第89話 いつかの返ってくる物
帝都の郊外。湖上に浮かぶその王城を伺う見渡しの良い丘に布陣するメイベル。彼女は王城を守る最後の城門に手がかかったのを見て、使用人であるユリアを呼び出す。
「クレリアン公本人は前線に?」
本陣もそれなりに静かになった。誰しも勝ち戦では功が欲しいのだろう。許可を出した途端我先にと帝都へと襲い掛かり、一部は関係のない区画で略奪までし始めている。
「旗印は既に王城に向かった様です。ですので恐らくは」
そのどれもがメイベルにとって都合の良い物だった。結局貴族も民衆も餌が無ければいつ裏切るか分からない。恩があろうが無かろうが当たり前に剣を向けて来る。そしてこの戦後を見据えるメイベルにとって、そんな彼らのまとめ役になるなど真っ平御免だった。
「私はただあの港町で骨を埋めれればいいのだけど」
メイベルは赤い液体の入ったガラス管を揺らす。視線の先には色とりどりの旗印が、王城にひしめき合っている。
そんなメイベルの心中が分からないと、ユリアは問いかけて来る。
「どうしますか?クレリアン公に戦後処理は任せますか?」
ユリアもこの戦を勝ち戦だとそんな事を言い出す。奴隷商の彼との知り合いらしいが、それでも自分の職務を優先するのは、あの黒髪の子とは歴の差なのだろう。
そう思いながらも戦況を眺め、メイベルは思考を回し始める。
「クレリアンに任せた所で。あいつにとったら私の影響力が邪魔で仕方ないだろうしねぇ」
帝国を亡ぼす挙兵の一番槍。クレリアン公が国内を纏めようとする時に目障りでしかない存在。他貴族にとっても面白くない存在でしかない。
「だからここで争いの種は潰さないと」
メイベルに広大な帝国を統べる野心はない。ただ所領を今の可愛い孫に継がせれればそれで良い。そう言って分かってくれればいいが、貴族共は疑いを向け野心を探ってくるに決まっている。
「なら全権を委任するので?」
そう甘い事を言うユリア。メイベルは少し冷めつつある紅茶を口に付け、諭すように言い返す。
「だとしても。人の疑念は底知れないから」
いくらこちらが両手を上げて敵意が無い事を示しても、疑心に駆られれば殺すことに躊躇わないのが人間。そんな人生哲学を持つメイベルにとって、この戦争における最良の結末は。
「この帝国は強すぎる。バラバラになって……そうね100年ぐらい群雄割拠でいてくれたら良いわね」
こんな帝国があったせいで、私の夫も息子も死んだ。なにも大義も無く何も我が領地に恵みのない戦争によって。ただただ破滅して欲しい。帝国の貴族全員に不幸になって欲しい。私の国を私の家族を滅茶苦茶にしたのだから、それぐらいの報いがあって当然。それだけすれば、あの港町はずっとオークランス家の港町で在り続けられる。
「……あら」
いつの間にか握力が強くなっていたのに気づき、メイベルはそのガラス管をユリアへと手渡す。
「これをあの銀髪の女の子に飲ませなさい」
この薬の効能は教えていない。心根の優しい彼女は確実にこの命令を拒むから。それを命じる私が悪で在ればいいのだ。
そしてユリア自身聡い子ではある。そのガラス管を不審そうに覗き込む。
「これってディアナさんが持っていたのですよね?なぜ飲ますのです?」
ガラス管を通して日光が赤く揺らめき、ユリアの顔に反射する。それは全く疑う様子も無く、ぼーっとガラス管を眺めるだけ。メイベルは顔を伏せつつ嘘を吐く。
「それを飲まないとダメな病気なの。取り上げられて取り乱したのは、彼女の命が危ないから」
メイベルは紅茶に口を付けながらユリアの様子を伺うが、疑う様子は全く見せず。
「あーそういう事ですか。まぁあの人いつ裏切るか分からないから保険って訳ですか」
