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奴隷商の男  作者: ねこのけ
第六章
90/91

第90話 何度でも

日を跨ぐまで遅れてしまい申し訳ありません!!


 コンラートは産まれながらに騎士だった訳では無かった。それこそ産まれた瞬間は、騎士という存在すら知らない、外界から隔絶された環境でさえあった。


 そしてそんな環境にいる子供が外に憧れないのは無理もない事。それが仕方ない事だとは知らずに、飛び出し希望と共にその世界へと飛び込んだのが、一回目の人生の転換点。


「コンラート・ベルセリウスです!早く慣れられるよう頑張るのでよろしくお願いします!!」


 確かこの時13歳だっただろうか。バイヤーになけなしの金を渡してやってきたのは、軍隊という物だった。この時は知らなかったが、コンラートの同族は戦闘能力や魔力量に特異な人物が多いらしく、唯一と言っていいぐらいの働き口だったらしい。


 だがそもそも外に出る事すら稀で、コンラートの周りには誰もかれも似たような髪色と瞳の男達。


「……」


 まばらに聞こえる拍手。ここにいる誰もがコンラートと同じ新兵だが、僅かに壁が築かれる。それに気付かずコンラートは、初めての外の人間との交流に心を躍らせる。


「ねぇ!君ってどこ出身!?俺ここに出てきたばっかでさ!!」


 隣になった男へと話しかける。だが、眼を合わせて貰う事すら出来ず、ただ気まずそうにされる。


「い、いや……私は王都出身なので……」


 そんな相手の感情の機微に気づかず、コンラートは初めての友人という物を作ろうと距離を詰める。


「え、すごいじゃん!今度街紹介してよ!!」


 だが、そこで隣にいた彼は席を立つ。


「あ、ごめん……俺先約あるから」


 そう言われて最初は1人になってしまうコンラート。特段それを悲観することなく、同じように周囲へと話しかけ続けた。訓練できつい時もあったが、それを共有できる友人が欲しかった。目を回しそうな程の沢山の人達。その誰かぐらいは自分と話が合うのではと。そう期待に胸を膨らませ、出来るだけ笑顔を張り付け声を張った。


 だが、一ヵ月をしてもコンラートに気軽く話せる友人が出来なかった。その原因が未だ分からず、焦りを混じらせ周囲とコミュニケーションを取ろうとしていたある日。


(あ、初日のあの人……)


 食堂で見かけた彼。偶に会っては話し相手にはなってくれている彼。未だ1人で昼食を取る日々だったコンラートにとって、1人で座る彼はチャンスでしかなかった。だから話しかけようと近寄るのだが。


「あ、隣い━━」


 そう手を伸ばしかけたコンラート。だがそれより先に別の知らない兵士が、彼の隣を取っていく。


「むっちゃ混んでるくね?俺もう次まで20分なんだけど」


 コンラートは手を引かざる負えなくなり、そのまま近場の椅子に座る。なぜ自分に話し相手が出来ないのか。なぜ誰に話しかけても目を合わせて貰えず、すぐにどこかに行ってしまうのか。それを分からないままのコンラート。


 そんな寂しさを紛らわせるように、なんとなくその会話を聞くのだが、それはただ後悔を胸に遺すだけだった。


「お前まだあの緑に絡まれてんの?噂なってるぞ、本当に魅了の能力に取り込まれてるんじゃないかって」


 スプーンを持っていた手が固まる。明確に誰と言われていなくとも、緑、という単語に酷くコンラートの心中はざわつく。そしてそれはあっさりと確信に変わる。


「い、いや……俺隣部屋だし……話しかけられるんだから仕方ないだろ……」


 コンラートに周りの雑踏が聞こえなくなっていく。だが、その会話だけは鮮明に拾う。


「辞めといた方が良いぞ。マジで。あんな異族モドキ。昇進にも響く」


 だがここまで来てもコンラートはその席から立てないでいる。もしかしたら彼だけは俺の事を信じてくれるのではと。今思えばそんなはずもないのに、未だ外を知らない当時の俺はそう思っていた。


