第123話 「東洞院の灰置場と、声を失った家名」
――灰の下から、消された者の名を拾う――
東洞院の灰置場は、焼けた町家の間にあった。
表向きは、火事跡から運び出した灰や瓦、曲がった釘を仕分ける場所である。
灰は畑の肥やしや洗い物に使われ、鉄は打ち直され、瓦も敷石になる。
本来なら、復興に欠かせない仕事場だった。
だが夜になると、荷車が帳面にない荷を運び込んでいるという。
弥七は入口を眺め、茶太郎へ言った。
「子どもは中へ入ったらあかん。今日は見張るだけや」
「でも、ぼくの扉なら——」
「亜空間の扉も使わん」
茶丸も短く鳴いた。
「……ニャッ」
ここは、まだ縁の結ばれていない場所。
茶太郎が扉を開けば便利でも、帰る場所として土地に認められていない。無理につなげれば、地脈を傷つける恐れがある。
「分かった。外からできることを探す」
茶太郎たちは、炊き出しの支度を始めた。
灰置場で働く者に、蕎麦のすいとんを配るためだった。
施しではない。
焼け釘や使える瓦を持ち込めば、一椀と交換する。
お寅婆が声を張った。
「飯やない、貸しや! 生き延びたら町へ返し!」
人々が少しずつ集まってくる。
茶太郎は椀を渡しながら、運ばれてきた荷を見ていた。
灰。
瓦。
炭になった柱。
割れた仏具。
そして、火を受けていない箪笥や茶壺。
「おかしい……」
茶太郎が呟く。
「どうしたの?」
京鈴が隣にしゃがんだ。
「焼け跡から拾ったのに、焦げてない物が多い」
甚八が茶壺の底を確かめる。
「持ち主が避難した家から、先に運び出したんやろな」
墨屋宗白は、荷札に目を凝らした。
「しかも町名が削られている。これでは、元の場所へ戻せん」
その時、一匹のキジ白猫が灰置場の塀から顔を出した。
虎吉が近づこうとする。
だがキジ白猫は尾を二度振り、すぐに引っ込んだ。
影猫衆の合図ではない。
直後、塀の向こうから魚の匂いが漂ってきた。
虎吉は足を止める。
「罠やな」
弥七が周囲を見回した。
影猫衆が猫を危険な場所へ入れないと知り、今度は野良猫を使って誘おうとしている。
茶丸は塀へ向かわず、地面に耳を当てた。
荷車の車輪。
大人三人ほどの足音。
そして、何かを引きずる音。
弥七と日置雪が裏道へ回った。
しばらくして、一台の荷車が灰置場から出てきた。
荷台には、灰袋が積まれている。
しかし車輪は、灰だけとは思えないほど深く地面へ沈んでいた。
京鈴が耳を澄ませる。
「袋の下で……板が鳴ってる」
大舘常興が前へ出た。
「幕府の荷改めである。止まれ」
御者が逃げようとしたが、弥七が退路を塞ぐ。
袋を下ろすと、荷台の床下から細長い木箱が現れた。
中に入っていたのは、刀でも金でもなかった。
大量の家札と土地の証文である。
焼け跡から失われたはずのものばかりだった。
宗白が一枚ずつ確かめる。
「これは、西町の藤屋……これは堺へ逃れた井筒屋。こちらは、死んだことにされておるが、今も六角堂の仮小屋にいる者だ」
証文の端には、新しい墨で同じ文字が書かれていた。
『持ち主なし』
茶太郎の胸に、苦い味が広がる。
「いる人を、いないことにしてる……」
その時、灰置場の奥から女が現れた。
昨夜、京鈴を助けた薄墨のお妙だった。
お妙は捕らえられた御者を見ると、静かに言った。
「その人は文字を読めません。荷の中身も知らされていない」
「なら、誰が書き換えた」
大舘の問いに、お妙は答えなかった。
京鈴が一歩前へ出る。
「昨日、助けてくれた人や」
お妙の瞳が揺れる。
「……忘れなさい」
「いやや。うち、名前も顔も忘れへん」
京鈴は、一枚の家札を握っていた。
半分焼けた札には、かすかに家名が残っている。
「これ、うちの家のや」
お妙の顔から血の気が引いた。
札の表には京鈴の家名。
裏には、お妙自身の筆で刻まれた言葉があった。
『一家死亡。相続人なし』
京鈴は責めなかった。
ただ、家札を胸に抱いた。
「うち、生きてる」
その一言に、お妙の膝が崩れた。
「私は……帳面どおりに書いただけ……」
宗白が静かに問う。
「その帳面を書いたのは誰だ」
お妙は灰置場の奥を見つめた。
やがて震える指で、地面へ三本の線を引く。
一つは灯屋。
一つは幕府の荷改所。
最後の一つは、近江へ向かう道。
「三日後……灰の帳面が運び出される」
「どこへ?」
「瀬田です。瀬田の鴉兵衛が受け取る」
お妙は京鈴をまっすぐ見た。
「そこには、消された家名が全部残っている」
遠くで荷車の鈴が鳴った。
灰帳衆が、証拠を近江へ逃がそうとしている。
茶太郎は家札を握る京鈴の隣に立った。
「取り戻そう。物だけじゃない」
宗白が頷く。
「生きている者の名をな」
京から瀬田へ。
灰帳衆を追う道が、近江の水運へつながろうとしていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
灰の下に埋もれていたのは、瓦や釘だけではなく、呼ばれなくなった名前でした。消された声を拾う旅が、近江へ続いていきます。




