第十四章《剣姫の決意 -Blade Princess;03 RETROGRADE-》
対峙は、一瞬だった。
妖精族の少女はポニーテイルを翻して、姿を掻き消した。
ヴァルトニックにはその動向が窺えていた。追いつき、斬りつけることも可能だったろう。
だが、あえてそうはしなかった。
少女の背を見送ると、ヴァルトは悠々とした動作で剣を鞘に収める。
その視線には、なんの表情も窺えない。
ただ、冷徹な瞳だけが虚空を睨みつけていた。
「ふん……。巣へ案内してくれるというのなら、感謝の一つもすべきかもしれんがな……」
そうは言いつつも、顔色は晴れない。
表情は、優れない。
虚しい風だけが、彼を撫ぜていた。
復讐。それは甘美な毒でありながら、華美な酒でありながら、同時に酷く冷たい感傷を抱かせる。
それは、酔いが冷めたからこその静寂なのか。それとも、酔いそのものが無為なものであるからこその静寂なのか。
酔うために復讐を求めるのか。酔いこそが復讐の起源なのか。
一族の悲劇を思い知らせるために彼らは剣を取った。
それは必然であったし、宿命であった。
生きるためにはそうするしかなかった。それ以外の方法を見出せなかった。
目的は人を昂ぶらせる。活力を与えてくれる。
活力なしでは、人は生きてはゆけないのだ。
その昂ぶりこそを『酔い』と表現するのなら、一族は復讐に酔っているということなのだろう。
そのことに、ヴァルトニックはなんの後悔も湧きはしない。
あるのは、淡々とした事実だけだ。
否定はしない。だが、肯定もしない。
事実を、ただ、認識するだけだ。
「歴史は俺を嗤うことだろう。だが、それで一向に構わん。人は己の心を裏切れん。少なくとも、俺はそうだ」
言うと、男は歩き始めた。
その一歩が、地面を踏み締めていた。
己の愚かさを、歴史に刻みつけるかのように。
――
クレアは撤退していた。
背中には、未だに悪寒が残っている。
思わず、恐怖に足が絡め取られそうになる。
実際には、彼は遙か後方にいる。それは気配で分かりきっていることだった。
だというのに、気づけば背後を窺っている自分がいる。
すぐ後ろに、剣を振りかぶったあの男がいるような気がして、冷や汗が垂れる。
そしてそんな自分に嫌気が差す。
クレアを脅かしているのは恐怖だ。純然たる恐怖が、感覚を惑わしているのだ。
全ては自分が未熟なせいだ。
逃げの一手を強いられているのも、恐怖に囚われてしまっているのも、里を危険に晒してしまっているのも。
全ては己の未熟さゆえだ。
ちゃちなプライドは捨ててしまえ。弱さを受け入れろ。そのうえで決断しろ。
今すべきことは何だ。
――そんなの、決まってるっ!
考えるまでもない。己に問い掛けるようなことでもない。
初めから。初っ端から。前提から。分かりきっていることだ。
何故ならクレアの役職は、《里の守り手》なのだから。
「長老ッ!!」
行儀も作法も無視して扉を跳ね開けたクレアは、相手の姿も確認せずに呼びかけた。
それは、自分の判断を伝えるためだ。
圧倒的な戦力差以上に、たった一人の極大戦力に抗う術が見つからなかった。
何百、何千の戦力があろうとも、あの男には勝てない。
僅か一瞬の対峙で、確信してしまった。
現状では、どう足掻いてもあの男には勝てないのだと。
そうなれば取りうる選択肢は一つしかない。
クレアが集落中央の長老邸を訪ねたのは、撤退を進言するためだった。
だが、戸を開けて、クレアは言葉を失した。
そこにいたのは、着物を血で染めた長老、クォラルの姿だった。
問うまでもなく、クレアは状況を理解する。
事態は想定していたよりも、よっぽど悪いらしい。
長老が負傷している。この事実には二つの意味がある。