「だって機嫌損ねたら何されるか分かんないだろ。人食った話とかあるだろ……」


 勿論コンラートの家族や親戚に人を食う人間など誰一人いない。だから本来はその根も葉もない噂を遮るべきなのだろう。だが、その時のコンラートは、その場に居続ける事が出来ず、食事をその場に放置し走り去る。


「……」


 ただただ何も分からなかった。自分は何もしていないのに、なぜ恐怖されているのか。誰も目を見てくれないのか。それが初めてコンラートが、自身の産まれについて知るきっかけになる最初の事。


 そしてこの一件はまだ優しい方ではあった。直接被害を食らったわけでは無いから。それから数ヶ月もすれば、コンラートから誰かに話しかけることは無くなった。だが、そのせいで逆に無害な人間だと認識されたのだろう。明らかに周囲の眼が変わっていく。


「あ、あの……手合いを……」


 訓練中話しかけても誰一人目を合わせないし、言葉を返さない。そして誰かの財布が盗まれたとなれば。


「い、いや俺はそんな事……!!」


 訓練後にはその犯人に仕立て上げられる。否定しても誰一人目を合わせてくれず、擁護の声はどこにもない。それどころか俺を犯人だと謗る声ばかなりになる。


 そしてその日の夜には天罰だと、数人から足蹴にされる。


「……やめて……ッ……下さい」


 ひたすらに耐え続けるしか無かった。やり返せば俺の言い分は何1つ通らず、一方的に処罰をされるだけだからだ。


 これがよくある一日の流れだったというのが、どれだけ苦痛だったか。思い出したくもない時期で、必死に記憶から薄れさせようと生きてきた日々。


 そうして訓練課程を終え、兵士となった後。辺境の地での配属になった時には、すでにコンラートの緑眼に光は無かった。


「……母さんへの仕送り」


 ただそれだけの為に働く。どうせ誰かと飲みに行ったり贈り物を用意する金も必要が無い。


「あぁで治療費は残さないとか」


 自嘲気味に笑いが漏れ自分の腕の痣を見る。まさか上官に腕を折られるとは思ってもいなかった。コンラートはいつものように、朝から門の前に立つ。


「許可証は……はいあるね……荷台も……いいね……通りな」


 そうして通り抜けていく馬車。そこから聞こえるのは。


「見ちゃダメ!目を合わせたら食われるから!!」


 さっきの馬車は一家でこの街に商売に来たらしい。それで今のは母親の声なのだろう。


「……はい次」


 だが今更気にしても仕方ない。淡々と目の前の作業を進めて行くだけ。どうせ心は傷つくほど綺麗では無くなっているのだ。


 こんな日々が20と少しの頃まで続いた。正直金だけ貰えれば、多少殴られ謗られるのも我慢は出来た。


 だがその時期は酷く旱魃が続き、給料も減り明らかに上司と同僚、それに町全体がピリついていた。


「給金だ。無駄使いするなよ。後明日の地方行脚だが━━」


 一ヵ月の食事だけで精一杯の量。隣の同僚の袋を見れば、自分のより少しだけ大きい様な気がする。


「じゃあ解散。夜番は残れよ」


 それでもコンラートは家族に金を送らねばならない。それがコンラートの生きる意味の殆どだったから。だから郵便屋へとその足のまま向かい、手続きをする。と言っても道沿いにカウンターだけ張り出した仮設の物で、提示される料金は高く。


「あ、はい……特別料金でも構わないので……出来るだけ早く……」


 そんな時後ろから近づくその足音。聞こえてくる声にコンラートは思わず苦い顔をする。


「よぉよぉコンラート君。無駄使いするなって言ったばっかだろ?」


 酒臭い。おおよそ勤務時間にでも酒を飲んでいたのだろう。その上司はコンラートが出そうとした書類を、手でつまみじーっとそれを見る。


「実家に送金て。飯ならその辺の街襲えば良いんじゃねぇの?」


 訓練兵の時にも同じ事を言われ、その時は言い返した気がする。結果はいつもの如く俺だけが一か月懲罰棒だったか。そしてその経験がフラッシュバックし、この時のコンラートはただ笑みを浮かべ。


