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ふたりのフツウ  作者: 月凪


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34話 見学会・思案

「学校見学、ですか」


 電話口から湊の声が聞こえる。少し驚いたような間があってから、続いた。


「うん、弟の竜喜が急に……」


「先輩の弟さん……か……」


 湊がそっと繰り返す。声のトーンが少し変わった気がして、和哉は首を傾けた。電話越しでは表情が見えない。その分だけ、声の細かな変化が気になる。


「でも楽しそうですね、俺、先輩の弟さんに会ってみたいです!」


「……そう?」


 和哉はその言葉に対しては素直に嬉しかった。でも同時に、少し複雑でもあった。竜喜がどんな子かを湊はまだ知らない。あの子は悪い子ではないのだが、空気を読むという概念が少々薄い。


 湊と二人でいる時に竜喜が乱入してきた場合、どうなるか。想像して、和哉は少しだけ遠い目になった。


「あ、でも急には難しいですよね?」


「難しいよねぇ。第一、うちの茶道部、顧問がいないんだよね」


「そ、そういえばそうですね」


 言われてみれば、体験入部の日も稽古の日も、吉野先生はいつもいた。でも吉野先生は外部講師だ。学校側への申請となれば、おそらく権限がない。


「というか、顧問がいないのって結構な問題では?」


「前々から顧問の話はあったんだけど、居てもいなくてもそこまで問題ないから、教頭が肩書きだけ責任者らしいよ。でも滅多に来ないから、七瀬さんが事務書類みたいなのを管理してくれてた……はず……?」


「先輩……」


「違うよ? 押し付けてたとかじゃなくて、七瀬さんが『私に任せてください』って言ってくれたんだよ?!」


 声に少し焦りが混じった。電話越しでも、和哉が慌てているのが伝わってくる。湊は苦笑いした。それはそれで別の問題な気もするが、今はそこではない。


「えっと、じゃあ教頭に話を通さないといけないということですかね?」


「うーむ、実は僕、教頭先生の顔と名前わからないんだよね」


「ええ、先輩……俺もっす」


 二人して同時に黙った。いや、そういう先生が学校にいること自体は知っている。知っているが、接点がまるでない。入学式や体育祭の壇上に立っていた気はするのだが、顔が思い出せない。小学生や中学も同様だ日々の学校生活において、教頭先生というのは妙に存在感が薄い。


 ピコン。


「あ、七瀬さんからLINEだ」


「切ります?」


「ううん大丈夫、先に七瀬さんにLINEで聞いてみたんだよね」


 少しの間があった。和哉がメッセージを確認しているのだろう。


「えっと……『一度、生徒会長に掛け合ってイベント企画の手順を聞いてみます。詳細は次回の部活の時に話すので、あなたは下手に動かないでくださいね。』……だって」


「流石すぎますね」


「じゃあ、もう俺にできることはないですね」


「相談乗ってくれてありがとね。じゃあ」


「はい、またいつでも」


 プツ、と通話が切れた。


*****


 スマホを置いてから、湊はしばらくそのまま天井を見上げていた。


 先輩と気軽に電話で話せる。それだけのことが、じわじわと嬉しかった。声が聞こえる。ちゃんとそこにいる人の声が。体育祭の前まで、こんな時間が来るとは思っていなかった。


 でも。


「……先輩の弟、かぁ」


 先輩の話を聞いていると、家族仲が芳しくないのはなんとなくわかる。


 特に母親は……


  湊は詳しいことは何も知らない。でも、家の話になる時の先輩の声が、少しだけ平坦になる。ふだんのふわふわとした柔らかさが、そこだけわずかに薄くなるような感じ。そのことが気になっていた。


