第33話 あなたは、幸せなのか
印が押された後も、国王ローデリヒは書面から目を離さなかった。
制度は決まった。
条文は整い、猶予も撤回権も明文化された。
政治的にも、これ以上は踏み込めない。
それでも、王は机に肘をついたまま、動かなかった。
「……一つだけ聞く」
低い声だった。
「お前は、幸せなのか」
問いは、王としてではなかった。
エリシアは、ほんのわずかに呼吸を止めた。
その質問は、これまで何度も周囲から向けられてきた。
だが、真正面から、逃げ道なく問われたのは初めてだった。
幸せか。
地位はある。
自由もある。
自分の選択を守った。
だが、それは答えにならない。
沈黙が落ちる。
王は急かさない。
エリシアは、ゆっくりと視線を上げた。
「……分かりません」
正直だった。
「分からぬ、か」
「はい」
迷いはない。
「私は、自分の人生を計算してきました。
後悔の確率を減らし、依存のリスクを避け、
制度の中で最も合理的な道を選びました」
王は、黙って聞いている。
「ですが」
エリシアは、わずかに目を伏せる。
「幸福は、計算できません」
その言葉に、王の目が揺れた。
「孤独はあります」
静かに続ける。
「夜、誰もいない部屋に戻ることもあります。
自分の決断を、誰とも共有できない瞬間もあります」
それは事実だ。
「それでも」
顔を上げる。
「私は、納得しています」
幸せかどうかは分からない。
だが、納得している。
「選ばされたのではなく、選んだ」
それが、彼女の支えだった。
王は、しばらく何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……厄介な答えだ」
「申し訳ありません」
「いや」
王は、首を振った。
「誠実だ」
それは、王からの最大限の評価だった。
「人はな」
王は、遠くを見るように言った。
「幸福であることを証明したがる。
正しい選択だったと、示したがる」
だが、と続ける。
「お前は、それをしない」
「できません」
エリシアは、淡々と答える。
「証明できないものを、証明したとは言えません」
沈黙。
「……それでいいのだろうな」
王の声は、どこか穏やかだった。
「はい」
エリシアは、静かに頷く。
「私は、誰かの理想にはなりません」
成功の象徴にも、
幸福の証明にもならない。
「ただ、選択肢を残しただけです」
それが、彼女の仕事だった。
王は、椅子から立ち上がる。
「ならば」
背を向けたまま言う。
「次は、自分の人生を考えろ」
エリシアは、一瞬だけ目を瞬かせた。
「制度ではなく」
王は振り返らない。
「お前自身の、設計だ」
その言葉に、返事はすぐに出なかった。
廊下に出た後も、足取りはゆっくりだった。
(自分の人生)
これまで、彼女は国を設計してきた。
制度を整え、前例を修正し、他人の選択肢を増やした。
だが、自分の未来は、ほとんど描いていない。
幸せかどうかは分からない。
だが、納得している。
その答えは、変わらない。
それでも。
王の言葉が、胸の奥に残った。
――次は、自分の設計を。
夜の王城は、静かだった。
エリシアは、立ち止まらずに歩き続ける。
まだ、終わっていない。
だが、確かに一つの区切りは、越えたのだった。
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