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せとうちに眠る龍の夢  作者: 遊佐東吾


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6/19

曇天模様で波高し

 テツの起床に目覚まし時計は必要ない。

 現在の時刻は六時の少し前、いつも通りだ。朝のトレーニングを欠かしてこなかった彼にとっては、体に染みついた習慣であった。

 とりあえず枕元に置いてあるスマートフォンを確認する。メールが一件、宝丞学園野球部の梁田コーチからだ。


「いつものやつか」


 内容を確認することなく、テツはスマートフォンをその辺に放り投げた。

 梁田コーチは宝丞学園が前回甲子園に出場した代の主将であり、コーチとなってからは三枝監督と選手たちとの間を繋ぐパイプ役を務めてくれている。

 書き置きだけを残して逃げたテツに対しても、電話やメールで戻ってくるようにとの連絡を欠かさない。その熱意が今のテツにしてみれば億劫で仕方ないのだが。

 布団を片付けた後、寝汗をかいていたため体を拭き、続けて洗顔も済ませる。

 家の中に祖父である清三の姿は見当たらなかった。祖父の場合、こういうときは必ず漁に出ている。四時ぐらいには家を後にしたのだろう。


「叩き起こして声を掛けてくれたらええんやけどなあ」


 ふわあ、と欠伸をしながら窓の外を眺めてみる。

 窓枠ががたがた音を立てているくらいに風は強く、空の様子も薄暗い。

 この分だと波も高そうだ、と沖合にいるであろう清三を心配する。


「いつ帰ってきてもええように、朝メシの準備でもしとくか」


 そう考えたテツが台所へ向かおうとすると、居間に置いてある固定電話がけたたましく鳴り始めた。FAX機能も付いている大型の電話機だ。


「誰やねん、こんな朝っぱらから」


 いきなりの音に驚いたテツは、ぶつくさ文句を口にしながらも受話器を取る。


「はい、もしもしぃ」


「その声は清三さんじゃなくてテツ? あたしあたし」


「あん? あたしあたし詐欺かいな」


「そんなわけないでしょ! 花純よ花純、伊庭花純!」


「おー花純さんか。どしたん? こんな朝早くに」


「あのさ、そっちの家に薬って置いてあるかな。風邪薬か解熱剤。実は昨夜、千鳥が熱を出しちゃってね」


 うちにはないのよ、と花純が焦った口調で言う。


「おまけにこの島には薬局どころか、商店の一つもないし。だからもし薬があるのであれば分けてほしいの」


 テツの脳裏には、立て続けにくしゃみをしていた千鳥の姿が思い出される。やはりずぶ濡れになったせいで体調を崩してしまったのだ。


「ごめんやけど、探してみんとわからん。見つけたらすぐに連絡する」


「……そう」


 落胆を隠せていない花純の声だった。

 じゃあまた後で、と告げて電話を切り、テツは急いで家捜しを始めた。あちこちの引き出しを開け、戸棚の中を引っ張りだし、とにかく目を皿のようにして薬を見つけだそうと奮闘する。

 清三が帰宅したのはそんなタイミングであった。


「波が高くなってきよったから戻ってきたんやが……テツ、おまえ朝から何をどたばたやっとんじゃ」


「ええとこに! この家、解熱剤ってどっかにないか?」


 かいつまんで事情を説明したテツだったが、清三の返事は無常である。


「そんなもんないぞ。わしは病気なんてならんけんの」


「やっぱりか……」


 強靭すぎるのも考えものだ。

 今でこそ職業は漁師だが、元々祖父は警察勤めをしていた。幼い頃から柔道で鍛えており、体重無差別の全日本選手権にも出場経験のある猛者なのだ。

 あっけなく望みを絶たれ、テツも頭を抱えるしかない。


「千鳥はまだ体もちっちゃいし、しんどいやろな。どないしよ」


「決まっとる。ないもんは()うてくるしかないやろ」


 船を出すわ、と清三が言う。

 先ほど「波が高くなってきた」と説明したその口でだ。小さな漁船の航行において、波の高さは死活問題である。

 清三はすぐに花純へと電話を掛け、「すまんがもうちょっとだけ待っとれ」と伝えていた。やはり本気なのだ。

 再び軽トラックへと向かう祖父だったが、テツも慌てて後を追う。

 朝ごはんがまだなのは仕方ないが、エネルギー補充は必要だ。そう考えて千鳥からもらったフィナンシェをスポーツバッグへと放り込み、ダッシュして軽トラックの助手席へ飛び乗った。