 ——先輩の弟さんに会ってみたいです。


 あれは不用意な発言だったかもしれない。先輩が少し黙ったのは、気のせいだったのだろうか。


「うーむ?」


 でも。


 仲の悪い兄に、わざわざ学校見学など頼むものだろうか。嫌いな相手の学校に進学しようとするだろうか。考えれば考えるほど、よくわからなくなってくる。それに先輩が竜喜のことを話す時の声には、困惑はあっても、嫌悪はなかった気がした。


 バタン。


「お兄ちゃん〜、ご飯〜」


「ノックをしなさいって」


 渚が扉を開けて顔を突っ込んでいた。何度言っても直らない。この子が中学生になってからというもの、部屋に入る前にノックをするという習慣が消えた。小学生の頃はちゃんとしていたのに、成長というのは不思議なものだ。


「はーい」


 渚はどうせすぐ降りてくるとわかっているのか、返事だけして引っ込もうとした。その背中に、湊は声をかけた。


「渚、綿貫竜喜って知ってるか?」


 渚の動きが止まった。


「……は?」


 振り返った渚の顔には、はっきりと「なんでその名前を知ってるの」と書いてあった。眉が上がり、目が丸くなっている。いつものだるそうな顔とは全然違う。


「お、知ってるんだな」


「……知ってるけど、なんでお兄ちゃんが竜喜くんの名前知ってんの」


 渚が部屋に入り直す。扉を閉めながら、こちらをじっと見ている。さっきまでのだるそうな顔が、明らかに変わっていた。何かを探るような、値踏みするような目だった。


「同じクラスか?」


「そうだけど……」


 渚が湊の顔をじっと見た。


「お兄ちゃん、アレと何で繋がってるの」


「そっちこそ、そんなに驚くヤツなのか」


「……ああ、そういえばお兄ちゃんの高校に茶道好きのお兄さんがいるんだってね。今度見学に行くって自慢してた」


 湊は少しだけ目を見開いた。


「それ、いつ聞いた」


「昨日と今日、騒いでたのが聞こえてきた。なんで?」


 渚が首を傾ける。


「弟さんは……そのことについて、他に何か言ってたか?」


「はぁ、大好きな憧れのお兄さんのいた高校と茶道部に入りたい、らしいよ」


「??」


「ああ、竜喜くんのお兄ちゃん、湊と同じ茶道部の部長なんだっけ」


 沈黙が落ちた。


 湊は渚を見て、渚は湊を見た。


「……まって」


「あ?」


「今、大好きな憧れのお兄さんって」


「うん」


 渚が少しだけ目を細めた。


「……アイツ、学校でちょっとでも『お兄さん』に関わる話だととんでもなくうるさいのよ。自分のお兄さんが如何にすごいか、かっこいいか……語り尽くすの」


「お兄さん自慢?語り尽くす?お兄さん大好きじゃん」


 ——もしや人違いか?


 茶道部の部長と言えば和哉先輩しかいない。だが竜喜が語る「大好きな憧れのお兄さん」と、和哉先輩が「弟が」と言う時の微妙に困ったような声とが、頭の中でうまく重ならない。


「大好きなんてもんじゃないわよ、重度のブラコン。一年生の段階で学年の禁句ワード『お兄さん』になったからね」


「……」


 湊は一瞬だけ黙った。


 禁句ワード。


 一年生が入学してすぐに。


「もういい?ご飯なんだってば!」


「ああ、ごめんごめん」


「早く来てよね!」


 和哉から竜喜に対しては若干の不安要素があるが、竜喜から和哉に対しては最高の好感度——どころか、崇拝に近いレベルだ。二人の印象にここまでズレがあるとは思っていなかった。


 でも少なくとも、兄弟仲は心配なさそうだ。和哉先輩が「困る」と言う時の声に、嫌悪はなかった。あれはどちらかというと、扱いに困るけど嫌いじゃない、という声だった。湊には、渚のことを「うるさいけど妹だから」と思う時の気持ちが、少しわかる気がした。


 それはそうと。


「重度のブラコン……」


 夏休みが、思っていたよりずっとドタバタになりそうだった。

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