それぐらいの腹芸なら許せるのか、特段嫌悪感は示していないよう。やはり、それなりに忠誠は誓ってくれているらしい。ただ今命じている事を詳らかに言えば、確実にその忠誠も無為になりいう事は聞いてくれないのだろう。
だからただ隠して。早口になりそうなのを抑え、多少怪しくなってでも命令を事細かにする。
「そう……あと、そのまま帝都に連れて行ってあげなさい。多分湖の橋の辺りで飲ませてあげれば、丁度元気なタイミングでディアナさんに会わせられますよ。副作用もありますし、保護者が近い方がいいでしょ?」
こんな命令をする事にこの皺ばかりの心が痛む。だが、それでも、それが腹心のユリアでも、この事を知っている人間を残す訳にいかない。それが将来のリスクを限りなく減らす方法。そして殺すのなら数は少ない方が良い。
メイベルは心を閉ざすように目を細め、そのユリアの眼を見ないようにする。
「……ですが戦闘後は敗残兵も多く危険では?」
「貴方なら出来るでしょう?ディアナさんもそうですし……あの奴隷商さんもいるでしょうから安全ですよ」
そして殺すなら私が一番苦しむ子を殺す。汚いやり方に手を染める時の、それが私なりの筋の通し方。それが報いになるとは思っていないが、私なりのケジメだった。
そんな心情を知らず、ただお使いに行くようなテンションでユリアは笑顔を弾けさせる。
「えぇ。では行ってきますね!」
ユリアは優しく微笑む。今から自分が何をしようとしているのか、どうなるのかも知らずに。メイベルはただその空色の瞳を見れず、薄茶色のカップの水面に目を落とす。
「うん。行ってらっしゃい」
遠のいていく足音。戦争が終わって嬉しいのが音だけで分かる。それが遠のいていく内に、体の力が抜けそうになるが、ふとユリアは足を止める。
「あ!あの奴隷商と話してきても良いです!?久々に!」
メイベルは震える手でカップを更に乗せる。そしてゆっくりとユリアを見れば、そこには少女らしい笑みを浮かべた彼女の姿。いつもは給仕長として気を張る彼女の見慣れない笑顔。
メイベルは前言を撤回したくなる。こんな事しないでも、もっとやり方はあるのではと再考したくなる。
「……だめ」
だがその甘い考えを振り払う。どうせ大丈夫だろう。なんとかなる。そう甘く考えた結果オークランスの当主は短い期間で変わっていったのだ。
「え!?申し訳ありません!!お声が小さく……」
冷淡に、冷酷に。殺すと決めたのならすべて背負いきる。メイベルは笑みを張り付け、穏やかに孫を送り出すよう言葉を贈る。
「良いわよ。あっちで沢山話してきなさい」
空色の髪が大きく揺れ、白黒の給仕人服の裾が可愛らしく回る。そうして眩しい外へと走り出していくユリア。それを見送り、深く背もたれにもたれかける。
「……私には重い」
そうゆっくりと目を閉じ、時間が流れるのを待つ1人の老婆だった。
ーーーーー
そして軽い足取りである天幕を目指し走り出すユリア。手に持ったガラス管を落とさぬようしっかり持つ。
「久々にあいつと会ったら何話そ」
だがここは軍営。人が行き交う事も珍しくなく、ふとユリアの目の前に人影が現れぶつかってしまう。
「きゃっ」
ガラス管だけは天高く上げ守るが、尻餅を付いてしまうユリア。ガラス管の中身の安全を確かめると、すぐに立ち上がり。
「すみません。大丈夫ですか?」
そうぶつかった人影へと声をかける。するとどうやら軍人ではないらしい。それどころかどちらかと言えば捕虜と言えばいいのだろうか。
「……どこかから逃げてきました?」
紺色の髪をした女性。その手にはナイフが握られており、その切先は自身の喉へと向いている。それを見て焦るユリアだが、遠巻きに聞こえてくる騎士達の声。
「そいつ脱走です!捕まえてください!!」
