第十一章《精霊 -Seven Elements-》
《龍の血脈》と呼ばれる者たちがいる。
それは、数多の時代、数多の土地になぜか共通して伝わっている伝承の一つだ。
時代を切り開いた英雄たち、彼らには奇妙な符合点があるのだという。
その符合点とは、生まれながらに天才や神童と詠われている者が極端に多い、ということだ。
勿論、努力して名声を勝ち取った者だって少なくはない。だが、圧倒的に多いのは努力型ではなく天才型だ。
まず、彼らはあらゆる技能において先天的な才能を持っているということ。
一点だけではない。あらゆる能力が平均して高いというのだ。それも異常と言わざるを得ないほどに。
知力、体力、そして運さえも味方に付けるという圧倒的なハイスペック。
そして、彼らは必ずと言っていいほどに後世に名を残すということ。
それこそ、運命が味方しているとしか思えないタイミングでこの世に生を受け、時には戦場を駆け抜け、時には学会を賑わす。
また、必ずそれを達成しまう。不遇の死など遂げたりはしない。
神の落とし子などとも持てはやされたりもする。
ついには、彼らは人とは違う血が流れているのだ、などという噂まで流れ始めた。
人でなければ何だというのか。囁く人々はやがて龍の血を継いでいるのだ、と言った。
その証拠なのかどうかは不明だが、彼らの強い意志に反応するかのように、その瞳が赤く輝くそうだ。
《赤色の瞳》を持つ者が現れし時、古き時代は滅び、新たな時代が幕を上げる――
……そんな与太話があった。
その伝承は妖精族にも伝えられていた。
妖精にとって、龍は神聖な生き物だ。いや、もはや生き物という捉え方からして違う。
妖精たちは、龍を神の使いだと信じている。
神が世界を作り、神の使役する龍たちが世界を構成する元素を作り出した。そう伝えられている。
だから妖精族が操る武術にも龍の名が冠せられ、その技は神聖なものとされてきた。
神聖であるがゆえに、妖精は武を尊び、武は高められた。
そうして作られた武術は、世界に存在する全ての武術を越えた存在へと昇華された。
高き武は、神聖である。それが妖精の基本理念だ。
そして、エルフの里で最も神聖なのは長であり、また、ある意味でクレアこそが最も神聖であった。
神聖であるがゆえに、その力を無為に振るうことはなく、ゆえに、較べることも出来ず。
エルフの里で神聖なものは、長であるクォラル、そしてそれに匹敵する武を持つクレアだった。
《スカーレット・イリス》。
その正体が何であるかはフレアも知らない。恐らくはエルフの里にも正確には伝わっていないだろう。
だが、それに最も近しい人物をフレアは知っている。最もふさわしい人物を知っている。
フライヤがそうであるのなら、間違いなく、むしろ確実に、そうだ。
クレア=バーミリオンは《スカーレット・イリス》だ。
フレアはそう、確信するに至った。
――
フライヤとアークの戦いは拮抗していた。
フライヤは、ここ数日の不調を疑うほどの剣の冴えを見せ、アークのほうは今日初めて見せる格闘術を放つ。
間合いではフライヤが有利だが、アークはその攻撃のことごとくをあるいは弾き、あるいは受け止めて、いなしている。
フライヤの恐るべきものがその知性だとするなら、アークの恐るべきものは防御力だろう。
決定打は何一つとして受けていない。全てが弾かれ、受け止められている。
それは武術の技量もさることながら、何より凄まじいのは気功術のキレの良さだ。
その行動には無駄がないのだ。
厳選された動作だけで、防ぐ。余剰に消費するエネルギーは皆無。
その練度の高さは一朝一夕では決して身につかないものだ。
十年以上、いや、本来ならば数十年かけてようやく至れるであろう達人の域だ。
フレアなどとは較べるべくもない。
気功術の才能と、良い指導者と、適切な修行作法と、豊富な経験を積んでいる。
彼の技はそういう境地にある。
才能のないフレアには至れなかった域だ。
歯痒い思いと共に、フレアはその光景を見つめていた。
意識はとっくに復活している。身体ももう十分に動く。
なのに、動かす気にはなれない。
フレアは膝立ちで見つめているだけだった。
ふと見渡せば他の仲間たちも同じように立ち尽くしていた。
それほどにフライヤとアークの戦いは苛烈を極め、戦況は混沌としていた。
しばらくはただそれを傍観しているだけのフレアだったが、
「なぁ、フレア」
と声を掛けられたのでそちらを向いた。
そこにはリースがいた。
「顎は大丈夫なのか?」
フレアが訊くと、リースは恥ずかしそうに顔を赤らめて、
