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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第119話 「山下往来札と、帰る道を描く久作」

 ――閉ざす強さではなく、行き来を守る強さを選ぶ章――


 翌朝。


 曼殊院の広間には、山内の僧、僧兵、荷運び人、下京の町衆が集められた。

 中央には、竹中久作たけなか・きゅうさくが一晩かけて描いた道の図が広げられている。


 比叡山から下京へ向かう近道。

 坂本側へ抜ける荷車道。

 水場をたどる山道。

 怪我人を運べる、傾斜の緩やかな遠回り。


 黒い石は、山から下ろす薬草、薪、木材。

 白い石は、町から上げる塩、穀物、味噌、布を表していた。


 覚恕かくじょが久作へ尋ねる。


「すべての道を開く必要があるのか」


「ありません」


 久作は、道の一本へ細い縄を置いた。


「軽い薬草は近道で運べます。重い塩や穀物は荷車道。病人や怪我人は、水場のある道を使います」


「武器を隠して運ぶ者がいたら?」


「荷の一つを止めて調べます。道すべてを閉じれば、関係のない荷まで止まります」


 強硬派の豪円ごうえんが立ち上がった。


「甘い。一本でも間者を通せば、山内の伽藍が焼かれるやもしれぬ」


 山中弥七やまなか・やしちが口を開く。


「道を閉じても、忍びは山へ入ります」


 僧たちが一斉に弥七を見る。


「正直に言うな」と、日置雪へき・ゆきが小声で肘を入れた。


「痛いな……。ですが、事実です」


 弥七は道の図を指した。


「荷運び人を追い返せば、正規の道から目が消える。人の通らぬ道ほど、忍びには都合がよい」


 武藤常近むとう・つねちかも頷く。


「道を生かし、荷と人を記録した方が、異変は見つけやすい」


 豪円は覚恕へ向き直った。


「門跡様。山門の威光を示すなら、今こそ下京へ厳しい態度をお見せください」


 覚恕の前には、昨日署名しなかった通行禁止令が置かれている。

 その横には、新しい一枚の文書があった。


 覚恕は二つを見比べた。


「道を閉じれば、山門の威光が増すのか」


「下の者どもは恐れましょう」


「恐れることと、敬うことは同じではない」


 豪円が息を止める。


「昨日までの私は、決断を急げば、門跡として認められると思っていた」


 覚恕は、膝に座る三毛猫のすずを一度撫でた。


「だが、知らぬまま命じることは強さではない。己の不安を、他人へ背負わせるだけだ」


 覚恕は古い命令書を脇へ退けた。

 新しい文書を読み上げる。


 ――山下往来札さんげおうらいふだ


 一、比叡山から薬草、薪、木材を下ろす。

 二、下京から塩、穀物、味噌、布を上げる。

 三、病人の宗派を問わず、薬と食を分ける。

 四、武器を積む荷は別に改める。

 五、荷と人の記録を、山と町の双方へ残す。

 六、疑わしい荷があっても、すべての道を閉じない。

 七、往路だけでなく、帰路の安全も確かめる。


 覚恕は最後の一条で、久作を見た。


「帰路を入れたのは、そなたか」


「茶太郎です」


 茶太郎は道の図へ、小さな木片を置いた。


「食べ物を運んだ荷車は、帰りには空になるよね。そこへ病気の人や怪我した人を乗せたら、歩かなくても帰れるから」


 覚恕は筆を取った。


 今度は迷いを隠すためではない。

 自分で聞き、自分で考え、自分で選んだ決定だった。


 文書の末尾へ、ゆっくりと名を記す。


 ――沙門覚恕。


 最初の荷が、山門の蔵から運び出された。


 武藤常近は乾燥させた薬草を二つの束に分ける。

 一つを山内の療養所へ。

 もう一つを、下京へ向かう荷車へ。


 量は同じだった。

 常近は謝罪も、長い説明もしなかった。

 ただ、二つの束を同じ縄で結んだ。


 茶太郎は深く頭を下げる。


「ありがとう、常近さん」


「礼は要らぬ。貸しだ」


 同行していたお寅婆が鼻を鳴らす。


「それ、うちの台詞や」


「山にも山の言い方がある」


「昨日まで山の掟言うてたやろ」


 常近は聞こえないふりをした。


 叡丸が、下京行きの薬草へ前足を置く。

 茶丸も隣へ並んだ。


『影猫衆が帰路まで見届ける』


「山の猫は、わしの配下だ」


『猫は誰の配下でもない』


「……その掟は、山でも同じなのか」


『同じだ』


 常近は不満そうだったが、叡丸を止めなかった。

 道が開くと、久作は完成した絵図を二枚作った。


 一枚は曼殊院へ。

 もう一枚は美濃の竹中家へ持ち帰るという。


「兄上にも見せるの?」


 茶太郎が尋ねる。


「ああ。城や砦を作るときも、攻める道ばかり考えてはいかん。食料が届く道と、人が帰る道が必要だ」


 久作は絵図を大切そうに巻いた。


「いつか兄に子が生まれたら、これを見せよう」


「まだ生まれてないのに?」


「どんな子になるかは分からん。だが、勝つ道より、帰る道を先に考える子に育ってほしい」


 後に竹中半兵衛と呼ばれる少年へ、茶太郎の縁が届くのは、もう少し先のことである。


 薬草を積んだ荷車が、ゆっくりと山を下り始めた。

 帰りの荷台には、都で治療を受ける山の病人が乗っている。


 道を開くことは、敵を招くことではなかった。

 離れていた者同士が、もう一度顔を見られるようにすることだった。


 覚恕は山門から、その列をいつまでも見送っていた。

このお話を読んでいただき、ありがとうございます。


往来札が守るのは荷物だけではなく、山から町へ、町から山へ帰る道です。久作の描いた一筋の線が、誰かの安心につながりますように。

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『茶太郎がゆく』
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