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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第129話 「燃やせなかった灰帳と、灯屋の最初の償い」

 ――火を消したのは霊力ではなく、受け継がれた備え――


 燃える導火縄が、油壺の列へ迫る。

 灯屋宗玄あかりや・そうげんは床へ身を投げ出し、素手で縄をつかんだ。


「ぐっ……!」


 掌から焦げた匂いが立つ。

 それでも火は消えない。


「水をかけたらあかん!」


 甚八じんぱちが叫んだ。


 油へ水をかければ、燃える油が飛び散る。


「砂と灰や! 縄を覆え!」


 宗白たちが土間の砂をかき集める。

 日置雪へき・ゆきは宗玄の腕を引き、弥七やしちが厚い灰を導火縄へ被せた。


 火は灰の下で弱まり、やがて消えた。

 だが、窓から投げ込まれた火種が、別の油布へ燃え移る。


「蔵の外へ逃げろ!」


 大舘常興おおだち・じょうこうが命じた。


 茶太郎は棚を見上げる。

 本物の証文。

 偽の証文。

 帰ってきた者の名。

 宗玄の父が生きていた証し。

 その全てが炎のそばにある。


「帳面を運ばないと!」


 茶太郎が駆け寄ろうとすると、茶丸ちゃまるが衣を噛んだ。


「ニャッ!」


 子どもは火へ入らない。

 大切なものがあっても、その規則は変わらない。

 茶太郎は歯を食いしばり、周囲を見回した。


「棚ごと運ばないで! 上の帳面から、人の手で渡して!」


 大人たちが蔵の入口まで一列に並んだ。


 薄墨のおうすずみのおたえが帳面を棚から下ろし、宗白へ渡す。

 宗白からはちへ。

 八から京鈴きょうすずへ。

 京鈴は外の町衆へ手渡した。


 一冊ずつ。

 一枚ずつ。

 誰か一人が全てを抱えず、皆の手で蔵の外へ運び出していく。


 甚八は燃えた油布へ砂を被せ、弥七は壺の蓋を閉める。雪は濡れむしろで棚を炎から隔てた。

 霊たちは、火を消さない。


 ナギは床にこぼれた油の流れる先を示し、希太きたは煙の中に残る者の痛みを知らせる。

 人がその合図を受け、動く。


「宗玄さんが、まだ中にいる!」


 希太が蔵の奥へ向かって鳴いた。

 宗玄は焼けた手を押さえながら、一枚の家札を探していた。


「父の札など、後でいい!」


 大舘が叫ぶ。

 宗玄は首を振る。


「違う……京鈴の家札がない」


 偽札の束の下に、京鈴の古い家札が落ちている。

 宗玄はそれを拾い上げた。

 自分の父の札ではなく、自分が消した子どもの名を先に選んだのだ。


 屋根が大きく軋む。


「宗玄さん、戻って!」


 茶太郎の声に、宗玄は入口へ走った。

 直後、燃えた梁が落ち、蔵の奥を塞いだ。


 すすが宗玄の胸へ飛びつく。

 宗玄は黒猫と京鈴の家札を抱えたまま、土間へ倒れ込んだ。


 外では、真壁主計允まかべ・かずえのじょうが裏路地を逃げていた。

 幕府の装束を脱ぎ捨て、町人の上着へ着替える。

 しかし、その先には犬神のらくが座っていた。


「どけ!」


 洛は襲いかからない。

 ただ低く唸り、真壁を別の路地へ追いやる。

 そこは影猫衆が調べ、人が待つと決めた道だった。


 虎吉とらきちが屋根から瓦を落とす。

 音を合図に弥七が現れ、反対側を日置雪が塞いだ。


「猫に捕まったんやない」


 弥七が真壁の腕を取る。


「猫が見つけて、人が捕まえたんや」


 真壁の懐から、幕府と細川方、三好方の印をまねた三通の偽書が見つかった。


 一通には、細川方が町へ放火したとある。

 一通には、三好方が長刀を盗んだとある。

 そして最後の一通には、幕府が灰帳衆の土地取得を認めたと記されていた。


 大舘の顔が険しくなる。


「互いに疑わせ、争いが起きたところで証文を奪うつもりだったか」


 真壁は唇を歪めた。


「争いの種なら、もとからあった。私は火を近づけただけだ」


「その火で、子どもが死んでもか」


 茶太郎が尋ねる。

 真壁は答えなかった。


 夜明けまでに、蔵の火は鎮められた。


 一部の偽帳は焼けたが、本物の証文の多くは残った。さらに結び紐と木札、薄墨のお妙の控えを照らし合わせれば、消された名を確かめ直せる。

 京鈴は、宗玄から差し出された家札を受け取った。


 宗玄は謝らなかった。

 許しも求めなかった。

 ただ、焼けた両手を土につき、京鈴より低く頭を下げた。


「……生きている者を、死んだと書いた」


 京鈴は家札を胸に抱く。


「うちは、まだ許さへん」


「それでよい」


「でも、この札は返してもらう」


 宗玄は黙って頷いた。

 大舘が宗玄へ縄をかける。


「帳面を守ったことと、犯した罪は別だ。裁きは受けてもらう」


「承知しております」


 煤も一緒に行こうとしたが、大舘は足を止めた。


「猫まで罪人ではない」


 宗玄は初めて、かすかに笑った。

 ところが煤は大舘の言葉を無視し、縄をかけられた宗玄の肩へ飛び乗った。


「……猫は、命令を聞きませんな」


「そこだけは、お前より賢いようだ」


 大舘の返しに、張り詰めていた町衆から小さな笑いが漏れた。


 茶太郎は、救い出された三つの記録を見つめる。


 帳面。

 結び紐。

 木札。


 一つの正しさへ全てを預けず、互いの間違いを確かめられる仕組み。


 それが灰帳衆の支配に代わる、下京の新しい守りとなる。

 そして真壁の偽書は、幕府・細川・三好の関係を壊そうとした証拠でもあった。

 大舘は偽書を包み、茶太郎へ告げる。


「次は料理だけでは済まぬぞ。三者を同じ席へ着かせねばならん」


 茶太郎は少し考え、答えた。


「同じ味にしなくても、同じ鍋なら囲めるよ」


 灰帳衆との戦いが終わった朝。


 京では、新しい争いを防ぐための食卓が必要になろうとしていた。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


すべてを同じ味にしなくても、同じ鍋を囲むことはできます。灯屋の小さな償いが、次の食卓へつながっていきます。

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『茶太郎がゆく』
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