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第十章《黒剣と黒拳 -Being to BLACK-》

 ――時間はわずかに遡る。

 それはフレアが会議室で右腕を握り潰された数分後の話になる。


 フレアたちにはそれぞれ待機するための客室が用意されるとのことらしく、フレアはジンの案内のもと、なんとか客室へ辿り着いたのだが、その部屋の扉には手紙が差し込まれていた。どういうことかと封を開けてみると、そこには目を疑いたくなるような内容が閉じ込められていた。

『――愛しのフレア君へ。一目見たときから貴男の六つに割れた腹筋にゾッコンでした。今宵は是非とも私とベッドの上で、時には上になり、時には下になり、技を錬磨しあいましょう。というかぶっちゃけ貴男が欲しいです。色よい返事を期待しています。つきましてはこの手紙を受け取ってからすぐに応接室へお越しくださいますようお願い致したく思います。草々。――アーク=ダイス』

「げぇええ……」

 本気なのかネタなのか、計り知れないというところが、あのアークという男の真の恐ろしさに違いない。

 フレアは溜息と共に手紙を千々に引き裂いた。

 向かいはジンの部屋だったらしく、そちらからはジンの怒鳴り声が聞こえた。

「あんの野郎ッ! フライヤは誰にも渡さんで! 愛ゆえにな!」

 手紙を千々に引き裂いているところを見ると、向こうもアークから何か言われたのだろうか。

「ジン。もしかして、あんたも……」

「なんや!? フレアもか! あんにゃろ、何股かけるつもりなんや!!」

「…………?」

 なにかツッコむところが違うような、……というよりこの男、どちらかというとボケ側に属する人間らしい。と今更になってフレアはなんとなく察したのだった。

「……応接室、な。……よし、フレア。剣の準備はええか? 開けると同時に斬り殺……いや、仕掛けるぞ。ええな?」

 応接室への道すがら、物騒な発言を隠しきれないジンと共に、来た道を戻ってゆく。応接室なら会議室から来る途中に見かけた覚えがあった。

 もちろんフレアが先導すれば迷うのは確定なので、先頭はジンだ。

 ジンはドタドタと足音を立てて早足で進んでゆく。フレアは小走りでそれについて行く形だ。

 そして、正面に扉が現れた。門扉には『応接室』と書かれていた。

 ジンはぴたりと壁に背中を押しつけたまま、ノブに手を掛ける。

 フレアは反対側の扉に、ジンの仕草を見様見真似して張り付き、同じように息を潜める。

(ええか。1、2の、3! でブチ殺……、やなくて突入するぞ。準備はええな? 行くで! 1……)

 という小声に、フレアはゴクリと唾を呑み込んで頷いて、剣の柄を堅く握った。

(2の……)

 ジンのドアノブを持つ手が引き締められる。

 そして……。

(3!)

