48話 プール Ⅴ
涼香に付き添われた女子組も合流して、全員がプールサイドに揃った。お腹が空いた、という誰かの声をきっかけに、昼食を取るためフードコートに行くことになった。
和哉がびしょびしょのまま立ち上がると、湊が「大丈夫ですか」と肩を叩いた。
「大丈夫、びっくりしただけ」
「面白かったですよ、めちゃくちゃ声出てたじゃないですか」
「うるさいよ」
でも、和哉は少し笑っていた。
「ふぅ」
少し息をついて、湊は濡れた前髪を後ろに上げた。
「……」
体育祭の時に見たものとは少し違う、オールバックの形だった。額が露わになって、顔の幼さが強くなる。なんだか急に少年らしさが増した気がした。そして何より、筋肉質の体とのギャップがすごい。
(こんな感じ?)
和哉は先ほどの湊の仕草を思い出しながら、自分の前髪も同じように上げてみた。水を吸って重くなった黒髪が、すっと額から離れる。初めてしたが、変な感じだ。
「っ!」
湊を見ると、目を見開いて固まっていた。
「え? なに? ……もしかしてなんか変だった?」
「いえ! そんな訳では!……ただその……」
「?」
「おーい、二人とも早く行こー」
「兄さん遅い。人待たせてる自覚ある?」
弟と妹の催促の声が聞こえて、兄たちは先を急いだ。
*****
「〜〜そしたら、涼香お姉さまがガってカス男たちの腕を捻り上げてくれたの〜」
渚がうっとりした様子で、涼香の武勇伝を話し出した。
八人は大きなパラソルのあるテラス席に座っていた。周囲は木の影になって見えなくなっていて、ちょうど個室のような落ち着いた空間ができている。風が時々吹くと、青いテーブルクロスの端がぱたぱたと動いた。
「そんなことになってたのか、すまんな。一応統率役として来てたのに」
「そんな、気にしないでください」
「すごいですね、合気道。かっこいいです」
竜喜が尊敬の眼差しで涼香を見つめた。
「あはは、当然のことをしたまでですよぉ、あはは」
謙遜したいが、あまりやりすぎると「なぜここにいるのか」を深掘りされそうで、それは避けたい。涼香にしては珍しく、笑顔がやや固まっていた。
「ほんと! 七瀬さんすごいね、かっこいいや!」
(この男!)
ちょっとは自分たちの立ち位置を考えてほしいものだ。呼ばれてない集まりに勝手に来ているのだ、空気が読めない行動をしている自覚をしてほしい。
「そんな謙遜しないでください、すっごくかっこよかったです!」
雪が両手を握りしめて褒め称えた。
(お二人とも、みんなでプールに来たかったんだろうなぁ)
どこか生暖かい目で、雪は二人を見ていた。
「っす! かっこよかったっす!」
(っす! かっこよかったっす!)
心の声がそのまま漏れている綾香だった。
「確かにかっこいいですけど。あんまり無茶しないでくださいね?」
(水着の先輩、いいなぁ)
涼香にうっとりする尚弥がいた。
「女子の方に居たのかもやしの兄さんじゃなくてよかったね」
(兄さん! 兄さん! 兄さん! 水着の兄さん!)
和哉に悪態をつく竜喜だった。本心は別のところで盛り上がっている。
「湊、これ奢って」
「お小遣い貰ってんだろ、自分で買え」
マイペースに兄にたかる渚だった。
涼香の心配を他所に、当人たちの考えはそれどころではなかった。もはや涼香と和哉がなぜここに来ているのかなど、誰も気にしていなかった。
そして、涼香は渚の言葉に目をつけた。
手をぱちんと叩く。
「そんなことより、お食事にしましょう。どれにします?」
そう言ってメニュー表を差し出した。話を逸らすには十分な威力があった。
「わぁ、どれも美味しそう」
「私はもう決めてます! このパンケーキ!」
「あ、それもいい!」
「俺、この海の焼きそば食べたい」
「海といえば焼きそばだよなぁ」
「プールですけどね、ここ」
なんやかんやで全員の注文が決まる。
「トロピカルパンケーキ四つと、焼きそば二つ、チキンカレー二つ、ですね」
涼香が紙にメモを取った。手元の動きが手慣れている。
「あ、七瀬先輩、注文なら俺が……」
「大丈夫ですよ」
「え?」
「すみません、これお願いします」
涼香はいつの間にか近くに立っていた店員に声をかけた。
「七瀬先輩、ここそういうシステムじゃ……」
「かしこまりました、少々お待ちください」
すっと一礼して、店員が下がっていった。
「???」
頭にハテナマークを浮かべる尚弥に、和哉がフォローを入れた。
「ここ、七瀬さんちのグループの施設らしいよ。だからちょっとVIP対応できるの」
「は! そういえばここそうだった!」
「あー、そうなんだ」
「VIP対応、なんていい響き」
「七瀬先輩ちのグループ?」
キョトンとする湊がいた。
「えっと、久我くんもしかして」
「お兄ちゃんもしかして知らないで涼香姉様といたの?!」
「すごい、お金持ちなの? 七瀬先輩って」
「久我ってあまりニュースとか見ないの?」
「見ないな、……お前見てるの?!」
「失礼な。朝のランニングの後にテレビつけて見てるよ、父さんが」
「お待たせしました、パンケーキでございます」
「はやぁ!」
「綾ちゃん」
女子たちの興味はパンケーキに移っていった。湯気を立てたトロピカルパンケーキが次々と並んでいく。
「湊、これ読んで」
湊の隣に座る和哉が、そっと机の下からスマホを差し出してきた。
画面には「ウェイペギア」という情報サイトが映し出されている。見出しには『一ノ瀬グループ・七瀬』と書かれていた。
要約すると、一ノ瀬グループは幅広い分野で活動しており、七つの分野に分かれている。その中で「七瀬」が遊園地、水族館、プールなどのレジャー施設に力を入れている、というものだった。
(め、めちゃくちゃお嬢様だった!)
