第27話 あなたのようにはなれません
訪問の申し出は、控えめだった。
正式な申請でも、非公式の根回しでもない。経済記録整理室宛に届けられた、一通の短い書簡。筆跡は整っているが、どこか迷いがにじんでいる。
――少しだけ、お時間をいただけないでしょうか。
差出人の名を見て、エリシアは記憶を探った。
ミレイユ・フォン・ルークス。
地方伯家の次女。官僚試験に合格し、配属されてまだ一年も経っていない。
(噂になり始めている)
彼女自身のことではない。
“結婚しない令嬢”という前例が。
エリシアは、返書を書いた。
――本日、申の刻なら。
その短さが、かえって相手を緊張させることを、彼女は知っていた。
申の刻。
整理室の扉が、いつもより慎重にノックされる。
「どうぞ」
入ってきたのは、想像よりも若い女性だった。姿勢は良いが、肩が少し強張っている。
「失礼いたします。ミレイユ・フォン・ルークスと申します」
「存じています。座ってください」
エリシアは、椅子を示した。
ミレイユは腰を下ろすまでに、一呼吸置いた。その間に、部屋を見回す。棚、机、積まれた資料。派手さの欠片もない。
「……思っていたより、静かな場所ですね」
「仕事をするには、十分です」
エリシアは、そう答えた。
沈黙が落ちる。
話を切り出すべきは、訪ねてきた側だ。エリシアは待った。
「……あの」
ミレイユは、意を決したように口を開いた。
「ご迷惑でなければ、お聞きしたいことがあります」
「内容によります」
逃げ道を与える言い方だ。
「私は、結婚を勧められています」
率直だった。
「家のためでもあり、私自身の将来のためでもあると」
「そうでしょうね」
否定もしない。
「ですが」
ミレイユの指が、膝の上で強く組まれる。
「あなたの存在が……比較されるのです」
その言葉に、エリシアの視線がわずかに動いた。
「結婚しなくても、道はある。
あの方は、そうやって結果を出した、と」
ミレイユは、顔を上げた。
その目には、憧れと恐怖が混じっている。
「……私には、あなたのような才能も、覚悟もありません」
その言葉は、鋭かった。
責める言葉ではない。
だが、突きつけられた事実だった。
エリシアは、すぐには答えなかった。
しばらく、整理室の静けさが続く。
「あなたは」
ようやく、口を開く。
「結婚を、したくないのですか」
ミレイユは、首を横に振った。
「分かりません」
正直な答えだ。
「したくない、というより……
選べないまま、決められそうなのが、怖いです」
エリシアは、その言葉を噛みしめた。
(始まっている)
前例が、誰かを追い詰め始めている。
「ミレイユ」
名前で呼ぶ。
「私の生き方は、参考にしてはいけません」
ミレイユが、目を見開いた。
「……え?」
「真似をするものではありません」
エリシアは、はっきりと言った。
「私は、私にできる設計をしただけです。
誰にでも当てはまるものではありません」
「でも……」
「結婚しないことは、正解ではありません」
言葉を、選ぶ。
「選択肢の一つに過ぎません」
ミレイユの表情が、揺れる。
「では、私は……」
「あなたは」
エリシアは、静かに続けた。
「選んでください。
結婚するにしても、しないにしても、
“あなたが選んだ”形で」
ミレイユは、唇を噛んだ。
「……怖いです」
「ええ」
エリシアは、否定しない。
「選ぶということは、責任を引き受けることですから」
だが、と続ける。
「選ばされるよりは、ましです」
長い沈黙。
ミレイユは、深く頭を下げた。
「……来てよかったです」
「そうですか」
「はい。
あなたのようになれないと、分かりました」
それは、敗北宣言ではなかった。
「ですが」
ミレイユは、顔を上げる。
「私なりの形なら、探してもいいのだと」
エリシアは、わずかに目を細めた。
その後ろ姿を見送りながら、胸の奥に、今までにない感覚が残る。
(これは……)
勝利の余韻ではない。
誇りでもない。
責任だ。
自分が作った前例が、誰かの人生に触れ始めている。
それは、想定していたよりも、重かった。
エリシアは、机に戻り、新しい紙を一枚取り出した。
――制度設計・補足案。
今度は、強い人のためではない。
選べずにいる人のための制度を、考えなければならなかった。
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