 瞬時に回転したドアノブから、扉は一気に開かれ、部屋の様子が視界へ吸い込まれてゆく。

 その感覚のまま、部屋へ滑り込むフレアとジンだったが、その足取りはすぐに重く縫い止められてしまう。

 それは、アークが待ち受けていたから……ではなかった。

 それどころか、誰もいなかったのだ。

「……あ、あれ……?」

「…………? ……な、なん、やと……?」

 戸惑い、視界を巡らすフレアとジン。だが、その眼にはアークの姿が捉えられなかった。

「…………どういうことや……?」

 呆気にとられる二人だったが、その背後から声が届いた。

「……アークは、何処……?」

 そこにはやつれた様子のリースが。

 そして更に後ろには普段の数倍目つきの悪くなったシークがいた。

 その影からにゅっと現れたのはフライヤだ。こちらも目つきが随分と悪い。今ならばアークよりもフライヤのほうがテロリストのリーダーといった風貌だ。

「主賓の到着までに、段取りを考えておきましょうか。まずは初手で頭をくびり落とそうか……」

 フライヤの顔が醜悪に歪んでいた。それはもう楽しそうで、それはもう恐ろしいものだった。


 そして僅か十分後。

 屋敷の中庭に七人は集まっていた。中央にいるのはアークで、それを取り囲むように各々の得物を構える五人。

 スピアだけが傍観に徹していた。

 殺気すら混じるほどにそれぞれが裂帛の気を宿す。

 それをアークは悠々と見渡している。

 中庭は人気の少ない立地になっており、見物する聴衆などはいない。わずかに木々が風に揺れ、鳥たちだけがささやかにその存在を鳴き声で知らせる。

 初手、動いたのジンだ。もっとも我慢が苦手な男だ。手に持つのは二振りの刀。小太刀と呼ばれる短いものと、大陸刀と呼ばれる反りのない長剣。間合いの違う二つの剣は相手を惑わし、ペースを乱す。その剣を操る技量には、フレアも舌を巻いた。まだ見慣れていないその技を見逃すまいと、フレアは注意して観察していたが、アークはそれを瞬時に看破したのか、まず初撃の長剣を、サラシを巻いただけの拳で受け流す。そのまま、舞を踊るような流れる動作でジンの懐まで入り込み、小太刀の間合いすら封じる。ほぼゼロ射程まで近づかれ身動きの取れなくなったジンを、アークはまず右の肘打ちで鳩尾に一撃、加えて左手でショートアッパー。脳を揺さぶる人体急所である顎に強打し、そこで発生したジンの身体の硬直を、肘打ちを引く動作のままに首根っこを掴み背負い落とす。

 それだけの動作がほぼ同時に行われていた。

 これには五人共が戦慄した。

 だが、それも一瞬だ。次に動いたのはリースだ。ジンに倍するほどの速さで急接近したリースはナイフを鞘から引き抜き、瞬速の刺突を繰り出す。その一撃はアークの背後を、そして背負い投げ直後の隙を突いた最高の一撃だった。

 背後から肉薄してくる死の一撃を気づけるはずもなく、ましてや躱せる訳もなく、アークを仕留められる、……筈だった。

 しかし、アークは背中に目玉でも付いているのかの如く、その一撃を躱し、それどころか振り返りざまに膝を持ち上げる。その膝はリースの顔の真正面に突き立てられていた。リースの神速は初速からトップスピードへの、謂わば加速にこそ重点を置かれている。だからリースには急減速できるだけの技量はなかったし、何よりその心構えすらなかった。ぶつかると分かっていても、リースの加速した思考回路内で、ゆっくりと見えているその足を、リースは見ているだけしか出来なかった。見えることと躱せることは別だ。静止状態からなら相対的に同速度であっても躱せただろう。だが、リースに神速の速度が付加されていれば、それはもはや不可能だ。リースは加速した思考で顔にめり込む膝を、ただ憎らしく見つめるだけしか出来なかった。

「次」

 アークは機械的に告げ、視線はシークへと向けられる。

 僅かに視線を交差させた二人だったが、シークは銃剣を無造作に下ろしたまま走り始めた。そしてそのまま構えることなく走り続け、距離は剣の射程範囲にまで近づいた。そこまでに予備動作は一切ない。ただ走っているだけだ。にもかかわらず、シークが一歩踏み出した瞬間、

 斬撃がアークの頭部へ向かっていた。

 しかしその一撃すらアークは読み切っていたらしく、シークの斬撃はむなしく空を切った。

 そしてその無防備な体勢を、見逃すアークではなかった。

 一歩。

 深く切り込んだ左足に力が込められ、そこから腰の捻りを加えた正拳突きが放たれた。

 それを受けたシークは軽々と吹っ飛ぶ。しかしそれでも吹っ飛ばした武闘家アークの表情は晴れない。

 吹っ飛ばされたシークのほうは、地に足をつけた瞬間、錐揉み状態から脱出。改めて無造作に立ち上がった。

 受け止められていたのだ。アークの正拳突きは。

 その様子を見守るアーク。その後ろから現れたのは身の丈ほどの大剣。フレアの、不意を突いた一撃だった。

 頭部を狙った斬撃は、しかし屈むようにして躱され、フレアの視界の外側から足を掬う足払いが迫る。

 バランスが崩れる、と確信したフレアは踏ん張らずにそのまま第二撃を放つ。

 空中に跳ね上げられつつも振り上げた斬撃は、込められた力は無いに等しく、しかしその重量とアークに生じていた隙とが伴い、アークを押さえつけるには十分だった。

 一瞬とはいえ地面に縫い付けられたアークにシークが追い打ちを掛ける。

 一度失われた信頼とはいえ、そのコンビネーションはいざという時に現出する。それは心の奥底で、シークがフレアを信頼しているという裏付けでもあった。

 フレアの一撃を左腕で受け止めた体勢で、シークが放った気弾をアークはもう一方の右腕だけで受け止める。

 轟々と吹き荒れる爆風。尚もそれに踏み留まるアークに、フレアは感嘆の念を抱いた。

 だが、その風には殺傷力はない。あるのはバランスを崩すだけの風圧だけだ。

 そして、そこに畳み掛けるフレアとシーク。

 アークはその挟撃をまたも両腕だけで受け止めるように構えている。

 ――いくら何でもムチャだ!

