59.5話 和哉の夏休み
受験生の夏休みは、「天王山」と呼ばれる。合否を分ける極めて重要な期間だ。この時期に高校三年間の復習を済ませ、弱点を潰し、目標に向けて力を積み上げなければならない
——それはたとえ短期大学志願で試験が面接のみだとしても、油断してはならない。
去年の夏の自分は、そんなことを考えることもなかった。進路がぼんやりとしたまま、ただ日々をこなしていた。でも今年は違う。目指すものが、はっきりある。
「ん、ん〜〜」
外の気温が上がり、室内の温度も上がってきて目が覚めた。できることならクーラーを一日中つけておきたいところだが、電気代の問題で寝る前に消して扇風機に頑張ってもらうことにしている。
「ぬ、ん〜〜」
ベッドの上で手足を伸ばして、目を覚ます。寝ぼけ眼でゴロゴロしながら、手探りでスマホを探した。
「………十時!!!」
慌てて起き上がった。
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10:10
パジャマから部屋着に着替えて、洗面台で顔を洗った。鏡に映る自分の顔を見て、寝癖の天然パーマが今日も自由気ままに主張しているのを確認する。なんとかしようとして、水をつけて、やっぱりなんともならないので諦めた。
歯を磨きながら今日のスケジュールを頭の中で整理した。面接の練習、夏期講習、夕方に帰って続き。受験勉強というより、面接に向けた言葉の整理がほとんどだ。
10:20
この時間では食事の気分でもないので、軽くスープだけ飲んで朝食とする。
コンソメ味のカップスープを作りながら、窓の外を眺めた。
夏の空が、もう十分に高かった。あの空の下で湊は今ごろ何をしているだろう、と思って、こら、と自分で自分をたしなめた。
そういえばこの前、ゆで卵を作ろうとして卵を溶かしてしまった、今考えても不思議だ。
何故殻が溶けたのだろう。
10:40
机に向かって、面接の想定文を考える。
志望動機。保育士を目指す理由。男性として保育の現場に関わることの意義。在学中に取得できる資格について。将来のビジョン。
一つ一つをノートに書き出して、音読してみた。自分の声を聞くと、思ったより言葉が詰まる。声に出してみないとわからない部分がある。
一時間ほど書き直して、少し整理がついてきたところで時計を見た。
11:40
「和哉〜、ごはんできたよ」
階段の下から母の声がした。
「はーい」
ノートを閉じて、一階に降りる。
竜喜がすでにご飯を盛っていた。リビングの窓から夏の光が差し込んでいた。母が作った昼食は、野菜たっぷりの和風のおかずで、受験生のために栄養を考えてくれているのがわかった。
黙って食べながら、さっき書いた言葉を頭の中で繰り返した。
13:00
塾の夏期講習に参加する。
母に勧められて入れてもらったが、面接対策の授業は思ったより実用的だった。先生が「志望理由書は自分の言葉で書け」と何度も言う。コピーしたような言葉は面接官にすぐわかると。
うまく言えない時間のもどかしさが、この夏で少しずつ削れていく気がする。
17:00
夏期講習終了。帰りにコンビニに寄って、アイスと冷えた麦茶を買った。
外は相変わらず暑かった。アスファルトからじわじわと熱が上がってくる。アイスを口にしながら、この夏が終わる頃には自分がどうなっているかを、ぼんやりと考えた。
合格していたら。合格していなかったら。でも、どちらにしろ、面接で自分の言葉を言い切ることだけは、やり遂げたいと思っていた。
17:40
帰宅。汗をかいたのでお風呂に入った。
湯船に浸かりながら、今日書いた文をもう一度口で言ってみた。お風呂の中で一人で面接の練習をしているのは、少し間抜けな気がしたが、誰にも見られていないので構わなかった。
壁に向かって「保育士を目指した理由は、子供たちの本質を理解し、寄り添いたいからです」と言ってみた。
浴室に、自分の声が響いた。
18:30
夕食。今日も家族三人で食べた。
竜喜が「兄さん、また独り言言いながらお風呂入ってたろ」と言った。聞こえていたのかと思ったが、「壁の薄さをなめんな」と言われた。
母には聞かれていないようなので良しとする。
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19:30
部屋で面接の文をもう一度考える。
夕食後の頭は少し働きにくい。それでも、書いては直して、直しては声に出した。
ふと、スマホを見た。湊からLINEが来ていた。
『先輩、今日の稽古終わりました。体調どうですか』
思わず顔が緩んだ。
『体調は問題ないよ。受験勉強は…まぁ、やってる』
『頑張りすぎないでくださいね』
『湊こそ、来年も茶道部しっかり頑張らないとね』
『まだ先の話ですよ。今は先輩のことだけ考えてます』
少し間があって、和哉は返信した。
『……それ、困るんだけど』
『困っていいんですよ』
スタンプを一つ送って、スマホを置いた。
ノートを開いて、また書き直した。
21:00
一度ベッドに横になった。
天井を見ながら、今年の夏が去年と違うことを改めて感じた。目指すものがある。それがどれほど大きいか、今年の自分にはわかる。
去年は、自分が何者かわからないまま過ごしていた。今年は、少しだけ、わかっている。
24:30
寝る。
スマホの画面を閉じる前に、湊とのトークを一度見た。
(また明日も、頑張ろう)
そう思いながら目を閉じた。




