第九章《昴を戴いた男 -Ark=Dice-》
意識は暗闇に沈んでいた。
暗闇の淵で、少女の声が聞こえる。
『私、もう疲れちゃったよ……』
そうかい、と彼女は答えた。それは少女の頭を撫でるような優しい響きをはらんだ声だった。
仕方ないことだと、彼女は考えていた。この少女には、もう支えきれないほどの、処理しきれないほどの現実が突きつけられていたのだから。だから、困憊するのもしょげてしまうのも致し方ないことなのだろうと思う。
そんな少女のために、何が出来るだろうか。彼女は自身に問うた。
考え、思考し、思案を重ね、熟考し、出る答えはやはり一つだ。
「アタシが肩代わりしてやるよ」
彼女はそう答えた。
その視線の先に蹲る少女が居る。自分と全く同じ姿をした少女を見て、決意を固める。
この少女を守るのだ。それこそが自分の生きる意味なのだ。
やがて、意識は現実へと戻る。
冷たい石床に身体は随分と冷やされていた。彼女はゆっくりと身体を起こす。視界は石床から石壁、そして正面には鉄の格子が屹立していた。
いつもの少女ならば、あるいは怯えを抱いたかもしれないが、彼女にはそういった感情が芽生えることはなかった。
そして周囲を見渡して、確認した。
苛立たしげに鉄格子を睨めつけるジンに、どこか心ここに在らずといった感じのフライヤ、落ち着かない視線を巡らせているフレア、それぞれじっと座ったまま何事か考えている様子のシークとスピア。
不思議と心が落ち着くのを感じる彼女だったのだが、それが顔に出ることはなく、鋭い目を一通り辺りに向けた後、再び思考の渦へと飛び込むのだった。
――もう、あの子は限界に近い。アタシが代わりに片づけないと……。
そうして彼女は、リースに成り代わった。
リースが悪い目つきをしていようと、鋭い気配を発していようと、このような非常事態において、それに気づく者は一人もいない。
少女の姿をした彼女は、沈黙したままことのなりゆきを待つことにした。
それは来たるべき時へ備えてのことだった。
――
「お初にお目にかかります。私はアーク、アーク=ダイスと申します。以後お見知りおきを」
アークは恭しくお辞儀をするが、それを受けるフレアたちは思い思いに不愉快そうな顔立ちを見せる。
「おやおや、どうしたと言うんですか? まだ何の話もしていませんよ?」
そんなことを口走るアークに対し、フライヤが我慢の限界といった表情で反論した。
「人を牢屋に押し込んでおいて言うセリフとは思えないね」
フライヤは憎々しげに、目前で立ち塞がる鉄柵を叩く。鈍い音が床、壁共に石で造られた回廊に響き渡る。
フレア、リース、シーク、ジン、フライヤ、スピアは一つの大きな牢に一緒くたになって押し込まれていた。脱獄を警戒する気はないようだ。あるいは一時的に入れているだけということなのだろうか。まぁこれから別途個別の牢に送り込むという可能性もゼロではないのだが。
「まぁまぁ。細かいことはお気になさらず。いつも通りごゆるりと過ごしていただいて構いませんよ」
「んなとこでゆるりと過ごせるかい、ボケ」
ジンが恨み言を呟くと、アークは楽しそうに微笑を浮かべる。
その挑発に、ジンは苛立ち、鉄柵をメチャメチャに蹴りつける。
「こんにゃろっ!!」
「落ち着け。こいつは分かっててやってるんだぞ?」
そういうスピアは随分と落ち着いていた。
その様子を見て、フレアは尋ねた。
「なぁスピア。やっぱりこいつが……」
言い終わる前に、アークは言い放った。
「ええ。私が犯罪組織、あるいはテロリスト、《明星》のリーダーです。サイン欲しいですか?」
「要らねえよ。で? これは一体何なんだ? オレたちを捕まえてどうするっていうんだ?」
言うと、アークはくるりと背を向けた。ジャケットの背中には大陸文字で《昴》という文字が書かれている。意味は、宇宙の中央……だっただろうか。《明星》と合わせて、宇宙に関する言葉だ。その意味は……
「宇宙そのものに意味はありませんよ」
アークはその推測を呼んでいたかのように続ける。
