第三節 タルペア家の倉庫
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タルペア家の倉庫は港のはずれの、他の倉庫から少し離れたところに建っていた。
石造りの頑丈な倉庫だった。窓は高いところに小さいものがいくつか。扉は分厚い木で、鉄の錠がかかっている。夜警が二人、倉庫の周りを回っていた。
ティコは倉庫の裏の暗がりに身をひそめて、夜警の動きを読んだ。
二人の夜警は同じ刻に同じ道を回る。倉庫の四方をぐるりと。
二人が倉庫の反対側に回ったその一瞬の隙に、高い窓から忍び込むのが良いだろう。窓は小さいが、ティコの痩せた体なら通れる。──港のねずみの痩せた体はこういうときに役に立つ。飢えの数少ない恩恵だった。
夜警が反対側に回った。
ティコは音もなく、倉庫の壁をよじ登った。石の継ぎ目に指と足の先をかけていき、高い窓にたどり着く。小さな窓の木の格子は古く、腐りかけていた。ティコはそれをそっと、自作の糸のこを使って外した。港のねずみはこういう仕事に慣れている。
窓から倉庫の中へ滑り込む。
中は暗かった。だが、ティコの目は暗がりに慣れていた。高い窓から差すわずかな月明かりで、倉庫の中が少しずつ見えてきた。
荷が山のように積まれていた。木箱、樽、麻袋。海峡交易のあらゆる品がここに集まっているのだろう。タルペア家の富の一部が。
ティコはあの"木箱"を探した。
カルの話ではそれほど大きくない木箱。人が一人入るには小さすぎる、二日前の夜に運び込まれた、新しい木箱。──ティコは荷の間を音もなく、進みながら、新しい木箱を探した。埃をかぶっていない真新しい木箱を。
あった。
倉庫の奥のほうに他の荷とは少し離れて、一つの木箱が置かれていた。真新しい木で、埃もかぶっていない。二日前に運び込まれた、その木箱かもしれない。
ティコはその木箱に近づいた。
木箱の蓋は釘で打ちつけられていた。開けるには道具が要るだろう。ティコは腰に差した細い鉄の棒——港のねずみの七つ道具の一つ——を取り出し、蓋の隙間に差し込んだ。てこの要領で、少しずつ釘を浮かせる。港のねずみはこういう仕事にも慣れている。
やがて、蓋が外れた。
ティコは木箱の中を覗き込んだ。
そして、息を呑んだ。
木箱の中には書物が詰まっていた。
古い羊皮紙の束がいくつも。革の表紙で綴じられた、台帳のようなものが何冊も。
――都市の正字はティコには読めなかった。
港のねずみに字を教える者などいない。ティコを含め、読み書きできる"ねずみ"は数人はいるが、それは下町の看板に躍るようなくだけた"俗字"であって、正字ではなかった。だが、正字が読めなくてもこれが、ただの書物ではないことは分かった。
なぜなら、その羊皮紙の束のいちばん上に一枚の羊皮紙が載っていて、そこに赤い封蝋が押されていたからだ。
その封蝋の紋章をティコは知っていた。
港のねずみは字は読めなくとも紋章は読める。どの氏族の紋章がどの荷につけられるか。それを知らなければ、盗む荷を選べないからだ。
その封蝋の紋章はタルペア家のものではなかった。
オルペス・ネクィアの紋章だった。
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ティコがその意味を考えるより先に倉庫の奥の暗がりから、声がした。
「──ずいぶん、若い"ねずみ"だな」
ティコは凍りついた。
声のほうを見た。倉庫の奥の荷の陰から一つの大きな影がゆっくりと立ち上がった。
大鬼人だった。
巨躯の寡黙そうな、大鬼人。マゴラトでは蛮族が市井に暮らすのは珍しくない。大鬼人の用心棒も荷担ぎもそこら中にいる。だが、この大鬼人の静かな圧するような気配は、ただの荷担ぎのようなものではなかった。
「その木箱に」と大鬼人は低い声で言った。「手を出すな──それは"俺ら"のもんだ」
ティコは木箱の蓋を掴んだまま、動けなかった。
逃げるという考えが、まず頭をよぎった。港のねずみは逃げるのが得意だ。だが、この大鬼人の静かな構えを見れば、逃げ切れないことは明らかだった。窓までたどり着く前にあの太い腕に掴まれるだろう。
「あんた」とティコは掠れた声で言った。「タルペア家の用心棒か」
大鬼人は少しのあいだ黙っていた。それから、意外なことに首を横に振った。
「それは違う」と彼は言った。「俺はカンパニアの盾だ。名はガルナ」
カンパニア。──ティコはその名を聞いたことが、あった。
クィント・カンパニア。マゴラトで金融業を営む、兎人の一族の当主。だが、タルペア家のような貴族の金融とは違う。カンパニア家は身分の後ろ盾を持たない異邦の一族だ。眠れる神レヒトの子孫を名乗る離散の民。金貸しという生業ゆえにどの土地でも疎まれ、憎まれる。カンパニア家はマゴラトで長く嫌われ者として生きてきた。
