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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第122話 「片耳の黒猫と、灰を買う商人」

 ――敵を決めつけず、残された証拠を読む――


 夜襲の翌朝。


 焼けた証文蔵から、細い煙が立ち上っていた。

 灯屋宗玄あかりや・そうげんは、灰色の羽織を翻し、焼け跡を見回した。


「材木、瓦、釘。それに仮の帳場も必要でしょう。代金は町が立ち直ってからで構いません」


 穏やかな申し出だった。

 月行事の墨屋宗白すみや・そうはくが目を細める。


「随分と手回しが早いな」


「火事場で遅い商人は、商人ではございません」


 宗玄の足元では、片耳の黒猫が茶丸ちゃまると鼻を寄せ合っていた。


「その猫は?」


 茶太郎が尋ねる。


すすと申します。焼けた油蔵で拾いました」


 宗玄はしゃがみ、煤の背を丁寧に撫でた。


「火は家だけでなく、名も証しも奪います。せめて、この子だけは置き去りにしたくなかった」


 嘘を言っている味はしない。

 けれど、袖から漂う油の匂いは、昨夜の火付け布とよく似ていた。


 希太きたが茶太郎の足元で小さく鳴く。


「……にゃ」


 痛みではない。

 迷いの声だった。


 茶太郎は宗玄を指ささなかった。

 影猫衆の規則では、匂いも猫の反応も手掛かりにすぎない。


「宗玄さんは、どんな油を扱ってるの?」


「灯明油、木蝋、松脂。寺社や町家へ火を届ける商いです」


「昨日の火に使われた油も?」


 宗玄の濁った左目が、わずかに細くなった。


「調べてみなければ分かりませんな」


 宗白が焼け残った布を差し出す。


「ならば、見てもらおう」


 宗玄は布を嗅ぎ、指先で擦った。


荏胡麻油えごまあぶらに、松脂と魚油を混ぜている。灯りには臭すぎるが、火付けには都合がよい」


 甚八じんぱちが首を傾げる。


「触っただけで分かるんか?」


「油商人ですから」


 宗玄は平然と答えた。

 甲賀の弥七やしちが低い声で問う。


「この配合を知る者は?」


「京の油商なら十人は知っている。実際に使う者となれば、もっと少ないでしょう」


 答えに淀みはない。

 だが宗玄は、布の焦げていない端を見つけると、一瞬だけ指で覆い隠した。


 茶太郎はそれを見逃さなかった。


「そこに、何かあるの?」


 宗玄が手を退ける。

 布の端には、灰色の小さな印があった。

 灰帳衆の印だった。


「子どもの目は、怖いものですな」


 宗玄は微笑んだ。

 その時、煤が布へ近づき、前足で印を隠した。

 まるで主人を庇うような仕草だった。


 虎吉とらきちが唸る。

 しかし茶丸は、虎吉の前へ尾を差し出した。


「……ニャッ」


 煤を責めるな。

 猫は主人を選んでいるだけだ。


 茶太郎も頷いた。


「宗玄さん。この印を知ってる?」


「ええ。焼け跡の取引で、何度か目にしました」


「灰帳衆を?」


「名だけは」


 宗玄は崩れた証文蔵へ目を向けた。


「彼らは、持ち主の分からなくなった土地や品を買い取る者たちです。焼け跡の片付けには、必要な者でもある」


 宗白の声が硬くなる。


「家主が生きて戻る前に、土地を奪う者がか?」


「持ち主を待って、町が冬を越せますかな」


 宗玄の言葉に、周囲の町衆が黙った。


 材木にも米にも金が要る。

 持ち主の戻らない土地を使わなければ、仮小屋を建てられない者もいる。

 宗玄の理屈は冷たい。だが、一部は現実でもあった。


「人の名が消えれば、争いも消える」


 宗玄は静かに続けた。


「ひとりが帳面を預かり、土地も荷もまとめて動かす。それが最も早い復興です」


 茶太郎は焼けた土を見つめた。


「でも、そのひとりが間違えたら?」


「間違えぬ者を選べばよい」


「間違えない人なんて、いないよ」


 宗玄の笑みが消えた。

 茶太郎は、はちの結び紐と京鈴の木札を見せた。


「だから、みんなで残すの。帳面が燃えても、紐と木札を合わせたら名前が戻るように」


「遅い方法だ」


「遅くても、帰ってきた人の場所を消したくない」


 煤が宗玄の足元から離れ、茶太郎の木札を嗅いだ。

 そこには、堺へ逃れた宗白の弟一家の名も刻まれていた。


 宗玄の指が、わずかに震えた。

 だが彼は何も言わず、煤を抱き上げた。


「材木の申し出は、そのままにしておきます」


 宗玄が去った後、大舘常興おおだち・じょうこうが現れた。


「今の男を捕らえぬのか」


 茶太郎は首を振る。


「油の匂いだけじゃ、捕まえられないよ」


 弥七も頷く。


「それに、泳がせれば繋がりが見える」


 京鈴が焼け跡から一枚の薄い板を拾った。

 板には、昨夜の火で浮かび上がった文字がある。


『灰置場 東洞院ひがしのとういん


 甚八が息を呑む。


「宗玄が申し出た材木の置き場や」


 茶丸の白斑が、鋭く光った。


「……ニャッ」


 影猫衆は追わない。

 まず、帰る道を確かめる。


 灰帳衆の帳場へ続く最初の道が、ようやく見え始めていた。

今回もお付き合いいただき、ありがとうございます。


片耳の黒猫が残した手がかりと、灰を買う商人の影。見た目だけで誰かを決めつけない茶太郎たちの歩みを、今回も見守ってください。


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『茶太郎がゆく』
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