「こ、こんなのはなんでもない……」
とぼそぼそと呟くようにして答えた。
「そ、それよりだな!」
急に張り切った声を出したリースは咳払いをして言葉を続ける。
「アンタはどう見る? このまま観客でいるつもりか?」
「まさか」
フレアは苦笑して首を振る。
当然、このままでは終われない。終わってたまるか。フレアは脳内で吐き捨てる。
――悪いが、クレア以外のやつには、素直に負けを認めるつもりはないんだよ。
その様子を見ていたリースはなにやら苛立たしげに同意の意志を告げる。
「これは女の勘かね。なんか嫌な言葉が聞こえた気がした」
どういう意味かはさっぱり分からなかったフレアは曖昧に頷くと、ふと脳裏をよぎるものがあった。
「あれ……? 今、《裏》のほうのリースか?」
「今更気づく? はぁ……、なんかホント、アンタ苛つく」
話すほどにどんどんリースの機嫌が悪くなっていくので、フレアはちょっと困ってきた。
「最近あんまり見なかったし、よくよく考えると、こっち側とはちゃんと話したことないような……」
とフレアが言うと、リースはまたも赤くなった額に手を載っけてもんもんと考え事をしているようだった。
「……ま、機会はあとで出来るでしょ。今はそれどころじゃないしね」
「それもそうか……」
思うところもあるが、リースの言うことももっともなので視線を前へ向けた。
そこで、ジンが口を挟んでくる。
「よし、兄さんらも一緒にいくで! 俺ちっとも見せ場ないねんもん」
「知るかよ」
ジンのぼやきにフレアは溜息を返す。
「俺かて、ほんまは結構やるねんぞ」
「ああ、……知ってるよ」
軽口とは思いつつも、答えてしまうフレアだった。
しかし事実、彼の技量は高い。しかしどうにも運が悪いように思う。あるいは頭が悪いのか。
使いどころさえ間違わなければもう少し活躍できそうな腕なのだが……。
「相棒のピンチや。今こそ活躍せな!」
息巻いて失敗しないことを切に願わざるを得ない、とフレアは思った。
「何でも良いが、機は見誤るなよ」
現れたのはシークだ。すでにリロードも終えたらしく、いつも通りに剣を無造作な形で下ろしている。
そして再びの沈黙。
剣戟の音だけが激しく火花を散らせていた。
――
率直に言って。
アークは焦っていた。
ある程度の技量はあると分かっていた。
実際その程度の技量だったのは間違いなかった。
普通に戦えば負けるはずのない戦いだった。
ここで彼らに敗北を与え、フライヤには戦線を離脱してもらう。
そうなるはずだった。
しかし、ならば現在のこの状況は何なのか。
何故、倒せない。
何故、立ち上がる。
何故、攻撃が出来る。
何故、こうまで、苦しめられる。
力量差はあった。覆せないだけの策も練った。油断もなかった。
なのに、何故……。
焦り始める思考を、アークは持て余していた。
――いえ、ここは認識を改めるべきでは……?
……そうだ。
つまりこれはこういうことだ。
彼らは弱かったのではない。あるいは弱かったのだとしても今は違うのだ。
僅かなこの数分で、彼らは強くなってしまったのだ。
成長してしまったのだ。この数回の趨勢で。
覆しようのない力量差を埋めたのは、彼らの成長なのだ。
苗床に横たわるだけの新芽が、一晩で空へ枝葉を伸ばすが如く。
そして、その栄養を、経験を与えてしまったのはアークだ。
彼らを追い詰めたこと、それが引き金となり、彼らは急成長した。
アークの計算を上回るほどの速度で、レベルアップした。
そんなことは通常ならば、有り得ない。
そんな急成長を簡単に遂げられるのならば、誰も苛烈な修行に身をやつしたりはしない。
それを引き起こす要因があるとすれば、それは……。
彼らの心に起因するものだろう。
例えば、アークが彼女に憧れ、力を欲したように。
フライヤにも、フレアにも、リースにも、シークにも、ジンにも。
譲れない大切な想いがあり、それが彼らを強大な引力をもって引っ張り上げたのだ。
経験値の底上げをしたのだ。
上へ。遙かな高みへ。
強さを願う想いが彼らを後押ししている。
想いの強さは実際の強さにも影響を及ぼす。それもかなりの影響力をもって。
アークはそれを知っていた。身をもって知っていることだった。
だからこそ認識を改めよう。
彼らはアークの知っている彼らではないのだ。
別個の敵として、対峙しよう。アークはそう考えることにした。
そして。
敵を見据える。
迫り来るフライヤの剣。
それはかつて何度も受けたあの黒い剣と寸分狂わない一撃だった。
――やはり鋭い!
