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第9話 余裕の無い奴隷達


 カツカツと乱雑な足音が木の床を鳴らす。

 視界端にはコンラートが剣術を教えているのが見える。奴隷商があれだけ言ったというのに、笑顔で、明るく、優しく、奴隷達に接している。


「……」


 コンラートに腹は立つ。

 だがあの場であれ以上言っても、理解はされなかっただろう。あれは経験しないと分からない生物なのだと思うしかない。


 奴隷商は外套を揺らし、奴隷商以外開ける事の無い部屋を開ける。


「相変わらずの臭いだな」


 体液が乾燥したような嫌な臭い。口元を布で覆っていたとしても、吐き気が湧き上がってくる。そしてその臭いの元である、肉塊がもそっと動く。


「……」


 期待していたと水色の瞳が男を捉える。だがこの様子からして、まともに外の様子を知覚出来ていないのだろう。それこそ聴覚と敏感になった肌で、人の気配を感じ取っているのかもしれない。


「治している訳じゃないからな」


 奴隷商は屈み奴隷の額に手を置く。この部屋を支配する悪臭は、窓は開けてもどこにも消えない。だがそんな中、奴隷は安らぐように微笑み、空気を漏らすように言う。


「…あ………と」


 言わんとする事は伝わる。だが感謝されても困るのは事実。


「……ただの自己満足だ」


 指先が暖かく、水色の日暈を作る。それと共に魔暴病の奴隷の呼吸は段々と落ち着いて行く。


 そしてその水色の瞳はゆっくりと瞼の裏へと消えてしまう。


「……俺も大概コンラートの事言えないか」


 肌は爛れ人が見たら目を背けたくなるような見た目。最早死臭と表現しても遜色ないほどで、いくら換気してもこの臭いはどこにもいかない。


「……」


 毛布をかけてやりそのまま奴隷商は部屋をあとにする。時間で言えばそこまでかかった訳では無い。

 

