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ふたりのフツウ  作者: 月凪


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36話 終業式


 早くも七月下旬、終業式の朝。


 体育館には全校生徒が学年ごとに整列していた。外はすでに夏の本気を出しており、体育館の中でも熱気が床から這い上がってくるような感覚がある。天井の高いわりに窓が少なく、天井の隅で換気扇がのろのろと回っているだけでは到底追いつかない。制服の背中に汗が滲む。


 湊は手の甲で額の汗をぬぐいながら、ぼんやりと壇上の校長先生を見ていた。


「……この一学期を振り返りますと」


 マイク越しの声が、体育館の空気をゆったりと進んでいく。話の内容は頭に入ってこない。暑さのせいもあるが、頭の中がすでに午後の予定でいっぱいだった。


 校長先生の話が終わり、続いて教頭先生が前に出た。こちらが教頭先生か、と湊は初めて顔と役職が一致した気がした。落ち着いた声で夏休みの生活指導について話している。


「夏休みといえども、規則正しい生活を」


 その言葉のあたりで、教員席の方からかすかなため息が聞こえた気がした。宇佐美先生だろうか。隣に座っている高梨先生が、わずかに目を伏せたように見えた。


 終業式が終わり、各自ホームルームを経て解散になった。廊下はたちまち、帰宅する生徒と部活へ向かう生徒が入り混じり、夏休みの始まりの浮き足立った空気が満ちていく。


 湊はその流れに逆らうように、荷物をまとめて茶道室へと向かった。


*****


 茶道室には、吉野先生と六人の部員が揃っていた。


 稽古の準備とは少し違う並び方で、全員が吉野先生を中心に円を作るように座っている。涼香が手元の紙を広げた。細かい字でびっしりと書き込まれたメモだ。いつ書いたのだろう、と湊は思いながら眺めた。


「今日は見学会と秋のお茶会、二つの件について方針を決めたいと思います」


 全員が頷く。


「まず前提として、吉野先生からご指摘いただいた通り、この二つは時期が近い。見学会を夏休みに、お茶会を文化祭に合わせて開催するとなると、準備が重なる期間が出てきます」


「具体的にはどれくらい重なりますか」


 雪が手元のノートを開きながら聞いた。準備万端だ。


「見学会を八月の中旬として、文化祭が十月。準備を逆算すると、九月頭から文化祭の準備に入る必要があります。見学会の振り返りと文化祭の準備が同時進行になる可能性が高い」