 アークの無謀な試みにフレアは他人事ながらも肝を冷やした。

 そして、フレアはアークを敗北の海へ沈めるための剣を振るう。しかし……

 それ以上は剣がピクリとも動かないのだった。

 晒しを巻いただけの拳で、フレアの剣は受け止められていたのだ。

 それはシークのほうも同様だったようで、二人は一様に口元を歪める。

「合格点は差し上げましょう。ですが……、まだまだ甘い!」

 均衡は瞬時に崩れる。

 がくんと身体が揺られたかと思うと、フレアは攻撃をいなされ、鳩尾に右拳を打ち込まれる。

 肺の中の空気が一気に吐き出され、同時に視界も霞む。

 そんな中、シークも崩しからの跳び蹴りを顎に食らい、地に沈んでゆく。

 そして倒れ込む寸前、フレアは見た。

 眩く煌めく太陽。そこに指す一筋の影。

 稲妻の如く降り注ぐレイピア。

 即ち、フライヤの姿を。


――


 フライヤは空へ跳んでいた。

 切っ先はアークへ向けて、必殺の刺突を浴びせようと身構えていた。

 フレアとシークの連携はアークに大きな隙を作り出した。フレアとシークがやられた以上、おそらくこれ以上の隙は作れない。

 失敗は許されない。そういった状況だからこそ、この一撃は必ず当てる。これで仕留める。

 フライヤは、気の奔流を纏う。

 切っ先から全身を、気でくまなく包み込む。

 アークはというと、まだ気づいていない。少なくともフライヤへは一切の視線を送ることもない。

 フライヤは気を放った。後方へと。

 重力と、気の放出が莫大な推進力となり、落下中のフライヤを更に加速させる。

 全身が一本の"槍"と化す。

 巨人の振り下ろす大槍の如き刺突が、風切り音と共に地面へと突き刺さろうとしている。

 ――秘技"フォール・スピア"!!

 轟、と唸るその暴風纏う大槍へ、突如視線を向けたアーク。

 ――やっぱり、気づいてたか!!

 アークは右腕を振り上げた。

 そこでフライヤは一つのことに気づいた。

 ――グローブ……?

 上空から見るフライヤからは影となって見えなかった右腕にだけ、グローブが填められていた。

 ――受け止める気……!?

 状況から見て、そうとしか考えられない。

 上空に跳んだフライヤの死角で片腕にグローブを填め、次に来る一撃を防ごうとしている。

 だが、そう簡単には事は運ばないはずだ。この一撃は片腕で防げるようなレベルではない。

 素手で受けたならば、アークの右腕は今後使い物にはならなくなるほどのダメージを負う筈だ。グローブにどの程度の防御力があるのかは知らないが、それでも骨の一本や二本は間違いなくへし折れる。

 しかし、

「そう来ると思ってましたよ」

 ガキン! と激しい衝突音を響かせ、フライヤの一撃をアークは受け止めていた。

 なんで、と狼狽えている時間などない。戦闘は攻防を繰り返す。それを瞬時に切り替えねば戦場では死ぬだけだ。

 だが、気を放った直後、ましてや空中では瞬時に身動きなど取れない。

 アークは、フライヤの動向を観察するように見つめる。その顔色には落胆の気配が色濃く滲み出ていた。

「貴女は実につまらない……。つまらない女性になってしまった。"黒鴉の審判"、"黒剣"とまで呼ばれた貴女は何処へ……?」

 そして、拳を弾き、フライヤは空へと舞い上げられる。

「私は貴女を認めていた。……憧れてすらいたのに……、今はひたすらに……失望ですよ。無念極まりない。誰よりも強く、誰よりも美しく、誰よりも誇り高かった貴女は何処へ行ったのですか?」