 だが丁度タイミングも良いかと、すぐそこにあった窓を開け中庭に顔を出す。


「コンラート。昼飯の用意行くぞ」


 すると奴隷達の一斉に冷たい視線が集まるが、それもすぐにそっぽへと向き各々剣を振るっていく。そんな中コンラートは腰に手をやる。


「あ?もうちょっとダメか?」


「食事も体作りって言うだろ。お前の要望も多少は聞いてやるから来い」


 奴隷商の提案に対し、コンラートは頭を掻きつつ木刀を箱へと丁寧に入れる。


「……しゃぁねぇな。ロルフ君!頼んだよ!!」


「あ、はい!任されました!!」


 奴隷商の見た事も無い様な笑みで返事をするロルフ。歳のせいか肌荒れが酷く、奴隷商が顔を洗えと言っても言う事を聞かないというのに。


 そんな事を思いっていると、奴隷商とロルフの視線が合う。


「……なんだよ」


「なんでも。せいぜい頑張れ」


 ロルフに思いっきり睨まれながらも、奴隷商は窓から顔を引っ込め歩き出す。コンラートは小走りで屋内へと入り、奴隷商に並んでくるのだが。


「お前なぁ。ああいう言い方しないでもだな……」


 さっきも何か言い合いをしていたというのに、またいがみ合う大人二人。


 そして中庭に残された子供らもそのまま剣術を振るい続ける。はずだったが、その内の1人クロエは違った。


「あーだる。あの騎士も騎士でうざ」


 木刀が乱雑に芝生へと投げ捨てられる。そしてクロエは結んだ長いブロンド髪を解き、さっさと座り込んでしまう。


 それを咎めるように、足音を荒く寄ってくるのは、コンラートに任せられたロルフだった。


「まだ剣術終わってねぇぞ。ほら木刀持て」


 ロルフは地面に転がった木刀をクロエへと差し出す。だがそれをクロエは邪険に払う。


「え、なに?まじにあいつの言う事聞く感じ?」


 ロルフはムッとして怒りの色をにじませる。


「良い人だろ。コンラートさん」


 大真面目にそう言うロルフを、可笑しいと言わんばかりにクロエは鼻で笑い飛ばす。


「押し付け鬱陶しいでしょ。あの奴隷商とやり方が違うだけで同類」


 コンラートの前では取り繕っていた笑顔はどこかへと消え去り、こんな事も分からないのかと目の前の子供を嘲笑う。


 だがそんな態度が余計にロルフを激昂させてしまう。


「あいつとは違うだろ!!俺らの事第一に想ってくれてるし!!!」


 至近距離で騒がれ、うるさいと耳を塞ぐクロエ。そしてロルフを睨み上げながらも刺々しく言い返す。


「たかだか数日で何言ってんの。実際バカみたいに剣振らせてきて休憩も無いし。てか普通に鬱陶しいでしょ、あのノリ」


 実際クロエも最初はコンラートへ期待はしていた。それこそ彼女自身を守ってくれて、甘えさせてくれる親のような物になってくれるかもと。だが実際はひたすらに熱血で押しつけがましい。そんなコンラートに、クロエはすぐに見切りをつけていた。


 クロエはもうロルフを相手にする気は無く、未だ木刀を握るレーナへと視線をやる。


「レーナ。あんたもそんな棒切れ捨ててこっちきて」


 大人相手なら良い顔しても損は無い。だが、同じ奴隷達の前で良い顔しても何も得は無い。奴隷商の居ない時のクロエはいつもこうだった。


 だがいつも行動を共にするレーナは、コンラートの熱気に当てられたのか中々動かない。


「え、あ、うん。でもまだ少しだけ……」


 レーナは心中イラっとしながらも、笑顔で手を招く。


「良いって別に~!私達女が剣やっても意味無いから~!」


 レーナは他の奴隷達の顔色を伺いながらも、気まずそうに歩き出しクロエの隣に座る。それを確認しクロエは笑みを浮かべる。


「そういう事だから。せいぜい頑張りな」


 ロルフは怒りを通り越して呆れ、沈黙したまま背を向けてしまう。それを傍観していたエリックは、面倒そうにため息を零しながらも、木刀を肩に乗せる。


「エドガー君とレオン君は僕と剣術やろうか」


 すると困惑しながらレオンが確認する。


「ロルフさんは良いの……?」


「あれはいつもの事だから。今は放っておいてあげな」


 エドガーに妹のカミラは大人しく従い、レオンは多少戸惑いながらも渋々従う。エリックにとってはクロエとロルフの馬の合わなさは承知の上で、こうなることも予期していた事だった。それこそよく朝の段階で暴発しなかったと感心するほどだった。


 そんな事を考えながらも、エリックはレオンの腰に手をやり姿勢を矯正する。そのさなかなんとなく問いかける。


「レオン君もコンラートさんの事嫌い?」


「……」


 エリック自身はコンラートの事を嫌ってはいない。それこそ好意的にすら思っている節はあったが、それでもまだ見定めの段階だった。


 だがレオンは雑に木刀を振るうと、珍しく強い口調で答える。


「俺は……騎士は嫌いだから」


 ふーんと思いつつも、まぁそんなものかと納得するエリック。


「そう。まぁここにいる皆過去に色々あるから、誰も無理に聞かないからね」

 