「いやぁ……流石に人は食べませんって」


 ただ嵐が過ぎるのを待つ。殴られるぐらいならいつもの事だからどうでも良い。そう受け流そうとするのだが、その上司はコンラートの目の前でその書類を破ってしまう。


「俺が無駄使いしないようにしてやんよ。あと、この金いらねぇなら……あぁ城壁の補修に使うわ。ほらお前みたいなのでも役に立てて良かったな?」


 バラバラに散っていく紙の中、コンラートの持っていた給金袋は上司に奪われてしまう。その使い道は間違いなく今日の肴なのだろう。そしてそれが分かって、この時のコンラートは。


「……」


 ただ黙る事しか出来ない。もしここで無理やり奪い返そうとすれば、上官への暴力で牢行き。それが無くとも、この時のコンラートには逆らうだけの気力が無かった。


「手続きは無しで良さそうですね。じゃあ次の方」


 コンラートは追い返されるように郵便屋の前を離れようとする。だが振り返った時に見えたのは、嫌な上司の顔では無く、この薄暗い街には似合わない程可憐で、煌びやかな少女。


「それ!あの人のですよね!?」


 小さくて細い指がコンラートを差している。そしてこちらに向けられたその深紅の瞳はコンラートの緑眼をしっかりと捉える。


「嬢ちゃんさぁ……別にこれはこの街の物でねぇ?魔物から守る為に使われるんだよ?」


 そんな彼女に上司は面倒にそうにしながらも優しく答える。だがその少女は上司を臆することなく。


「あの人家族に仕送りしようとしてましたよね!?」


 歳は半分以上違う相手に突っかかる少女。どこかの良い所の令嬢かとも思うが、お付きの人は見えない。上司は酒が入っている事もあり苛立ちと共に、手を振り上げる。


「あんまり大人の言う事を聞かない子は……」


 コンラートに何か考えがあった訳じゃない。ただ本能として子供は守らねば。そう思った瞬間に駆け出していた。


「や、やめましょ?どこの子供相手に……」


 上司の振り上げた手を強く握る。守る様に被せた後ろでは、少女は僅かに怯えた顔をしながらも、強く上司を睨み上げる。それらすべてに苛立ちを覚え、コンラートを突き飛ばし、上司は少女の胸倉をつかむ。


「なぁにが子供だッ!!こんなクソガキ拳一つで……」


 そう言いかけた上司の眼は、少女の背中の向こうへと釘付けになる。コンラートも尻餅を付きながら、その視線を辿れば。


「姫様!!勝手に隊列を離れて貰っては困ります!!」


 やけに身なりの良い執事と護衛らしき兵士達。それらがぞろぞろとやって来て、そこに掲げられている旗は。


「……王家の」


 コンラート達だけでなく周囲にいた市民たちも何事かと視線が集まる。そしてその少女の正体に察しがついた上司は、声を震わせ。


「え……明日じゃないのか……」


 そして形勢逆転とでも言えば良いのか。少女の言葉に上司は肩を大きくピクつかせる。


「離して貰えますか」


「あ、いやっ……!はは……すみません……」


 そんな上司を取り囲むようにやってくる兵士達。執事は少女の安全を確かめる様に駆け寄るが、その少女の足は真っすぐ、緑眼のその男へと向く。


「大丈夫!?」


 差し出された手は苦労の知らなさそうな、まっさらな白い手。だがその深紅の瞳はコンラートの緑眼を捉えて離さない。それは優しく微笑みかけ、偏見の色一つも見えないそれだった。


 初めて人間として扱われたような、そんな気がした瞬間。コンラートは迷わず手を伸ばす。


「ありがとう……ございます」


 綺麗なブロンド髪が揺れ彼女は不思議そうにする。


「え、私は大丈夫かって聞いてるのに……?お礼……?」


 だがそうしながらもその手は差し出し、吸い込まれそうなほど綺麗な深紅の瞳は、コンラートの緑眼に反射し写る。


「いえ……大丈夫です」


 そしてその手を握り返したのが、俺の人生の転換点。憐れまれたのか拾って貰った俺は、数年もすればお付きの騎士へとなっていた。実家への支援も俺自身の人生も。何もかもこの人に助けてもらった。一生かけても返せない程の恩。その為に俺は生きているし、これからも生きていく。


