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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第109話 「菊幢丸の初参内と、猫が選んだ道」

 ――守るべき面目と命の間で、父が初めて選び直す章――


 天文六年正月二十八日。


 南禅寺の御所は、夜明け前から慌ただしかった。


 菊幢丸きくどうまるが、初めて禁裏へ参る日である。


 門前には輿が置かれ、幕府の奉公衆が道具や装束を改めている。細川方の役人も、東山から洛中へ至る道の警護に加わっていた。


 茶太郎たちが到着すると、榊田弥兵衛さかきだ・やへえが待っていた。


「遅いぞ。今日は猫も勝手に歩かせるな」


 茶丸が弥兵衛を見上げる。


『猫に命じる前に、自分の鉢割れを隠せ』


 門番小屋の奥から、例の鉢割れ猫が顔を出していた。


「……あれは警備の補佐だ」


 茶太郎は笑いを堪えながら、供の者たちへ温かい焼き味噌湯を配った。

 長い行列になる。

 空腹や冷えで倒れる者が出れば、菊幢丸の輿も止まってしまう。


 大舘常興おおだち・じょうこうは味噌湯を一口飲み、すぐに道筋を記した絵図へ目を戻した。


「南禅寺を出て、粟田口から北西へ進む。大路を通り、禁裏へ入る。余計な変更は許さぬ」


 そこへ、灰色の衣を着た若い役人が現れた。

 細川方の検断役、秋野新九郎あきの・しんくろうである。


「大舘殿。東山の道に、昨夜新しい柵が置かれました。幕府からの指示と聞いておりますが」


「そのような指示は出しておらぬ」


 二人の視線が鋭く交わった。

 新九郎は一枚の通行札を差し出した。

 幕府の印が押されている。

 だが常興は、すぐに首を振った。


「印の位置が違う。似せてはいるが、これは偽物だ」


 偽の通行札は、大路を避けて細い道へ行列を誘導する内容だった。


「何者かが、輿の道を変えようとしている……」


 その頃、慶寿院けいじゅいんに抱かれた菊幢丸が姿を見せた。

 昨春よりずっと大きくなっている。

 茶太郎を見つけると、小さな手を伸ばした。


「覚えてるのかな」


 茶太郎が指を差し出すと、菊幢丸は嬉しそうに握った。

 少し離れた場所で、父・義晴がその様子を見ていた。

 だが今日も、家臣の前では我が子を抱こうとしない。


「出立せよ」


 義晴の命で行列が動き始めた。

 先頭を奉公衆、その後ろを細川方の警護役が進む。菊幢丸の輿を中心に、女房、僧、供の者たちが続いた。

 下京から手伝いに来た京鈴きょうすずも、茶太郎の隣を歩いていた。

 やがて一行が、土塀に挟まれた細い道へ差しかかる。


 京鈴が突然、足を止めた。


「……鳴いてる」


「何が?」


「壁の木。ぎい、ぎいって……折れる前の声」


 見たところ、土塀に異常はない。


 警護役は先を急がせようとする。

 だが京鈴は、片方だけの赤い草履を踏ん張った。


「行ったらあかん!」


 茶太郎が塀へ近づくと、ゆかりの糸が塀の上で黒く絡んだ。

 新九郎が下部を調べる。

 支えとなる木材へ、新しい切り傷があった。


「誰かが楔を抜いている」


 常興が義晴へ道の変更を進言する。


 しかし義晴は首を横へ振った。


「今ここで道を変えれば、幕府が細川方の警護を信用していないように見える」


 新九郎の顔が強張る。


「我らを疑われますか」


「そうは言っておらぬ。だからこそ、予定どおり進む」


 面目を守るため、危険な道を通る。

 茶太郎には、義晴の胸から渋く焦げた味がした。


 そのとき、輿の屋根へ灰白色の影が飛び乗った。

 おきなだった。


「猫を下ろせ!」


 奉公衆が手を伸ばす。

 翁はひらりとかわし、輿から降りると、脇の小道へ進んだ。


 そこで振り返り、菊幢丸を見つめる。

 御簾の中から翁を見つけた菊幢丸が、声を上げて笑った。


 翁が一歩進む。

 菊幢丸がまた笑う。


 まるで猫に道を教えているようだった。

 周囲の視線が義晴へ集まる。

 しばらくの沈黙の後、義晴が告げた。


「……若君が猫を気に入ったようだ。今日は猫を先導役とする」


 家臣たちは頭を下げた。


 将軍が恐れて道を変えたのではない。

 若君を喜ばせるため、縁起のよい猫に従った。

 義晴が皆の面目を残しながら、初めて息子の命を優先した瞬間だった。


 一行が小道へ移った直後。

 背後で、土塀が大きな音を立てて崩れた。

 土煙の中から見つかったのは、切られた楔と、火を移すための油布だった。


 秋野新九郎は油布を拾い上げた。


「輿を潰すためではない。騒ぎを起こし、幕府と細川を疑わせるためか……」


 油からは、六角堂の悪銭袋と同じ匂いがした。


 翁は歩みを止めず、禁裏へ続く道を進んでいく。

 茶太郎は菊幢丸の輿に寄り添いながら、崩れた塀を振り返った。

 灰の中で動く何者かが、今度は将軍の子へ手を伸ばし始めていた。

お読みいただき、ありがとうございます。


初めての参内で守りたかったのは、立派な行列よりも、小さな命でした。猫たちが選んだ道の先を、また一緒に歩いていただけたら嬉しいです。

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『茶太郎がゆく』
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