 どうせ5年後にはバラバラになる関係性。深く関わらず上辺だけ良好に保っておけばいい。エリックはそんな考えだった。


 そんなエリックの思考はつゆ知らず、レオンは良い人だなと感じ軽く頭を下げる。


「……どうも」


 そう2人が会話していると、怒り心頭のままのロルフが戻ってくる。どうやら不貞腐れるだけでは無いらしい。


「エドガー君!やろう!!」


 身長差でいえばかなりある2人。ロルフはエドガーを見下ろしそう声を張る。剣呑な空気感は感じていたのか、エドガーも気まずそうにする。


「え、あ、はい……」


 エドガーがエリックに確認するようにアイコンタクトをしてくるが、エリックは微笑んで頷く。あぁは言ったが、今のロルフ相手に言い合いをするのが面倒だからだ。


 そしてエドガーに引っ付き、カミラも一緒にロルフに剣術を教わっていく。一旦負担は減ったかと中庭を見渡すエリック。その視線は女子2人へと向く。


 中庭の端。ラウラはクロエらの喧嘩を気にしながらも、相変わらず1人で端にいるハンナに話しかけていた。


「そうそう。もう少し腰落として」


「……」


 ラウラは1人になろうとするハンナの傍に、出来るだけいるようにしていた。ハンナとラウラが同室であることに加え、自身がレイラに目をかけて貰った経験もあるからだ。


「……何があったのかは聞かないよ」


「……」


 返事は返ってこず、単調な木刀を振る音だけ。3回話しかけて1回返ってこれば御の字だが、ラウラは根気強く話しかける。


「このまま1人で生きていく事は出来ないからね」


「……」


 思う所があったのか、ハンナの木刀が少し乱雑に振るわれる。まるでラウラの言葉を切り捨てるように。


 そして3回の内1回の返事がここで来た。


「あんたは人の顔色伺って窮屈そうだね」


 ラウラが言い返そうとして息がつまる。だがそれでもレイラの代わりに皆を纏めなければ、そう言葉を紡ごうとする。


「あのね。そういう言い方も━━」


 奴隷になってしまって気が立っているのだろう。だからどうにか宥めようとするラウラ。


 だが、そこに割り込むのはレーナを引き連れたクロエだった。


「やっぱあんたが空気悪くしてんじゃん。お前のせいで大人の機嫌損なったら私達が迷惑なんだけど」


 まさか介入してくるとは。そう焦りながらクロエの胸を押し、控えさせようとするラウラ。


「ちょ、ちょっとクロエちゃん……」


 さっきも2人が言い合いをしていたのを見ていた。だからこそ再燃しないようハンナに付きっ切りだったのもあった。だがその気遣いも水泡に帰し、クロエは棘を隠さない。


「ラウラさんは黙ってて。甘やかすからこうやって調子に乗るんだよ。ロルフの奴と一緒」


 ラウラの制止も聞かずクロエは、ハンナへと圧をかけるように近づき見下ろす。だが、身長差こそあるものの、ハンナもその気の強そうな眼で見返す。


「いや、あんたが一番空気悪くしてるの気付いて無いの?さっきも喧嘩してさ」


 クロエはこの所機嫌が悪いのもあるのだろう。明らかにピりつき、ハンナの言葉に分かりやすく腹を立てていた。


「いっつも機嫌悪そうな顔でいられる方がよっぽど空気悪いんだけど。まだガキだから分からない?」


 レーナが困ったようにアワアワし、止めに入るラウラも意味を成さない。エリックらも遠目に心配そうに眺めるが、ラウラが面倒になるからと介入を眼で制止する。


 だがその間にも意地を張ってしまったのか、ハンナは更に煽る様に強く言い返す。


「私に張り合って楽しい?あぁもう2年もすればどうせ変態貴族に売られるもんね。今の内に粋がっておかなきゃ━━」


 だがこれは言い過ぎだった。クロエはもちろんラウラやレーナも苦い顔をせざる負えない言葉。女なら誰しも想像したくないが、一番ありえて、あって欲しくない未来。


 そして真っ向から言われたクロエは、その口を黙らせるために思わず手が伸びていた。


 パチッと乾いた音が中庭に響く。


「まじで空気読めないんだな。限度分かんないの」


 ハンナの頬が赤く腫れる。そしてその痛みが視野を広げさせ、自身の言葉でラウラやレーナがどう思っているのかを認識させていた。


 だがそれを理解したとしても、受け入れられるほどハンナの心は強くない。


「……いいし。どうせ嫌われ者だし」


 ハンナは塞ぎ込むように、木刀を握ったまま俯いてしまう。

 流石にこれ以上は不味いとラウラは間に入ろうとするが、苛立ったクロエは止まらない。


「嫌われてるもんねー?村燃やすようなやばい奴なんて~」


 中庭全体に響くように大きな声を出すクロエ。誰もハンナ本人の前で話題にしなかった事だが、その不文律を破った。


 そこでハンナの顔が苦悶の浮かべ上がる。


「それは━━ッ」


 ハンナは続きを言おうとするが、何か思い出したように、その言葉を飲みこんでしまう。そして何故かハンナの助けを求めるような視線はレオンへと向く。


 それを追ってこの場の全員の視線がレオンへに集まる。そこで隣にいたエリックが背中を撫でてあげ尋ねる。


「何か知ってるの?レオン君は」


 エリックは落ち着かせるように優しい物言いだった。だが、突然話題の中心にされたレオンは明らかに動揺し、脂汗を掻く。


「え……っと」


 レオンの木刀を持つ手は震え足はたじたじ。


「いやっ……その」


 エリックは迷うような気まずそうな眼でハンナを見る。だがハンナを庇う訳でもなく、こんな緊張空間に耐えられなくなったのか、レオンは木刀を投げ捨ててしまう。


「知りませんっ!!!」


 そう叫び走り去ってしまう。誰も現状を掴めず沈黙が流れるが、エリックがラウラに目配せをし、追いかけるべく走り出す。


 おそらくこの場は任せたという意図だ。そうラウラは認識し、ハンナへと視線を戻し優しく語り掛ける。


「何かあるなら話聞くよ?」


 だがハンナの顔からは感情が抜け落ちていた。レオンが放って転がる木刀をじっと見つめる。

 