やはり、そう思うと同時に逃げる素振りの見せない彼女。それどころかナイフを震える手で強く握っており、ユリアは空いた手ですぐにそれを奪い取ってしまう。
「簡単に死を選んじゃいけません」
おそらくどこかの令嬢なのだろう。そこまで力も強くなさそうだった。だが、戦争という物は良い感情を生み出さないのだろう。彼女はやつれたように項垂れブツブツと。
「……どうせ私なんて……誰も……」
駆け寄ってくる騎士達。それにユリアは手で制して。
「私が対処します。貴方達は持ち場に戻って」
それだけ言って追い払う。そしてガラス管に気を配りながらも、彼女に無理やり肩を貸して立ち上がらせる。
「話聞くから。一回歩こ?」
半ば引きずる形でガラス管を待つ子のいる天幕へと連れて行くユリア。その道中でも紺色の髪の彼女はブツブツと呟くが、それでもその体を支え続けた。
そして天幕を空ければ2人の少女。確か銀髪の方がルナという名前で、嘘か本当か龍人族らしい。すると自分の世界に籠っていた紺色の髪の彼女が反応する。
「アリシア……?」
誰の名前を呼んだのだろう。そう思っていると、銀髪の彼女は首を傾げ。
「ルナだよ……?」
話がかみ合っていない。そう思いつつも、ユリアは一旦紺色の彼女を座らせ名前を聞く。すると驚くことにクレリアン公の令嬢ではないか。そんな高貴な人がなぜ自死を……そう思ったが人質になるぐらいならと思ったのだろうと至る。
「……あぁ違う。今は優先事項が」
ユリアはガラス管を持ったままルナと目を合わせる。
「ディアナさんの所行くけど来る?」
すると不思議そうというか怯えていたルナは、名前を聞くなり目を大きくして頷く。
「うん!いく!」
館に来た時からずっと一緒に行動していただからなのだろう。ディアナに対する信用はそれなりにあるらしい。そう思いつつも、隣にいるもう一人の子供も置いていく訳にいかないので。
「貴女も行くでしょ?」
「あ、え……良いんです……?」
こちらはオドオドとしている子。確かシエナとか言う名前だっただろうか。そんな彼女に微笑みかけ頷くと、そのまま立ち上がる。そしてあと一人どうしようかと悩むが。
「……私も良いですか。逃げないので」
明らかに憔悴しきっているが、その暗い眼でこちらを見上げて来るクラリス。ユリアの職務を考えればそんな事をしてはならない。だが、彼女のこの後を考えれば、良くて独房暮らし。普通は処刑。最後ぐらい希望を聞いてやりたくなってしまう。
この行いがメイベル様に対する裏切りになりかねないのは分かっている。だがこの非日常の経験が、ユリアの行動指針を変えてしまう。ゆっくりと膝を折り、クラリスと目を合わせる。
「……逃げた瞬間に私が殺します。それでも良いのなら」
その問いかけに対してクラリスは迷いを見せず頷く。それはディアナという名前が聞こえ、それが奴隷商の旧知だと知っているから。もしかしたらそこにいるのかもしれない。そんな蜘蛛の糸のような期待にだけ縋ろうとする。
だがそんな事を知らないユリアは、ただ最後に帝都を見たいだけなのだろう。そう思い彼女らを連れて行く。
「……」
やはり帝都の中は無残な光景。兵士だけでは無く略奪の被害にあったのであろう市民たち。それらに顔を顰めながらもユリア達は大通りを進んでいく。王城では未だ戦闘が続いているのか、僅かに剣戟が聞こえる。
子供を連れていくには危険だろうか。城門手前で戻るべきであろうか。誰か兵士にディアナを呼んでもらって、ルナに薬を飲ませてあげれば良いか。そう思考を巡らしながらも、城門にいる兵士へと話しかけようとする。
「あ、あの。探している人がいまして……」
それなりに立場のありそうな、初老の男に話しかける。すると、その騎士は振り返るなり、眼を大きく輝かせると、ユリアの脇を通り抜けていく。