「中央。そちらが大事でして。我々は世界を照らす光となる、あるいは光そのものを作り上げる。そのための組織です。まぁヴァルトニックの支配を逃れるという意味では、テロリズムの一環であるのは間違いないでしょう。ですが、貴方たちが人知れずヴァルトニックと戦おうとしていることも知っています。ですから私たちは共通の目的があるのですよ。だから協力関係になりましょう。そう言いたいのです。何も悪い話ではないでしょう?」
その言葉には一考の価値がある気がし、フレアはしばし黙っていたのだが、フライヤは頭を振った。
「あり得ない。論外よ」
「どうして?」
アークは意外そうに肩をすくめる。対して、フライヤは当然であるかのように告げる。
「あたしは誰の支配下にも置かれない。あたしの支配権はあたし以外に渡さない」
「結構ですよ。元より支配するつもりはありませんし。出来るとも思ってません。大事なのは協力関係。それだけですよ。だって目的は一緒なのですから」
アークは再び笑顔を向ける。内心を読ませない嘘くさい笑顔。だが、不信感を募らせる一同に観念したのか、その表情を消し、無表情となる。
「これだけは断言しておきましょう。我々、明星はヴァルトニックを壊滅させるための組織です。私たちの目的は彼らの支配からの脱却です」
その言葉は強い重みを負って放たれた。嘘とは思えない。演技にも見えない。彼の真剣さが滲み出ているようだった。フライヤも押し黙り、先程から一言も発していないシークも悔しげではあるが、反論はないらしい。
「私が貴方がたに求めるのは協力……、もっと言ってしまえば情報の共有だけです。こちらは作戦内容を全面的にお知らせしましょう。それを利用してくださって結構です。我々を捨て駒にするのも結構ですし。勿論協力してもらっても結構です。ですが、ただ一点だけ、守っていただきたいことがあります」
「それは……?」
フライヤは慎重に尋ねる。
アークの口ぶりからは、先行きは全く読めないフレアだったが、彼が何を要求してきてもおかしくない人物だというのは今までのやりとりだけでも十分に分かった。
一同は緊張した面持ちでその先の言葉を待つ。
「ええ。事後処理は全て我々に一任していただきます。これだけは譲れません」
それはあまりに恐ろしい話だった。
アークや明星が組織として強大な力を持っていることは分かっているのだ。事後処理、というのはヴァルトニックがいなくなった後の政治的なやりとり全てを指していると思われる。それはひとえに明星が政府となって新政権を執り行うということになるのだろう。それだけのことを任せていいものだろうか。などとフレアが考えているうちに、フライヤは返事を返してしまう。
「構わないけど」
「ええっ!?」
フレアとジン、そしてリースが驚きの声を上げた。
「何言ってんの? あたしたちが後始末なんて出来るわけないでしょ? そんなもんはやりたい奴にやらせればいいのよ」
そんなことでいいのだろうか。つい先日、妖精が政治的後始末をしていなかった件について、シークから言及されたばかりだというのに、これでいいのか。しかし、シークも異論はなさそうだった。それどころか、
「やっぱりあの噂は本当だったのか……」
などと言っていた。
「噂……?」
フレアの疑問にアークがいち早く答える。
「さすがに耳が早いですね。ではもう来てもらいましょうか。どうぞー」
言うとぞろぞろと、現れたのは護衛と思われる屈強な男たちとそれに囲まれて現れた中年の男たちだった。要人風の者が十名ほどと護衛風の者が二十名ほどのちょっとした大所帯だった。
ほとんどはフレアの見たことのない者たちだったが、一人だけ見知った顔がいた。
サニー・ガーデンの市長、ラミアス=クーベルトだった。
ということはこの面子はもしかすると……。
「国家連盟、ってやつか……?」
ジンの問いは的を射ていたらしく、
彼らは一様に頷きを返した。
「これだけの面子がいれば、事後処理はなんとかなるでしょう。とまぁこんな理由で格子が必要だったのですよ。ラミアスさんから忠告を頂きましてね……?」
