第五節 謎に次ぐ謎
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クィント・カンパニアがオルペスの台帳を狙った理由。
ティコは突然のその問いに答えられず、ただ口を開閉させるだけだった。
「......私の一族の名も」とクィントは静かに言った。「あの台帳に書かれているのだろう。──カンパニア家がこの百年で、誰にいくら貸したか。その中には貴族もいる。神官もいる。執政官の縁者もいる。......彼らの中には、身分を笠に着て、我らから低利で借りたが期日に返さず、あまつさえ返済を踏み倒すために我が一族を襲おうとするものもいた。......それだけではないだろうがな。知られてはならない我らカンパニアの後ろ暗い取り立て手法も含め、――恐らくそのすべてが、あの台帳に記されている」
「それの何がまずいんだ」とティコは訊いた。「借りたのに返さねえ奴が、そもそも悪いんじゃねえのか?」
クィントは乾いた笑みを浮かべた。
「そうだ。借りて返さぬ者は悪い。だが、この都市ではそうはならん。嫌われ者の異邦の一族が貴族らに膨大な金を貸し、想像以上に強い影響力を持っている。それは彼らの秩序にとって、危険なことだ。我らカンパニアはこれまで、債務者のリストをひた隠しにしてきたが、オルペスはそれら情報を握っている。いつでも私を脅すことができる。『カンパニアがマゴラトの弱みを握っている』と貴族院に囁くだけで、私の一族は破滅する。返済を踏み倒そうとする者たちに都合のいい口実を与えることになる。──オルペスはその頭脳と台帳で、私を飼い慣らしているのだ。金貸しとして、都市に必要とされながらいつでも潰せる存在として」
ティコは少しずつ、この都市の仕組みが見えてきた気がした。
金を握る者。秘密を握る者。そして、その二人に飼い慣らされる嫌われ者。──マゴラトはそういう、幾重もの力の網でできている。港のねずみには見えない、海の底からは見えないような網で。
「だから」とクィントは言った。「いつか私はあの台帳を手に入れて、オルペスに対抗できるとまではいかなくとも、マゴラトの連中に対抗できる力を得ようと思っていた。──だが、あの台帳はオルペスの屋敷の奥深くにあり、盗み出すことなど不可能だった。ところが数日前、ある情報が私に伝わった。オルペスの台帳が屋敷から運び出され、タルペア家の倉庫に移された、と。──なぜそんなことが起きたのか分からなかった。......単にリウィアが盗んだだけだったのかもしれないが。......とにかく、私にとっては、オルペスの屋敷の奥よりはタルペアの倉庫のほうが盗みやすい。ゆえに、私はガルナにそれを盗ませた。──そして、そこで、お前と鉢合わせた」
ティコは頭の中で、断片を並べ替えた。
オルペスの台帳が屋敷からタルペア家の倉庫へ移された。それを運んだのがフェリオ。運んだ後で、フェリオは消えた。そして、その台帳をクィントが盗み出そうとし、ティコも同じ木箱を覗きに来た。
なぜ、オルペスは自分のいちばん大事な台帳をタルペア家の倉庫に移したのか。それとも、タルペア家がフェリオを使って盗ませたのか。
その矛盾、相反した問いの答えがフェリオの消えた理由に繋がっている。──ティコにはそう、思えた。
「クィントさま」とティコは言った。「一つ教えてくれ。──今晩誰かがこのオルペスの台帳を盗んだ、とタルペア家が知ったら。タルペアはこれからどうするんだ」
クィントはしばらく考えた。
「......リウィアは」と彼はやがて、言った。「この台帳の価値を知っているはずだ。オルペスの力の源泉だと。──リウィアがこれを自分の倉庫に置いていたなら――リウィアがオルペスから盗んだのなら、それはオルペスを脅すためだったのだろう。ならば......」
「いやでも」とティコは言った。「あんたはさっき言ったぞ。リウィアが台帳を盗ませたのなら、なぜその成果を、無防備に倉庫に置いておくんだ、って」
「......そうだ」クィントは頷いた。「そこが分からん。──もし、リウィアが本当にこれを握ろうとしていたのなら、こんな盗みやすい場所に置いておくはずがない。ガルナは優秀な忍びではあるが......だとしても、こんなたやすく盗み出せる場所に、なぜ......」
三人はしばらく黙った。
そして、ティコの頭の中で、一つの考えが形をなし始めた。
港のねずみの勘だった。荷の動きを読み、人の動きを読む、その勘が彼に囁いた。
──これは"罠"だ、と。
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「クィントさま」とティコはゆっくりと言った。「もう一つ確かめたいことがある。あんた、この台帳が倉庫にあるって話、誰から聞いたんだ」
クィントは怪訝な顔をした。
「……タルペアの倉庫で帳付けをしている男だ。私に"借り"がある男でな。数日前の夜、受払帳に載らない箱が一つ運び込まれた。荷受けは番頭が自らやり、人払いまでした、と。──倉庫の人間のあいだでは、元老の台帳らしいと囁かれていたそうだ」
「......受払帳に載らねえ箱を、番頭が自分で受け取った」とティコは繰り返した。「……なあ、それ、おかしくねえか。"港のねずみ"の俺だから思うことなんだろうが、盗品を隠すんなら、普通番頭は知らんぷりをするか、遠くで見てるもんじゃねぇのか?」
ティコは指を折り始めた。
「箱はオルペスの屋敷から出た。それは俺の弟分が見てる。御者は赤毛の獣耳──フェリオの兄貴だ。兄貴いわく、兄貴を雇ったのは『オルペスさまの用だ』と名乗る男。箱の中身の封蝋はオルペスの紋章。そんで、受け取ったのはタルペアの番頭。......もしかして、リウィアはオルペスから盗んだわけじゃないんじゃないか?最初から最後まで、オルペスからリウィアへの引き渡しに見えるぞ」
「あり得ぬ」とクィントが呻いた。「オルペスが自分の命綱を、よりにもよってリウィアに渡すだと? そんなことをすれば、金と秘密の両方があの女のものになる。オルペス自身がそれをいちばんよく知っているはずだ」
そのとき、壁際のガルナが低い声で言った。
「クィントさま。──その台帳、本当に本物なのか」
クィントが、はっとした。
彼は机の上の台帳をもう一度手に取った。今度はじっくりと、紙を、革を、綴じ糸を検めた。彼は偽物を見抜くのに長けていた。偽の契約書や偽の証文、偽の貨幣など、商売をする中でそれを見抜く能力が磨かれていったのだ。
やがて、クィントの指が止まった。
「……違う」と彼は呻くように言った。「これは写しだ。古びて見えるように仕立ててあるが、この羊皮紙はせいぜい二、三年前のものだろう。表面のインクの染みも少し濃い。六百年、書き継がれてきた台帳の紙としては不自然だ」
「二、三年前って」とティコは言った。「──慌てて作った偽物じゃねえってことじゃんか。何年も前から、この日のために仕込んであってことか......?」
三人は互いの顔を見合わせた。
全容が少しずつ見えてきた。
オルペスは何かの理由で、リウィアに台帳を渡すことになった。だが彼女に渡したのは──前々から用意してあった精巧な偽物。そして、その引き渡しの荷を運んだのがフェリオだった。
――リウィアは、倉庫に置いたその台帳が偽物だと知っていたのだろうか。