「だから今度こそ。この手を離さない」

 

 城からの脱出路。その暗く黴臭いその通路は、いつの日かの落城を思い出させる様。そしてそれは猶更、その目の前の包帯にまかれた男で思い起こさせる。


「よォクソ騎士。まァた俺に姫さん献上しにきたってかァ?」


 嫌悪感をありありと匂わせるその長髪。ひょろっとした背丈に似合わず肉は薄く、包帯で巻かれている事で余計に弱々しい印象を受ける。だがその両手には二本のナイフが握られている。


「お前には分不相応だ。諦めろ」


 シーナを背中にやり剣を抜くコンラート。今度は失敗しないとその剣を強く握り締める。そしてクレートも引く気は無いのか、ニヤニヤとしながらもナイフを構える。


「いい加減力の差を分からせねェとだな」


 クレートは姿勢を低くし、松明の灯が届かない程の早さで迫ってくる。


「そればっかかよお前はッ!!」


 コンラートは剣を振るおうとはせず、左足を踏み込みその右足先を、丁度そこにあるクレートの鼻先へと押し込む。


「んなッ」


 そのまま面白いぐらいに転がっていくクレート。足先には確かに当たった感覚があり、コンラートは剣を構えたままクレートへと近づく。


「汚ェぞクソ騎士ィッ!!」


 鼻血を出しながらもなんとか立ち上がるクレート。その眼前にはコンラートの緑眼が揺らめき、剣は確かに振り上げられる。


「知らねぇよ。クソ野郎」


 コンラートは迷うことなく剣を振り下ろす。最後にクレートは何か言葉を零そうとするが、あっさりとその顔は半分に切れ落ちる。


 パタリと倒れ込むその長身の体。足元には生暖かい血が染み込み広がってく。


「……あっさり」


 あれだけ憎くて力の差があったはずのこの男。それがこうも簡単に殺せてしまうのかと、達成感すら追いつかない。そんな中シーナが駆け寄り、コンラートの腕に巻き付く。


「流石コンラート!!早く逃げよ!!」


 そのまま手を引いて先に進もうとするシーナ。だが、コンラートの足はそれに続くことなく、その場に立ち止まる。


「コンラート……?」


 遠巻きに聞こえるのは何か大きな物が崩れる音。その衝撃がここまで届き、通路を大きく揺らす。そして遅れて聞こえてくるのは、龍の雄たけび。


「……龍人」


 龍人について思い出すと同時に、コンラートは来た道を振り返る。


 この一年弱それなりに色々あった。その中の殆どはあの奴隷商との記憶。今思い返せば、俺は奴隷商の瞳の色も白目の割合も正確に思い出せる。姫様以外の記憶の中の人間は、誰も目の色すら思い出せないのに。


「こ、コンラート……?早く行こ……?」


 俺はあいつを裏切った。だがそれでもあいつは俺を謗る事はなかった。それどころか門出を応援すらしてきた。何度も世話をされ、今思えば、それは恩と言えるほどの物なのかもしれない。


「……姫様」


 これまで誰かに奪われ相手にされてこなかった人生。その中で手を差し出してくれた姫様に恩を返す事だけを考えてきた。だが本当にそれだけで良いのか。


「な、なに……?」


 このままで良いのか。そう自分に問いかけられている気がした。このまま何もかも捨てて逃げて、それで俺は姫様の隣で笑っていられるのか。いつの間にか姫様にふさわしい様にというより、姫様の隣にいる事に固執をしていたのではないか。