だが、所詮は何度も受けた一撃でもある。
かつては躱すことも出来なかった剣だが、今は避けることも容易い。
その一撃を躱し、背後へ抜けてゆくフライヤの影を、アークは視界の端で追う。
そして視界の外れ間際で、その影は動いた。
視界には映らずとも見える範囲内のフライヤの動きからその体勢は想定できる。
そしてそこからの繰り出される攻撃も、先読みできる。
振り向きざまに拳を振るい、その一撃を止め――
反撃を繰り出すことは、出来なかった。
フライヤは攻撃などしていなかった。
――フェイント……!?
やられた。そう思う間もなく、背後から迫り来る刃。
完全に虚を突かれた形で訪れる凶刃を、アークは躱すことが出来ない。
一撃目は頭を、二撃目は胴、三撃目は腕……、連撃はほぼ同時にヒットした。
そしてその連撃は四、五、六……と猛烈な勢いのまま続いてゆく。
視界に映る剣は、刀。
――ジンか!
連撃は十二回続いた。
「ホントはもうちょい続くんやけどな。簡易版"連星剣"や」
アークの正面で背を向いて立ち止まるジンが、訛った口調でそう言った。
長剣と小太刀による連撃は変幻自在でアークは回避はおろか受け止めることすら出来なかった。
――私は、油断していた、……のでしょうね。
アークは、嘲笑を浮かべる。
ジンの技量を低く見過ぎていた。そして彼の技を知らなかった。
"連星剣"と呼ばれる剣技は聞いたことがない。
それは極小的な一族のみに伝わる秘伝の一種なのだろう。
彼がそんな剣技を習得している可能性を考慮しなかったこと。
彼らを自分より弱いと見下していたこと。
そして何より、彼らの命を預け合う信頼関係を軽視していたこと。
それがアークの敗因だった。
刀剣による斬撃は気功術者にとっては打撃でしかない。
よって、ジンの自称簡易版"連星剣"とやらでも、アークは致命傷は負っていない。
気による攻撃でもあったため、疲労や消耗はある。だが、体勢を整え改めて対峙さえすれば勝機はあっただろう。
それが"二対一"の戦いであったなら。
だが、"彼ら"の連撃はこれで終わるわけがなかった。
振り返るまでもない。
背後からフレア、リース、シークがそれぞれに気の波動を放っている。
全てを食らえば、アークの気の防御すら貫いて致命傷を与えてくるだろう。
「仕方ありませんね……」
アークは迫る連撃を背後で感じながら、溜息を吐いた。
「貴方たちの頑張りに免じて、見せてあげましょう。私の"奥の手"を……」
アークは立ち尽くしていた。
フレア、リース、シークの剣が背中へと迫っていた。
「お、おい! 大将! まさか!?」
スピアが遠方で慌てているようだった。
――大丈夫。手加減はしますよ。……可能な限りはね。
アークは微笑を浮かべてみせる。
そして、拳を振りかぶり、二つの拳を正面で打ち鳴らす。
音と共に広がるのは巨大な気弾……のようでいて、実際はその性質を越えたものだ。
――"光砂の陣"!!
