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せとうちに眠る龍の夢  作者: 遊佐東吾


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キッチンで内緒の話をしよう

「ほら、清三さんからやってよ。こういうのは年長者からじゃないと」


「ん、そうか? わしは戎清三、二十年くらいこの島で漁師をやっとるモンだ。魚が苦手でなければ、滞在しとる間はなんぼでも食わしたる」


 いつの間にか食事をしつつ、自己紹介をする流れとなっていた。

 確かに必要な作業ではある。大柄なテツの姿を見て、花純の姪は明らかに怯えたような態度をとっていたのだから。

 小学生の女の子を怖がらせてしまったのであれば、テツとしても甚だ不本意だ。ここで本当は愉快な好青年なのだとアピールしておきたい。

 そんなことを考えていた彼へ、さっそく指名が回ってきた。


「じゃあ次はテツね」


「おい花純、年の順やないんか」


「家主なんだもん、あたしは最後の締めでしょ」


 清三からの文句をあっさりいなし、重ねて花純は「ほらテツ、ちゃっちゃとやりな」と急かしてくる。いつものように小さいメディシンボールをいじりながらだ。

 グラスにまだ少し残っていた麦茶で喉を潤し、テツは背筋を伸ばした。


「中辻徹大、夏休みを満喫中の高校一年生。テツって呼んでな。神戸の高校に通ってたけど、また香川に戻ってそのうちうどん屋でもやったろかなと考えてまっす」


 薄利多売のうどん屋で財を成す、これこそがさぬきドリームだ。

 しかし隣に座っていた祖父の清三が、すぐにテツの首を締め上げてきた。柔道高段者なだけに流れるような動作である。


「うどん屋()()? おまえ、仕事を舐めとったら承知せんぞ」


「あかんあかん、本気の締めはあかんって!」


 迷わずテツも祖父の太い腕を二度叩く。ギブアップのサインだ。

 解放されてもまだ首筋に感触が残っており、テツはそろりと手でさすった。


「うー、えらい目に()うたわ」


「おまえが考えなしなことを口にするけんじゃ。朝も早うから働いとるうどん屋への敬意っちゅうもんがないわ」


 清三の叱責はまったくの正論だ。

 今のは自分がよくなかった、とテツも認めるしかない。テーブルに両手をついて潔く頭を下げる。


「ほんまやな。反省しとく」


「それでええ」


 納得した清三は再びどっかりと腰を下ろし、手酌でビールを注いでいく。

 少しの間、宴会に沈黙が訪れた。

 テツのうかつな言動が招いてしまったそんな空気を変えようとしてか、花純が手を叩いて自身に注目を集める。


「さ、気を取り直して続けていこ。ほら千鳥、あなたの番だよ」


「あ、はい」


 気弱そうな印象の少女が小さく頷いた。


「あの、えと、わたしは伊庭千鳥といいます。十二歳です。東京から来ました。お父さんの妹の花純さんのところで、夏の間お世話になる予定です。よろしくお願いします」


 透明感のある声だ。多少たどたどしくはあったが、千鳥は最後まできちんと言い切った。

 わざわざ東京から瀬戸内海の過疎の島へとやってきて、ひと夏を過ごす。そこには何らかの事情もあるのだろう。

 けれどもそれはテツだって同じだ。だからことさらに根掘り葉掘り知ろうとする必要はない。しばらく同じ島で同じ時間を共有する者として、緩やかに繋がっていければそれでよかった。

 にこやかに「よろしくねー」とだけ応じ、余計なことは何も口にしない。


     ◇


 宴会はつつがなく続いていく。

 デザートにはよく熟れてすこぶる甘い桃が出された。付き合いのある岡山の鮨屋から祖父がもらったブランドものらしい。

 にもかかわらず花純は物足りなかったようだ。あくまで量が。


「やっぱりこれよ、これ」


 そう言って彼女がキッチンから持ってきたのは、何と冷凍された自家製のあんこである。しかもそのまま酒のアテとしてつまむのだ。

 香川は甘いものを好む県民性なのか、正月の雑煮なんかは白味噌仕立ての汁にあん餅が入っているのが普通だった。幼い頃のテツもそれを当たり前のように受け入れていたが、実は全国的に見てかなりの異端であったらしい。