まずは相手が長老を負傷させるほどの戦力を保持していた、ということ。
これは対峙したあの男以外にも手練れがいるという事実を表している。
もっとも、あれだけ多くの人員を動かせるのだから、それだけの技量や兵力を有しているのも想像に難い話ではない。
そして、もう一つの意味。
それは最後の砦であるべき長老が前線に出なければならないほど、守備隊が疲弊しているということだ。
いや、もしかしたら、もはや前線と呼べるほどの戦況にすらなっていないのかもしれない。
今、エルフの里はそれほどまでに追い詰められているということだ。
クレアは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、こう進言するしかなかった。
「…………長老。……撤退しましょう」
声は、僅かに震えていた。
緊張に、だろうか。それとも怒りに、かもしれない。
普段は怒りなどという感情を抱くことのないクレアだけに、それは戸惑いを抱く感情だ。
同時に、本当にこれが怒りなのか……? という疑問すら浮かんでしまう。
長老は、実際は僅かな間だったのかもしれないが、体感としては随分と長く沈黙を続けた後に、ゆっくりと頷いた。
「……致し方あるまい。ワシはこの里を失いとうない。だがそれ以上に、里の皆を死なせることだけは我慢ならん」
ゆらり、とクォラルは立ち上がった。羽織を揺らして、戸を開く。
その足取りは、決して力強いというわけではなかったが、しなる蔦のようにしなやかに大地を踏み締めていた。
「……お前は、死ぬでないぞ」
そんなことを言われても、クレアには返す言葉が見つからなかった。
敵勢力の大半は里の南側を取り囲むように布陣している。その布陣は西側や東側にも及んでおり、撤退を行うには北側にしか逃げ道はない。
クレアは最初こそ北側で防衛をしていたのだが、南側へ集結しつつある敵勢力に危機感を覚え、急遽進路を変更。南側へ向かい、広い範囲で遊撃していた。
そこで、かなりの量の指揮官クラスを仕留めたはずだが、絶対量が多すぎるせいか、敵の勢いは留まるところを知らない。
そんな中、間を開けて敵の主力部隊が北から攻め込んできていたのだ。
周囲の陣は緩んだものの、北側からの圧力に押され、妖精族の守り手部隊はほとんど壊滅状態となっていた。
父であるクレインが敵勢力を引き付けたお陰で、クォラルはどうにか里へ帰還したということだった。
――お父さん……。
クレアは祈るように拳を胸に合わせた。
無事であって欲しい。だが、状況は絶望的だ。
何より……。
里の防衛こそが、いや、今となっては住民の避難こそがクレアのやるべきことだった。
家族の無事を祈るよりも、大切な役目だ。
里の皆を守れるのは自分だけなのだから。
だけど、それでも……。
――悔しいよ。大切な人を守れないことが……。己の力の無さが……ッ!
自分のことを完璧超人のように慕ってくれていたフレアには思いも寄らないことだろう。
クレアにだって、悩みがあった。弱さがあった。痛みがあった。
失った家族もいる。超えられなかった壁もある。告げられなかった想いもある。
どこにでもいるような、普通の女の子と同じなのだ。
もしここで立ち止まってしまえば、きっともう立ち上がれないくらい、弱い存在なのだ。
己の手で斬り殺した人間の数を、数えてしまうような。その怨嗟の声に苛まれてしまうような。そんな小さな存在なのだ。
いつも隣にいてくれた彼が、今ここにいたのなら、たぶん泣いてしまっていただろう。甘えてしまっていただろう。
でも。
彼は今、ここにはいない。
だから、泣かない。立ち止まらない。
《女の子》は彼の前にしかいないし、現れることもない。
ならば、そう。
――……今のあたしは、《守り手》よ!