眩い光がアークの全身から放たれ、周囲を包み込んだ。
キィン、という甲高い金属音が響き渡り、灼きつくような白い光が世界の色すら奪い取る。
それは兵器に詳しい者なら閃光弾か何かだと思うのだろう。
だが、そうではない。何故なら光はアークの身体から放たれたうえ、倒れたフライヤたちはかなりのダメージを受けている。
殺傷力の無い閃光弾ではそんなことは出来ない。
それは通常、考え得る技術では不可能な技だった。
一人、スピアだけが技の射程外にいたため、そこへ駆けつけていた。
「大将! 軽々しく使うんじゃねえよ! そいつは……」
声を荒げるスピアに、アークは微笑を向けた。といっても身体の節々が悲鳴を上げているので苦笑めいた表情になってしまったが。
「分かっていますよ。私もここまで追い詰められるのは意外でした。これは彼らの頑張りに対するご褒美でもあるのですよ?」
「お前なぁ……」
尚も苦言を呈しようとするスピアに、アークはまぁまぁ、と宥めるように肩を叩く。
「それに、たまには使っておかないと、いざという時に錆びついてしまいますしね」
とアークが言うと、今度はスピアは呆れたように黙って肩を竦めただけだった。
――
……十年前。少年は死にかけていた。
突如ヴァルトニックに国を奪われ、レジスタンスとして抵抗を続けるもその行動も僅か三ヶ月で限界となった。
レジスタンスは散り散りになって逃げ去り、少年は一人、道端で倒れ伏していた。
ここへ来るまで随分と戦ってきた。
身体中の筋肉が悲鳴を上げ、身体のあちこちから血が滴り落ちていた。
まだ成長途中の身体ではもう、耐え切れそうにない。
死神の足音はすぐそこまで迫っていた。
少年にとって、死は怖いものではなかった。
怖いものは、そんなものではなく、敗北することだった。
守るべき者たちを守れず。果たすべき役割を果たせず。
志半ばで朽ち果てることが何よりも苦痛だった。
死にたくない死にたくない死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
何度も呟く。
死ぬわけにはいかないのだ。なのに身体はまっすぐにそちらへ向かおうとしている。
抗おうと腕を伸ばす。必死に地面を掴み、身体を前へ進める。
死神の鎌から逃れる咎人のように懸命に腕を動かし続ける。
匍匐の姿勢で前へと、進み続ける。
だが身体は次第に重くなる。
重力が増しているかのように、身体は動かなくなってゆく。
歯を食いしばり、地面を掴む。
身体は縛り付けられたかのように動かない。
やがて腕も固まってしまう。そして首が、目蓋が。次々に感覚をなくしてゆく。
――死ぬのか。こんなところで。
世界に神はいないのか。
救う神も、拾う神も、いないのか。
多くの人が苦しんでいる。悲しんでいる。
救いを求めているというのに。
救うことこそが自分の使命であるというのに。
死ぬのか。こんな訳の分からないところで。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
絶対に死にたくない。
神よ。もしいるなら救え。
お前が世界を救わないというのならそれでもいい。
慈悲などいらない。愛もいらない。
だが、自分を助けろ。それだけを果たせ。
神が世界を見捨てるのなら、それも構わない。
貴様が世界を救わないのなら、自分が救ってみせる。
貴様が見捨てる全てを自分が救ってみせよう。
だから助けろ。自分を助けろ……。
その祈りは届いたのか、そいつは現れてこう言った。
――痛快なり、人の子よ。……良いだろう。貴様を救ってやる。そして見せてみよ。全てが救われた世界とやらを……。
――
……アークとの戦闘から半日ほど経ち、再び集められたフレアたちは、そんなアークによる昔話を聞いていた。
「その時、私が身につけていたお守りが、皆様が今手元に持っている《それ》です」
そう言われ、フレアは今しがたマツリという秘書らしき女性に手渡されたそのお守りを眺めていた。
お守りというと、古今東西、世間には様々な形状の物があるが、そのお守りは指2本分くらいの大きさの鉄板に何かの模様が刻まれた形で、その鉄板を帯紐で身につけられるようにした感じのものだった。
材質は普通の鉄のようだ。だが、模様に何かしらの意味があるのなら、もしかしたら材質にも何らかの意味が込められているのかもしれない。
とはいえ、素人目には分からないような品だ。ただのよくあるお守り、といった風情だ。
妖精族に伝わるお守りと、大差はないように思える。だが、そもそもフレアは余所の文化をあまり知らないので、もしかしたら特殊な形なのだろうか、と思い、仲間たちへ視線を向けるも、その感想はフレアと同様のようで皆、訝しげな視線をお守りに注いでいた。