以前、フライヤがラミアスに剣を向けたことが、この状況の原因だったらしい。フレアは、恨めしく思ってフライヤを見たのだが、その表情はどこか上の空で、少し肩透かしを受けた気分がした。
そしてそこから、如何にヴァルトニックを倒すのかの話し合いをするため、アークは扉の鍵を開け放った。
――
数分後、移動した一同は会議室に集まっていた。
「さて、ではどのように打倒ヴァルトニックを実現しましょうか。何か案はありますか?」
アークが丸眼鏡を指で持ち上げながら、問いかけた。
アークの正面には大きな机があり、そこに各国の要人がそれぞれ座っており、更にその要人の護衛たちが背後に付き従っている。
十人の要人が対面する形で椅子につき、アークの正面にはフレアたちが立ち尽くしていた。
椅子はフレアたちには用意されていないらしい。それどころか手と足には枷がつけられている。扱いにはかなりの差があり、ジンなどが不満顔ではあったが、今更不平を言う者はいなかった。
アークの問いに一同は静まり、それぞれが思案に耽る中、一人動きを見せた者がいた。
黒髭を生やした壮年の大男だった。豪放磊落を絵に描いたような外見で、老獪な見た目の割に、声には渋みと張りが混在していた。
「どのような形を取るにせよ、まず、戦力の増強が不可欠であろうな。人員はともかくとして、十分な武装が出来ない」
その言に要人たちは揃って頷く。
「また、その武装をヴァルト社に頼るというのも危険だという意見も多い。とはいえ、これは現状打つ手がないだろうな。ヴァルト社以外で十分な数の兵器を揃えるのは至難だ」
黒髭の男がそこまで話すと、急に割り込んでくる者がいた。金髪に眼鏡をかけた線の細い男だった。
「そうは言いますが、こんな話もありますよ。どこかのテロリスト共が武器・兵器を集めすぎてヴァルト社に忠告を受けたらしい。再三の忠告を無視したそのテロリストたちはヴァルト社の軍隊から猛攻撃を受けて壊滅しました。このことからも分かるようにヴァルト社から軍備を調達しようとするのは危険すぎます。大体、これから戦おうという相手に今からしっぽを振るような真似は許されません!」
その発言で会議は一気にヒートアップしてしまう。
「じゃあ、どうやって戦力をかき集めるんだ! 今から造るつもりか!?」
「そんなことをしている間に何人の人間が死ぬと思ってるんだ!!」
「手がないわけじゃない! 各地で少量ずつ買い集めればそれでも十分な数は揃えられるはずだ!」
「それこそ時間を浪費する行為だ! 大体貴様の国は……」
議論は過熱し、いよいよ口論へ発展しようかというところ、そんな言い合いをものともしない大音声がこだました。
「喝ッ!!」
黒髭の男はそれだけを発すると再び席に着く。室内には水を打ったような静けさが生まれ、立ち上がりかけていた各国の王なり市長なりが各々腰を下ろしたのだった。
壮年の要人は、黒髭をさすりながら視線をアークへと向けた。
「それに関して、ご意見をお持ちなのではないか? "明星"、アーク殿」
その確信に満ちた問いに、周囲の視線が一人に集まる。
若干の沈黙を挟み、アークはゆっくりと口を開いた。
「……策なら、あります」
一気に議場はざわついた。そして、その続きをせがむように再び沈黙が訪れる。
「……と言いますか、実は武器なら既にある程度は揃えてあるんですよ」
どよっ、とひしめく各国の首領たち。アークはそれらを窺うことなく話を続ける。
「ですが、現状としては全兵力に対して6割ほど、といったところでしょうか。それもこれも内外のテロリストを買収したりしてどうにか工面した物です。戦闘に当たれない人員も出てしまいますが、その方たちには運搬やら整備やらに回っていただきましょう」
言うと、赤毛の要人が細く呟いた。
「6割……。元々の兵力差を考えても、あまりに手痛い事態ではありませんか? もっと量を、せめてもう少し時間を掛ければ……」
その声はあまりに苦しげだった。
「ええ……。お気持ちはよく分かるのですが……。私自身そうしたいというのもあります。ですが、どうにもきな臭い予感がしましてね……」
アークは珍しく濁すようにして咳払いを挟んだ。
