第124話 「瀬田へ向かう灰帳と、二代目長刀の荷印」
――甲賀の目と、近江の海の水路が結ばれる――
薄墨のお妙が明かした期限は、三日後。
灰帳衆の帳面は、瀬田へ運び出される。
だが、京から近江へ通じる道は一つではない。
山科を抜ける東海道。
逢坂山を越える脇道。
荷を宇治川へ下ろし、水路を乗り継ぐ方法もある。
甲賀の弥七は地図の上に小石を並べた。
「表向きは灰と古鉄の荷や。関では止められへん。鴉兵衛は途中で荷札を替え、別の商人の荷に紛れ込ませる」
大舘常興が腕を組む。
「街道を封鎖するか」
「それでは、別の道へ逃げます」
茶太郎が答えた。
「全部の道を閉じたら、薬や食べ物まで止まっちゃう」
弥七が頷く。
「せや。止めるんは道やない。偽の荷だけや」
その時、日置雪が古びた荷札を机へ置いた。
昨夜、灰置場の荷車から剥がしたものだった。
「灰の下に、別の印が隠れていました」
煤を水で拭うと、細長い刃と車輪を組み合わせた印が現れる。
墨屋宗白の表情が変わった。
「これは長刀鉾の荷印や」
茶太郎は息を呑んだ。
天文法華の乱の混乱で鉾町から持ち去られた、二代目の長刀。
その行方を、弥七の甲賀衆も追っていた。
「長刀も、同じ道で近江へ?」
「可能性は高い」
弥七は荷札の端を指した。
「見てみ。ここに三つ羽の印がある。鴉兵衛の荷印や」
灰帳衆は家名だけでなく、町の宝まで「持ち主なし」として売り払っていたのだ。
京鈴が荷札を睨む。
「長刀がなくなったら、お祭りできひんの?」
「鉾そのものは、人の手でまた立てられる」
宗白は静かに答えた。
「せやけど、長刀には町の記憶が宿っとる。銭に替えてええ品やない」
茶太郎は机の上へ三つの椀を置いた。
一つは京。
一つは瀬田。
一つは堅田。
「道を追うだけじゃ、逃げられる。でも水の出口を見てもらえたら……」
水を張った盥が、ぽこんと鳴った。
うじまるが顔を出す。
「呼んだ〜? 水の出口だけに、出ぐちまる……うじまるだよ〜!」
「呼んでへん」
弥七が即座に返した。
「呼んだよ」
茶太郎が苦笑する。
「うじまるのお父さんと、堅田衆に知らせられる?」
「任せて〜! 近江の海まで、水も話も流してくるよ〜!」
うじまるは水面へ沈み、宇治川の水脈へ溶けていった。
しばらくすると、盥の水が大きく盛り上がった。
低く響く声が、床下から伝わってくる。
『話は聞いたぞ、茶太郎』
近江の海の主、大鯰の主・鳰丸だった。
『堅田衆には、わしから水の揺れを送ろう。ただし、湖上の船を力ずくで止めることはできぬ』
「うん。荷物を沈めたら、帳面も長刀も戻らない」
『分かっておるではないか。帳面だけに、丁重に扱わねば“ちょうめんどう”なことになる』
「父ちゃん、そのダジャレ、ナマってるよ〜!」
うじまるの声が水底から返り、張り詰めていた部屋に笑いが起きた。
鳰丸は咳払いする。
『堅田衆は、湖上の掟を破る荷を嫌う。正しい証拠を示せば、船改めに協力するだろう』
弥七が作戦を整理した。
「甲賀衆は山道を見る。堅田衆は水路を見る。幕府は正規の荷改めを出す。影猫衆は荷印と帰路の確認だけや」
茶丸が鳴く。
「……ニャッ」
猫だけに追わせない。
見つけても、その場で飛び込ませない。
八は複製した結び紐を三組作った。
一組を大舘へ。
一組を弥七へ。
最後の一組を宗白へ渡す。
「荷札を替えられても、結び方までは真似できへん」
お妙は部屋の隅で、その作業を見ていた。
「鴉兵衛は慎重です。予定が漏れたと知れば、空の荷車を囮に使うでしょう」
「本物はどこを通ると思う?」
茶太郎が尋ねると、お妙は迷いながら答えた。
「荷を守るより、人を騙す男です。帳面と長刀を、別々に運ぶかもしれません」
大舘が地図へ二本の線を引いた。
「ならば、二手に分かれる」
茶太郎は首を横に振る。
「ううん。三つに分けよう」
「三つ?」
「道と、水と……京に残る人」
宗玄が次に狙うと予告された月行事屋敷を、空にするわけにはいかない。
宗白は小さく笑った。
「追う者だけが戦うのではない、か」
天が決める出発の刻。
地が分ける山道と水路。
そして人が守る、帰る場所。
三日後の夜明け。
茶太郎たちは、消された家名と長刀鉾の記憶を取り戻すため、それぞれの持ち場へ向かうことになった。
茶太郎たちの物語を見守ってくださり、ありがとうございます。
長刀に結ばれた荷印が、京と近江のあいだに眠る記憶を呼び戻します。それぞれの持ち場で動き出す仲間たちにも、目を向けていただけたら嬉しいです。
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