そこへアークの説明が入る。
「まぁ見ての通りでしょう。何の変哲もないただのお守りです。見た目だけは」
そしてアークは強調するように語気を強めた。
「ですが、これは勿論ただのお守りではありません」
視線がアークへと集まる。
「まだ確証があるわけではありませんが、精霊本人にも伺ったので確かなようです。このお守りこそが精霊との契約の証なのです」
「精霊の証、やと……?」
胡乱そうな眼差しのジンにアークは頷く。
「そう。この証こそが精霊との意思の疎通を可能とし、精霊との架け橋となります。そして精霊を呼び寄せ契約することが出来れば、先程私が使ったような《仙術》が扱えるようになります」
「《仙術》……。聞いたことあるな。妖精戦争で妖精たちの主戦力、《龍騎衆》が使ってたとか何とか……」
フレアの呟きにアークは感心したように首を縦に振る。
「ええ。そこはさすが妖精の末裔、と言っておきましょう。あまりに頭の巡りが悪いので少々心配してたところです」
少しムッとしつつも、さすがに空気を読んで、フレアは反論を控えた。
「ですが、その召喚にはかなりの障害がありましてね、早い話、かなり強い意志力が試されるようなのです。つまりは想いの強さですね。これが強ければ強いほど大きな影響力を持って響き渡り、相手に届く……ということです。問題なのはその強さがちょっと尋常じゃない、ということなのです」
「さっきアンタはお守りのことを『そいつに訊いた』って言ってなかったかい? そんな強い意志で頼むもんなのかねぇ」
フライヤが難癖をつけるようにしてアークを睨めつけていた。
「はっはっは……。そんな訳ないじゃないですか。必要なのは契約のときだけです。つまり初回の呼び出し時のみ、大出力の念波がいるんですよ。それこそ生きるか死ぬかの瀬戸際で発されるような強烈な想いが……」
それを聞きシークはやれやれ、と肩を竦めながら呻くようにして言う。
「まるでお伽噺だな。死の瀬戸際に現れる精霊、か。この飾りを持って死地へ臨め、そういうことか?」
するとアークはまるで談笑をするような軽いノリで、肯定した。
「ええ、そんなところです。そのお守りは皆さんに差し上げますので、ちょっと死んできてくれませんか?」
なんとも悪い冗談だ。
しかし考え直してみれば、もし死んだとしても、それを持ってさえいれば生き返れる、……ようなものなのかもしれない。
仮にそう考えればありがたい話でもある。フレアたちがこれから挑む相手は、これから挑む場所は、紛う事なき死地なのだから。
そこへリース(裏)が質問を投げかけてくる。
「こんなものがあるなら、軍の皆に渡しちゃえばいいのに」
もっともな話ではあるが、アークはそれに頭を振る。
「そう上手い話ばかりあるわけがないでしょう。これでもかなりのムリを通して間に合わせたんですよ? ここにいる人数分以上は用意できませんよ。準備にかなり時間が掛かるそうなのでね」
と、アークが返した。
考えてみればそれもそうだ。それが出来るならアークはとっくにやっていることだろう。《仙術》使いたちの軍勢が作れるのなら、高い金額を積んでまで武器を揃える必要すらない。
「と、まぁこれで用件のひとつは済みましたね」
アークは溜息をひとつ吐いて言う。
「あとは、皆さんに稽古をつけて差し上げましょう。率直に申し上げまして、弱すぎて話にならないのでね」
「何が話にならんや。後半ボロボロになっとったやないかい」
ジンが呆れるようにツッコむと、アークは、ニヤァ……と不気味な笑みを浮かべる。
「一対五の人数差で前半あれだけ苦戦することが既に論外だと、そう言っているんですよ。皆さん、……覚悟してくださいね」
そうしてそれから決戦へ向かうまでの二週間、アークによる陰湿なしごきが始まったのだった。
――
アークが課した特訓の数々は、人間の数倍の体力を持つフレアにとっても、かなりしんどいものだった。
しかし、それがきっかけで得られた教訓も多い。
例えば一つ。
フレアは妖精族なので人間とは違い、生まれつき気功術を会得していた。しかし、それは自転車で例えるならば乗り方を知っているというだけのものであって自在に乗りこなすとか早いスピードを出すといったことが出来るわけではないのだ。そこに生じる欺瞞がフレアを弱体化させていた。扱えることと使いこなすことは大いに違う。エネルギー的なロスも多く、気を一点に集中させる際もその密度にムラがあり、結果として溜めにも時間が無駄に掛かってしまう。
それらの欠点を直すため、改めて基礎から叩き込まれている訳だが、それがかなりの重労働となっていた。
