第97話 「凍る水車と、香ばしい麦粉」
――流れが止まる冬に、穀物を食べやすい形へ変える――
丹波から届いた草鞋は、下京の荷運び人たちに喜ばれた。
切れた場所を記した木札は山村へ返され、次の草鞋はさらに丈夫になった。
だが、丹波から届く雑穀には別の問題があった。
「粒のままでは、煮えるまで時間がかかりすぎる」
お寅婆が、硬い大麦を指でつまむ。
豆粥や麦団子にすれば腹持ちはよい。しかし、忙しい炊事場で毎回、石臼を挽くのは大仕事だった。
「村で粉にしてもらえたら、運んですぐ料理に使えるんやけどな」
宗白が言うと、丹波の運び手は難しい顔をした。
「水車が止まっとる。谷水の一部が凍って、樋へ水が来んのや」
茶太郎は目を輝かせた。
「水車があるの?」
「古いもんやけどな。石臼を回して、麦を挽いとった」
次に山村へ返すものは、草鞋の作り方ではない。
止まった水車を、冬にも無理なく使う工夫だった。
◆氷に閉ざされた流れ
山村の水車小屋では、大きな木の輪が動きを止めていた。
谷川から引いた細い水路には氷が張り、木の樋の継ぎ目から水が漏れている。
青龍が水路を見上げた。
「上流の水は動いている。ここへ届く前に、浅い場所で広がって冷えているんだ」
ナギも水面へ手をかざす。
「……みず……細くなってる。氷の下で……横へ逃げてる……」
「なら氷を全部割ればええ!」
こたろが棒を持ち上げた。
勾陳が、その棒を押さえる。
「闇雲に割れば水路の縁まで壊す。春の流れを失うぞ」
村人たちは、まず水を止めた。
氷を少しずつ剥がし、崩れた水路の土を締め直す。浅く広がっていた場所には、細い板を渡して水の道を狭めた。
割れた樋は新しい木へ替えず、まだ使える部分を残し、継ぎ目だけを木栓と樹皮で塞ぐ。
茶丸は地面を確かめた。
『水車の柱が緩んでいる。回す前に、足元を直せ』
甚八と村の大工が柱の周囲へ小石を詰め、横木を加えた。
神や霊が水車を回すのではない。
水の流れを読み、人が樋と柱を直して初めて、木の輪は動く。
◆急に回してはいけない
水路へ少しずつ水を戻すと、水車がぎ、と音を立てた。
ゆっくり一度回り、また止まる。
「もう少し水を増やそう」
村人が水門を大きく開こうとした、そのとき。
京鈴が耳を押さえた。
「待って。柱の中で……ぎりぎり鳴ってる」
甚八が軸を調べると、乾いた木の一部に亀裂が入っていた。
「このまま勢いよく回したら折れとった」
油を染み込ませた布で軸を拭き、傷んだ部分を金具で締める。空の状態で何度も回し、音を確かめた。
子どもたちは水車の輪と軸へ近づかない。
レオが回転を数え、京鈴が異音を聞く。ハチは粉袋の口を結ぶ役に回った。
「水が動くところへ、手も服も近づけたらあかん」
かん太が、こたろの帯をしっかり結び直した。
「分かってるよ〜」
「さっき水車へ触ろうとしたやろ」
「ちょっとだけ〜」
「そのちょっとが危ないんや!」
◆焦げた麦粉
水車が安定すると、石臼へ大麦を入れた。
ごろごろと低い音が響き、臼の間から粉が落ちる。
「いっぱい出てくる!」
レオは嬉しそうに粉を集めた。
だが茶太郎が匂いを嗅ぐと、わずかに焦げ臭かった。
粉も思ったより細かく、熱を持っている。
「石臼を締めすぎてる」
村の粉挽きが、臼の隙間を調べた。
「細こう挽こうとして、石同士が擦れとるんや」
京鈴も頷いた。
「麦の砕ける音より、石の泣く音が大きい」
石臼の間を少し広げ、水車へ流す水も減らした。
一度で白い粉にしようとせず、粗く挽き、篩へかける。残った粒だけを、もう一度臼へ戻す。
二度目の麦粉は熱を持たず、香ばしい穀物の匂いがした。
太常が、入れた麦と出来た粉の重さを比べる。
「粉になれば増えるわけではありません。皮や篩に残る分も記録してください」
ハチは粉袋を二重にし、口を違う向きへ折ってから縄で結んだ。
「これなら、橇が揺れてもこぼれにくい」
草鞋作りで覚えた縄の技が、食料を守る技へ変わっていた。
◆炒り麦の力団子
茶太郎は、挽き上がったばかりの麦粉を鉄鍋で軽く炒った。
そこへ炒り豆を挽いた粉、少量の味噌、水飴を加える。熱い湯で練り、小さく丸めた。
《炒り麦の力団子》である。
火を通した粉を使うため、そのままでも食べられる。湯へ溶けば麦のとろみ汁になり、味噌汁へ入れれば腹持ちも増す。
山仕事へ出る男が一つ食べ、目を丸くした。
「甘すぎへんし、よう噛めば腹にたまる」
老婆は団子を湯へ崩した。
「歯の弱い者でも食べられるな」
茶太郎は頷いた。
「粒麦、粗い粉、細かい粉。全部、向いている料理が違うんです。何でも細かくすればいいわけじゃない」
村では、雑穀の一部を粉へ加工してから下京へ送ることになった。
その代わり下京からは、甚八が作る補修金具、宗白の荷札、そして実際に使った粉の料理法が返される。
夕暮れ、水車は一定の音を立てて回っていた。
京鈴がその響きへ耳を澄ませる。
「朝より……楽しそうな音になった」
茶太郎も、小屋の外を流れる水を見つめた。
凍った季節に、春と同じ速さを求めてはいけない。
流せる時間にだけ水を使い、止める夜には水路を空にする。壊れた場所を確かめ、少しずつ挽く。
流れが遅くても、仕事は続けられる。
その冬、丹波から届く小俵には、雑穀だけでなく香ばしい麦粉が加わった。
下京では、また新しい噂が流れ始めた。
「宇治の子は、止まった水に仕事を思い出させるらしい」
けれど水車を動かしたのは奇跡ではない。
水の道を直した手。
木の悲鳴を聞いた耳。
そして一度に完璧な粉を求めず、二度に分けて挽いた人の知恵だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
冬に水車が止まるなら、春と同じ動かし方を求めるのではなく、流せる時間だけ使い、凍る夜には水路を空にする。季節に合わせて仕事の形を変える回でした。
水車を動かしたのは奇跡ではありません。ナギが流れを読み、京鈴が木の音を聞き、人々が樋と軸を直した結果です。こうして丹波から届く荷に、料理へ使いやすい麦粉が加わりました。




