↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ふたりのフツウ  作者: 月凪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/67

57話 夢と決意


 体験プログラムの後、見学者向けの個別相談コーナーが用意されていた。


「もしよろしければ、保育科の在校生にお話を伺えますが、いかがですか」


 職員の案内で、湊と和哉は別の部屋に通された。そこには、保育科二年生だという女子学生が一人、待っていてくれた。


「こんにちは、保育科二年の菜月由那です。よろしくお願いします」


 明るい笑顔で挨拶をしてくれた彼女は、体験プログラムを担当していたスタッフの一人でもあった。


「先ほどはありがとうございました。お二人とも、子供たちにすごく懐かれてましたね」


「ありがとうございます。すごく楽しかったです」


 和哉が答えると、由那が嬉しそうに頷いた。


「保育士を目指してるんですか?」


「はい。まだちゃんと決めたわけじゃないんですけど、興味はあります」


「そっか。じゃあ、せっかくなので、いいことも大変なことも、両方お話ししますね」


 由那はそう前置きしてから、椅子に座り直した。


「保育士の仕事、子供と接する時間はもちろん楽しいです。今日見ていただいた通り、子供たちは本当に素直で、可愛くて。でも——」


 少し言葉を選ぶような間があった。


「正直、体力的にはかなりハードです。一日中子供を抱っこしたり、追いかけ回したり。あと、給料面でも、決して高い仕事とは言えないのが現実です」


「……そう、なんですね」


 和哉の表情が少し引き締まった。


「それと、保護者の方との関係も大事な仕事の一部になります。子供だけじゃなくて、保護者の方の気持ちにも寄り添わないといけない。これが結構、難しい時もあります」


「想像していたより、大変なんですね」


 湊が思わず口を挟んだ。


「はい。でも」


 由那が、少し笑った。


「それでも、私はこの仕事がいいと思ってます。子供の成長を一番近くで見られるし、『せんせい』って呼んでもらえる瞬間が、何度経験しても嬉しいんです。今日、お二人も呼ばれてましたよね」


「あ……はい」


「かずやくん、かずやせんせいって」


 和哉が照れたように頷いた。


「あの呼び方、何度聞いても胸がいっぱいになります。私は、それでこの仕事に就きたいと思えています」


 由那の言葉には、現実の厳しさを語る冷静さと、それでも好きだという確かな熱量の両方があった。和哉はその話を、一言一句聞き逃さないように耳を傾けていた。


「綿貫さん、でしたよね。今日の体験で、どう感じましたか」


 由那に聞かれて、和哉は少し考えてから答えた。


「正直、大変な部分もたくさんあるんだろうなって、今のお話を聞いてよくわかりました。でも、それでも——」


 和哉は一度言葉を切った。


「子供と一緒にいる時間が、すごく自然に感じられました。今まで色々な場所を見学してきたんですけど、こんなに自分の中にしっくりくる場所は、初めてでした」


 その言葉は、誰かに言わされたものではなく、和哉自身の中からまっすぐに出てきたものだった。


「それなら、きっと向いていると思いますよ」


 由那が、優しく微笑んだ。


「大変なことも全部含めて、それでもやりたいと思えるなら、それが一番の理由になります」


*****


 短大を後にして、丘を下る帰り道。


 和哉はしばらく無言だった。湊もそれを察して、特に話しかけずに隣を歩いた。


 坂の途中、見晴らしの良い場所に差し掛かったところで、和哉が立ち止まった。


「湊」


「はい」


「僕、決めたよ」


 その声は、これまでで一番、迷いのない声だった。


「保育士になる。この短大に進学して、ちゃんと資格取って」


「先輩……」


「大変なことも、いっぱいあるんだろうなってわかった。お給料のこととか、体力のこととか。でも、それでもやりたいって、今日はっきり思えた」


 和哉が湊の方を向いた。眼鏡の奥の瞳が、いつもよりしっかりと光っていた。


「母さんが望んでる進路とは違うけど。それでも、これが僕の選びたい道だと思う」


 湊はその言葉を、しっかりと受け止めた。


「応援します」


 短い言葉だったが、それで十分だった。


「ありがとう」


 和哉が、ふわりと笑った。


「湊が一緒に来てくれたから、ちゃんと決められた気がする」


「俺は何もしてないですよ。先輩が自分で決めたことです」


「ううん。湊がそばにいてくれたから、ちゃんと向き合えたんだと思う」


 和哉の声には、湊への素直な感謝が滲んでいた。


 丘の上から見える緑の景色が、夕方に向かう光の中で、ゆっくりと色を変えていく。蝉の声に混じって、どこか涼やかな風鈴のような音が聞こえた気がした。


「さて」


 和哉が、急に明るい声を出した。


「次は、夏祭りに行く準備をしようか」


「夏祭り?」


「うん。実は、この近くに祖父母の家があってね。そこで着物を借りられるんだ」


「き、着物ですか」


 着たことがない。


「うん。湊にも着てほしいな」


 和哉が、いたずらっぽく笑った。


「楽しみにしてます」


 湊が答えると、和哉は満足げに頷いて、また歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。