お育ちは良さそうだとは思っていたが、ここまでとは。
ぶふ。
横を見ると、和哉が笑いを堪えていた。
「その驚きよう、本当に知らなかったんだ」
「だ、だって今まで誰も言わなかったじゃないですか!」
小声で抗議する湊に、和哉が答える。
「しないって、そんなセンシティブな話できないよ」
「ぐぅ、でも! でもぉ」
「あはは」
*****
ご飯を食べ終えた一同は、満腹になった腹を抱えながら談笑モードに入っていた。テーブルの上には食べ終えた皿が並び、店員が一枚ずつ下げていく。
「そういえば、渚ちゃんも綾香さんも雪さんも素敵な水着ですね。新しく買ったのですか?」
涼香がのんびりとした口調で聞いた。
「ありがとうございます、七瀬先輩も素敵な水着ですよ」
「実は、みんなで買いに行ったんですよ」
「あ、ちょっ……」
湊が止めようとしたが、遅かった。
「久我に選んでもらいました!」
ぶふっ!
「ゴホゴホ」
和哉が水を吹き出した。
「えぇ! 綿貫先輩大丈夫ですか!」
「大丈夫、大丈夫。それよりも、その話もっと聞かせて」
その目がいつもより燻んでいる。
「あ、先輩違うんです!」
「なにが違うの?」
「そうだよ! 久我が私たちの水着を選んだのは事実でしょ!」
「へぇ、そうなんですか?」
このままではまずいと、涼香が雪の方を見て事実確認をしようとした。この子ならフォローをしてくれるかもしれない。そう期待しての一手だった。
「はい……白のビキニを勧められました」
「水野さぁん?!」
予想外の裏切りに驚く湊がいた。
雪が舌を出して、こそっと笑って見せた。「ちょっと仕返しだよ」と呟く。
ちょっとどころじゃないです、水野さん。
「マジですかぁ、湊さん、マジですかぁ」
「趣味全開だなぁ」
「お兄ちゃんマジ最低」
「二人とも違うから! 渚、お前に至っては黒幕だろ!」
「久我、隠さないでいいんだぞ? お前はなかなかのいい趣味だ……いっだぁ」
尚弥の膝に激痛が走った。
「ど、どうしました?」
「ムカデにでも刺されたんじゃないですか?」
涼香が涼しげに答える。尚弥にだけ分かるよう、顎でクイっととある方向を指す。
「?」
気になって見てみると、和哉だった。顔は見えないが、なんだかやばい、どす黒いオーラが出ている。
「あー、ほら! もうみんな食べ終わったでしょ! ここ出ましょう! 泳ぎましょう、レッツゴー」
尚弥が無理やり明るい声を出して話をそらした。
「は、はい」
各々が身支度をして席を立つ。
「うーん、どこ行く?」
「今度は私もウォータースライダー!」
「そうだね、行ってみよう」
「俺ももっかい滑りたいな」
「一回じゃ満足できないですよね」
「じゃあ、ウォータースライダーに行きましょうか」
「あ、俺、トイレ行ってから追いつきますね」
「了解」
「湊、迷うかもだから付いてくよ」
「大丈夫ですよ! こんなところで迷いません!」
「いいから、ほら行くよ」
「あ、待ってください」
二人が小さくなっていくのを見送りながら、涼香が呟いた。
「まったく、綾香さんはとんでもない爆弾を落としてくれますねぇ」
「わぁ、あの男の子筋肉すごい」
「いくつだろ、高校生ならありより?」
近くを歩いていた女子大生くらいの人たちが、尚弥を指して話しているのが聞こえてしまった。涼香の片耳が、わずかにそちらへ動いた。
「さて、私は私の目的を果たしますか」
涼香はそう呟いて、テラスの椅子から立ち上がり、尚弥の隣に立つ。