――
結論から言って。
マーカスの凶弾はジンに当たることはなかった。
しかし、それに気を取られて弾を防ごうとしたフライヤと、それにあとから気づき態勢を立て直そうとしたジンには、致命的な隙が生じていた。
そこへ、上級黒服たちの銃弾がなだれ込む。
「こなくそッ!!」
両手の剣を振るい、弾幕を弾こうとするジンだったが、同時に回避までは出来なかった。
足が、縫い止められてしまっていた。
その隙を逃すわけもなく、剣を構えた上級黒服たちが斬り掛かる。
「チィッ!! チンタラやってられへんな!」
片足を軸に身体を旋回させる。
ジンに集中していた銃撃と斬撃が四散する。
そのまま擦れ違いざまに二人の黒服を斬り伏せるも、周囲に展開する黒服たちの総数はざっと二十以上。
状況は芳しいとは言いがたかった。
ほぼ同時に、複数の弾丸と斬撃が飛び交う中、ジンは懸命に刀を振り回し、弾丸を弾き、斬撃を退ける。包囲網を抜けようと足掻くものの、簡単に覆るような実力差があるわけではない。
ジンは神経を摩耗させるような繊細な応酬を強いられていた。
僅かな気の緩みがあれば、一気にねじ伏せられてしまうことだろう。
だからこそ、ジンは歯を食いしばり、堪えていた。
そんな状態にありながら、ジンの胸の内にはフライヤの無事だけが気がかりだった。
だが、視線すら余所へ向ける隙もない。
ただ、がむしゃらに、剣を振るうしか出来なかった。
状況は、フライヤも同様だった。
しかし、フライヤには若干の余裕もあった。
もちろん、手を休めるような余裕があるわけではない。だが、視線だけなら余所へ向けることは可能だった。
二人のその違いは、単純に処理能力の差であった。
フライヤのほうがマルチタスクに処理が出来る。ただそれだけの違いではあったが。
――あいつは、キツそうか……。こっちも無理は出来そうにないね……。
考えれば考えるほど、今の有り様は絶望的だ。
囲んでいる黒服たちも雑魚とは違い、練度の高い上級兵たちだ。
一人一人の戦力は通常の黒服とは段違いだし、フライヤたちには劣る力量ではあるものの、今はあまりに多勢に無勢が過ぎる。
そのうえ、敵戦力には、四天王などと称されている《戦闘狂》マーカスまでもがいる。
リロードのために一旦引いたとはいえ、すぐにまた戦線へ復帰してくるだろう。
そうなれば対処は不可能になる。
――その前に……!
やるべきことは一つ。
包囲網の突破だ。
四方から攻撃をされるという状況はいくら何でも困難極まるというものだ。
だが、突破をするためには何かしらの手が必要になる。
大技で隙を作る、という手もあるにはある。
だが、問題はそれをやるには事前に隙が出来てしまうということだ。
たった一瞬でいい。
僅かな隙があればそこへ大技を叩き込める。
そうして敵の態勢を崩せば、包囲網を突破するための足掛かりにはなるだろう。
問題があるとすれば、そのための隙すら作れそうにない、ということだろうか。
――やれやれ、こういうときに限って、相方は頼りにはなりそうにないか……。
必死に両手の剣を振り回している相棒の顔には余裕など窺えない。
状況は、手詰まりと言えた。
――さて、どうしたものかしらね……。
フライヤは、絶望的な状況でありながらも、それを楽しむかのように笑みすら浮かべていた。
リロードを終えたマーカスは木陰に隠れた体勢のまま、舌を打っていた。
――ったく、20人掛かりで手こずってんじゃねぇっての!