 着地し、剣を構えるも、アークは攻撃の兆しを見せない。

 彼の言い分にも心当たりがなく、フライヤはじっと身構えるしか出来なかった。

「貴女は先程、言ってましたよね……? 何者にも支配されない、とかなんとか。あれって、もしかして私を馬鹿にしてるんですか?」

「……?」

 アークの様子がおかしい。まるでフライヤをかねてから知っていたかのような言い回しだ。

 いや、耳慣れぬ"黒剣"という言葉。そして依然から数回、昔のフライヤを知っているかのような口振り。

 フライヤにはジンの隣で目を覚ますまでの記憶がない。そしてそれからの人生で黒剣などと名乗った覚えはない。

 つまり考えられるのは、彼は記憶をなくす前のフライヤを知っているか、あるいはそれは勘違いで彼の言うフライヤとここにいるフライヤは別人物なのか、ということだ。

「自由……? 支配からの脱却……? 笑わせないでください。貴女のそれは、ただの逃避です」

 アークの言動からは憤りが感じられる。今までの応対では常に微笑を欠かさなかった男が、そんな余裕も見せずにひたすらフライヤを睨み続けている。

「逃げているだけなんですよ。過去から、記憶から、故郷から、家族から」

 言っている意味が分からない。

 逃げている? 過去から? 違う。フライヤは過去を求めている。求めるが故に痛みを知った。

 自らを肯定するための記憶がないフライヤは、自らを肯定できないということに痛みを覚えた。圧倒的な痛覚の刺激を受けた。

 筈なのに……。その筈なのに……。

 フライヤは反論を返せない。

 なぜか、それが正論のように感じている自分がいた。言われて当然のことを言われている気がしていた。確信を突かれている心地がした。

「貴女は逃げた。国から。立場から。家族から。宿命から。それを自由のためなどというのは、正直片腹痛い思いです」

 意味が分からない。……筈なのに、申し訳ない、という思いが沸き起こってゆく。

 胸の中がざわつき、頭の中をまさぐられるような不快感が駆け抜けてゆく。

 フライヤの体内を駆け巡っているのは言葉だ。

 フライヤには身に覚えのない言葉。覚えのない、筈の言葉。

「言い逃れしたいのですか? それなら簡単ですよ。貴女の知識を示してくれればそれだけでいいのです」

 その言に、フライヤは顔を上げた。

 『逃げられる』、そんな期待が胸に浮かんだ。

「貴女は記憶を取り戻すため、恐らく地図を広げましたね。それは正しい選択です。ですが、問題です」

 フライヤはそれを聞き、頷いた。

「サウザンガス大陸について、貴女はどれほどの知識を持っていますか?」

 フライヤは脳内の情報を漁っていた。

 そこから導き出された知識は……

「サウザンガス大陸はこの惑星に位置する四大地域のひとつで南部に存在する大陸の一つ……」

「それくらいなら子供でも知っています。で?」

 アークが再び微笑を伴って、詰めかける。

「それで、荒野地帯が広がってて……、それで…………」

 フライヤは頭が真っ白になっていた。

 フライヤは記憶を失い、多くの知識を求め、本を読み漁った。言ったことのない地域でも、空で大雑把な地図は思い浮かべられる。

 どこへ旅に出ても迷わない、それくらいの自信はあった。勿論それは大げさではあるが、大きな街が近くにあればそこから推察して目的地の場所をなんとなく推測できる程度の知識はあった。その程度の地図が脳内に記憶されている。今までならそう断言できた。

 なのに……真っ白だ。

 サウザンガス大陸の地図を、フライヤは見たことがなかった。

 その知識だけがぽっかりと空白になっている。

 だが、それは何故だ。

「なぜ貴女は記憶を求めているはずなのにサウザンガス大陸に関する知識だけ持っていないのですか?」

 何故だ。分からない。

 だが、今までの記憶でもその地域の情報だけは何故かなんとなく避けていたように思う。それもほぼ無意識的に。

 知る必要があったにも関わらず、フライヤは知ろうとしていなかった。

 いや、もしかしたら本当は……。

「……質問を変えましょうか。博識な貴女なら当然知っていることでしょう。《スカーレット・イリス》のことです」

 スカーレット・イリス……?

