43話「さぁ、選んで?」
夏休みのとある日、湊は妹の渚に無理矢理手を引かれ、ショッピングモールに着いていた。
外はうだるような暑さだったが、自動ドアをくぐった瞬間に空調の冷気が出迎えてくれた。
広い吹き抜けの天井から白い光が降り注ぎ、館内は人でにぎわっている。老若男女、0歳の赤子からお年寄りまで、幅広い人間が行き交い、各々の目的に合った代物を求めて歩いていた。
食品売り場では主婦たちが値段と睨めっこをし、広場ではヒーローショーが行われて子供たちとその親が集まり、カフェではお年寄りや若い男女がお茶をしている。子供が「スーパーレッドー!」と叫ぶ声と、音楽と、人の足音が混ざり合って、独特の夏休みの空気が充満していた。
さて、湊が今日このモールに連れてこられた目的の場所だが——。
「俺はそこら辺で待機してるから」
「往生際が悪い! 私はちゃんとアンタのお願いに答えてあげたんだから、次はそっちが答える番!」
渚が腰に手を当てて、目を細める。見学会の時に協力してもらった件の恩返し要求だ。言っていることは筋が通っているが、それにしても。
「なんで……なんで……」
「俺が何が悲しくて、この夏初めて見る女性の水着が妹のなんだよぉ」
心の声が漏れた。どうせみるなら彼の水着を見たい。
「ふぅんぬ!」
「ごふ」
渚の肘が、湊のみぞおちに入った。寸分違わず、正確に。
「ごめん聞こえなかった、もっかい言って?」
「みぞうちはダメだろぉ……」
湊がうずくまっていると、遠くから急に声を上がった。
「あ! やっぱり! おーい!」
「「ん?」」
振り返ると、二人の女子がいた。
「ああ! 雪さん! 綾香さん! お買い物ですか?」
どこからそんな猫撫で声を出しているのか。
「入口で見かけて、もしかしてとは思ったけどやっぱりだったか」
「く、久我くんうずくまってどうしたの? 大丈夫?」
雪が心配そうに声をかけてきた。
「ああ、大丈夫。実は——」
「なぁんかぁ〜急にお腹が痛いって言い出して? たぶんお昼食べすぎたんだと思います!」
こいつ、よく言いよるわ。
「ぶっは! 久我、何食べたのさ」
「こら、綾ちゃん」
「こんな兄のことは放っておいて! お二人はお買い物ですか?」
「うん、この夏、水着を新調しようと思ってね。雪のを」
「綾香さんじゃなくて雪さんのですか?」
「そそ。アタシは体型変わってないから必要ないんだけど、雪てばアタシを置いていっちゃったんだよね」
「へえ、そうなんですか〜」
綾香と渚の声のトーンが、ほぼ同時に下がった。二人の視線が、そろってじとっと雪の胸部の方へ向く。
「二人ともどこ見てるの!!」
真っ赤になった雪が抗議した。
「は! 久我くん気にしないでね? ほんとに!」
「……別に気にしなくていいと思うぞ」
「へ」
「むしろ、水野の体型ならもう少しあっていいはずだ」
「へぁ!」
「なに言ってるのアホ兄!」
「ほほう、久我は雪にもっとあってほしいと?」
「ああ、その方が健康的だし。だから——」
湊は続けた。
「多少体重が増えても気にしなくていいと思うぞ。水野の身長の日本人女性の健康的な体重は……」
和哉先輩を支えるために始めた筋トレを趣味にしつつある湊は、最近栄養学の方にも少し手を出し始めていた。そのせいで、無意識に少々専門的な目線で物事を見てしまう癖がついていた。本人はまったく悪気がない。それが余計に始末に負えない。
「「…………」」
渚と綾香が無言で湊を見た。
「はぁ、久我、君にはがっかりだよ」
「は?」
「すみません、お二人とも。ちょっとコレそこに落として来ます」
「ぐぇ」
渚が湊の胸ぐらを掴み、ガラスの柵で区切られている吹き抜けの方へ引っ張っていこうとした。物理的に無理だが、目が本気だった。
「うお! ちょ渚さん! それはシャレにならないから!」
*****
騒ぎがひとまず落ち着いて、四人はフードコートのそばのベンチに落ち着いた。
「俺、なんか悪いこと言ったか?」
「幻滅だわ」
「君にはがっかりだよ」
渚と綾香が散々な言いようで言い合ってから、湊は雪の方に目線を送ってみた。
「知りません」
プイ、と顔を背けられた。
完全に悪役扱いだ。何がいけなかったのか、まだよくわかっていないが、これは謝った方がいいのだろうという判断だけはついた。
「そういえば、渚ちゃんは何買いに来たの?」
綾香が渚に聞いた。