などと脳内では罵りつつも、その内心、マーカスは愉しくもあった。
――ま、これくらいのほうが、ヤリがいってもんがあるか……。へへへ……。
戦況は逼迫している。
だったら。
この状況を更に混乱させることは出来ないだろうか。
もっと混雑に、猥雑に、混沌とした混戦状態。
誰が味方で、誰が敵なのかすら分からないような。
周囲を疑い、足下すら疑い、自分以外の全てを殺さねば安寧など訪れないような、混乱の極み。
――嗚呼、それはなんて愉快な、ゲームだ。
一寸先どころか、今この瞬間が無事なのかすら判然としない極限状態。
神経を摩耗させ、闘争本能のみが闊歩する戦場。
愉快だ。実に快楽だ。
マーカスは中空に、スピードローダーを放る。
銃弾を高速でリロードするための器具だ。もちろん、銃弾もセットされた状態だ。
これは、使い切った銃弾を高速で再装填するための布石。
そして、一気に銃弾飛び交う危険地帯へ踏み込んだ。同時に二挺のリボルバーが火を噴く。
敵味方の区別すらなく。乱雑に、銃弾がばらまかれる。
悲鳴が漏れる。血が飛び交い、いくらかの兵士たちが地面へと斃れてゆく。
戸惑い、嘆き、慌てふためく彼らを、マーカスは嗤いながら撃ち抜く。
狂乱状態になったマーカスと、惑乱された兵士たちは、全方位へ銃弾を掃射する。
血が、悲鳴が、命が、撒き散らされる。
不気味な嗤い声が、あたりに谺していた。
その光景は、まさしく、阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだった。
――
地割れを眺めながら、佇んでいたのはアークたちだった。
「……やれやれ、土埃だけでなく、霧まで出てきましたか。もう、ここから探すのは無理でしょうかね」
アークはわざとらしく肩を竦めてみせる。
「地下水脈でも掘り当てたのか……? もともと薄暗かったんだ。これじゃあ視界はほとんど潰されたも同然だな」
シークは崖下を覗き込みつつ首を振り、探索の断念に不承不承といった顔で同意するのだった。
「あいつらのことだ。どうにかなってるだろう」
「おやおや、大した信頼ですね。普段からもう少し素直になればいいのに」
「……冗談だろ」
シークが声のトーンを落として振り返った。
その顔色は、やはり優れているとは言いがたい。
「それに、あの地割れ……。嫌な予感がする。……あまり考えたくはないが……」
シークが言い掛けたところで、アークがその先を告げた。
「ヴァルトニック、でしょうね……」
思わず目を見開いたシークを、アークは一瞥だけして、目を逸らしてしまう。
「……お前、もしかして、あいつを……」
「ええ。見知った間柄です。私の故郷を滅ぼしたのは、彼ですからね」
アークが言外に込めていた意味を読み取ったシークは、それ以上何も言えなかった。
ヴァルトニックという企業がここまで巨大化したことの一番の理由は、とある国家の乗っ取りにあった。
被害者であるアークはそこで彼と対面を果たしており、シークも加害者の一人として、一部始終をその眼で見ていた。
だからこそ、二人はそれ以上の言葉を語ることはなかった。
「……あいつは、誰よりも、何よりも強い。……本当に、俺たちはあいつに勝てるのか……?」
珍しく自信のなさそうな物言いのシークに、アークが眼鏡を持ち上げながら語りかける。
「勝てるかどうか、ではないのですよ。勝つしか、ないのです。我々が生き延びるためには。今はそのための絶好の機会なのです……」
そう言うアークの言葉は、しかし、自らに語りかけるかのような、まるで言い聞かせているような、そんなふうに聞こえた。
もしかしたら、この二人は暗に理解していたのかもしれない。
初めから、この戦いには勝機などなかったのだと。
フレアたちの探索を断念し、前進を決めたアークたちだったが、その行く手を阻む者は全くと言っていいほどに現れなかった。
行けども行けども銃声や悲鳴が聞こえ、何処かで戦闘が起こっているらしきことは分かるのだが、その位置は遠く、歩みを止めるような要因にはならなかった。
アークが足を止めたのはそれから十数分ほど歩いてからのことだった。
始めに感じたのは臭いだった。それは酷い臭いだった。
むせ返るほどの気持ちの悪い異臭。鮮やかな死の薫り。
真っ赤に広がる血溜まりの中に、灰色の外套を纏った男が切り株に座っていた。