「おぉ!クラリスじゃないか!!!無事だったのか!!!」
クラリスへと一直線に向かい抱き寄せる老人。それを表情の無い顔を見上げ、少しだけ苦しそうにするクラリス。
「叔父さん痛いです。父上は?」
相手がクレリアンの一族なら、下手な事を言う訳にいかずユリアは黙らざる負えない。そしてその叔父は湖上の王城を指差し。
「もう王城に突っ込まれた。すぐに会いたいだろう。戦闘も終わりかけらしい。護衛を付けるから行ってきなさい」
ユリアが何かするまでも無く話が進んで行ってしまう。そしてクラリスを連れて行きながら、叔父と呼ばれた人はユリアを手招く。
「貴女方も!王城に入れる機会など早々ありませんぞ!」
こちらに拒否権の無い誘い。ユリア自身はこの城門で待っていたかったのだが、下手に家同士の関係が悪化させる訳にいかない。それに護衛がついているのならとついて行く。
「子供連れて来て良いんです?」
ユリアはクラリスに耳打ちをするが、あちらも困った様に眉を曲げる。どうやら知り合いがいた事で、少しだけ余裕が生まれたらしい。
「叔父さん一度言ったら曲げないから……」
ユリアは自然とシエナとルナの手をつなぎ体に寄せる。彼女らもここまでの道のりの光景で委縮してしまっており、連れてきたのを後悔してしまう。だが、ここで本来の目的とメイベルの言葉を思い出し、ポケットの中のガラス管の感覚を確かめる。
「ルナちゃん体調大丈夫そう?痛い所とか?」
橋を渡り始めて王城が近付いた辺り。そうディアナが問いかけるとルナは、少しだけ顔色を悪くして口元を抑える。
「きもちわるい」
それの原因は分からない。恐らくは多くの死体を見すぎたのだからだとは思う。そんな彼女の手を引いたまま、ディアナを待たずに勝手に薬をあげても良いか迷う。そうしている内に王城の中へと入っていくと、そこには更に死体が積み上がり、嗚咽を避けられないような匂いが立ち込める。
とうとうルナは立ち止まってしまいその場で蹲る。少し先を行っていた叔父とクラリスは心配そうに振り返る。
「大丈夫ですか?医療術師呼んでき━━」
叔父がそう言いかけた時、ユリアは不味いとそれを止める。
「いえ、こちらで対処するのでお気遣い無く」
ここで下手に貸しを作るのは不味い。仕方ないがここで薬を飲ませれるしかない。幸い謁見の間も近く、この辺りにディアナもいるはず。そうポケットから赤い液体の入ったガラス管を取り出し蓋を開ける。
「え……それって」
クラリスにはそのガラス管に見覚えがあった。忘れもしない、あの小さな少女が帝都を破壊して回る龍に成った時の事。まずいと手が伸び、声を出そうとするが、それまで泣いていたせいか擦れた声しかでない。
「まっ……っち……だめ……!」
だがそう言った時には、ガラス管は傾きルナの喉は動く。ユリアは慌てているクラリスを不思議そうに見る。
「……?どうしました?もしかしてこれ知ってます?」
そう首を傾げるユリア。だがクラリスの視線は既にその奥、銀髪の少女へと向いていた。クラリスの中では彼女はアリシア。それは完全に正しい認識ではないが、龍人である。その一点では全く当たっていた。
「逃げないと……」
やけにおかしいクラリスの反応。ユリアも流石に違和感を抱き、ゆっくりと首を回し振り返る。そして手を握ったその小さな女の子に問いかける。
「大丈夫……だよね……?」
そこにいるのは全く姿の変わらない銀髪の少女。ユリアは一瞬の安堵を得るが、ルナの顔色は晴れない。それどころか先ほどまであった吐き気が再発したのか、その喉奥を大きく開く。
「ア……アァ……ァ゛」
この場にいた誰もが後ずさる。ユリアもルナから手を放し距離を取る。ルナの姿は未だ人のまま。だがその広がった喉奥。それは確かに赤黒く反射し、何か熱気が漏れ出る。