「私も水着を買いに来たんです。本当はアレに荷物持ち兼相談役をしてもらおうとしたんですけど、今、不具合があることに気づきました」
渚が湊をちらりと見た。「不具合」という言葉が刺さった。
「あちゃー、運がないね」
「今日、俺の味方いないの??」
「そこにいないならないですね」
「じゃあ! 私たちと見よ! どうせ行くとこ一緒なんだし!」
「いいんですか?」
「いいよいいよ! 雪に激かわな水着着せちゃお」
「はい!」
「普通のでいいから!!」
雪が真っ赤になりながら叫んだ。
「ってことで、お兄ぃ帰っていいよ〜。あ、荷物持ちに戻ってきてね」
「待機はダメなわけ?」
そこで綾香が、不適な笑みを浮かべた。
「ああ! にひ」
「ねぇ? ねぇ? 久我も来なよぉ。確かに大した目は持ってないかもだけど、男の子目線も必要かもだし、ね? 雪」
「へ、いや……その、別に誰かに見てほしいわけじゃ……」
「え、ひどい! 雪、久我にこの炎天下の中帰れっていうの? 腹痛を抱えてて飲まず食わずで水分も取れず熱中症になっちゃうかもだよ?!」
「そこまで酷い状態じゃないが?!」
「そんな、熱中症になれなんて言ってないよ。でも、恥ずかしぃし……」
「雪ちゃーん、それは水着のメーカーさんに失礼だよ? メーカーさんは恥ずかしいものを作ってるのかなぁ」
「そんな! 私そんなつもりじゃ!」
「じゃあ問題ないね! 行こ〜!」
「ねえ、お兄ちゃん。雪さんってかわいいね」
「素直すぎて心配になるけどな。って! だから俺は行かな……」
渚がすでに湊の袖を掴んでいた。
*****
「来てしまった」
抵抗もむなしく連れてこられたのは、カラフルな水着が並ぶ売り場だった。壁一面に水色やピンクや白のビキニやワンピースが吊るされていて、少しだけ目が眩みそうだ。夏の匂いとビーチの写真が飾られた空間は、明らかに湊のいるべき場所ではなかった。
「お兄ちゃん、これとこれどっちがいい?」
渚が二着持ってきた。水色のフリルがついたもの、黄色いセパレートのもの。湊にはその違いがあまりよくわからない。
「俺に聞くな」
だが、その言葉はもう誰にも届かなかった。
綾香が渚に乗っかって、試着した水着を湊に採点させる流れが完成していた。渚が試着して出てくるたびに、湊に「どっちがいい?」と聞いてくる。湊は「どっちも似合ってます」を、死にそうな顔で連発し続けた。
問題は、雪だった。
試着室に入ってから、出てくる気配がない。
「雪、いつ出てくんの」
「もうちょっとだけ待って」
「もう五分経ってるよ」
「あとちょっと」
「雪〜」
綾香がカーテンを少しだけ引っ張ると、「ひゃ」という声がしてカーテンが内側から引き戻された。
「もう! 引っ張らないでよ!」
「じゃあ自分で出てくる?」
しばらくの沈黙があってから、カーテンが静かに開いた。
白いビキニを着た雪が、目を伏せて立っていた。両手が少し泳いでいる。
「……こ、こっちを見ないでください」
「見てないですよ」
湊は正直に答えた。意識的に視線を反らしていた。
「み、見てますよねぇ」
「見てません」
「絶対見てます」
「見てないです」
しばらくの応酬の後、湊は真顔で言った。
「水野は何着でも似合うと思います」
沈黙が落ちた。
「……へ?」
「この色も、さっきの紺も、どちらでも水野には合うと思います。どれでも買っていいと思います」
雪の耳が、じわじわと赤くなっていった。渚と綾香がにやにやとしているのを、湊は意図的に見なかった。
*****
全員分の水着が決まった頃合いで、綾香が手を叩いた。結局綾香も買っている。
「そうだ! どうせなら皆でプール行こうよ!」
「行きます!」
渚が即答した。
「楽しそう、ですね」
雪がまだ少し頬を赤くしたまま頷いた。湊が「俺は別に」と言いかけた瞬間、渚の目が細くなった。
「お前も水着買いなよ」
「持ってるし」
「どうせ中学指定のやつでしょ。センスないやつ絶対まともなの持ってないよね」
「……持ってはいる」
「センスないやつが言う」
「センスある奴に言われたいんですけど」
「はいこれ選んだ。これ買って」
渚が湊に一着押しつけた。渚が選んだのだから間違いなく「センスがある」とは言いにくいが、まあ悪くはない。湊は黙って受け取った。
気づいたら全員分の水着と、湊の分の水着が袋に入っていた。
「プール、いつにする?」
綾香が聞くと、全員でスマホを取り出して予定を確認し始めた。