 食文化の異なる東京から壱ノ木島へやってきたはずの花純なのに、今やその甘党ぶりは生粋の香川県民をも凌ぐほどだ。

 負けじと清三も付き合い、日本酒へと切り替えた二人は延々と呑み続ける。


「アホらし。おれはぼちぼち仕舞いに入ってくで」


 声を掛けたテツだったが、酔っている花純と祖父からはいい加減な答えしか返ってこなかった。

 もう相手にせず、てきぱきと動いて皿を流し台へと運んでいく。まだ残っている料理は小皿へと移し替え、ラップを掛けてから冷蔵庫に入れる。

 その作業が終われば後は大量の洗い物だ。

 千鳥も彼の行動にならった。別に好きなように過ごしてくれて構わないとの旨は伝えたのだが、彼女は黙って首を横に振るだけで手を止めようとはしない。

 次第に片付けも進み、残すはあとわずかとなった。

 テツと千鳥はそれぞれタオルを持ち、並んで皿の拭き上げに取り掛かる。


「そういや千鳥ちゃん、何であんなにずぶ濡れやったん?」


 宴会の間も気になっていたことを訊ねてみた。

 何かしらの失敗談が返ってくるだろうと予測しての問い掛けだったが、案に相違して千鳥はとても困惑している。


「……答えにくい……」


 絞りだすように彼女はそう呟いた。


「言っても、どうせ信じてもらえないだろうし」


「そーんなことないって」


「うそだ、絶対信じてくれないもん」


 少しずつ千鳥の話し方がフランクになってきている。いい傾向だ、とテツは内心で大きく頷いていた。


「ええからええから。どんなおもろい理由でもバカになんかせんって、約束する。むしろおもろければおもろいほど最高やん」


「……ほんとに?」


 まだ疑いの眼差しを向けてきているが、どうやら千鳥も話す気になったようだ。

 やや間があってから「あのね」と彼女が切り出した。

 正直に言えば、テツもそれほど面白い話が聞けるとは考えていない。小学生と高校生とでは面白さの尺度が違う。

 だが千鳥の口から語られた話は、テツのあらゆる想定を超えて奇妙だった。

 朝に乗ったはずの船がなぜか夜のような真っ暗な場所を航行しており、ひどい雨風にさらされている。おまけに雷もひっきりなしだ。

 さらに船内で目覚めている人は千鳥の他に誰もおらず、代わりに喋る狸が二本足で走っている有様。元の世界への目印となる灯台を見つけたところで、彼女は眠りに落ちてしまったのだという。

 まさしく荒唐無稽、大ぼら吹きの類だ。

 けれどもどこか思いつめたような表情で千鳥が語っているのを見れば、とてもじゃないがテツも茶化す気にはなれない。


「そうか、狸もフィナンシェ食べるんやな」


 どうにかひねりだした感想は、とびきり間が抜けていた。しかもテツにはフィナンシェなるお菓子を食べた経験がない。知っている洋菓子などせいぜいマドレーヌくらいだ。


「どんだけ美味しかったんやろ。気になるわ」


「そこなの? もう、やっぱり信じてない!」


 テツに背を向けた千鳥は拭き終えた皿を戸棚に入れ、そのままキッチンから出ていってしまった。ずいぶん怒っているようだ。


「またやってもうた……」


 頭を抱えるテツだったが、後悔先に立たず。

 本当に悪気は一切なかった。ただ掛けるべき言葉のチョイスをまたしても間違えてしまっただけなのだ。

 いったいどう謝ったものか、とうんうん唸っていると、足音を立てながら千鳥が戻ってきた。

 彼女はテツの前へとやってきて、いきなり長方形の小袋を差し出す。


「はい、これ!」


 しかしテツは意味がわからず、首を傾げていた。


「くれるん? 見たところ焼き菓子やなあ」


「だからフィナンシェ。さっき気になるって言ってたじゃん」


 本当は花純さんへのお土産だったんだけど、と千鳥は言う。

 恭しく受け取るテツの口からは、「おお……」という感嘆の声が漏れた。


「これがフィナンシェかあ、大事にするわ。後で写真もとっとこ」


「いや、あんまり日持ちもしないしさっさと食べてよ」


「そんなあっさり食ったらもったいないやん。そや、うちのばーちゃんの仏壇にお供えしたろ。えらいハイカラやいうて天国で喜ばはるわ、きっと」


「ふーん。別にそれでもいいけど」


 ややつっけんどんにも聞こえる言い方の中に、喜びの感情が見え隠れしているのはテツの気のせいか。

 妹がいたなら、日常的にこういうやり取りをしていたのかもしれない。


「それにしても千鳥ちゃん、えらい気ぃ遣う子やなあ。こらガッコでも頼られっぱなし間違いないわ」


 何気なく褒めたつもりだったが、千鳥の顔色がさっと変わった。

 しまった、とテツも瞬時に察知する。学校の話題は避けるべきだった。彼女にだって何らかの事情があるのは推察できていたのにもかかわらず、うかつに言及してしまったのだ。

 千鳥が黙り込み、居心地の悪い沈黙が訪れる。

 先ほどの初対面のときのように俯き加減となり、彼女はぽつりと言った。


「わたし、逃げてばっかりだから」


 口にしたのはそれだけだ。目線も上げていない。

 だが千鳥は曲がりなりにも自身の弱さを認め、他者へと伝えた。その行為にどれほどの勇気が必要なのか、テツはよく理解しているつもりだ。


「それはおれも一緒やな」


 さらりと告げてから「ほな、酔っ払いどものところに戻ろか」と促す。

 ただ千鳥は頑としてその場から動こうとしなかった。


「ねえテツさん。今の、どういうこと? ほら、『おれも一緒』って」


「んー、テツさんってのはちょっと馴染まんなあ。呼び捨てでテツとか、それが無理ならテツくんとかでええよ」


 話題の転換を試みたテツへ、千鳥はすぐさま切り返してきた。


「じゃあそっちも、ちゃん付けで呼ぶのはやめて。すごく子ども扱いされてる気持ちになっちゃうから」


「お、おう」


 小学六年生である千鳥は、テツからすれば四つも年下だ。おまけに喋り方からは気弱そうな印象も持っていた。

 その見立ても決して間違ってはいないのだろう。彼女の一面にしか過ぎない、というだけで。ひとたびスイッチが入った際の意外なほどの押しの強さもまた、伊庭千鳥という少女の別の一面なのだ。


「テツくん、さっきの質問にちゃんと答えて」


 はぐらかそうにも、千鳥の真剣な眼差しはそれを許してくれそうにない。

 ぼりぼりと頭を掻きながらテツは言った。


「あんまりおもろい話やないけどな。野球しかしてこんかったし、おれ」


 そう、とてもつまらない話だ。多少野球の才能に恵まれただけのアホな少年が増長し、どこまでも天狗になっていった末にツキが離れ、伸びすぎた鼻は自身の重みに耐えかねてぽっきりと折れた。

 たったそれだけの、どこにでも転がっている挫折の物語。

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