第108話 「六角堂の五町組と、二貫百文の願い」
――焼け跡の町が差し出した銭と、灰に紛れた企みの章――
南禅寺へ向かう朝。
茶太郎たちが下京を通りかかると、六角堂の鐘が鳴った。
焼け跡には仮小屋が並び、土壁を塗り直す音が響いている。その間を、町ごとに揃いの紐を結んだ人々が歩いていた。
「今日は何かあるの?」
茶太郎が尋ねると、お寅婆が背負い籠を下ろした。
「下京の町組が、幕府へ銭を届けるんや」
六角堂には、五つの町組が集まっていた。
中組。
西組。
巽組。
艮組。
そして、七町半組。
それぞれの代表が、一貫ずつ確かめた銭を持ち寄っている。
総額は、二貫百文。
焼け残った家を直し、食料を買うだけでも苦しい。それでも町衆は、幕府へ銭を差し出すことを選んだ。
墨屋宗白が、五町組を代表して帳面を読み上げる。
「これは服従の銭ではございませぬ。町を守る役目を、幕府と我らが共に担うための印にございます」
幕府から遣わされた大舘常興が、険しい顔で聞いていた。
「町が独自に夜番を置き、木戸を閉じ、人を調べる。行き過ぎれば、幕府の権限を侵すことになる」
宗白も退かない。
「火が出てから役人を待っていては、町がなくなります」
「ゆえに、勝手を認めよと?」
「勝手ではなく、分担にございます」
二人の間へ、張り詰めた空気が流れた。
茶太郎は、銭の入った袋を見つめる。
ゆかりが小声で告げた。
「糸が五つ……同じところへ集まってる。でも一本だけ、途中で黒く絡んでる」
銭を改めていた幕府の役人が、突然声を上げた。
「お待ちください!」
袋の中から、色の鈍い銭が取り出された。
縁が歪み、文字も浅い。
役人が石の上へ落とすと、軽く濁った音がした。
「私鋳銭が混じっております。それも一枚や二枚ではない」
町衆がざわめく。
「そんなはずはない!」
「組ごとに確かめたんや!」
常興の視線が宗白へ向く。
「幕府へ悪銭を献じれば、町組全体の信用に関わるぞ」
宗白の右頬の火傷が、強張った。
「我らを疑われるか」
「疑わぬために、調べるのだ」
そのとき、孤児のハチが銭袋の紐へ手を伸ばした。
役人が叱る。
「触れるな!」
「結び目が違う」
ハチは文字を読めない。
だが、荷縄と結び目なら、誰よりもよく見ていた。
五つの袋のうち、悪銭が入っていた袋だけ、紐の端が短い。
結び目も、町組が使う二重の輪ではなく、一度切った紐を別の結び方でつないである。
宗白が帳面を開く。
「袋を閉じたとき、ハチにも結ばせました。こやつの結びは、すべて同じです」
釘打ちの甚八が紐を調べた。
「刃物で切った跡がある。運ぶ途中で一度開けられとる」
京鈴は袋へ顔を近づけ、鼻を動かした。
「……油の匂い」
「油?」
「焼けた家を片づける人らが使う油。前にも嗅いだ」
茶丸と虎吉が床を嗅ぎ、袋の底に付いた灰を前足で掻いた。
だが、茶丸は追跡を命じなかった。
『猫が見つけたのは手がかりだけだ。人を裁く証にはならぬ』
常興はしばらく黙っていた。
やがて悪銭の袋だけを脇へ分け、残りの銭を役人へ数え直させた。
「五町組からの献納は受け取る」
宗白が目を上げる。
「悪銭の件は?」
「町組の罪とは決めぬ。袋がすり替えられたものとして、幕府と町組が共に調べる」
常興はハチへ向き直った。
「名は?」
ハチは答えない。
名前を持っていなかったからだ。
「では、結び目を覚えておけ。帳面の文字と、お前の結びを一緒に残す」
宗白も頷いた。
「一方が焼けても、もう一方が残るようにな」
銭を渡し終えたあと、五町組の代表は六角堂の前へ水桶を並べた。
幕府へ渡した銭よりも、その桶の列の方が、茶太郎には町の約束に見えた。
常興が茶太郎へ歩み寄る。
「南禅寺へ行くのであろう」
「うん。菊幢丸さまに会いに」
「ならば寄り道はここまでだ。初参内の道筋にも、不審な動きがある」
常興は、悪銭の付いた灰を紙に包んだ。
「銭をすり替えた者の狙いが町組だけとは限らぬ」
六角堂の屋根の上で、虎吉が東の空を睨んだ。
南禅寺へ続く道の先。
薄い煙が、まだ火のない場所から立ち上がっていた。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
二貫百文には、それぞれの暮らしと、町を立て直したい願いが詰まっています。六角堂に集まった声が、少しでも心に残りましたら嬉しいです。
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