からんが、これを受け取ってくれんか」
包みの中から現れたのは、小さな茶釜だった。
表面は赤茶色に錆び、蓋も固く閉じている。片側には、狸の尾に似た曲線が刻まれていた。
「古い茶釜だね」
「阿波から持ってきた、狸一族の品じゃ。火にかけても湯が沸かず、化けさせようとしても動かん。わしには直せなんだ」
茶太郎が茶釜へ触れる。
冷たい鉄の奥から、かすかな鼓動が返ってきた。
「この茶釜、生きてる」
縁も目を凝らす。
「金色の糸がある。でも、錆の下で絡まってる」
『力を失った霊具か』
茶丸が匂いを確かめた。
『茶太郎の霊性に反応している』
「大事なものなんでしょ?」
「だからこそ、眠らせたままにしたくない」
金長は茶釜を茶太郎の前へ押し出した。
「おぬしなら、この茶釜の声を聞けるかもしれん」
茶太郎は両手で受け取った。
「分かった。預かるね」
「使えんかったら、鍋敷きにでもしてくれ」
その瞬間、茶釜の中から、ぽん、と不満そうな音がした。
「いま鳴った〜!」
「鍋敷きは嫌みたいやね」
縁が笑うと、金長も照れたように顔を背けた。
◇
城を出た一行は、そのまま大吉山へ向かった。
山道へ入るころには、日が西へ傾き始めている。
「暗くなる前に戻るで」
かん太が先頭に立ち、安全な道を選んで進んだ。
奥へ入るほど、鳥や虫の声が少なくなっていく。
「黒い糸が近い」
縁は茶太郎の袖を握った。
『見られているにゃ』
希太が低く身構える。
茶太郎の抱えた茶釜も、先ほどから小さく震えていた。
ぽん。
ぽん、ぽこ。
まるで、一行を導くように音を鳴らしている。
「茶釜が、こっちだって言ってる」
音を頼りに進むと、岩陰に小さな洞穴が見つかった。
入口には、黒と金の毛が数本落ちている。
茶太郎は洞穴の前へしゃがみ込んだ。
「鵺の子。僕たちは、君を捕まえに来たんじゃないよ」
返事はない。
けれど奥から、怯えた味が伝わってくる。
「話を聞きに来たんだ」
暗闇の中で、二つの瞳が開いた。
金色の光。
その周囲を、黒い糸が激しく揺れている。
獣の低い唸り声が、洞穴の奥から響いた。
同時に、茶太郎の腕にある錆びた茶釜が、これまでで最も強く震えた。
ぽんぽこぽん――。
茶釜の音へ反応するように、鵺の子がゆっくりと姿を現した。




