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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第115話 「高山の山蜂と、最初は採らない約束」

 ――手に入れたものを奪わず、来年へ残す章――


 梅の枝に集まった蜂の群れを見て、妙覚寺跡の人々は騒然となった。


「火を持ってこい!」


「子どもが刺されるぞ!」


 誰かが松明を取りに走ろうとする。

 茶太郎は両手を広げた。


「待って! 襲いに来たんじゃないよ!」


「そんなこと、どうして分かる!」


「蜂たちは、新しい家を探してるんだ」


 枝へ固まった蜂は、激しく飛び回ってはいない。

 互いの身体へしがみつき、一つの大きな房になっている。


 茶太郎の遠い知識では、群れのどこかに卵を産む母蜂がいる。その母蜂を守りながら、新しい住み処を探しているはずだった。

 弥太郎が木陰の丸洞を指す。


「あの家へ入れられへんか?」


「無理に追ったら逃げるかも」


「なら、蜂に選ばせる」


 二人は甚八と十兵衛の助けを借り、丸洞を梅の枝の下へ移した。

 地面には白い布を敷き、その端を入口へつなぐ。蜂が落ちても、丸洞まで歩ける道にした。

 顔や首には、目の粗い麻布を巻く。


 弥太郎が茶太郎の姿を見て笑う。


「畑の案山子みたいやな」


「弥太郎くんも同じだよ」


 甚八が梅の枝を支え、十兵衛が下から籠を構える。


「落とすぞ。騒ぐな」


「十兵衛さんが一番怖い顔してる」


「蜂に顔は関係ない」


 枝を一度だけ、強く揺らす。

 蜂の塊が籠へ落ちた。

 低い羽音が、辺り一面へ広がる。


「うわっ!」


 茶太郎と弥太郎は同時に後退した。


「動くな!」


 十兵衛に叱られ、二人はその場で固まる。

 籠を布の上へ伏せると、蜂たちは少しずつ丸洞の方へ歩き始めた。


 一匹。

 十匹。


 やがて、入口へ向かう蜂の流れができる。

 空中を飛んでいた蜂も、その流れへ加わっていった。


 弥太郎が息を潜める。


「入ってる……」


 その瞬間、一匹の蜂が麻布の隙間から入り、弥太郎の頬を刺した。


「痛っ!」


「弥太郎くん!」


 茶太郎が駆け寄ったところで、自分も額を刺された。


「痛い!」


 二人は顔を押さえ、地面を転げ回る。

 十兵衛が呆れた声を出す。


「動くなと言っただろう」


「未来の知識があっても、刺されるやないか!」


「知識と痛いのは別だよ!」


 曲直瀬道三が針を取り、刺された場所を冷やした。


「息苦しさや全身の異変が出たら、すぐに知らせよ。二人とも、今日は巣箱へ近づくな」


「でも、蜂が――」


「蜂より先に、お前たちが倒れる」


 夕暮れまでに、群れのほとんどが丸洞へ入った。


 入口では、蜂たちが行き来している。

 追い込んだのではない。

 最後は蜂自身が、その家を選んだのだ。


 茶太郎と弥太郎は、腫れた顔を並べて丸洞を眺めた。


「やったね」


「顔は負けたみたいやけどな」


 翌日から、二人は巣箱を開けなかった。


 離れた場所から、

 蜂がどの方角へ飛ぶか。

 どんな花へ向かうか。

 雨の日に入口へ水が入らないか。

 蟻や大きな蜂が近づいていないか。


 それだけを記録した。

 十兵衛が木札へ書き、ハチが縄の結び目で日数を残す。


 数週間後。

 丸洞の上蓋を、甚八が一度だけ静かに開けた。


 内部には、白い巣が作られ始めている。

 蜂蜜も、わずかに蓄えられていた。


 弥太郎が目を輝かせる。


「採れる?」


 茶太郎は巣の大きさを見た。

 群れは新しい家へ来たばかりだ。巣を作り、子を育て、冬を越すためには、まだ多くの蜜が要る。


「今回は採らない」


「一滴も?」


「うん。最初の年は、蜂のものにしよう」


 弥太郎は不満そうに巣を見つめた。


「半分残せばええんやないか?」


「半分って決めるのも、人の都合だよ。花が少なかったら、半分でも足りないかもしれない」


「蜂に必要な量を先に考えるんか」


「来年も、ここにいてもらいたいから」


 弥太郎は、ゆっくり頷いた。


「取れるだけ取るのは、治めることやないんやな」


 二人は蓋を閉じた。


 最初の収穫は、何も採らないことになった。

 その代わり、弥太郎が持ってきた蜂蜜を少量だけ使い、麦芽の水飴へ混ぜた。

 完成したのは《高山蜂蜜飴》。


 病後の者には湯へ薄く溶き、食事を受けつける助けとして使う。残りは高山へ持ち帰り、次の巣箱作りに備える。


 久秀が丸洞を眺めながら言った。


「山へ蜜を探しに行くのではなく、蜂が戻りたくなる場所を作る。町も同じかもしれんな」


 弥太郎が警戒する。


「人を巣箱へ閉じ込めるつもりか?」


「住みたくなる町を作るという意味だ」


 十兵衛が横から口を挟む。


「あなたが言うと、閉じ込める方に聞こえます」


「明智殿は私への疑いを育てすぎではないか?」


「疑いは採らずに残しておきます」


 高山へ帰る朝。

 弥太郎は蜂蜜の小壺を茶太郎へ差し出した。


「これは、ぼくら二人の最初の蜂蜜や」


 茶太郎は半分だけ受け取り、残りを返した。


「来年は、もっと採れるといいね」


「でも、蜂の分が先や」


「うん。蜂の分が先」


 それが、宇治と摂津高山を結ぶ最初の約束となった。

お読みいただき、ありがとうございます。


手に入れたらすぐ取るのではなく、まず蜂の暮らしを守ること。小さな約束が、山と町を結ぶ長いご縁に育っていきます。

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『茶太郎がゆく』
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