「実は、我々は、ヴァルト軍の動向をつぶさにチェックしているのですが、その動きが最近、どうにもおかしいのです。この地図をご覧いただけますか?」
アークが広げたのはウエスティリア大陸南西部が写し出された地図だった。フレアは胸がどきりと軋んだ。エルフの里を内包するウエスティリア大山脈が中央に置かれている。
アークが指さしたのは常磐の街。そして、レンデルの町だ。山脈南部に常磐の街があり、レンデルは大山脈を挟んで遙か北方にある。その距離は直線で結んでも相当な距離があり、おおよそ大陸の半分を縦断するくらいだろうか。それが足場の悪い山脈だというのだから、エルフの里がどれだけ辺鄙な場所にあるのかが如実に理解できる。
その地図を眺めていると、不思議と今までの旅路が思い起こされた。偶然かも知れないのだが、それはフレアの足跡を一覧できる配置だったのだ。常磐の街でフレアはリースと出逢ったし、レンデルはフレアが住んでいるという設定に利用させてもらった。そう言えば以前、フライヤが三年前に滅んでいるなどと告げていたのだが(後で勘違いだとも言っていたが)、地図上で見た限りだと未だ健在のようだ。
そしてフレアが物思いに耽っていると、アークは口を開いた。
「ヴァルト軍は現在この周囲に陣を展開しています。野営地というよりは基地、ですかね。急拵えの感はありますが、相当の戦力が集結しています。まるでこれから戦争でもするかのような、ね」
それに対し、周囲が反発するように「馬鹿なッ!」、「……一体何のメリットが?」、「あんな辺境の山に、何かあるのか……?」と口々に異論を告げる。
困惑の広がる議会の中、シークは一人確信したように机を叩いた。
「まさか、『見つけた』のか!?」
その声に一同は黙ってシークを見、アークは無言で顎をしゃくり、続きを促した。
「あ、いや……。……ヴァルト社はある人物たちを憎んでる。そして、そいつらがそこにいると確信したんだろう。でなければ戦力の集結などあり得ない。各地への侵攻は探索を兼ねていたはずだからな」
アークはそれを聞き、眼鏡をくいっと指で上げ直して、思案していた。
だが、フレアには聞き捨てならない言葉だった。
シークはある人物たち、と濁して発言したが、それは間違いなくエルフ、つまり妖精族のことだ。ヴァルトニックの侵攻は全て、妖精族を滅ぼすためのものだったというのか。確かに森の奥地へ隠れ住んでいた彼らを探すにはそういった手段しかない。だがまるで、これでは妖精族のせいで各地の悲劇は起こされている、と言っているようにも聞こえる。妖精が隠れてさえいなければ、このような酷い社会情勢にはならなかったのではないだろうか。
そしてなにより聞き捨てならないことがあった。
「ここに……、何があるんです?」
アークの問いに、シークは困ったような沈黙で答えた。やれやれ、とアークは溜息を吐いて肩をすくめた。
アークが指した広大な山脈の森林地帯を見つめて、フレアは叫びたい衝動に駆られた。「そこにはオレの故郷があるんだよッ!!」、と。
しかし、それを伝えるわけにはいかない。ヴァルト社がエルフを狙っていたことも、フレアがエルフであることも、探ればいずれ分かることだ。だが、エルフの里の所在だけはバラすわけにはいかない。彼らは平穏に暮らしているだけなのだ。そんな彼らを巻き込むわけにはいかない。
だがしかし。
ヴァルト軍の侵攻。それは即ち、彼らがエルフの里の所在を確信してしまっているということではないだろうか。もしそうなら、それだけはどうにかしなければならなかった。廃墟の街ルインガルドで見たような惨劇が、エルフの里で再現されるのだけは絶対に許容できない。
もっとも、幼なじみのクレアや師匠のクォラルなどがいるので、簡単にやられるとは思えない。フレアには彼らの負けている姿など想像できない。とはいえ、それを黙って見ていることだってできない。
フレアは仲間たちを見回した。すると一様に頷いてくれるのが見えた。シークはというと、無言で頷きもせずに目を反らしていた。フレアは自分の想いがみなに届いているのだと気づき、嬉しい気持ちが抑えきれなかった。
――ありがとう!