「ハンナちゃん……?」


 ラウラがハンナに手を置こうとした時。ハンナは顔を伏せると、ラウラを押しのけ走り去ってしまう。


 すぐに追いかけねば。そう思うラウラだが一度深呼吸をし、クロエを咎めるように見る。


「クロエちゃんも言い過ぎだよ。来たばっかなんだから心に余裕が無いの分かってるでしょ」


 だが言い訳するようにクロエはそっぽを向き呟く。


「……でもラウラさんにあんな事」


 ラウラには、クロエが自身を出汁に不満を吐き出しているようにしか見えなかった。だからラウラは少し言葉を強めて注意する。


「私は良いの。次は絶対にやめてよ」


 クロエはまだ言いたい事はあるようだった。だが普段優しいラウラに強く言われ、委縮してしまう。


「……はい」


 ラウラはクロエを落ち着かせ、去って行ったハンナを追いかける。だが、中庭には気まずい空気感が流れ続ける。


 そんな中。良い意味でも悪い意味でも空気を読まないロルフが、木刀を肩に担いで言う。


「あいつら放っておいて訓練するぞ!!」


 そうして疎らな声が響きながら昼の時間は過ぎていった。


ーーーーー


 そして時は少し戻り炊事場にて。中庭の様子を知るはずも無い奴隷商とコンラートは調理を始めていた。


「あんまり奴隷達に深入りするなよ」


「またそれかよ。別に良いだろ」


 予想以上に包丁の扱いに慣れているのか、コンラートが器用に川魚を捌いていき、奴隷商は野菜を洗う。そうして会話は続いてく。


「クロエとかお前の事嫌いだろ。あの性格だと」


 そう奴隷商が言うと自信ありげにコンラートが胸を張り、魚の頭を奴隷商へと向ける。


「分かってねぇなぁ。あの子は不満こそ溜まってそうだがな。根は良い子なんだぜ?今日の剣術も元気よく、しっかり言う事聞いてくれたしな」


 呆れた目線を奴隷商はコンラートに送ってやる。そんな数時間で人一人が分かるはずも無いと。


「……温室育ちだな。お前も」


 段々とコンラートという男が分かってきた気がした奴隷商。だが、コンラートは自信満々なまま、奴隷商に言い返す。


「そっちが人を信じられなさすぎなんだよ。大人が心を開かなくて子供が心を開く訳ないだろ」


 奴隷商は向けられた魚の頭を奪い取り、沸騰した水で一杯の鍋に放り込んだ。やはりいくら話しても平行線だと、やっと諦めがつく。


 だから吐き捨てるように奴隷商は言い放つ。


「勝手にしろ。俺はお前が正しいとは思わない」


「元々お前のやり方に従う気は無い」


 張り合う様に互いの調理の音が乱暴に響く。出会って3日しか経っていないというのに、長年の仇かのように重苦しい空気が流れる。そして言い返され、諦めようにも奴隷商も意地を張ってしまう。どうしてもコンラートのやり方を否定したかったのだ。