 コンラートの中で確かに別の人生でやるべき事が固まりつつあった。


「一回だけ。我儘良いですか」


ーーーーー


「なぁ。奴隷商」


 瓦礫は辺りに山積みになり、散ってくる石片に土煙、それは日光を反射し辺りをやけに眩しくする。そしてそこにいるブロンドの騎士も、奴隷商にとって眩しく見える。


「……お前なんで戻ってきた」


 体中は酷く痛む。骨という骨が今にも折れかけているのではと、そう錯覚してしまう程。その騎士も瓦礫に頭をぶつけたのか、額に血を流しながらも、その顔は笑みを浮かべ。


「お前の奴隷だからな」


 そんな意味の分からない物言いに奴隷商は思わず笑ってしまい、そのせいで肺が痛み血を吐き出す。それを心配したようにコンラートは、レイラを抱えたまま駆け寄る。


「あんま無理するな。後は俺がなんとかする」


 だがそう言われた所で、奴隷商はコンラートの肩を叩き体を何とか起こす。


「無理しなきゃいけねぇ場面なんだよ。お前もさっさとレイラ連れて姫様と逃げろ」


 フラフラとしながらもその足で立ち、見上げた先にいるその銀龍を捉える。だがその視界を遮る様にコンラートは。


「姫様には隠れて貰ってる。お前は下がってろ」

 

 奴隷商を無理やり下げようとする。そしてコンラートに抱えられていたレイラは、焦った様に手を伸ばし奴隷商の胸に手を当てる。


「こんな傷無理するとかじゃなくて自殺じゃん……」


 怒りの混じったような心配な言葉、そして奴隷商の胸に広がる暖かい感覚は、レイラが使えなかったはずの治癒魔法。それに驚いている暇はなく、龍は瓦礫を踏み分け、その爪を銀鱗を牙をこちらへと向けようとする。


 僅かに体の痛みが和らぐのを感じながらも、奴隷商はコンラートらを付き放そうと声を張る。


「良いからッ!俺が出るからお前らは……」

 

 だがそれを言い切る前に龍はその前足を振り上げ、黒い爪を長く伸ばす。それの影は奴隷商らに向き、今にも迫ろうとするが。


「ペラペラ話してねぇで動けッ!!!」


 銀龍の頭上からその声が響き、それを辿れば空色の中にある真っ白な短い髪。ダークエルフのシレアだった。彼女は崩れかけながらも形を保っていた、王城の屋根から飛び上がり龍の顔目掛けナイフを伸ばす。だが勿論龍の視界にそれは写り、爪を引っ込め、その大きな口をかっぴろげシレアを飲みこもうとする。


「あんたもよそ見してんじゃん!!前見ろ!!!」


 また別方向から聞こえてくるのは、自慢の栗色の髪を乱すディアナの声。そしてそれに遅れてやってくるのはいくつもの水塊。それらは空を切るごとに鋭く先端は細くなり、熱を帯びる龍の銀鱗へぶつかる瞬間に弾け、大きく蒸気を上げていく。そしてそれは確かに龍に痛みを与え叫びが響く中、シレアの体は龍の眼球手前へと絡みつき。


「さっすがやるじゃん」


 ディアナを横目にシレアはそのナイフを振り下ろす。そして龍の瞳には大きく割れ目が広がり、白い面からは赤い血が湧き噴き出す。それを浴びながらもシレアは地面に飛び降り、息を整える。


「怪我は治ったか?」


 振り返れば騎士に抱えられ、使用人服の女に治癒魔法をかけられる奴隷商。そしてその奴隷商は疲労を濃く写し出しながらも、ボロボロになった剣を抜く。


「人生で一番絶好調だ」


 そう歩き出そうとする奴隷商をレイラは引き留めようと手を引くが、奴隷商はその頭を撫でる。


「大丈夫だ。死ぬ気は無い」


 その言葉をそのまま信じる人間はいない。だが奴隷商はふと何かに気付いたように、視線を僅かに落とす。


「そうか……もう奴隷じゃないんだな」


 ただただ嬉しそうに安心したように微笑む奴隷商の顔。それを見てレイラは何も言えなくなり、引き留めるために考えた言葉は出て来なくなってしまう。


 そして歩き出す奴隷商。それを止めることなくコンラートは隣に並ぶ。


「格好つけるなら死ぬなよ」


 コンラートにもう止める気は無かった。こうなった時の奴隷商が言う事を聞く訳がないと知っているから。そして奴隷商は、未だに魔法を放ち銀龍を足止めするディアナを横目に足に力を込める。


「お前も俺を置いてくなよ」


 それだけ残し先に走り出していく奴隷商。一瞬呆気にとられるコンラートだが、すぐにその背を追い瓦礫を蹴る。


「んなッ……レイラちゃんは隠れてて!!」


 焦りそれだけ残して奴隷商を追いかけるコンラート。そして前にするのは片目を潰され痛みに余計に暴れる銀龍。魔法を放つディアナを倒すべく、その足場へと向け尾を薙ぎ払う。