胸の中でそう言い、フレアがエルフの里へ向かうよう進言しようとすると、一瞬早くアークの発言が耳に入った。
「我々にとってメリットがないようなら、ここは見過ごすのが得策でしょうか……」
アークがそう言うと、各国の要人はそれぞれ肯定の意を示す。
「そうだ、奴らの思惑が何であれ、消耗したところに仕掛けたほうが有利でしょう」
「無様に疲弊した奴らに目に物見せてやりましょう!」
わいわいと盛り上がりを見せる要人たち。
そんな……、とフレアは息を詰まらせた。
ヴァルト軍が行うのは種族は違えど人殺しだ。許されるわけがない。食い止めるのは必然だろう、と思った。
しかし、実際はそうではないのかもしれない。明星軍の兵数はヴァルト軍と比べればかなり少ない。とはいえ、その数は数万にも及ぶ。もしそれだけの戦力がぶつかり合ったなら、間違いなく多くの人間が死ぬことになる。エルフの里の全住民が死ぬのよりも、もっと多くの人間が死ぬ。
だから。
軍は出せない。明星は動かない。各国も動いてはくれない。そういうことなのだ。
であれば、起こせる行動はひとつしかない。フレアは意を決し、挙手した。
「オレたちが、そこへ向かいます」
フレアが言うと、やはり要人らは困惑を示した。ひとり、アークだけがフレアに興味深げな視線を送る。
「ひとつ、訊いてもいいですか?」
アークは慎重に、言葉を選ぶようにして質問を投げかけた。
「……ああ」
フレアが答えると、アークはまたしても慎重に問いかける。
「そこの住人はどれくらい居るのですか?」
「……?」
フレアは意味が分からず停止していると、アークは再び質問をした。
「貴方とそこに住んでいる者たちの関係はわざわざ問いませんよ。要は何人住んでいるか、訊きたいのです。それすらも知らない、というのでしたら答えなくとも構いませんが」
フレアは再び沈黙せざるを得ない。
アークの思惑が分からなかった。エルフの里に住んでいる人数を聞いて、何をしようというのだろうか。何人であれ、明星に得する要素は思い当たらない。だが、余計な情報を出すことでエルフの里を脅かす結果にはならないだろうか。初めて里を出た折り、フレアは初めて会った人間に対して、かなり動揺し、同時に混乱もしていた。果たしてどこまでが安全に話せる情報でどこからが話してはならない情報なのか。巡りの悪い自分の頭をフレアは心底憎らしく思う。
しかし、そこで顔を上げるとフライヤが目を細めてフレアを睨めつけていた。その眼が言っていた。「くだらないことでうじうじ悩むな」と。フレアは一度頷いて、ほうっと息を吐き、アークに向き直る。
「およそ百人だ」
やはり喉はカラカラと渇くし、顎は震える。こういったやりとりに、フレアは慣れられそうになかった。
けれど、フレアは一人ではない。信頼の置ける仲間がいる。それだけで身体を支える両足は震えることなく留まり続ける。フレアにはそれが何よりも心強く思えるのだった。
対するアークは、そうですか、と頷き、眼鏡を上げ直すと、
「ならば放置よりも良い手があります」
アークの眼鏡が反射してキラリと光った。気がした。
「説明しましょう」
部屋の視線が全てアークへと向けられる。そして有無を言わさぬ空気で一気に説明した。
「そこの住人が生きているうちに攻め込みます。そのほうが内と外で挟撃を仕掛けられるという利点があります。先程のように疲弊したところを狙うという作戦も悪くはありませんが100対数万という戦いでは疲弊するとは思えません。疲弊したとしてもすぐに立て直されては意味がありませんしね。それならばいっそ挟撃するほうが敵の後方を突けますし、相手の意表も突けるでしょう。こちらのほうがなにかと利点が多い」