灰色の外套の裾には、薄汚れた血痕がまとわりついている。
男はアークに気づき立ち上がった。
霧の奥から、無数の屍体が姿を現す。
男が肩に背負っていた剣を振り下ろした。
オートマチックタイプの銃剣、銀色に輝く死の残響。
男は銀色の髪を風になびかせて詠うように呟く。
「逢いたかったよ、シーク……」
シークはうんざりしたように息を吐くと、グリップを握り締めて答えた。
「ああ……。……そうだな」
その細い声に込められた想いは、感嘆か、諦観か。
背中を向けられては、アークにその心情は察することも出来ない。
ただ、状況を見守るしか出来なかった。
――
ギリギリギリ……と、締め付けられるような痛みにスピアは耐えていた。
右腕を締め上げるワイヤーの先には二人の人間がいる。それとついでに一振りの槍が吊られている。
先にいるのは問うまでもなく、フレアとリースだ。その下にはワイヤーが巻き付けられた大槍がぶら下がっている。
その重量が、懸命に堪えているスピアを崖下へと引きずり込もうとしている。
そのまま腕ごと引き千切られてしまうかというほどの重量に、歯を食い縛っていた。
――並の人間なら、そうなっちまうだろうがな……。
スピアは口元に笑みを浮かべていた。
そして、ぶら下がるフレアとリースの位置は徐々に上昇していく。
スピアが持ち上げているのだ。
筋力だけではとても支えきれない重量だろう。だが、気功術を使えばどうとでもなる重さだ。
まして、スピアは筋力の強化など、シンプルな気功術を最も得意としていた。
筋肉を動かす動きに、身体を動かすエネルギーに気功術を重ね合わせ、力を増強させる。
そうすることで、人間二人分くらいなら片腕でも持ち上げられる。
右腕はワイヤーを、左腕は地面を掴み、徐々に引っ張り上げる。
引っ張り上げた右腕で地面を掴み、左腕で更にワイヤーを手繰り寄せる。
僅かでも力が抜ければフレアたちに引っ張られる形で、スピアも谷底へ叩き落とされてしまうだろう。
それでも、僅かずつ、少しずつ、引き上げる。
細いワイヤーに揺られるフレアとリースの顔が段々と近づいてゆく。
そして、スピアは気づいた。
吊られた二人の顔色に心配の色は全くないことに。
助かるということを全く疑っていない。
たった一本のワイヤーに命を握られているというのに、それを手繰るスピアを信じ切っている眼だ。
――ったく、そんな眼で見るんじゃねえよ。こりゃ、ますます気は抜けねえな。
ワイヤーを手繰る腕は、心なしか力強く伸ばされるのだった。
どうにか一命を取り留めたフレア、スピア、リースはその場でへたり込んでいた。
「ったく、無茶しやがってよぉ。俺の槍にワイヤーが仕込まれてなかったら、お前ら二人とも死んでたぞ?」
スピアは責めるような言葉を遣ったが、その言い回しは優しげだ。
「悪かったよ。まさかあんなに落ちるとは思わなかった」
「俺もまさかあんなに跳べるとも思わなかったけどな」
フレアが情けなくこぼすと、スピアは苦笑して乗っかってきた。
思わず、フレアも笑みを浮かべてしまう。
顔を見合わせて笑い合う二人に、リースは重々しく口を開いた。
「ごめんなさい。わたしが逃げ遅れたせいで……」
目を伏せて俯くリースに、フレアとスピアは首をぶんぶんと振ってそれを否定する。
「おいおいおいおい、参るなぁ。そういうんじゃねぇんだけどよ……」
「ああ、そうだぞ。気にするな。あの場にいたらオレでも落っこちてた」
そんな二人の気遣いに気づかないわけもなく、リースは「ありがとう、二人とも……」と小さくこぼした。
やがてそんな気遣いだらけの空気に嫌気が差したのか、スピアはよっこらせ、と実に年齢を感じさせる(と言ってもまだ三十そこらのはずだが)掛け声を上げて立ち上がった。
「……また崩れるかもしれんし、とっとと行こうや」
「そうだな。リースはともかく、スピアが落ちたら抱えて跳ぶなんて無理そうだしな」
「俺も兄ちゃんにお姫様だっこなんて、死んでもゴメンだ」
男同士のむさ苦しいお姫様だっこを想像してしまったのか、クスクス……と笑うリースが最後尾にして、フレアたちは一路、木々の合間へと潜り込んでゆく。
縦横無尽に伸びる枝葉を躱しながら、スピアはなんともなく訊く。
「で、兄ちゃんの故郷ってのはまだ着かねえのか」
その声はどこか楽しげだ。フレアはその理由もよく分からないまま素直に答える。
