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ふたりのフツウ  作者: 月凪


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35話 許可取り

「「見学会、ですか?」」


 雪と綾香の声が揃った。


「うん、まだ計画段階なんだけど、夏休みにね……」


「わあ、なんだか楽しそうっすねぇ」


「そういえば高校見学ありましたね、懐かしいなぁ」


 高校の公式見学会は秋頃に行われるものだ。あれから一年も経っていないのに、雪が懐かしそうに言う。


「うちの弟のせいで大事になってきたなぁ」


 和哉がしみじみと呟く。


「大丈夫ですよ先輩、俺が頑張って協力しますんで!」


 湊が力強く言った。和哉がくすっと笑う。



 茶道部の活動日。


 稽古前の準備時間、六人が道具を並べながら動いている中で、涼香が口を開いた。その隣には村内が控えている。


「先日、村内くんと一緒に生徒会長に話を聞いてきました」


 その一言で、全員の手が止まった。畳に置きかけた茶碗、拭きかけの布、広げかけた帛紗。それぞれがそれぞれの動きを止めて、涼香を見た。


「結論から言うと、学校主体での見学受け入れは手続きが複雑で、今から動いても夏休みには間に合わないそうです」


「やっぱりそうだよねぇ」


 和哉が少しだけ肩を落とす。竜喜の無茶振りから始まった計画だ。そう簡単にはいかないとわかってはいた。


「ただ」


 涼香は続けた。


「部活主体、生徒主導での企画であれば話は別だそうです。『茶道体験見学会』として、私たちが自分たちで企画・運営する形にすれば、開催できる可能性があるとのことでした」


「……それって、全部自分たちでやるってことですか?」


 雪が確認するように言う。その不安そうな指先が、帛紗をそっと握り直した。


「そうなります。案内、準備、当日の運営、全部です。ただ、顧問の名義だけは必要になります」


 涼香がそこで一息ついた。


「吉野先生は外部講師ですので、学校への申請書類に名前を書いていただくのは難しい。ですから、名義だけ引き受けてくださる方を別に探す必要があります」


 静かな間があった。


「……臨時顧問、ですね」


 湊が言った。


「ええ。名義だけで構いません。実務は私の方でやります」


「俺もやりますよ」


「私もやります!」


「私もやります! 書類運びはお任せあれ!!」


「ぼ、僕もちゃんとやるよ、言い出しっぺだし……」


 立て続けに声が上がった。涼香は一人一人の顔を見て、小さく頷く。


「ありがとうございます。ただそれについては……臨時顧問探しに、綿貫さんと久我くんで動いていただこうと思っています」


「僕と湊が?」


「ええ。私と村内くんは吉野先生への説明を担当します。二人は臨時顧問のお願いに行ってください」


 涼香の視線が、まっすぐ和哉と湊に向く。


「心当たりは……ありますか?」


 和哉と湊は、ちらりと顔を見合わせた。


*****


 職員室の前で、二人は立ち止まった。


「……とりあえず宇佐美先生、でいいですよね」


「うん、たぶん」


「たぶん?」


「僕、他の先生の顔と名前がわからないから」


「それが頼む理由になってていいのかちょっと心配です」


 今度、ちゃんと人の名前と顔を覚えるようにそれとなく伝えようと湊は思った。相手は友達だと思っていたのに全く覚えられていないのは可哀想だ。自分だけを見ていてほしいという気持ちは正直あるが、これは少々問題外だ。


「まぁ、大丈夫ですよ。とっておきの策があるので」


「策?」


 和哉が首を傾げた。湊は「入りましょう」とだけ言って、扉に手をかけた。


 職員室に入ると、窓際の席に宇佐美がいた。白衣を椅子の背もたれにかけて、手元の書類を眺めているのか眺めていないのか、どちらともつかない顔をしている。

 

 目の下の隈が今日もしっかりある。その向かいには、きっちりとスーツを着込んだ高梨が、丁寧な字でノートに何かを書いていた。おそらく提出された古文ノートのチェックだろう。


「宇佐美先生、少しよろしいですか」


 湊が声をかけると、宇佐美は顔を上げた。黒曜石のような目が、二人を一瞥する。


「なんだぁ、久我と……えっと」


 いつもの間延びした声で湊に答え、チラッと和哉の方を見る。


「綿貫です」


「綿貫。何の用だぁ」


「実は茶道部で夏休みに見学会を開催したいんですが、臨時で顧問をお願いできないかと思いまして」


 宇佐美の表情が、わずかに、いやかなり曇った。面倒くさい、という感情が顔に出ている。隠す気がまるでない。この人は本当に隠さない。


「……顧問」


「名義だけで構いません。書類に名前を書いていただくだけです。実務は全部生徒でやります」


「夏休みだぞ。私の貴重な夏休みに」


「書類のやり取りはLINEで済ませます」


「……前日、当日は流石に参加せねばならんだろ」


 宇佐美が腕を組んだ。その視線が、隣の高梨の方に流れる。高梨は書き物をしながら、さりげなくこちらの会話に耳を傾けているようだった。顔は書類に向けたまま、でもペンの動きが止まっている。