 やはりフライヤには聞き覚えがなかった。

「何のこと……?」

 言うと、アークは明らかに嘆息しながら答える。

「やはりこれも知らない。……いや、知ろうとしなかった、ということですね。やはり嘆かわしいと言いますか何と言いますか……」

 アークはわざとらしく肩を竦めてみせる。

「何も覚えていないのですね。……いや、全て忘れて、そのまま『なかったこと』にしようといている。私はね、残念なんですよ正直。昔の貴女は本当に強かった。そして頭が良くて、気高くて、……美しかった」

 アークは詠うように空を見やり、両手を広げる。

 が、その手をぱたん、と下ろしてしまう。

「貴女に助け船を出すようで気は進みませんが、まぁそこは良しとしましょう。いいですか? 貴女はサウザンガス大陸のとある国で暮らしていました。そして貴女はスカーレット・イリスと呼ばれる、選ばれた人間だったのですよ。だからこそ強く、頭も良く、だからこそ私は憧れもしたわけですが、まぁそれは余談ですかね。そして貴女は故郷を去り、いつしか記憶まで失った。あるいは失おうとしたのでしょうね。そして今尚失ったままでいようとしている。私はそれが我慢ならないのですよ。全てを捨てて逃げ去って、今尚それを改めず、それでもまだ逃避し続けるためだけに戦っている……。そんな目的意識が低い貴女を、私は戦場で信頼できません。……だって、どうせ逃げるのでしょう? 私は過去の貴女を知っています。あのときの落胆を今でも思い出すことが出来ます。貴女は逃げますよ。自由のため、などという戯言を抜かしてね。断言しましょう。次の作戦、エルフの里防衛戦に貴女が参加した場合、窮地に陥った貴女が戦線を去ります。そしてそこに空いた穴をヴァルトニックに突かれ、我々は全滅します。生き残れるのは、無様に逃げ去った貴女だけ……」

「……わ、私は……」

「はっきりいいましょうか。私は貴女を信用できません。エルフの血を継ぐフレア君よりも、エルフを憎むシーク君よりも、人格の分裂しているリース君よりも、何だか頼りなさそうで訛りも取れないジン君よりも、貴女が一番弱い。貴女が一番未熟です。今回の茶番も半分くらいは私の趣味でしたが、もう半分は貴女のためだったんですよ。貴女をここに置き去りにするためのね」