「かなり詰まってますね」


 村内が腕を組む。


「振り返り、ですか?」


 綾香が首を傾げた。


「部費の精算や、外部から人を招いた場合の報告書など、必要な書類があるようです。それも含めると、見学会が終わってすぐ次の準備に入る形になります」


「ただ、全員が同じペースで動く必要はないと思っています」


 村内が続けた。涼香が頷く。


「三年生については、受験勉強を最優先にしていただく必要があります。吉野先生からも夏以降は任意参加とのお話がありましたので」


 和哉と涼香の目が、一瞬だけ合った。


「ですから、三年生の参加頻度は週一回程度にしていただいて構いません。見学会の当日と、その前日の準備。それ以外は来られる時に来ていただければ十分です」


「でも、お茶会の方でもお力を借りたいんじゃないですか」


 湊が確認すると、村内が頷いた。


「ああ、ただしそちらも同様に無理のない範囲で。当日の監修やお点前の指導、という形でお願いできれば」


「……僕たちの都合をちゃんと考えてくれてるんだね」


 和哉がしみじみと言う。その声には、純粋な感謝が滲んでいた。


「当たり前です」


 村内がきっぱりと答えた。


「それに」


 村内が続ける。


「先輩たちがいなくなった後のことも、俺たちで回せるようになっておかないといけないですし。今回は練習だと思って」


「あら、村内くん、しっかりしてますね」


 涼香が少し驚いたように言う。その瞳が、普段よりわずかに柔らかい。


「このくらいなんてことないです」


 村内が照れくさそうに頭を掻いた。涼香がそれを見て、ほんの少しだけ表情を緩めた。


*****


「では、具体的なスケジュールの話をします」


 涼香が紙を指でたどりながら続けた。


**見学会について**


「開催日は八月十五日前後を想定しています。夏休み中に来られる中学生が多い時期を狙いたい」


「はい!内容はどうしますか!」


 綾香が手を挙げる。


「お点前の披露と、体験の二本立てを考えています。お菓子とお茶を一服ずつ。難しい作法の指導よりも、茶道の雰囲気を体験してもらうことを優先します」


「参加者は何人くらいにしましょうか」


「うーん、一回五人前後、二回転で計十人程度が適切かな。和室の広さも考えると、それ以上は難しいと思うよ」


「告知については中学校へのチラシ配布と、学校のSNSを使う予定です。そちらは生徒会の協力を借りられるとのことでした」


**お茶会について**


「文化祭は十月末、準備は九月から始めます。こちらは例年通り、一年生と二年生が主体になります。三年生には当日のお点前指導をお願いする形です」


「去年と同じような流れですね」


「基本的には。ただ今年は一、二年生が主担当になりますので、夏休みの稽古でしっかり基礎を固めておく必要があります」


 その言葉に、湊は少し背筋が伸びた。夏休み中の稽古、ということは先輩もいない状態で自分たちがやらなければならない日も出てくる。それが実感として、今少しだけ重くなった。


「夏休みの部活日程について、改めて確認します」


 涼香が全員を見回した。


「一年生と二年生は週二回。見学会に向けた稽古と準備を並行して進めます」


「三年生は来られる時に来ていただく形で。」


「わかった」


 和哉が頷く。その返事は短かったが、ちゃんと受け取ったという重みがあった。


「吉野先生には引き続き指導をお願いします。宇佐美先生と高梨先生には書類関係のみ対応いただきます。当日のご出席もお願いしていますが……まぁ」


「まぁ?」


「宇佐美先生については、来ていただけるかどうかは当日次第かと」


「ははは」


 村内が笑った。雪も小さく笑っている。宇佐美先生の性格を知っている全員が、なんとなく同じ光景を想像できてしまうのだ。


*****


「では、役割分担を決めます」


 涼香が紙をめくった。


「見学会の全体まとめは綿貫さんと私で。お点前披露は村内くん。体験指導は久我くんと水野さん。案内と呼び込みは佐野さん。でお願いしますね。」


「「はい」」



「七瀬先輩は全部やりそうで怖いんですが」


「全部やりませんよ、そのための役割分担ですから。」


 涼香がきっぱりと言った。全員が少しだけ驚いたように涼香を見た。涼香は涼しい顔をしている。


「今年は任せます。私はあくまで監修と、困った時の相談役で」


 涼香が短く答えた。その横で村内が、こちらが照れるくらい嬉しそうな顔をしているのに、涼香は気づいていないのか気づいていないふりをしているのか、視線を紙に落としたまま動かさなかった。


*****


 話し合いが終わった後、六人は少しの間そのまま畳の上にいた。夏休み前最後の話し合いの、緩やかな余韻が漂っている。吉野先生が道具を片付けながら「夏も精進してください」と静かに言って出ていかれた。


「なんか、夏休みって感じになってきましたね」


 綾香がのびをしながら言う。


「まだ始まってないけどな」


 湊が笑う。


「でも楽しみ! 見学会も、稽古も!」


「綾ちゃん、テスト勉強は?」


「ちゃんとやった! ……だいたいは」


「だいたいかぁ」


 湊はその様子を横目に見ながら、和哉の方をちらりと見た。和哉は少し離れたところで、今日の話し合いの内容を手帳に書き留めていた。几帳面なタイプなのか、それとも案外覚えていられないタイプなのか、どちらだろうと湊は思いながら眺めた。


「先輩」


「ん?」


「夏休み、来られる時は来てくださいよ」


 少し、少し魔が差し、裾を掴みちょっと甘えたようにわがままを言ってみた。


 和哉は手帳を畳んだ


「来るよ」


 和哉が顔を上げた。眼鏡の奥のサファイアが、柔らかく細くなる。


「週一じゃ少なすぎるくらいだしね」


「……じゃあもっと来てください」


「受験生だぞ、僕は」


「わかってますよ」


「……でも、来られる時は来る。約束する」


 それだけで十分だった。


 窓の外では、蝉の声がいよいよ本格的になってきていた。夏が、始まろうとしていた。

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