「ぎりぎりセーフやな」


「遊びやないぞ」


「もちろんわかっとるって。どこの島へ寄るんかは知らんけど、陸地ではおれの方が早く移動できるしな」


 テツの言葉を聞き、清三は「ふん」と鼻を鳴らして短く警告する。

「覚悟せえ。揺れるぞ」と。


     ◇


 祖父の警告は本当だった。

 体力には絶対の自信があるテツにとっても、揺れまくる波の上は非常にきつい体験だ。内臓を直接つかまれて弄ばれているような錯覚を起こしてしまう。


「こら寝起きに効くわあ……」


 減らず口を叩きながら、どうにかテツも耐えている。

 清三の漁船は近隣にある直島へと向かっていた。もちろん高松に行けば薬を手に入れるのも容易だろうが、時間がかかりすぎる。そもそもこんな朝早くに開いているドラッグストアなどないだろう。

 その点、直島であれば十五分もあれば着く。地中美術館に代表されるように現代アートの聖地としても広く知られており、観光客も多い。

 もちろん直島にもいわゆるドラッグストアはない。調剤薬局があるだけだ。ただし観光客向けのコンビニエンスストアが隣接しており、そこで解熱剤等なら購入できる。ここであれば早朝であっても薬が手に入るはずだ。

 事前に連絡を済ませていたため、臨時で直島の漁港に係留させてもらう。


「ほんじゃテツ、さっさと()うてこい」


「おっしゃ」


 言うが早いか、ひらりと漁船から飛び降りる。ようやく海から離れられるとあってテツの動きも心なしか軽快だ。

 たった十五分ほどの船旅だったが、今ほど確固たる存在である陸地をありがたく感じたことはこれまでになかった。

 目的地である薬局の場所はチェック済み、後は走って向かうだけだ。


「っと、その前に」


 ようやく胃が落ち着いてきたので、テツはスポーツバッグの中からフィナンシェの包み紙を取り出した。金塊を模した見た目は美しいが、非常に薄い。


「おはようカロリー、千鳥に薬を届けるまでは働いてや」


 そうおどけてから道の端で齧ろうとする。

 だがそんなテツの足元で、履き古したスニーカーの紐が引っ張られていた。

 見ればそこにいたのは猫である。だがどこかが違う。


「いや待て、これ猫か? 何かちゃうような気がすんねんけど」


 テツの知る猫よりは毛足が長く、尻尾をはじめとして妙に丸みもある気がした。

 しかもあろうことか、足元の猫もどきはテツを見上げて「なあなあ」と話し掛けてきたのだ。


「おまえ、チドリの家族なん? それとも友達? ほんのちょっぴりやけどチドリとお菓子の匂いがするんよ」


 大抵のことには動じないテツなのだが、このときばかりは驚きのあまり声が出せない。それはそうだろう、彼の中の常識が引っくり返った瞬間なのだから。


「なあなあ、そのお菓子、ぼくにちょうだい。チドリが持ってたやつやろ? そんな美味しいお菓子食べたん、ぼく初めてやったんやもん」


「おまえ、もしかして千鳥が船の中で()うたっちゅう狸か!」


 ようやく合点がいった。

 千鳥が語ってくれた体験談を嘘だと思っていたわけではないが、すべてを信じるには荒唐無稽すぎた。だから自分の中で判断を保留し、棚上げしていたのだが。


「あの子の言うたこと、全部ほんまやってんなあ……」


 しみじみと呟き、食べる寸前だったフィナンシェを差し出しながら彼は言う。


「おれの名前は徹大、テツって呼んでくれや」


 千鳥の友達やで、と狸からの最初の質問に答える。

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