↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
PR
124/315

第116話 「比叡山へ閉ざされた薬草道」

 ――京の病人と山の暮らしを隔てる、憎しみの関を越える章――


 妙覚寺跡の病が落ち着いても、新しい問題が残った。


 薬草が足りない。


 曲直瀬道三まなせ・どうさんは、空になりかけた薬籠を見せた。


「京の焼け跡では、薬草を育てる場所も、乾かして保管する蔵も失われた。比叡山には蓬、黄精、葛根、そのほか多くの草がある」


「分けてもらえないの?」


「山門と下京の道は、昨年の戦以来、閉ざされたままだ」


 天文法華の乱。

 延暦寺と六角勢は京へ攻め入り、法華宗の寺々と町を焼いた。

 下京の人々は山門を憎み、延暦寺側も報復を恐れている。


 松永久秀まつなが・ひさひでは荷の帳面を開いた。


「山も無傷ではありません。比叡へ上がる塩、穀物、布が減っている。薬草を下ろし、代わりに生活物資を上げれば、双方が助かる」


 大舘常興おおだち・じょうこうは険しい顔をする。


「理屈だけで憎しみが消えるなら、戦など起こらぬ」


「だから、茶太郎に行ってもらいます」


「五歳の子どもを山門との交渉へ出すつもりか」


「私は腹黒い役人ですから、門前で追い返されます」


 久秀は悪びれずに答えた。


「茶太郎なら、追い返される前に鍋を出せる」


 数日後。

 茶太郎たちは、比叡山へ続く坂道を登っていた。


 茶丸、希太、ゆかり。

 護衛として山中弥七やまなか・やしち日置雪へき・ゆき


 荷には塩、味噌、蕎麦粉、乾かした大根、それに道三から預かった薬草の見本が入っている。

 山の中腹には、丸太を組んだ関が設けられていた。


「止まれ!」


 太い声とともに、長柄の武器を持つ僧兵たちが道を塞ぐ。

 その中央に立つのは、左頬に古傷を持つ大男だった。


「山には山の掟がある。下から来た者を、勝手に通すことはできぬ」


 延暦寺僧兵の一隊を束ねる武藤常近むとう・つねちかである。

 茶太郎は一礼した。


「京の病人に使う薬草を、分けてほしくて来ました」


「京の者は、山門を憎んでおる」


「山の人も、京の人を怖がってるの?」


 僧兵たちの間に緊張が走った。

 常近は茶太郎を睨む。


「恐れて道を閉じていると言いたいのか」


「違うよ。道を閉じたら、どっちも相手の顔が見えなくなると思っただけ」


「顔を見れば、焼かれた恨みが消えるのか」


 その言葉には、常近自身の痛みも混じっていた。

 彼も昨年、京へ下りた僧兵の一人だった。

 寺を守るための戦だった。

 だが、民家まで燃え、逃げ惑う子どもたちを見た記憶が消えない。


 常近は道を開けなかった。


「帰れ。薬草は渡せぬ」


 そのとき、常近の肩に乗っていた老いた黒猫が動いた。


叡丸えいまる、どうした」


 叡丸は地面へ飛び降り、茶丸の前まで歩いてくる。

 二匹は鼻先を触れ合わせた。

 茶丸の白斑が淡く光る。


『山の猫か』


「にゃ」


『人の争いに、巻き込まれたな』


「……にゃ」


 叡丸は茶太郎の荷へ近づき、蕎麦粉の袋を前足で叩いた。


「叡丸。戻れ」


 常近が命じる。

 叡丸は動かない。


「その袋から離れよ」


「にゃ」


「わしは僧兵の頭だぞ」


 叡丸は蕎麦粉の袋の上へ座り込んだ。

 日置雪が口元を隠す。


「猫には関係ないみたいですね」


「笑うな」


 そこへ、関の内側から若い男が現れた。

 穏やかな顔をしているが、手には山道を描いた板を持っている。


「常近殿。話だけでも聞いてはどうです」


「久作。美濃者が口を出すことではない」


「美濃へ帰る道も、近江へ抜ける道も、この山につながっております。道が閉じれば、他人事ではありません」


 男は茶太郎たちへ頭を下げた。


竹中久作たけなか・きゅうさくと申す。兄・重元の名代として、延暦寺で文書と街道のことを学んでいる」


 久作は茶太郎の荷を確かめた。


「塩と味噌を持ってきたのか」


「薬草と交換できたらって」


「薬草を下ろす道と、塩を上げる道。別々に考える必要はないな」


 久作は地面へ小石を並べた。


 一つは延暦寺。

 一つは下京。

 その間に、三本の道を描く。


「近道は急だが、軽い薬草なら運べる。荷車は遠回りして坂本側へ。病人を運ぶなら、途中に水場がある道がよい」


 茶太郎も小石を一つ置いた。


「帰りの荷車が空なら、病人や怪我人を乗せられるね」


 久作の目が輝いた。


「荷を運んだ帰りまで使うのか。面白い」


 常近は二人の地図を見下ろした。


「話を聞くことと、道を開くことは別だ」


「うん。だから、まず常近さんたちが困ってることも聞かせて」


 茶太郎が答えると、常近は黙り込んだ。

 やがて、関の丸太を完全には動かさないまま、人一人が通れる隙間だけを開けた。


「話を聞くだけだ。荷はここへ置け」


 叡丸が当然のように蕎麦粉の袋へ乗ったまま、関の中へ運ばれていく。


「叡丸! それは下の者の荷だぞ!」


 常近が追いかける。

 茶丸がゆっくり後に続いた。


『交渉は成立した』


 一行が山内へ入った直後。

 曼殊院の方角から、低い鐘の音が響いた。


 一度。

 また一度。

 久作の表情が変わる。


慈運じうん様が……亡くなられた」


 師を失ったばかりの若き覚恕かくじょが、門跡の重責を負おうとしていた。

 閉ざされた薬草道の行方は、その孤独な少年の決断へ委ねられることになった。

今回もお付き合いいただき、ありがとうございます。


薬草の道を閉ざしていたのは、山道そのものではなく、積み重なった憎しみでした。その関をどう越えるのか、もう少しお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。