「あっちは私が行く」


 シレアがそう言ってディアナの援護に向かう。そしてコンラートは剣を構え、首が痛くなりそうな程背丈の高い龍を見上げ。


「俺らはどうする!?殺すのか!?」


 そう呼びかけられながらも、奴隷商は瓦礫の山を越えその高さを稼いでいく。その間もディアナとシレアが意識を引き続け、龍に火を吐かせる隙を作らない。


 そうして奴隷商らは銀龍を見下ろせるだけの位置に立ち逆鱗を捉える。


「助けるんだよ」


 奴隷商は何も足場のない空間へと足を踏み出し、自由落下を始める。あまりに説明不足で混乱するコンラートだが、決意したように後追いをする。


「あ゛ぁ゛もう!!」


 そして奴隷商は相変わらず焼けただれる程熱い銀鱗に飛び降り、その逆鱗を捉える。ワンテンポ遅れコンラートも追いつくが。


「熱ッ!!ち、ちょ……鎧着込んでんのにッ!!」


 そう騒ぐコンラートだが、暴れる龍の背中。否が応でもその銀鱗に体を張り付けないといけなくなる。それを眺めながらも奴隷商は。


「頼むからこれで終わってくれよ」


 逆鱗へと触れ掌に日暈を浮かべ、確かに魔力を吸い上げていく。戦闘が長く続き、先ほどまでやっていた事もあり、恐らくあと数分で行けるはず。だが、既にシレアもディアナも戦闘で傷を負い、魔力も枯渇しかけ。だからと振り返り、その未だ元気な男へ指示を出す。

 

「龍の意識を逸らせ!!」


 そんな曖昧な指示。それでも良い意味で愚直なコンラートは、何を考えたのか龍の背骨に乗るとそのまま龍の体を下っていく。


「大丈夫だよなあいつ……」


 そう思いながらも奴隷商にやれるのは魔力を吸引し続ける事だけ。そして少しすれば龍は奴隷商の存在に気付き、振り下ろそうと首を振り回し始める。


「ディアナ……ッ」


 地面にはシレアに庇われ血を流すディアナが見えてしまう。あれではこれ以上戦闘を続けるどころか、龍の攻撃を避ける事すら不可能。だが、まだ後もう少し時間がかかるとなると、余計に奴隷商に焦りが出て来るが。


「うら゛ッ!!!」


 そんな男くさい掛け声。それに振り返れば、翼の生え際に立つコンラートが剣を振り下ろしている。


「銀鱗は貫通しないの知らないのか……」


 そう奴隷商が呟くがコンラートの剣は半分ほどが龍の体内に沈む。そしてそれを抜けば、確かに血が吹き上がり、龍が痛みを表現するように雄たけびを上げる。それで余計に頭は振り回され、奴隷商は振り払われないように精一杯になるが、眼下ではやったと言いたげに、こちらを見上げるコンラート。


「付け根だからか……」


 コンラートは続けて翼に刺しこみ続ける。あんなやり方があるのかと感心しそうになるが、奴隷商は銀龍から振り落とされないよう精一杯しがみつき、魔力吸引を続ける。


「あいつに負けてらんねぇ」


 だが少しすれば龍は思い出したように翼を羽ばたき始め、コンラートはそのまま地面へと振り落とされてしまう。そしてそのまま龍は逃げる気なのか、四肢を地面から浮かし、血を流しながらも翼を羽ばたかせる。


「あと少し……あと少しなんだ……」


 周囲に見えていた瓦礫が小さくなっていく。どこかで隠れていたのかレイラが魔法を放つが、無情に銀鱗に弾かれる。そうして奴隷商の視界には帝都を一望できるほどの高さまで迫り、龍は急に体を捻る。