「さぁな。山道全て踏破したわけでもなし、ここが何処なのかもよく分からねぇよ」
「……そっか」
今度はどこか寂しげだ。その心情がフレアには理解できなかったので、直接訊くことにした。
「エルフの里に用でもあるのか? 人間の町に比べれば、ホントに何もない退屈なとこだぞ」
「何ィ!!」
言うと、スピアは激昂したように声を跳ね上げる。……が、それは何も本当に怒っているわけではなく、ただ単純に声がデカイから怒っているように見えるだけなのだが。
「お前は何も分かっちゃいねえぞ! 良いか、《エルフ》、あ、いや《妖精族》はなぁ……」
スピアは妖精族の蔑称を慌てて言い換えた。その気持ちがフレアには少し微笑ましく感じる。
「……俺の憧れなんだよ。俺の師匠のじいさんすら憧れてた異郷だぜ。世界最強の武術、龍騎道……その発祥の地が目の前にあるんだぜ。こちとらイヤでも血が滾るってモンよ!」
スピアは熱い瞳で語っていた。
フレアにとっては自分の親しんできた流派なので憧れるという感情はあまり理解できないのだが、そのように言われるとどうにもくすぐったい。
「……そうか。じゃ、期待してるぞ」
「応よ!」
結局、どのような想いを抱いていようと、この戦いは防衛戦なのだ。
勝たなければ死ぬ。勝たなければ滅ぶ。勝たなければ救われない。
そういう絶望と隣り合わせの局面なのだ。
だからこそ、プラスに転じるようなその思考は励みになるし、何より心強い。
だが、絶望というものは、そんなささやかな光で照らし出せるほど底の浅い闇ではない。
闇は気づけば世界を侵食し、足下を掬い取る。
こんなふうに。
「お待ちしておりました。サツキ様」
霧の向こうから現れたのは、傅いた少女だった。
金色の髪に、右目には眼帯、背格好はリースと同じくらいで、服装も近い。
黄色いシャツにシックな黒いプリーツスカート、太腿を包むハイソックスに腰から吊らされたナイフ。ナイフの柄からは鎖が揺れている。
リースと違うのはそのカラーバランスと眼帯と、ナイフから伸びる鎖くらいだろうか。
黄色い少女と茶色い少女。
いや、まだ違いがあった。
すっくと立ち上がった少女は、歓喜に震えた眼をしていた。
その眼は。
裏人格のリースよりももっと残酷な色をしている。
凶暴性を孕んだ色だ。狂気的で、驚喜的で、凶器的だ。
その眼は、リースだけを視ていた。
それ以外を映していない。
それ以外を認識していない。
それ以外の存在を、一切許容していない。
その視線に立ち塞がるようにしてフレアとスピアが双方、武器を構えた。
少女は、笑う。残酷に、冷酷に。
「アハ、サツキ様……。今お迎えに上がります。ヒヒヒ……」
その後ろで、リースは頭を押さえて、歯を食い縛っていた。
まるで、何かを思い出そうとしているかのように……。
・毎度毎度、ご無沙汰です。亘里です。
新人賞用の原稿は見事落選が決定したので公開してます。『劫火のフラム』というタイトルです。良かったら見てやってください。ぺこり。
・剣姫シリーズ三話目。
というかもうネタ切れ感満載です。
縛るとすぐにイっちゃうんです。あはん。
……それはともかく、ここら辺は大事なエピソードなのでじっくり書きたいなーという話。
一応六話目くらいで終わる予定。
そのあとはもう一個山場が来て完結です。いやー、長い。というか永い。
【retrograde:後退】
・名前とか
というかこの辺のネーミングは小学生の時に思いついたものなんで今見ると色々と被ってて大変です。
シークとアーク、リースとかあともう一人似た名前の人が今回も出てくるんですが(まだ名前は名乗ってないけど)、
こういうのは本当に良くないですね。かといって、今更変更するのも個人的にしっくりこなかったので勘弁してください。
あと、ホントにどうでもいい話だけど、フォーレス家の一族は名前の最後に必ず『ク』が付きます。マジでどうでもいい……。
・次回、リースの過去……?
もうすぐ明らかになりそうですね。
っていうか三年掛かったよ。ここまで書くのに……。というかもうすぐ四年かもしれない……。
文字数だけカウントすると、まだ文庫本二冊程度なのに……。
まあ、今はペースも上がってきてるし、来年中には文庫本三冊ぶんくらいの内容で完結できそうなので一安心です。
……あれ? もう四年経ってたかも……?
……全く、恐ろしい話ですよ。ふぅ。