なぜならフレアは既に百年以上同じやり方で続けてきたのだ。それを今更崩して最適化するのははっきり言って無茶もいいところだった。
神経を磨り減らすような修行と、肉体を磨り潰すような荒行に、フレアは心も体もボロ雑巾になったかのようだった。
その日もフレアは体中がギリギリと軋む音を聞きながら、中庭で横になっていた。
「ぐえー。もうダメだ……。死んでしまう……。せめて死ぬ前に雷館亭の黒蜜あんころ膳を八人前食いたかった……」
そんな泣き言を漏らしていると、隣に座る人影があった。
「……随分な量ね、それ。ちょっとは遠慮しなさいよ」
その声にフレアが軋む首を傾けると、そこにはリースがいた。目つきで分かるが裏のほうだ。
「よう。最近ずっと出てるな。どうかしたのか?」
フレアが訊ねると、リースは、「ん……」と少し考えるように空を眺めていた。
空は夕暮れ。雲はほとんどない晴れ空だ。
「バイオリズム……もあるのかもしれないけど、ここ1、2ヶ月の旅で疲れちゃったのかもしれない。あの子は優しすぎるから」
「……ふぅん。アンタはもう一人のリースの記憶を持ってるのか? 表のほうには無いらしかったけど」
「あたしにも良く分からないけど、たぶん、そういう役割なのよ、あたしたちは。あの子は日常担当で、あたしは戦闘担当。日常生活を送るのに戦闘の際の記憶はいらないでしょう?」
「そういうもんかね……?」
本人が分からないのなら、フレアにも判断はつかない。
けど……、とリースは続けた。
「いつかはきっと、あたしは必要なくなる。あの子にあたしは必要ないんだ。あの子に戦わせる必要なんてないんだ」
「だから……消えるのか」
言うと、リースはそのまましばらく黙っていた。
そしてそっと口を開いた。
「そのほうがあの子の為なんだよ」
「……そんなことないだろ」
と、フレアは思う。
少なくとも消えるべき命や死ぬべき人格があるとは思わない。
「あたしは本来生まれるべきではなかった存在。それが消えるのは必然でしょ? あの子にはこんな血塗れの、血みどろの生き方は似合わない。だからこの戦いが終わったら、あたしは消えるよ。だから、こうして話せるのも、もしかしたら最後かもね……」
好戦的な雰囲気だった裏リースが寂しげな顔を見せていた。
それは初めて見せる顔だった。
そして、フレアは一つのことを思い知った。
まだまだフレアはリースのことを知らない。知らなすぎるのだ。
彼女が何を思い、何を感じて生きているのか、フレアはそれを知らない。
こうして見せる表情はとても新鮮で、それは彼女という存在の深みを表しているのだろう。
「知らなかったな。リース、アンタそんな顔もするんだな」
そうしてリースを見つめていると、リースは恥ずかしそうに顔を背ける。
「あんまりじろじろ見るなよ……。表のほうと違って、あたしはあんまり可愛くないだろ? うまく笑えないし、愛想とか悪いし……」
「可愛くないって……、元は同じ顔だろ? それに……こうやって新しい一面が見られると嬉しいよ。なんだかリースに近づけたような気がしてさ」
フレアがそう言い、そっとリースの頬を撫でると、リースはぶわぁぁ、と顔を赤らめて逃げるように立ち上がった。
「も、もうっ! なんなんだよ! 調子狂うなぁ! と、とにかく、もしあたしが消えたら、そんときは表のを、よろしく頼むな! それだけっ! じゃな!」
言い終わると同時にダッシュで走り去るリースを見送りつつ、フレアもなんとか立ち上がろうとする。が、ビリビリギシギシ、と体中が軋んでしばらくその場をのたうち回ることになった。
――なんだか、リースのああいうの、どっかで見たことあるリアクションだったなぁ。どこだったかなぁ……
頭を捻って考えたフレアだったが、何も思いつかなかったのだった。
――
「くしゅん!」
エルフの里の守り手、クレアはくしゃみの拍子にずれてしまった材木を背負い直す。
――なんだか嫌な予感がする……。
フレアあたりが女の子を誘惑しているのだろうか。
――ああ見えて天然タラシのケがあるからなぁ。
ポニーテイルを揺らしながら、畔道をまっすぐに進む。
思えば、エルフの里でもケイトやアンナ、カタリーナあたりがその毒牙に掛かっていたような気がする。フレア本人には全くその気がないのに気づけば女子が口説き落とされているという恐るべき一級フラグ建築士なのだ、フレアという男は。
――まあ、私の場合も勘違いから始まった訳なんだけどさ……。
とはいえ。
あまり見過ごすべき事柄ではないだろう。
となれば早速、里長の元へ向かってあの言葉を言ってしまおうか。
――私も、……私も里の外へ行きたいっ!