「逃げろッ!!」
誰かが叫ぶ。それでこの場にいた人間は全て、止まっていた足を動かす。そしてユリアはシエナを抱きかかえ、咄嗟に地面へと伏せる。
すると少し遅れて、背中と首裏を走っていく熱気と風圧。空気だけで火傷をしてしまいそうな痛み、ユリアは歯ぎしりをするが、それでもシエナだけはなんとか抱え守る。
「……ッ」
そして数秒後にその熱は収まる。空気が冷えると同時に辺りは静寂に包まれ、異様な空間になる。だが、ワンテンポ遅れ、皿が割れるような音とメキメキと弾けるような音。それが異様なほど響き渡り、建物が崩れたのか大小さまざまの瓦礫が落ちて来る。
「何がッ」
ユリアは状況を掴めないままながらも、シエナを抱え駆け出す。背後では得体の知れない怪物の叫び声。それから逃げる様にひたすらに足を回す。
「ル、ルナちゃん……」
抱きかかえたシエナが後ろへと手を伸ばす。それは怪物を見てもなお、その名前を呼んでいる。だが、それが呼び水となったのか。銀龍の長ぼそい瞳は狙いを定め、大きく鋭くなった黒爪を振り上げる。
ユリアは一瞬振り返り状況を確かめようとするが、分かったのはただまずいという事だけ。
「龍って……本当に龍人だったの……!!」
話半分にしか信じていなかった。だが信じるしかない。信じなくともその爪は確かに迫っていて、避けようにも、その大きな掌に押しつぶされる。
「シエナちゃん!!歯食いしばっててよ!!」
「え、ユリ━━」
シエナを投げ飛ばす。辺りには逃げ惑う兵士達もいる。誰かが拾ってくれるはず。そしてシエナは上手く投げ飛ばす事が出来たが、それで体勢を崩し絨毯へと転がっていくユリア。給仕人服の裾が広がり、そこから見上げれば顔に影を作る程の距離に黒く長い爪。
「らしく。死ねたかな」
主の命令に従って子供を助けれたのなら本望。奴隷の身だったことを考えれば長く行き過ぎたぐらい。ただ名残があるとすれば。
そう走馬灯のように10年前。施設に居た頃を思い出しそうになる。あの日々が今の自分を作ったのだと。だが、それよりも早く、ユリアの前に出来る影。
「頭下げろッ!!」
その影が誰か分かる前に、私の体は抱えられ寸での所で龍の爪から逃れる。そしてさっきまでいた所には、龍の爪が深く突き刺さり大理石を割り陥没さする。。その先に大丈夫らしかったシエナも見え、ユリアは安心する。
だがその逸った心拍は、見上げた所にある顔を見て落ち着くことが無い。
「……なんで……あんたが」
その言葉に一瞬怪訝そうな顔をする彼だが、ユリアの顔を見ると驚きの色を顔に浮かべる。
「今日は懐かしい奴ばかりと会うな」
一瞬優しそうな顔をするが、すぐそこにある龍の鋭い牙。それを見ると、血だらけの体ながらも走り出し、龍から距離を置いて行く。だが、この王城は龍によって天井は破壊され、どこにいても龍の視界内。
「ルナなのか……ッ」
龍は天高い位置から奴隷商らを見下ろす。この場にいる兵士達にダークエルフ達は、既に怯え逃げ出し始める。この場に取り残されるのは怪我を負い動けない者か、戦う意思のある者だけ。
「ユリア。お前はシエナを連れて逃げ━━」
距離を置き、ユリアを地面に立たせながらタオルできつく縛り止血を止める奴隷商。すると聞こえるその足音。それへと奴隷商の視線は、釘付けになる。
「クラリス……!ここに……!!」
クラリスも奴隷商を見て一直線に走ってきている。だが、そこは龍の真下。一歩踏み出してしまえば、その足裏に押しつぶされる位置。
奴隷商はすぐに逃げるよう声を張ろうとするが、痛みに一瞬気を取られ遅れる。そしてその僅かな間で。あっさりと、そのクラリスの紺色の髪は龍の足裏に押しつぶされ、大きく土煙を上げる。
「何をバカなことッ」
