56話「体験タイム」
【室内組・和哉】
保育室に入った瞬間、和哉は小さな視線の集中砲火を浴びた。
「だれー?」
「あたらしいせんせい?」
「おおきい!」
四歳児クラスだという子供たちが、口々に声を上げながら和哉の周りに集まってくる。
「えっと……すーはー、よし」
和哉は少し戸惑いながらも、一度小さく深呼吸をしてから、しゃがんで目線を合わせた。
「今日だけお邪魔する、和哉です。よろしくね」
「かずや!」
「かずや〜」
「みんな〜、和哉、先生ね」
先生が補足する。
「かずやせんせい!」
一瞬で「先生」呼びになった和哉は、その呼び方に思わず照れた。
最初の活動は、折り紙だった。テーブルに座った子供たちの輪に和哉も加わり、一緒に折り紙を折っていく。手本を見せてくれる学生スタッフの説明を聞きながら、和哉は丁寧に紙を折った。
「かずやくん、じょうずね!」
「ほんと? ありがとう」
茶道の所作で鍛えた手先の器用さが、思わぬところで役に立った。子供の小さな手にはまだ難しい折り目も、和哉が手を添えて一緒に折ると、すぐに形になっていく。
「よいしょっと」
「みてみて、かに!」
「すごいね、上手にできたね」
和哉が褒めると、子供は満面の笑みを浮かべて、その紙の蟹を大事そうに持ち上げた。
次の活動は、おままごとだった。子供たちが「お店屋さんごっこ」を始めると、和哉は自然と「お客さん」役に呼ばれた。
「いらっしゃいませー!」
「これください」
「はい、どうぞ!」
プラスチックの野菜と果物を、子供たちが嬉しそうに「販売」していく。和哉は丁寧に「ありがとうございます」と受け取り、子供たちのやりとりに付き合った。その間、視界の端で他の子供たちが少し喧嘩を始めかけているのに気づいたが、すぐ近くにいたスタッフがさりげなく仲裁に入っていた。ああいう動きも、見ていて勉強になる。
*****
【園庭組・湊】
一方、湊が案内されたのは、明るい日差しの降り注ぐ園庭だった。
「お兄ちゃんだれー?」
「いっしょにあそぼー!」
すぐに数人の男の子たちに囲まれた。
「俺、湊っていいます、今日はよろしくね」
男の子たちの目が一斉に輝いた。
「おにごっこしよ!」
「鬼やってー」
「いいよ。じゃあ、十秒数えるから、その間に逃げてね」
湊が軽く屈伸をしながら言うと、子供たちが歓声を上げて散らばっていく。
「いーち、にー、さーん……」
数え終わると同時に、湊は勢いよく駆け出した。
「うわー! はやい!」
「待て待て!」
子供はすばしっこいが、湊の足は子供たちの想像より遥かに速かった。あっという間に一人を捕まえる。
「タッチ!」
「えー! もうつかまった!」
次の鬼になった子供が、今度は湊を追いかけてくる。湊はわざと少しスピードを落として、捕まりそうで捕まらない絶妙な距離感を保ちながら走った。
「もうちょっと!」
「あとちょっとだよ!」
全力を出してしまうと、すぐに終わってしまう。子供たちの「もうちょっとで届きそう」という気持ちを大事にしながら走るのは、思っていたより気を遣う作業だった。
しばらく走り回った後、休憩を兼ねて砂場に移動した。
「あ! お兄ちゃん、おしろつくるの手伝って!」
「いいよ」
砂を盛り上げて、バケツで型を取って、簡単な砂のお城を作る。子供たちが「もっと高く!」とリクエストしてくる度に、湊は手と腕の筋肉を駆使して大きな砂山を作った。
「お兄ちゃん、ちからもちー!」
「鍛えてるからね」
湊が笑うと、子供たちは目をキラキラさせて湊の腕を触ってきた。
「すごい! かたい!」
「こら、そんなにベタベタ触らないの」
近くにいたスタッフが苦笑しながら注意したが、子供たちは構わず湊にじゃれついていた。
ふと、子供たちが遊ぶ様子を眺めた。
砂場で泥団子を作る子、ブランコを取り合う子、虫を見つけて大はしゃぎする子。それぞれが、自分の興味の赴くままに動いている。誰も無理に何かをさせられていない。