もちろん反論も上がった。手を挙げたのは先程も反論をした金髪眼鏡の男だ。
「挟撃とは言いますが、そこにあるのはただの山村か何かでしょう? 戦力としてあてになるとは思えません! よしんばなったとしても協力を取り付けられるとも限りません! そんな不確かなものに合わせて戦略を立てるなど馬鹿げています!」
するとヒートアップした者たちが一斉に声を上げ始める。
「おい、口が過ぎるんじゃないか、レアード卿!」
「だが、信用できん人間を戦力に加えるなど、有り得んだろう!」
再びやいやいと喚き始めるのを今度はアークが鎮める。
アークがすっと手を挙げただけで、議会は途端に水を打ったような静けさを取り戻した。フレアはそれを魔法のようだなと思いつつ見つめる。
「まぁ、お静まりください、みなさん。お気持ちは分かりますよ。ですがご安心ください。内部で抗戦するのは何もその村落の住民だけではないのですから」
アークが告げると、どよっと周囲が反応を返した。
「彼ら、フレア君たちと私が、内部へ向かいます。明星軍の指揮はブラハム書記長にお願いしましょうか」
そう言い、アークは席を立ち上がった。「お願いしますよ」と、アークが黒髭の大男の肩を叩くと、大男は落ち着いた声で「承知した」と一言だけ告げる。
そこで会議は終わり、とでも言うようにアークが席を離れるが、反論の声はそれ以上続けられることはなかった。
「アーク殿が出撃だと……!?」
「いくらなんでも無茶では……」
「いやいや何を言っているのか。相手はあのアーク殿ですぞ」
「……ああ、そうでしたな」
残された者たちは口々にそんなことをぼやいていた。
そんな一連の流れを見てもイマイチ理解の及ばないフレアがぽかんと口を開けているとアークがふと、宜しく、と右手を差し出してきた。
「宜しく」
そう返事をして右手を掴んでしまったフレアは、1秒後それを後悔することになる。
ぎゅりりり。
そんな効果音が聞こえてきそうなくらいの強烈な右手の締め上げは、万力で締め上げられているかのようで、フレアは声にならない絶叫を上げる。
「あ、い――、うぁ……つッ!」
そんなフレアを見て、アークは頬を綻ばせる。
「おやおや、どうしたんですか? 握手くらいでそこまで感動してしまうなんて」
蹲り震えるフレアをどう解釈したらそう見えるのだろうか。などと問うタイミングは全くない。
「ふふふ。録音したら高値で売れそうな良い喘ぎ声ですね。男性のそういう音声も一部では熱狂的な支持者がいるそうですよ。どうです? 私と組んで一儲けしませんか?」
「な……、い、ぐぅ……ッ!」
「あはは。何を言っているのか分かりませんよ。もっとッ! はっきりとッ! 喋ってくださいよッ!!」
声と合わせるようにしてメリメリと更に力が込められ、骨が砕けるようなミシミシという不気味な音と共に、フレアは泣き叫んだ。
「ぎゃあああああああああ!!!」
良い声ですねー録音してないのがもったいないくらいだー、などとのたまくアークに冷ややかな視線が一斉に向けられたが、アークは何知らぬ顔で握手していた手を放し、扉を抜けて会議場を去って行く。何事かと駆けつけた外部の護衛たちと擦れ違うが、そちらには一切、目もくれない。
そして、入ってきた護衛たちは部屋を見て、「なるほど……」と呟いた。
そんなフレアへ歩み寄ったのはスピアだった。
「フレア、今更だが良いことを教えてやろう。アークとは握手するな。握り殺されるぞ」
しゃがみ込んでフレアの顔を覗き込むスピアの表情に心配の色が窺えないのを確認すると、フレアはそこで力なく横たわるのだった。
――
