52話 わがまま
「ああああー! 何やってんだぁぼくぅ!」
深夜、和哉はベッドの中で枕に顔を半分埋めながら、今日自分がしてしまったことを思い出し、赤面し悶えていた。
布団を蹴飛ばしたい気持ちと、頭から布団を被ってこのまま消えてしまいたい気持ちが交互にせめぎ合っている。
早朝、母からの言葉で竜喜と湊が二人でプールに行ったと思い込んで、自分も後をついていき、あっけなく見つかり、一緒にウォータースライダーを滑り、挙句の果てには——。
* * *
プールの記憶が、寝返りを打つたびに繰り返し再生される。
自分が放った言葉の数々が、頭の中で何度も鳴り響いていた。
『じゃあ、今度は僕に服、送ってよ』
『湊、きて』
『もう、だから大丈夫だって……仕方ない』
『着せてあげる』
* * *
「ああー! むぐぐぐー!」
恥ずかしさに発狂しそうになり、咄嗟に枕に顔を埋めて声を殺した。布団の中の熱がますます上がっていく。窓の外では虫の声がのんびりと続いているのに、自分の部屋の中だけが妙に騒がしい。
なぜあんなことを言ってしまったのだろう。
自分が卒業するまで恋人にはなれないと言ったのに、「湊が水野さんの水着を選んだ」と聞いた瞬間、急に落ち着かなくなった。どうしようもない焦燥感と、おそらく嫉妬心と呼ぶ感情が頭の中を支配していた。
こんなの、初めての経験だ。
心の整理がつかない。
というか——湊が初恋だと、最近になって気づいたのだ。恋心というものを知らずに育ってきた和哉には、この感覚がどうにも落ち着かない。これが普通なのか、それともこれが「好きな人がいる」という状態の標準値なのか、判断のしようがなかった。
思えば、今まで何か一つのものに執着するのは初めてだった。
『和哉はいい子ね、ちゃんと言うこと聞けて』
いつだったか、幼い頃に母に言われた言葉が頭に響く。
あの言葉を聞いた時、自分は確かに嬉しかった気がする。いい子だと言われること。期待に応えられたこと。それが当たり前になって、いつの間にか自分の在り方そのものになっていた。
和哉は生来、どちらかというと人に譲るタイプの性格だ。お菓子も、席も、意見も、誰かが欲しがるならそちらを優先してしまう。それが自分にとって楽だったし、波風を立てない一番の方法だった。
なのに——何故か湊の前だと、わがままになってしまう。
手を繋ぎたいとか、もっと話してほしいとか、自分のことだけ見てほしいとか。もっと、もっとと、今までの自分なら絶対に口にしなかったような望みが、するすると言葉になって出てくる。
今日の「湊、きて」も、その流れの一つだった気がする。
湊の小柄なのに筋肉質な身体を、周りの人の目に触れさせたくなかった。あの体を見ているのは、自分だけでいい。そんな考えが、自分でも驚くほど自然に浮かんでいた。
布団の中で和哉は、もう一度小さく唸った。
(湊にも、もっとわがままを言ってほしいと思う)
そう思った瞬間、自分の中で何かがすとんと落ち着いた。
好きな子にわがままを言ってもらえたら、きっと嬉しいだろう。湊が「先輩、こうしてほしい」とか「先輩、これ嫌です」とか、はっきり言ってくれたら。今はまだ、湊の方が気を遣って引いてくれている場面が多い気がする。
それが少し、もったいない。
でも、今日の自分のわがままは、ちょっとやりすぎたかもしれない。
ラッシュガードを無理やり着せたり、休憩だと言って二人きりの場所に連れていったり。改めて思い出すと、湊にだけ振り回される形になっていた。あれはちゃんとした「大人」の振る舞いだっただろうか。
いや、たぶん違う。
もっと余裕のある態度で、湊を甘やかしてあげられる先輩でいたい。困らせて楽しむのではなく、ちゃんと安心させられる存在になりたい。
次のお出かけでは、もっとかっこよく、大人らしく振る舞おう。和哉は布団の中でそう決意した。
ふと、別の考えが頭に浮かんだ。
そういえば。
湊が自分に好意を持っていることは、もう知っている。体育祭の日に、ちゃんと聞いた。でも——湊が、自分を好きになってくれた理由は、まだ聞いていない。
なぜ自分なんだろう。何がきっかけだったんだろう。
考えてみると、それを聞くのが少し怖い気もした。でも知りたい気持ちの方が、今は強かった。
「……今度、聞いてみようかな」
誰もいない部屋で、独り言が静かに溶けていった。
窓の外の虫の声は、まだのんびりと続いている。和哉は枕を抱き直して、ようやく少し落ち着いた呼吸で目を閉じた。