(この自由さが、子供にとって大事なんだろうな)
ふと、和哉先輩のことを思った。室内では、どんな様子で過ごしているのだろう。きっと、丁寧で優しい先生をやっているに違いない。
「お兄ちゃん、もう休憩おわり!」
「はいはい」
*****
それぞれのグループで体験生と子供達が遊んでいる。
しばらくすると、一人の男の子が転んで膝を擦りむいた。
「いたいー!」
すぐに泣き出した男の子に、近くにいたスタッフが駆け寄ろうとした瞬間、和哉も同時に動いていた。
「大丈夫? 見せて」
膝の傷を確認すると、小さな擦り傷だった。和哉はポケットに用意していたハンカチを取り出して、傷口にそっと当てた。
「痛かったね。でも大丈夫、すぐ治るよ」
「ほんと?」
「うん。たくさん泣いて、痛いのちょっと逃がしてあげようね」
子供がしゃくり上げながらも頷くと、和哉は優しく頭を撫でた。
「絆創膏、こちらでお願いします」
すぐにスタッフが消毒液と絆創膏を持ってきて、和哉と一緒に手当を済ませた。
「綿貫さん、対応すごく落ち着いてましたね」
スタッフが感心したように言う。
「家で弟の世話とか、よくしてたので」
和哉が照れたように答えた。竜喜が小さい頃の記憶が、ふと頭をよぎる。あの頃は、こんな風に怪我をしたやんちゃな竜喜の手当をすることも何回かあった。何故か和哉がしなければ泣き止まないのだ。母が来ると余計に泣き出すこともあった。あれはどうしてだったのだろうと、今になって少し考える。
「ゆなせんせー、こっちきて?」
グループに馴染めず、一人で部屋の隅にいた女の子が先生におどおどと話しかける。
「ごめんね、さゆちゃん。先生ちょっと手が離せなくて……あ、さゆちゃんもはなちゃん達と遊ぼうよ」
「……」
「あ、さゆちゃん」
さゆちゃんは離れて行った。誰にも気づかれないように、部屋の隅の方へ。
「こんにちは」
部屋の隅に座り込んでいるさゆに、和哉が声をかけた。
「わあ、すごい! トランプタワーだ。君が作ったの?」
「……うん、そうだよ」
「僕もやったことあるんだけど、カードを立てることもできなかったんだよなぁ」
「……教えてあげようか?」
「本当? 教えて教えて」
さゆの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。和哉は床に座り直して、さゆの手元をじっと見つめた。小さな指先が、慎重にカードを支えている。
活動の合間、和哉は子供たちの様子をゆっくりと眺めた。それぞれが自分のペースで遊び、時々ぶつかり、笑い、泣き、また笑う。その一つ一つの感情が、丁寧に受け止められていく場所だった。
(こういう場所で、僕も働きたい)
その思いが、これまでよりずっと、はっきりとした輪郭を持っていた。
*****
【園庭】
子供に手を引かれて、湊は立ち上がった。今度は鉄棒だった。
「お兄ちゃん、逆上がりできる?」
「できるよ」
湊が軽々と鉄棒を回ると、子供たちが歓声を上げた。
「すごーい!」
「教えて教えて!」
湊は一人ずつ、お腹を支えながら逆上がりのコツを教えていった。汗だくになりながらも、子供たちの楽しそうな顔を見ていると、不思議と疲れを感じなかった。
時間が来て、体験プログラムの終了が告げられた時、子供たちは口々に「もっと遊びたい」と言ってくれた。湊はそれが、素直に嬉しかった。
「またね、お兄ちゃん」
「うん、またね」
手を振りながら見送られて、湊は少し照れくさい気持ちで保育園の門を出た。
外で待っていると、しばらくして和哉が室内組の場所から出てきた。
「お疲れ様です、先輩」
「お疲れ様、湊。すごい汗だね」
「外、結構動き回ったので」
「僕も結構、大変だったよ」
二人は顔を見合わせて、自然と笑った。
「先輩、楽しかったですか」
「うん。すごく」
和哉の声には、迷いのない確かさがあった。
「湊は?」
「俺も楽しかったです。子供たち、めちゃくちゃ元気で」
「想像できる」
和哉がくすっと笑った。