打ち棄てられた古城に手を加え、明星がそこを拠点としてから実に一年が経過している。
表向きはとある貴族が享楽で買い取り、別荘としていることになっているが、その実態はテロリストのアジトだ。
城全体は石造りで、所々の崩れた部分や守備の甘い部分などを鉄板などで強化補強している。とはいえヴァルトニックを相手にするにはあまり有効な守備とはいえないため、あくまでそれは体裁を整えるためのものでしかない。ミサイル攻撃に耐えられるような堅固な城など目指しようがないのだ。
拠点としている理由のひとつはその広さだ。五十から百近い民家をまるごと収用できるような面積を石壁が覆っているのだ。雨風を防ぐのはもちろん湿気に弱い火薬などを保存するのにも適している。また襲撃を受けた際にも四方から散り散りになって逃げることも容易い。その広大な面積を囲みようがないからだ。そしてこういった城には大抵、王族避難用の地下道が埋設されているのだ。これらを使えば生還率は大いに跳ね上がる。
また街並から程よく離れているというのも利点の一つだ。近すぎれば便利ではあろうが人通りが多い分、隠密性に欠けてしまう。かといって遠すぎれば拠点としては不便だ。普通に暮らす分にはかなり不便な距離が開いてはいるが拠点として見るとその距離は適正と言えた。
こういった拠点は各地に点在していて、もしここが陥落したとしてもすぐにまた別の場所を活動の中心として活用できるようになっている。テロリストは、国家の下に就く軍隊ではないので、その身軽さこそが信条となる。
現在この城には三百人近い人数が滞在している。
会議を行う際に無用な疑いを避けるため、離れたところにあった別邸に各国要人を集めたわけだが、そこの広さも相当なものだった。さすがに本城と比べればその面積は十分の一にも満たないが、十分に豪邸クラスの建物だ。客人のために建てられたのか、使用人の住居として建てられたのかは不明だが、古き時代に住んでいたであろうこの城の主は一体どんな人物だったのだろうか。今となっては想像するしかない。
別邸の廊下には左右が対になるように壁にランプが付けられていた形跡があり、それが盗難にあったのか軒並み外された状態で、現在では質素なオイルランプが飛び飛びで設置されている。なんともケチな作りだ。現在の主の性格が滲み出ている気がする。
そんな思考を浮かべながら、スピアはその廊下を歩いていた。
大柄なスピアの前を歩くのは細身の男。黒髪を赤いバンダナで鉢巻のように巻き、帯はリボンのようにふわふわとたなびいている。背中には『昴』の文字が書かれたジャケットがあり、見る者を威圧する。
スピアはそんな彼に声を掛けた。
「で、大丈夫なのか……?」
問うと、アークは歩行の速度を落とさずに答える。
「フレア君のことですか? いやぁ、思わず手を握りしめてしまいましたよ。あんな熱い眼差しを向けられたら私のような益荒男でもさすがに心揺らめいてしまいますよ」
スピアは一度溜息を吐くと、語気を強めてもう一度問うた。
「戦況はどうかって訊いてるんだよ、大将」
「フレア君攻略の進捗ですか? いやぁ、参ったなぁ。誰にも言わないでくださいよ? 実は……」
「大将? 三度目はないぞ」
今度はアークが溜息を吐く番だった。
「全く、スピア。貴方はもう少し落ち着きを持ったほうがいいですよ。平静さを欠いてはことをし損じます」
「そのくだらん性癖を落ち着けてから言え」
「ふふ、ごもっともで……」
振り返ったアークの顔には笑みが浮かんでいた。
雑談は終わりとばかりに、こほん、と咳払いをすると、アークは再び歩行を再開した。スピアもそれに従う。