「先生」


 湊が一歩踏み込んだ。


「体育祭の時の賭けの話なんですけど」


「賭け?」


 和哉が首を傾げる。湊はそのまま続けた。


 宇佐美の眉がわずかに動いた。


「……チッ」


「確か、勝った団の方の言うことを聞く、という内容でしたよね。教師リレーは青団が優勝しました」


 高梨がペンを止めた。


 そう、体育祭後から一組と二組の間でひそかに話題になっていた。教師対抗リレーで宇佐美と高梨が賭けをしていたこと。あの日、高梨が鶏の着ぐるみを着てまでガチで走ったのはこれが理由らしい。


 ちなみに噂が広まってから二人は上の人に怒られたのだとか。


「高梨、お前が言い出した賭けだろ」


「言い出したのは貴女では」


「細かいことはいい」


 高梨が静かに腕を組んだ。


「確かに私は、教師リレーで勝った団の言うことを一か月間、真面目に働くという条件を提示しました。勝者は私ですので、宇佐美先生が条件を履行する義務があります」


 高梨が姿勢を正してこちらを向いた。


「久我くん、綿貫くん。詳細を聞かせてください。可能な限り協力します」


「「ありがとうございます」」


 二人の声が揃った。


 宇佐美が小さく舌打ちをした。


「……仕方ない。書類だけな。判子押してLINEで送ればいいんだろ」


「よかった」


「ただし高梨、お前も連帯な。これは二人の賭けだからなぁ」


「……賭けは私が勝っていたはずですが」


「私に茶道部の顧問が、臨時とはいえ務まるとでもぉ?」


「誇らしげに言わないでください」


 高梨が眉間を押さえた。その仕草が珍しく人間くさくて、湊は思わず笑いそうになるのをこらえた。


「ほんとはずっとって条件だったんだけどな」


 宇佐美がぼそりと言う。


「……え?」


「ずっと真面目に教師をしろ、って高梨は言いたかったんだとさ。でもそれは無理だと思ったんだろ、一か月に丸めてきた。失礼な話だ」


「どの口が言いますか」


 高梨が静かにため息をついた。


「現実的な条件を提示したまでです」


 宇佐美はどこか楽しそうだった。高梨は完全に疲れた顔をしていた。


「じゃあ、詳細はまた連絡します。よろしくお願いします」


「はいよ」


「よろしくお願いします」


 職員室を出ると、廊下に夏前の白い光が差し込んでいた。


「……うまくいきましたね」


「良かった。でも宇佐美先生、本当に大丈夫かな」


「大丈夫じゃないと思いますけど、まぁ」


「まぁ?」


「宇佐美先生、あれで気にかけてますよね、高梨先生のこと」


 赴任してきてからずっと、高梨は生真面目で生徒とも教師とも一定の距離を置いているように見えた。鉄仮面、と一部の生徒に言われているのも知っている。でも宇佐美は、そういう高梨の近くにいつもいる。先輩として、なんだかんだ気にかけているのだろう。


 和哉がくすっと笑った。


「そうかもしれないね」


*****


 部室に戻ると、涼香が吉野先生への説明をほぼ終えているところだった。


 吉野先生が静かに頷きながら話を聞いている。その表情は穏やかだが、どこか普段より慎重な色があった。涼香の説明が一段落した頃合いで、吉野先生がゆっくりと口を開いた。


「なるほど。生徒主体での見学会、ということですね」


「はい。お手数をおかけしますが、内容についての監修や当日のご助言など、お力をお借りできればと思っています」


「それはもちろん、喜んで」


 吉野先生が、微かに目を細めた。


「ただ、一点だけ確認させてください」


 一同が背筋を正す。


「秋の文化祭のお茶会、今年はそちらが一年生と二年生の主担当になります。見学会と重なって負担が大きくなりませんか」


 静かな問いかけだった。叱責でも否定でもなく、ただ心配している声だった。その一言で、和室の空気が少しだけ引き締まる。


 涼香が少し考えてから、答えた。


「それについては、これからの話し合いで確認しようと思っていました」


「では、そこからですね」


 吉野先生が、静かに微笑んだ。


「茶道は焦らず、丁寧に。計画も同じです。急いで進めて大切なものを取りこぼさないように」


「はい」


 湊は和哉の方をちらりと見た。和哉は前を向いて吉野先生の言葉を聞いていた。茶道室に座る時の、あの落ち着いた顔だ。


 夏休みの見学会と、秋の文化祭。二つの大きな仕事が、少しずつ形になり始めていた。

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