 そこまで言うと、アークはグローブを両手に填める。

 そして拳を打ち鳴らし、臨戦態勢へと突入する。

 フライヤはというと、後退りしながら、冷や汗を掻いていた。

 このままでは負ける。フライヤはそう確信していた。

 そして負ければ言い分通り、フライヤだけ牢にでも入れられるのだろう。

 皆とは離ればなれになる。ジンとも……。

 ……それは。

 ――嫌だ。

 フライヤは首を振る。


 記憶を失ってから、フライヤが目を覚ましてから、ジンとはいつも一緒にいた。

 目を覚ましてばかりの頃は、ジンが傍にいないと眠ることすら怖くて出来なかった。

 独りは怖いのだ。だから仲間を作る。多少強引な手段を使ってでも。

「ああ、安心してください。話し相手くらいは用意しますよ。マツリというのがおりましてね、あれでなかなか気の付く優秀な部下なんですよ」

 話し相手……? 違う。それは違う。

 だから、

「要らない」

「そうですか……。残念です」

 アークはがっくりと肩を落とす。

 フライヤにとって、ジンは単なる話し相手ではないのだ。

 フライヤにとってはもう、半身に近い。

 いなければ駄目だし、いなくてはならないのだ。

 ジンがいてフライヤは初めてフライヤになれる。フライヤでいられる。

 彼がいて初めて強気な態度も取れるし、生き生きと過ごせるのだ。

 彼がいるから、フライヤは不敵に笑えるのだ。

 彼がいなければ、フライヤは今尚ベッドで蹲り続ける蛹みたいな存在に成り下がってしまう。

 彼がいない生活など、考えたくもない。

 そんな人生は真っ平ゴメンだ。

 フライヤは剣を抜いた。

 細い銀の装飾の付いたレイピア。

 敵を刺し貫き、射殺すためだけの武器。

 対するアークは、拳。

 自らの肉体をより強く相手に叩きつけるためだけの武器。

「貴女が何をどうしようと、これは決定事項です。覆しません。貴女にはここに留まって頂きます。最悪、屍体にしてでも、ね」

 フライヤは剣を水平に構える。

 切っ先は勿論アークの脳天へ向けて。

「あたしは自由に生きる。邪魔をするならアンタだろうと神サマだろうと容赦しないよ」

 そして、両者は対峙し、衝突する。


――


 ノザニア大陸中央部、ノザニア連合書記長、ブラハム=ゴルドルアーは庶務室という札の付いた部屋で書類を眺めていた。

 内容はエルフの里防衛戦に関する資料だ。

 そこには何故かエルフの里がどういった場所なのか、という大まかな説明と配置図。そしてヴァルト軍の現在の配備状況、そして今後の配備予測までが描かれている。

 これらの詳細な資料はアークが密偵に探らせたものらしく、中には目を疑うような報告も少なくない。

 ブラハムにとって、エルフ、つまり妖精族が生存していたという報告の時点で既に付いて行けていない。

 そしてそこを故郷としているフレアという名の青年も、同じく妖精族であるという事実も、信じがたい。

 アークが寄越す情報というのは、以前からぶっ飛んだ内容が多く、今までも随分と疑って掛かったものだ。

 しかし不思議とその情報は間違っていた例しがなかった。全てが綿密な調査の元、割り出された真実なのだ。

 故にこれも真実……。とはいえ。

 ――嘘クセェ……。

 ブラハムは嘆息する。

 毎度毎度、どうしてこうも簡単に信じられないような報告ばかり渡すのだろうか。まるでこちらを試しているみたいだ。

 そういう節も、今までなかったわけではない。

 そうやって篩に掛けた結果、今ここにいる面子を取捨選択したのだろうが、正直な話、少々のことでは動じない男だと思って生きてきたブラハムには、アークという男は規格外に過ぎると思っている。

 まるで今まで信じてきた経験の全てが、アークによって塗り替えられてしまうようだ。

 それがブラハムにはどうしても歯痒く、だが同時に楽しくもあるのだ。

 アークという人間はブラハムが今まで見てきた人間とは違う。

 彼との付き合いはブラハムに新鮮な経験を与えてくれる。

 まるで若返ったかのような心地を感じさせてくれるのだ。

 なので結局、ズルズルと関係を続けている。我ながら呆れて物も言えない。

 ブラハムは肩を竦めて、改めて書類と向き直る。

 見たところ、ヴァルト軍はエルフの里の西、南、東の三方向に軍を配備しているらしい。

 ヴァルト軍の本拠地は南部大陸サウザンガスにあるのだから、そこから距離的に遠い北側は捨て、三方向から挟み込むつもりなのだろう。

 装備はミサイルのような大型のものはなく、手持ちの銃器がメインのようだ。あとは火炎放射器や焼夷手榴弾などの家屋を焼き討ちするための装備。

 そしてあろうことか四天王の配備とヴァルトニック本人の出撃、と書かれている。

 ヴァルト軍の軍隊には通常兵と呼ばれる兵たちがいて、その上に黒服兵と呼ばれる戦闘に特化した者たちがいる。黒服たちはまがりなりにも気功術を使えるので一般人では太刀打ちも出来ないレベルになる。更にその上に黒服将兵という者たちがいて、彼らは気功術のエキスパートだ。きちんと国に勤めていたなら大隊長~将軍クラスに値する強者だ。そしてその黒服将兵の中でも抜きん出た四人の実力者が四天王。時代が時代であれば英雄と称されてもおかしくない戦果をあげた者たちだ。そして多大な戦禍を引き起こした殺人鬼たちでもある。

 そしてそんな彼らすら凌ぐと言われるのがヴァルトニック、ヴァルト社社長の男だ。その戦力は未知数。計り知れない。

 そんな連中が徒党を組んで一カ所にいるというのだ。ブラハムは背筋に寒気が走る。

 ――可能な限りの戦術を考えておかねばな……。

 ブラハムはひたすらに思考を巡らせた。そうしなけれな恐怖に呑み込まれてしまいそうだったからだ。

 そんな彼の隣で、呟く声が一つ。

「……そろそろですかね」

 そう言い、立ち上がったのはマツリと呼ばれる女性だ。

 ピンク色の癖の強そうな髪を短めに切り揃えた細身の外見で、ダークブラウンのスーツを身につけている。スーツの下もスカートではないので、麗人のような印象を見る者に与える。