奴隷商はすぐに走り出そうとする。だが、それを止めるのは、本来ユリアが探しに来ていたディアナだった。
「そんな怪我で何するつもり!!」
ユリアは状況を把握しようとするのに精一杯。目の前で2人が揉めている内にも龍はこちらを見下ろす。そんな中、1つだけ分かるのは。
「私のせいであの子が……」
あの薬を飲んだ途端だった。ここまでくれば自身の主であるメイベルのやろうとしたことにも察しがつく。
「私は不要でしたか」
土煙から顔を出す龍。それは主が求めた光景で、これに殺されるのが最後の仕事なのだろう。そう、さっきのクラリスの様に踏み潰されでもして……
だがそこで土煙を掻き分け、体勢低く走り抜けて来るのは白髪のダークエルフだった。彼女はこちらを見ると、隣を駆けぬけ際言葉を残す。
「借りは返した。私達は逃げる」
そしてその腕には気を失ったクラリスがあった。奴隷商からすれば意味が分からない気の変わりようだが、助けてくれたことには変わりないと。
「あぁ。ありがとう」
レイルベルは気付けばそこから姿を消し、クラリスを連れ帰ってくれる、そして奴隷商も龍を視界に捉え、警戒をする。
「ユリア。もう一回言う。シエナを頼む」
だがユリアからすぐに返事が出来ない。
私は恐らく主に死を求められている。あの人の給仕人な以上、それに逆らう訳にいかない。それが奴隷であった私の役目なのだ。なのだが、奴隷商は振り返り縋る様に弱々しそうに。
「時間を稼げて数分だ。頼む」
ユリアの迷っていた針が僅かに傾く。そしてそれを自分の過去の思い出と感情で無理やり傾ききらせる。ユリアは何が正しいか分からなくなりながらも、目の前の男の為にと強く頷く。
「頼まれた。死なないでよ」
それだけ残しユリアは戦場を駆けだす。だが、奴隷商からの返事は聞こえず、そのまま土煙の奥に黒い外套は消えた。
そしてまた2人。奴隷商とディアナだけが残ったと思った戦場。そこに1人の短髪のダークエルフが短刀を抜き歩み寄る。
「処刑されるかと思えば国が滅びかけ。人生ってのはどうなるのか分からないな」
のんきな事を言いながら出て来るのはシレア。ディアナは面識が無いからか怪訝そうにするが、奴隷商は頼もしいと。
「頼めるな」
そう問いかければ、シレアは不敵に笑って。
「私は高いぞ」
そしてここまで龍が何もしてこなかった。それは喉奥に赤黒い熱を溜め、脊髄を光らせその力を蓄え続けていたから。そしてそれは今にもあふれ出しそうになり、その口先は王城ごと燃やしてしまおうと下を向く。
「俺が魔力を吸う。気を引いてくれ」
ユリアがシエナを回収し王城から後にするのを確認する。彼女自身魔法が使えるからそれなりに対応は出来たらしい。
「あいよ。奴隷主さん」「分かった。無理しないでよ」
2人の返事を確かめる内にも、今にも火を吐き出そうと近づいてくる龍の喉奥。それらを前に奴隷商は龍の足元へと駆け出し、ディアナとシレアが脇に逸れ援護に回る。
「またお前に人を殺させる訳にいかない」
クラウディアだろうがアリシアだろうが、同じ事を何度も繰り返させるのは俺が許せない。目の前で何度も失敗する訳にいかない。
触れば焼けてしまいそうな程赤く熱を帯びる銀鱗。そが龍の巨躯を追おうが、奴隷商は今更だと爪を立て龍の体を登る。
「だから頼む」
その辺りで奴隷商らを見失った龍は地面に向け火を吐き出す。その火は地面を反射し、そのまま上へと駆けあがる。否が応でも奴隷商らディアナ達にも襲うが、誰しも魔力自体は残していた。水魔法で何とか避ける。
「あいついつも無理してッ」
そしてディアナとシレアが自身に意識を向けるために、魔法によって攻撃を始める。他の兵士は既に逃げてしまっている以上、この3人でどうにか出来なければ、龍は暴れるまま暴れこの帝都を破壊する。