「理想だけで現実が変わると思わない事だな」


 子供じみた意地の張り合い。だがコンラートも奴隷商に言い返す。


「だが理想が無ければ現実は変わらない」


 まだ言い合いが続きそうだった。

 だがそれを終わらせるように、バタバタと走る音が段々と近づき、炊事場の扉が乱暴に開けられる。


 奴隷商とコンラートが振り返る。するとそこには肩で息をし、麦色の髪を乱したラウラの姿があった。


「どうした」


 奴隷商が尋ねると悲痛な声でラウラは答える。


「ハンナちゃんが……」


 コンラートと奴隷商が目を合わせる。グツグツと鍋が煮える音が響く。奴隷商は手に持っていた包丁を置き、手を拭ってコンラートを見る。


「火の番頼む。俺が出る」


「人手が多い方が良いだろ。俺も出る」


 炊事場から出ようとした奴隷商は振り返り、自身の首元を指差しながら答える。


「奴隷紋がある奴が街中歩き回ってたら衛兵に捕まるぞ。ハンナの奴もだが」


 コンラートの足は動かなかった。それは奴隷商が主として命令したからで、コンラートの意志とは別に動きたくても動かなかった。


 そうしてコンラートは炊事場にただ一人残される。それを横目に奴隷商はラウラと共に玄関へと向かって行くが、そのラウラ何か含みがあるように言う。


「この事はクロエとかには言わないでください」


 さっきあの2人が言い合いしていた事を思い出す。また奴隷商が居ない所で喧嘩をしたのだろうか。そう勘ぐり聞いてみる。


「……何かあったのか?」


 だがまともに答える気は無いのか、ハンナは奴隷商を一瞥もしない。


「少し喧嘩をしただけです。私達で解決するのでお構いなく」


 奴隷商は中庭の様子を伺うが、ロルフを中心に素振りをしているのが見える。喧嘩したというクロエも素振りをしているようで、ここからでは喧嘩の内容までは察せない。


 だがそれは後で問いただせばいい事。奴隷商は靴を履きラウラに伝達する。


「コンラートの奴が暴走しないよう見ててくれ」


 ハンナをどうしようも出来なかった事に責任を感じているのだろう。ラウラは苦虫を嚙み潰したような顔をして返事をする。


「……はい」


 誰もかれも精神的に余裕が無くなっている。奴隷商は自分の事を棚に上げ、そう思いながら扉に手を掛ける。


「じゃあ俺は出る」


 太陽を確認すればもう昼過ぎ。日が暮れるまでに見つけれればいいのだが。そう奴隷商は、まだ寒く乾燥した外へと走り出すのだった。


ーーーー


 もう嫌だった。


 皆の為に我慢をしてきたのに、誰も分かってくれないし助けてもくれない。それで最後の最後でレオンにも裏切られた。


 涙はこらえきれずハンナの目元は赤くなっていた。


 見た事も無い様な人混みの中、走り回る。

 だがそのもつれる足が真っすぐ進めるはずも無く、大きな背中にぶつかって地面へと転がってしまう。


「━━痛ったっ」


 大きく尻餅をついたハンナが見上げれば、自分より二倍の体格のある男が見下ろす。


「ッチ、ガキが走り回んなよ……ってお前その首の紋」


 咄嗟に顔を伏せ路地へと駆けていく。どこに行きたいか何をしたいか、それも分からないまま走っていく。


 今自分が衝動で動いてしまっているのは分かっていても、あの空間に居続ける事がどうしても耐える事が出来なかった。


「私だってやりたくてこんな事っ」


 やりたくてあんな態度をしたわけじゃない。レオンやエドガー達の為だった。だったのに、私にはどうしても耐えられなかった。周りに嫌われて腫れもののように扱われるのが。


「こんな事になるなら最初からあんな事しなければよかった」


 胸が締まるような感覚と喉が震え、目頭が熱くなっていく。


「あんな余分な事言わなきゃよかった」


 このことで更に周りとの溝が深まり、嫌われていくのは目に見えている。それこそ自身の失言によって向けられたあの沢山の眼、それを思い起こせば足が止まる事が無かった。


「……」


 顔の傷が痛む。足裏の皮膚が裂け血が流れていく。建物と建物の間、光も殆ど入って来ず自分の居場所すら分からない。

 

 そして1時間と少しする。10年と少ししか生きていない彼女にとって、行き先も分からず走り続ける気力はとうに無くなってしまっていた。


「皆私の友達だったのに……」


 エドガーだってカミラちゃんだって、孤児だった私を受け入れてくれていた。レオンだって私が庇ってあげた、共犯だったはずなのに。


「……なのに誰も助けてくれない」


 街を流れる水路。そこにいくつもかかる小さな石橋の下ハンナは蹲る。足の裏は感覚は消え、肺が痛む。


「……誰か探しに来てよ」


 誰にも見られず誰に言うまでも無く。そうぽつりと呟きハンナは目を瞑る。そしてあんな事しなければよかったと、そう自身の行いをひたすらに後悔をするのだった。


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