 ブラハムとは話したことが数回ある程度で、アークと比べるとあまり勝手が分からない相手である。

「……どうかしたのか?」

 ブラハムが訊ねると、ええ、と簡潔な答えが返ってきた。疑問を抱いたブラハムがしばらく見ているとマツリは、

「……いえ、実はアークに渡さなければならないものがありまして、そろそろ指定された時間になりますので」

 と告げる。

「なるほど……。今度はどんな物騒な代物なのかねぇ……」

 ブラハムが愚痴っぽく言うと、マツリはやはり淡々とした答えを返してくる。

「……いえ、アークからはおまじないのようなものだと、伺っております」

 ――おまじない……?

 それはアークらしくないように思える。

 しかし、そう思わせることもアークの目論見の一つであるとしたら、あるいは重要な意味を持つのかもしれない。

 だが、もしもそこまで勘ぐらせることまでが目論見であった場合……。

 ――メンドクセェな……。

 結局、ブラハムはその件に関しての思考を棚に上げた。

 今やるべき事は、そちらではない。

 部屋を出て行くマツリを視界の端で見届け、ブラハムは書類へと視線を落とした。


――


 エルフの里、南西、平野部――。

 急拵えの建造物が町を形作っていた。

 市壁の中にプレハブ小屋が数軒あり、その一つの屋上に彼は立っていた。

「社長、東・西・南拠点、共に順調とのことです。予定通り来月の半ばには侵攻できるかと」

「……ご苦労」

「はっ」

 彼は背後の部下に一瞥もせずにそう済ませると、眼下に広がる光景をただじっと見つめていた。

 彼は羽織っていた灰色のコートから無線機を取り出した。

「そっちは行けそうか?」

 彼がそう言うと、無線機から返事が返ってくる。

『社長~、あと3週間も待機なんてくたびれちまうゼ。なぁ、近くで遊んできても良いか? 最近血を浴びてなくてサ~』

「今は殺すな。準備がないんだ。もったいない」

 無線機から返ってくる陽気な声に、彼はたしなめるように告げる。

『ちぇ~、りょ~かいですよ』

「他の奴らにも言っておけよ。ほどほどにしろと」

『ハイハイ、わぁかってますよ~!』

 無線機から別の声が届く。向こうは一人ではないらしい。

『ほら、だから言ったじゃないか。社長はお気に召さないだろうって』

『何だヨ。偉そうに言いやがって。ああ早くシークと戦いたいゼ! ほらお前ら! とっとと準備しろヨ!!』

 直後、無線の向こうから数発の銃声と悲鳴が聞こえた。

 彼は溜息を吐いて、無線へ言う。

「悪いな。もう少しだけ待ってもらうぞ」

『ええ、面倒な馬鹿が一匹いますが、こちらは何とかします。それでは失礼致します』

 無線機を再びポケットへしまい、彼はまた遠方へ視線を移す。

「気持ちは分からんでもないよ。俺も胸を駆け巡るこの気持ちをうまく飼い慣らせない。ルテ……、もうすぐだ。もうすぐ奴らに引導を渡せる……」


 ……戦闘開始まで、あと二十一日。

◆ちょっと振り返ってすぐバトル

あらすじっぽいものを書くのはいつものクセです。

視点を変更してあるので新鮮味はあるかと思います。


◆アークさん強すぎ

今後の修行フラグとして、とりあえずフルボッコにしていただきました。


◆アー&フラ

ちょっと唐突だった感もあるアークとフライヤの因縁。

この話は今後しっかり書かれると思います。


◆《スカーレット・イリス》

ようやっと出てきました。表題のイリスカです。

ここでは片鱗しか出てきませんが……

一応言っておくと、四部仕立ての一部目になりますので、ここではあくまでも表面をなぞる程度しか出てきません。


◆マツリさん

美人秘書マツリさん。

彼女の話もいずれ詳しくやるかと思われます。


◆ヴァルトニック初登場

ようやく出てきました。ヴァルトさんです。ラスボスです。たぶん。

伏線を張ったり張らなかったり。

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