奴隷商は揺れる龍の巨躯を辿り、いつの日かの様にその龍の首元へと到達する。そして記憶通りにやけに柔らかく、逆鱗と呼べるそれが目の前に。
「今度こそッ」
魔力を吸い始める。だがそれを感じた龍も何もしない訳が無く、首を大きく振り回し奴隷商を引き離そうとする。それはシレアやディアナ達の囮攻撃すらも無視をし、ひたすらに奴隷商を振り払うべく、首裏を王城の残骸に押し当て、不快感を払おうとする。
「もうどこが痛いかなんて分かんねェよ!!!」
意地で張り付き魔力を吸い続ける。手足は銀鱗によって赤く爛れ既に感覚が無い。体の骨も何本折れたか数えれない程だ。それでも奴隷商が粘り続ける事で、龍の動きが緩慢になりつつある。
だが奴隷商は忘れていた。この王城にまだ逃げ遅れている可能性のある人物がいることに。
「後もう少し……もう少しで楽になるぞ……!」
必死に声掛けをする。そうしている内にも龍は首に尾を振り回し、手足は地団駄を踏むように地面を陥没させていく。そしてその尾がある王城の一角を崩落させた時。龍の首裏に張り付いていた奴隷商の視界に、崩れる瓦礫の中に黒髪を見つける。
「……レイラ」
彼女は手足をばたつかせ地面へと一直線に落ちていく。周囲には瓦礫が多く一緒に落下し、そのまますればレイラがどうなるかは自明。だがディアナもシレアもその存在には気付いていない。奴隷商もここで魔力吸引を読める訳に……
「あぁなんでいつもこう━━ッ!!」
迷う意味は無かったのだろう。奴隷商はレイラを見た瞬間に龍から飛び上がり、レイラを目指して手を伸ばす。
いつの日か。雪の日を思い出す。
レイラもこちらに気付いたのか、安堵したように笑みを浮かべ手を伸ばしてくる。それは確かにある奴隷商への信頼。
「俺が……!!」
これ以上置いて行かれたくない。これ以上自分の手の届きうる所で誰かに死んでほしくない。奴隷商はひたすらにその手を伸ばす。
だが、あの雪の日と違うのは。その手が届かなかった事だろう。
「……あ」
奴隷商の指はレイラへと届かず空振り、黒髪は瓦礫の向こうへと消えて行ってしまう。そしてすぐに奴隷商自身、瓦礫と共に地面へと落下をし、全身を酷く痛める。肺の中の空気が押し出され、痛みに意識がどこかへと飛んでいきそうになる。
だがそれでも奴隷商は舞い上がる土煙の中、立ち上がり瓦礫の山を見る。
「レイラ……レイラ……!!」
背後では龍の勝ち誇ったような雄たけびが聞こえる。それは鬱陶しい虫を払えて上機嫌とでも言いたげだった。だが今の奴隷商にそんな事どうでもよく、瓦礫の山を手でかき分けようとする。そんな彼に龍の眼は向き、ディアナやシレアの声は届かない。
「なんで……ここまでやって……」
ぽっきりと折れてしまいそうだった。人が一日に浴びて良い死という体験の量ではなかった。脳内物質が切れるのと同時に、ただただ奴隷商の感情は深く沈みそうになる。
「プレヴァルで終わってくれればいいだろ……ッ」
怒りと共に瓦礫を投げ飛ばすが、そこにレイラはいない。そうして爪が赤く染まっても瓦礫を捲り、龍の足音が近づく。
そんな時。ふと瓦礫が揺れる。龍の足音では無い、明らかに何かがそこにいる動き方。奴隷商はそれを見てすぐに向かおうと、たどたどしく足を絡ませる。そして転びその岩へと届かず手を伸ばすだけ。
「なんで……ッ」
だがそこから聞こえてきた声は、懐かしい男の声だった。
「これで多少恩は返せたか」
そこに見えるのはブロンドの髪。そしてその前髪から見えるのは綺麗な緑の瞳。鎧は煌びやかに装飾されまさに騎士といった姿をした男。彼は瓦礫を腕で押し上げ、その手にはレイラを抱える。
「なぁ。奴隷商」
コンラート。彼の緑眼が奴隷商を捉え、土煙など気にもかけず、ニッとこちらに笑いかけていたのだった。