「ブラハム書記長は書記長と言う肩書きに似つかわしくないような武人でして、頭もそこそこ切れます。今回の戦闘は任せてしまっても問題ないかと。少なくとも攻め際・引き際の見極めくらいは出来るでしょう」
アークはこともなげに言ってのける。
「…………。そこまで出来れば問題はないな……」
攻め際・引き際と、簡単に言うが、それは尋常なことではない。どんな武人であれ驕りや油断は存在するし、判断の難しい局面も少なくない。引くべき時に引き、攻めるべき時に攻める。それが上手い人間を戦上手と呼び、出来なければ愚将と呼ぶ。つまり、それを誤らないとは、むしろ最高の誉れなのではないかとすら思う。つまりアークはそれほどまでに信頼を寄せているということなのか。
「マツリもいることですし、どうにでもなるでしょう。そんなことよりこちらのほうが一大事です」
局面という意味ではどちらも難しい、とスピアは思っている。それだけにそう簡単に断言できるアークの心境が理解できないスピアだったが、スピア自身も参加することになっている内部抗戦チームの作戦を考えねばならない。
そうして、扉の前へやってきた。
アークが呼び寄せた彼らがこの中にいる。アークが彼らとまともにコミュニケーションが取れるかどうかは極めて微妙だが、ともあれ何とかせねばなるまい。
だが、そんな目論見はすでに破綻しているということに、スピアはまだ気づいていなかった。
飛び込んできた声は同時に5つ。
「何だよ、あの手紙!? オレが欲しいって何だ! 気持ち悪いぞ!」
「リースじゃないアタシの過去、全部話してもらうから……」
「フライヤはオレの相棒や! 渡さへんぞ!」
「一族の誇りを穢す奴は赦さない……!」
「あたしの秘密、知ってるなんてねぇ……」
全員がアークに対して殺気を放っていた。
その光景にスピアは唖然としていた。が更に愕然とするようなアークの発言が耳に入った。
「あっはっは! いいですよ。存分にお相手しましょう!」
「おい、アーク!」
止めようとするも、5人の破竹の勢いは止めようもない。
嘆息したスピアは諍いを止める役を諦め、アークから一歩遠ざかった。
巻き上がる喧噪を尻目に、スピアは窓の向こうに浮かぶ空を眺める。
この天蓋の向こうに、ヴァルトニックの軍勢がいる。
会戦の瞬間にはまだ日があるだろうが、一ヶ月もしないうちに時は来る。
来たるべき戦いの日は、遠くない。
嵐が去れば海は快晴だ。
去らない嵐はなく、止まない雨もない。
この血の雨もいつかは、止む――。
「むふふふふー! 愛していますよーー! フレア君ーーッ!!」
「ぎゃあああああ!! やめろーー!! やめ……、ッアーーーー!」
――止む、はずだ。……きっと。
◆『疲れちゃったよ……』
リース(裏)をあまり描写できてなかったんで、強引にチェンジしていただきました。
内容が薄くて申し訳ない気分です。
◆アークさんマジ鬼畜
後半BL的なネタ要素を入れてみましたが、いかがでしょうか。
ネタでやる分にはBLも結構好きです。でもガチはちょっと……
◆会議室で……
アレコレ言い合ってますね。
リアリティを出すために意見と反対意見を出したりさせました。
イメージはTVタックル。あれ見てると政治家って本当に頭良いのかな、という疑問がよぎります。
◆物語は再びエルフの里へ……
というわけで再びの登場となりました。フレアの故郷、エルフの里です。
ここからしばらくはエルフの里防衛戦編となります。
◆全員へラヴレター
アークらしいエピソード。
展開的にはちょっとベタというか、マンガっぽいというか、コメディ系ですかね。
そんな中にも彼なりの思惑があるわけでして……