その嫌われ者の一族が、生き延びるために抱えている用心棒。それが、このガルナだった。
「カンパニアの盾が」とティコは混乱しながら、言った。「なんで、タルペア家の倉庫にいるんだ。それにどうやって......」
ガルナはまた、少しのあいだ黙った。
それから、彼は静かに言った。
「その木箱を盗みに来たからだ。そんで、方法は教えられない。」
ティコはその言葉の意味を量りかねて、身構えたままだった。
カンパニアの盾がタルペア家の倉庫のこの木箱を盗みに来た。──ということはこの木箱はカンパニアにとっても価値がある。そして、この巨躯の大鬼人はティコが同じ木箱に手を出しているのを見た。競争相手として、ティコを始末しようとするかもしれない。港のねずみ一人桟橋の下に沈めるのはこの大鬼人には造作もないことだろう。
ティコはじりじりと、窓のほうへ後ずさった。
「落ち着け」とガルナが低く言った。「騒げば夜警に気づかれる。──そうすれば、俺もお前も両方捕まるぞ」
ティコは足を止めた。確かにそれは道理だった。
「あんた」とティコは掠れた声で言った。「俺をどうする気だ」
ガルナはしばらくティコを見ていた。その静かな目が暗がりの中で、ティコを値踏みしていた。
「お前は」とやがて、大鬼人は言った。「なぜこの木箱を狙う。金のためか」
「違う」とティコは言った。「人を探してる。フェリオって獣人の若者だ。──こいつをこの倉庫に運んだ後で消えた。こいつの中身を確かめれば、フェリオがなぜ消えたのか分かるかもしれねえ」
ガルナの目がわずかに動いた。
「......フェリオ」と彼は繰り返した。「──その名は聞いたことがある。オルペスの使い走りをした、若者だな」
「知ってるのか!」
「詳しくは知らん」とガルナは言った。「だが、クィントさまがその名を口にしていた。この木箱を運んだのがその若者だと。──お前はその若者の身内か」
「兄貴分だ」とティコは言った。
二人はしばらく暗がりの中で、互いを見ていた。港のねずみと兎人の盾。それぞれ別の理由で、同じ木箱を狙ってこの倉庫に忍び込んだ二人。
――そのとき、倉庫の扉のほうで音がした。
鍵の回る音だった。
ティコとガルナは同時にそちらを見た。夜警の一人だろう。定刻の見回りとは違う。誰かが中に入ってこようとしている。
「ここで鉢合わせれば」とガルナが素早く囁いた。「二人とも終わりだ。──お前、来た道分かるか?」
ティコは一瞬で、腹を決めた。
この大鬼人と手を組むか、それとも独りで逃げるか。
独りで逃げれば、木箱は手に入ってもその後が見えない。それに敵の敵は味方ともいう。カンパニア家についていけば、フェリオの手がかりを得られるかもしれない。何より木箱の台帳を読めるものはカンパニア家にはいても、"港のねずみ"にはいない。──ならば。
「分かる」とティコは囁き返した。「あんたがそれを運べ。俺が先導する。──夜警が二人。一人は今扉から入ってきてて、もう一人はたぶん外をまだ回ってる。裏の窓から出る。俺が出るべきタイミングを示すからついてこい」
ガルナは迷わなかった。片腕で木箱を軽々と抱え上げた。人が一人入るには小さいほどの、その木箱を。
扉の閂が外れる音がした。
ティコは荷の影を縫うように走った。夜警の足音が倉庫の中に入ってくる。ティコはその足音と逆の方向へガルナを導いた。
荷の山のいちばん暗いところを通って行く。ティコの頭の中には、暗がりの地図が既に入っていた。どこに身を隠せるか、どこを通れば足音が響かないか、そのすべてを。
裏の高い窓にたどり着いた。外の下を覗いた先には誰もいなかった。
「ここから出ろ」とティコは囁いた。「木箱を先に外へ。あんたはその後だ。──窓の下は暗がりだ。もう一人の夜警は、今は下にいない。急げ」
ガルナは木箱を窓の外へ投げた。
――勢いよく落ちたのにもかかわらず、しかし落ちた先には音がしなかった。それから、その巨躯を構成する骨肉が驚くほどに縮んだ。その縮んだ体を静かに窓枠へ通した。
大鬼人とは思えぬ、身のこなしだった。──長年嫌われ者の一族を守ってきた盾は、こうした隠密の技......奇術も身につけているのだろう。
最後にティコが窓を抜けた。
二人が倉庫の外の暗がりに降り立ったとき、倉庫の中と周辺から夜警のいぶかしむ声が聞こえた。「おい、誰かいるのか!?」だが、それに答える声はなかった。
夜警は荷の山をしばらく見回してから、やがて、扉を閉めて去っていった。
ティコとガルナは暗がりで、息を殺していた。
やがて、ガルナが低く言った。「──やるな、"ねずみ"」
「あんたこそ」とティコは言った。「大鬼人のくせに、粘体生物みたいだな」
初めて、ガルナの厳めしい顔にかすかな、笑みのようなものが浮かんだ。




