第七節 生き死にを決める舞踏
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大興行の日が来た。
闘技場は満員だった。二万の観客。不敗の華スパルドと、勝ち上がってきた志願剣闘士ルフス。その頂上決戦を見ようと、レーム内外から市民が押し寄せていた。貴族も平民も。貝紫の外套に象徴されるレームの富を纏った者から、その日の糧にも困る者まで。
観客席の一角に護民官ガイア・プレビリアの姿もあった。彼女はこの興行を視察するために来ていた。市民の血への渇望が頂点に達するこの日を自分の目で見るために。
砂の上に二人が現れた。
ルフスとスパルド。歓声が闘技場を揺らした。特に、スパルドが現れると貴婦人たちの黄色い声が飛んだ。砂上の華。その美貌の悪魔人。──だが、その華が今日敗れるかもしれない。その期待と興奮が闘技場を包んでいた。
二人は砂の中央で向かい合った。
「本当にやるのか」とスパルドが低く囁いた。「──失敗すれば、二人とも殺される」
「やろう」とルフスは囁き返した。「──どうせこの砂の上に自由はない。なら、せめてあいつらの望みどおりには死なない。それが俺たちに残された唯一の自由だ」
スパルドはしばらくルフスを見ていた。
その赤い目に何か久しく忘れていたものが宿った。──希望ではなかった。もっと静かな何か。諦めとも違う何か。
「……分かった」と彼は言った。「乗ろう。お前の賭けに」
主催者による合図が鳴った。
試合が始まった。
二人は剣を構えて対峙した。客席が固唾を呑んだ。──そして、二人は戦い始めた。
それは見事な戦いだった。ルフスの磨き上げた技。スパルドの二十年の経験。二人の剣が火花を散らした。攻めては退き退いては攻める。客席が沸いた。歓声が闘技場を揺らした。──だが、その戦いは客の目には分からないある約束の上に成り立っていた。
二人は決して致命傷を与えなかった。
それは殺し合うことより遥かに難しい技だった。
本気で殺し合うなら、相手の隙を突くだけで済む。だが、殺さずにしかし殺し合っているように見せるには、互いの剣を正確に読み、寸前で逸らし、しかし客には紙一重の攻防に見せなければならない。一瞬でも呼吸が狂えば、片方が本当に相手を斬ってしまう。──二人は命を預け合って踊っていた。殺し合いに見える舞踏を。
スパルドの剣がルフスの肩を掠めた。血が飛んだ。だが、それは浅い計算された傷だった。客席が沸いた。──次に、ルフスの剣がスパルドの腕を裂いた。これも浅い計算された傷だった。血が砂に落ちた。砂はそれを吸った。
「うまいぞ、ルフス」と剣を交えながらスパルドが囁いた。客には聞こえない声で。「その調子だ。──客は俺たちの舞踏に酔っている」
「あんたこそ」とルフスも囁き返した。剣を受けながら。「二十年の経験は伊達じゃない。──俺、あんたと本気で戦ったら、一瞬で負けてる」
スパルドがかすかに笑った。剣を交えながら。「そうだな。──だが、今日は勝ち負けの話じゃない」
浅い傷は負わせた。血も流れた。砂はそれを吸った。だが、二人とも相手を殺そうとはしなかった。互いの剣を受けいなししかし決して深くは斬らなかった。──それは戦いのふりをした共同作業だった。客を欺くための。命を預け合った二人だけの秘密の舞踏だった。
時が経った。
二人とも疲れ始めた。息が上がった。だが、勝負はつかなかった。つくはずがなかった。二人とも勝とうとも負けようともしていなかったからだ。
客席がざわめき始めた。
なぜ勝負がつかないのか。なぜあの不敗の華はいつものように鮮やかに相手を仕留めないのか。なぜあの勢いのある志願剣闘士は決め手を欠くのか。──客は苛立ち始めた。血を見たがっていた。決着を求めていた。
「殺せ!」と誰かが叫んだ。「どっちでもいい殺せ!」
その声が伝播した。「殺せ! 殺せ!」──二万の観客が血を求めて叫び始めた。
ルフスとスパルドは剣を下ろした。
二人は砂の中央で並んで立った。息を切らして。血を流して。だが、互いを殺さずに。──そして、二人は客席に背を向けた。主催者の席へ顔を向ける。
闘技場が静まり返った。
剣闘士が戦いをやめた。互いを殺すことを拒んだ。──そんなことは前代未聞だった。客席がどよめいた。主催者たちが席から身を乗り出した。デキウスが砂の外れで蒼白になっていた。
「もう、うんざりだ!」ルフスは剣を砂に突き立てた。
「俺たちは」と彼は闘技場に響き渡る声で叫んだ。「もう殺し合わない!」