「━━ッ」


 奴隷商は重力に対して逆さまになる。そして見上げた所に城があり、それは吹き付ける風と共に急激に近づいてくる。


「押しつぶす気かッ」


 その思考に至ったものの、奴隷商はその手を放そうとしない。日暈を激しく光らせ、ひたすらに魔力を吸い続ける。それが間に合わねば死んでしまうとしても、その手を離さない。そうするしかないのだ。


 だが地上からはディアナが悲痛に叫ぶ。


「亮太ッ!!手を放せ!!!」


 既にディアナの手足は動かず、シレアが居なければ立っている事すら出来ない。それでも藻掻こうとするが、平静としたシレアに止められる。


「あいつがやると決めたんだ。見届けてやれ」


 そんな反応が信じられなく自分だけでもと、動こうとするが傷が広がり血を吐くディアナ。それを気遣ったようにシレアは屈み、またその男を見上げる。


「なぁ。奴隷主」


 そして奴隷商。未だに龍が人に戻る気配は一切見せない。それどころか加速し、地面に散らばる瓦礫に見分けがつく程の距離まで迫る。


「まだ足りないのか……」


 だが、その瓦礫に見える銀の反射。それは土に汚れながらも龍の落下地点に堂々と立つコンラート。それ低く重心を取る。


「俺はまともに魔法は使えない」


 初歩的な物ばかり。ディアナの様にあんなに高火力どころか、まともに攻撃が出来るはずもない。


「だけど魔力だけならバカみたいにある」


 コンラートは体中に魔力を巡らす。それは何か魔法をする訳でも無く、ただ無駄に周囲に魔力を放出するだけの行為。人相手ならば、ただ魔力量を自慢するバカ。


 だが相手が動物となれば、その魔力量は分かりやすい脅威の指標でもあった。


「急に向きが……!!」


 奴隷商が必死に捕まっていた首元が曲がり、コンラートを避けようと龍は巨躯をひねり出す。それは奴隷商の体が瓦礫の寸前を掠る程ギリギリ。だがそれでも確かに龍は地面を避け、再び空へと帰って行こうとする。

 

 そしてその一連の動作。その時間は奴隷商の魔力吸引が間に合うだけの物だった。皿が一斉に割れるような音に目を閉じ、手足を引っかけていた銀鱗の感覚を失う。


 そして吹き付ける風に目を開ければ。


「……あぁやっと」


 唐突に消えるその銀鱗の熱さ。そして代わりに手にあるのは、少し冷たい小さな銀髪の子供。奴隷商はそれを離さぬようすぐに抱き寄せるが、それなりにある高度から落下していく2人。


 そんな中銀髪の子はパチリと目を開け、その揺れる瞳で奴隷商を捉える。


「……貴方は」


 それが誰かは奴隷商には分からない。声も顔も記憶に完全に一致する子は誰一人いない。だが共通する所は変わらないのだろう。彼女はいくつもの感情が混ざりながらも、その言葉をはっきりと風に負けない声量で言う。


「ありがとう」


 その言葉を思い返せばいくつもの声で聞こえてくる。何度も送られては正面から受け止めれてこれなかったその言葉。奴隷商は相変わらず小恥ずかしくなり目を逸らす。


「ただの自己満足だよ」


 そうして奴隷商が地面を見れば、すぐそこまで迫る瓦礫達。このまま落下すればまともに体の形を保てなくなるだろう。


 だが、それでも奴隷商には心配という物は、全く過る事無く地上へと声を張り届かせる。


「任せるぞ!!」


 そしてそれに呼応するように両手を広げる男が1人。瓦礫の中1人立ち、得意げに笑う。


「力には自信ある!!任せろ!!!」


 奴隷商も何故か笑いが漏れる。胸の銀髪の少女はただただ不安そうに奴隷商の服を引っ張り、声を漏らす。


「え、え、えこれ大丈夫なの!?ねぇっ!?!?」


 そしてその2人は土煙と轟音と共に地上へ一直線に落下する。


 そこには静寂が訪れ天高くまで舞う土煙。それを照らすように、差し込む日光。土煙は風に揺れ、その影を段々と日光に反射させる。そして誰かの安堵の声が漏れる。


「……良かった」


 そこには確かに何かを抱えた騎士の人影が、しっかりと地面に立っていたのだった。

明日最終話になります。20時ごろに投稿予定をしています。

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