外へ行って、フレアと一緒に冒険がしたい。もっとフレアの傍にいたい。もっとフレアに私を見せたい。
もっと。もっとっ。もっとっ!
……けれどそれは難しい。
エルフの里の決まりでは、監査役の条件は齢150以上でなければならない。クレアはまだ30才だ。
身体こそ人間で言えば17才くらいだが、人間の十倍近く生きる妖精族の中では、更に子供と呼ばれる年齢だ。
長の説得は、……さすがに難しいだろう。
他に堂々と里を脱出する手段はない。かといって勝手に飛び出すのも躊躇われる。里の守り手は人手不足なのだ。
役割が多いという意味ではなく、必要人数に達していないという意味だ。仕事そのものは特に苦があるわけではない。
フレアが抜けた穴を埋められる人材がないのだ。
そして欠員を残した状態で何らかの非常事態が起きた場合、対応が間に合わない可能性がある。
勿論、そんな事態が起こる可能性など万に一つもないのだが。
エルフの里の所在を知る者もいなければ、知ったところで襲う価値などない。なによりこんな人里離れた山の奥地に人が紛れ込む可能性などあるわけがないのだ。
だから人員の不足も、杞憂に過ぎない。
この嫌な予感も杞憂に過ぎない。
フレアが他の女の子を無意識に口説いてる可能性以外に、嫌なことなど起こる訳がない。
――何かが起こる訳なんてないのに……
気づけば守りを固めている。材木で壁を強化したり、木に登って周囲を警戒したりしている。
――フレアがいなくなって、寂しくなってるのかな……
だから、外に意識が向きすぎるあまりに警戒を強めてしまっているだけではないか。
誰かがこの警戒網に引っ掛かるとして、その対象がフレア以外であるはずがないのだ。
……しかしその予感は、最悪の形で結実することになる。
戦闘開始まで、あと十日。
第十一章
◆イリスカの補足
フレア視点での説明です。
◆フレ&リー
ようやくちらっと会話できました。
裏リースです。
性格&口調が三章と別人なのはご愛敬といいますか……
まじめに解説すると戦闘時ではなく、敵対もしていないため、ちょっと以前より大人しいです。
……というのは建前で、なんか書いてる僕の気分が変わりました。
何気に書き始めてからもう三年近く経つんですねぇ……
◆ジンがんばった
ちょっと格好良く書いてみました。
これが最後の見せ場にならないといいけど……
◆アーク視点バトル
前回引っ張っちゃったので今回決着です。
結局アーク強すぎ。
◆アークの過去
いずれきちんと書きたいですが、タイミングがあるのかなぁ……
◆精霊
お守りを持って生死の淵に立ち入ると精霊が現れ、契約を迫ります。
シークも言っていたとおり、ベタベタな設定です。
精霊契約によって得られる仙術の説明はいずれ詳しく書くと思います。
ちなみに精霊は全部で7体います。
なんらかの偶然か導きか、フレアたちのパーティメンバーと同じ数ですね。たまたまだと思うよ。
◆クレア再登場
久々すぎて別人です。誰だお前は。
◆最悪の形
大事なエピソードなのできっちりしっかり書き上げたいものです。
あと、一応書いておくとイリスカはハッピーエンドを目指しています。
途中に悲劇はあるかもしれませんが……




