第111話 「一渓先生の三つの食治粥」
――同じ病に見える者へ、違う椀を差し出す章――
一渓と名乗った旅医師は、京鈴の前に膝をついた。
まず顔色を見て、額へ触れる。
脈を取り、舌を確かめ、腹のどこが痛むのかを尋ねた。
「いつから食べていない」
「……きのうの夜から」
「水は?」
「朝に、井戸の水を……ちょっと」
一渓は、京鈴へすぐ薬を与えなかった。
「沸かして冷ました水を、匙で少しずつ。吐かなければ間を置いて、また飲ませる」
明智十兵衛が従い、匙を取った。
茶太郎は鍋の前で待っている。
「焼き味噌のお粥は?」
「まだ早い」
一渓は京鈴の腹へ薄い布を掛けた。
「この子の身体は、熱と渇きで弱っている。家の味を求める心は大切だ。だが今、身体が受け入れられるものとは限らぬ」
茶太郎は唇を結んだ。
「優しい料理なら、食べても大丈夫だと思った」
「優しさは量れぬ。だから、身体を診る」
一渓の言葉は厳しかった。
「善意であっても、相手を見ずに与えれば害になる」
茶太郎の胸が、ちくりと痛む。
今まで料理を食べた霊や人は、温かいと喜んでくれた。
けれど、喜ばれる料理と、弱った身体が受け入れられる料理は同じではない。
十兵衛が口を挟む。
「では、診立てが終わるまで、空腹のまま待たせるのですか」
「待たせぬために、早く正しく診るのだ」
「正しいと、どう証明する」
「経過を見る。効かなければ改める。思い込みを患者へ押しつけぬ」
一渓は十兵衛の木札を手に取った。
そこには、試して効かなかった薬まで残されている。
「よい記録だ。だが、便の状態と尿の回数がない」
「そこまで聞くのか」
「恥ずかしいからと聞かずに、人を死なせる方が恥だ」
十兵衛は一瞬黙り、すぐに新しい木札を削り始めた。
仮小屋には、京鈴以外にも多くの病人がいた。
一渓は全員を同じ病として扱わなかった。
熱が高く、水も受けつけない者。
腹を冷やし、身体を丸めて震える者。
激しい症状は収まったが、何日も食べられず衰弱した者。
「茶太郎。粥を三つに分けよ」
「三つ?」
「病の名ではなく、今その者が受け入れられるものに合わせる」
一つ目は、米を多くの水で煮た薄い米湯。
米粒すら重い者には、上澄みを少量ずつ与える。
二つ目は、柔らかく煮た粥。
身体の冷えが強い者には、香りづけ程度の生姜と、よく焼いた味噌をほんのわずかに溶く。
三つ目は、病後の者へ出す粥。
細かく刻んだ青菜と、よく火を通した卵を加える。
茶太郎は一渓の指示どおり、鍋を分けた。
ゆかりが湯気の糸を見つめる。
「同じお米なのに、糸の色が違う……」
一渓は頷いた。
「薬で病を攻めるだけが医ではない。食によって、病と向き合う身体を支える。これを食治という」
「食べ物で病気を治すの?」
「食だけで治る病もあれば、薬が必要な病もある。傷ならば手当ても要る。食を万能と思うな」
茶太郎は三つの椀を見つめた。
「料理が病気を倒すんじゃないんだね」
「では、何をする」
「病気と戦ってる人が、生きる力をなくさないように支える」
一渓の厳しい表情が、少しだけ緩んだ。
「覚えておけ」
京鈴には、まず薄い米湯が差し出された。
茶太郎は焼き味噌を入れたい気持ちを抑える。
「今は、こっちにしよう。元気になったら、家の味に近いお粥を作るから」
京鈴は匙を見つめ、やがて小さく口を開いた。
一口。
しばらく待って、もう一口。
吐き気がないことを確かめながら、ゆっくり飲んでいく。
「……味、ない」
「うん」
「おいしくない」
「元気になったら、おいしいのを作るよ」
茶太郎が困ったように笑うと、京鈴もほんの少しだけ笑った。
十兵衛は、その変化まで木札へ刻んだ。
一渓が、並べられた患者の札を見回す。
「この印は何だ」
「水を汲んだ場所です」
十兵衛が、札に刻んだ丸印を指した。
倒れた者の多くに、同じ印がある。
「妙覚寺跡の東井戸か」
「はい。ただし、その水を飲んでも倒れていない者もいる」
「ならば水だけで決めつけるな。何と一緒に口へ入れたか、汲んだ時刻、保存した桶も調べよ」
茶丸と虎吉が、水桶の周囲を嗅ぐ。
虎吉は一つの桶へ近づこうとせず、耳を伏せた。
茶丸が告げる。
『手がかりはある。だが、まだ証拠ではない』
一渓は茶丸を見て、驚く様子もなく頷いた。
「賢い猫だ。医者より慎重かもしれぬ」
「一渓先生は、猫の言葉が分かるの?」
「分からぬ。ただ、分からぬものを無視しないだけだ」
そのとき、外から怒声が上がった。
十兵衛が東井戸を一時使わないよう求めたためだった。
「この井戸を止めたら、どこから水を汲めばええ!」
「病より先に、渇いて死ね言うんか!」
一渓は茶太郎へ向き直る。
「病の原因を見つけるだけでは、人は救えぬ。井戸を止めるなら、代わりの水が必要だ」
茶太郎は騒ぎの向こうに、一人の男が立っていることに気づいた。
薬材商のような地味な衣。
だが、その目は患者ではなく、水桶、薪の量、荷車、人の動きを見ている。
男は薄く笑った。
「医者と料理人だけでは、町の詰まりまでは治せぬようですな」
松永久秀が、正体を隠して現れた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
同じように見える病でも、必要な一椀は人によって違います。一渓先生と茶太郎が探す、ひとりひとりに合ったやさしさを見守ってください。




