第10話 三日月と似た者同士
ハンナは孤児だった。
産まれながらにして母の胸の暖かさも、父の腕の頼もしさも知らなかった。そんな境遇では、すぐに死んでいってしまうのがこの世界の常。
だがハンナは少しばかり運は良かった。
「ごめんねぇ。こんなぼろい家で」
森の中にある木組みの小さな家。寒い時期の方が長いこの地域。暖炉の暖かさとその老人の老いた手が、ハンナの親代わりとなっていた。
「また来年になれば洗礼の司祭様が来るからね。綺麗な教会で生活出来るよ」
老人とハンナは髪の色も顔の造りも何もかも違った。ハンナは東方に多い黒髪に猫の様な目。幼いながらに自身が、村の中でも異質なのには気付いていた。
だが、それでも小さな小屋の中、老人の膝で目を瞑るだけでハンナは良かった。
「……話はちゃんと聞きなさいっ」
老人がしつける様に、だが優しく、微睡むハンナの頭を叩く。
「いたっ。聞いてるって~」
暖炉の炎に目を細め、老人のシワシワな手に叩かれた頭を抑える。
夕飯後の少しの2人の時間。ハンナはこの時間がたまらなく好きで、教会がどうのという話も受けるつもりは毛頭なかった。
「村の子とは仲良く出来そうかい?」
老人はさらさらとハンナの黒髪を撫でる。ハンナは嬉しそうに喉を鳴らしながら答える。
「ん~?皆良い子だったよ~。レオン君とかクッキー分けてくれたんだ~」
老人の言葉は固まるが、ただ歳のせいで名前を思い出すのに時間がかかっただけらしく。
「あぁ村長のご子息さんか」
薪がパチッと音を立て割れる。窓の外では雪が深くなっていく。
「また明日も遊ぶって約束したんだ~。おじいちゃんも来る?」
気まずそうに老人が苦笑する。そもそも老人は山を降りる事が殆どないからだ。
「いやぁ……私はいいよ。楽しんできなさい」
「うんっ!」
そうした日々が淡々と過ぎていく。何か大きな変化がある訳では無いが、昼は友人と遊び、夜は老人とその日の事を話す。そんな日々がずっと続けば、そう思うハンナだった。
そしていつものようにハンナ含め、村の子供で森へと向かった時の事。
「あれ魔獣だよな?」
「だね。偶に父さんが狩ってくるのと同じ」
レオン、エドガー、カミラ、そしてハンナ。その4人が藪に隠れ、湖の水を飲む角の生えた獣を見ていた。特にレオンとエドガーが、今にも飛び出しそうなぐらいに興奮し目を輝かせていた。
だが、半ば無理やり連れて来られたカミラがエドガーの袖を引く。
「ね、ねぇ……兄さんってば。帰ろ?」
それで言う事を聞くエドガーでは無く、カミラの手を払う。
「大丈夫だって!父さんの剣だって持ってきてるしよ!」
「怒られるって……」
カミラは涙声になって、今にも泣き出しそうになってしまっていた。それを見てハンナはレオンの肩を叩く。
「本当にやるの?」
レオンは誕生日に貰ったというナイフを手に振り返る。
「んだよ。ハンナの魔法が頼りなんだから頼むぜ」
「で、でも私水がちょっと出せるだけで……」
そうハンナは止めようとするが、レオンは言う事を聞こうとしない。
「それに俺もナイフ持ってるから大丈夫だって。最悪ハンナは守ってやるからさ」
少し癖のある茶髪。親である村長と同じそれで、孤児であるハンナにも対等に接してくれた男の子。老人以外の人間で、信頼を寄せるのは無理もない事だった。
「……じゃあ信じるよ」
「おうっ!任せとけ!」
レオンは胸を張ってナイフを鞘から抜き出す。エドガーはいまかいまかと、飛び出しそうになっている。
だがそれと時を同じくして、ガサガサと落ち葉を踏む足音が聞こえてくる。
「……」
この場にいた4人の動きが止まる。村は国の中でも外れ、早々余所者が来る地域でもない。そして今は猟が行われて無い時期でもあった。
「皆後ろに」
レオンがそう言ってその足音側に立つ。そしてその隣にはエドガーも並び、女子2人を守る様に震える足を抑える。
そして数秒の後。それはくぐもった声と共に現れる。
「……ガキか。なんでこんな所にいる」
真っ暗な鬱蒼とした森に似合わない程、煌びやかで神々しい鎧に身を包んだ騎士。そしてそれが男児であるレオンらにとって、憧れの物であるのは、女子であるハンナにでも想像に容易かった。
「うわ!うわ!本物じゃん!!」
「え!騎士さんがなんでこんな所に!?」
さっきまで足を震えさせていたレオンとエドガー。それが一転し興奮しピョンピョンと跳ね、その兜で顔の見えない騎士を見上げていた。
「……」
騎士はその子供2人を見ても何も言わない。ただ剣に手を掛けたまま、ジッとその場に立っている。カミラもいつの間にか騎士の目の前に行き、その煌びやかな装飾を手に取ろうとしていた。
(何かおかしい)
直感だった。ただ何か嫌な予感がして、ハンナはその騎士に近づく事すらできなかった。
そしてその騎士の手が動き出す。ハンナは息がつまる感覚を覚えながらも、その手を止めようとする。だが初めて見た騎士という生き物の威圧感。それに怖気づき結局何も出来ずにいたが、なんてことなく騎士の手はレオンの頭を撫でる。
「レオン君だね。君のお父さんに荷物を受け取りに来たと伝えてね」
兜の中に響く重低音。口角だけ異様に上がった笑みが、真っ暗な兜の中から覗かせる。
するとその右腕にエドガーがまとわりつくようにし、更にピョンピョンと跳ねる。
「あ、あの!!俺に剣術教えてくださいよ!!!ちょっとだけでいいので!!」
少しの沈黙。騎士がどんな思考をしたか分からないが、作ったように優しい声色で答える。
「……うんうん。分かったから。また今度にしてあげるから離して?」
「でもちょっとだけ!ちょっとだけどうです!?」
レオンの頭を撫でたまま騎士の視線が、エドガーへと向く。やはりそれには異様な雰囲気が纏っていた。
「俺ちょっとだけ剣術やってるんです!!どうです!?!?」
無言のまま騎士がジッとエドガーを見つめている、と思う。その兜の奥からは目が見えず、ハンナにはただただ恐怖しか湧いてこない。
「……僕は忙しいんだ。分かってくれないかい?」
穏やかな口調。だけどそこには確かな圧があった。
そしてそれは流石にエドガーにも伝わったのか、その足が大人しく地面へと着地する。
「……え、あ、はい。で、でも……!」
風が木々を揺らしている。だがその間を縫うように別の足音が聞こえてくる。チラッと騎士の兜が動いたかと思うと、またその重低音が響く。
「早く帰りなさい。今晩はゆっくり寝るんだよ?」
それからは何をするまでもなく私達は村へと帰った。最後まで私は背後を気にしながらだったが、家に帰ればもう終わった事と気が抜ける。
ただ森の中で変な事があっただけ。それを老人に事を話して、干したてのベットで眠りに落ちる。そう思っていたというのに、この事を話した時。ハンナは、その眼を見開いた老人の顔を忘れられない。
「……胸のあたりに薔薇の紋章はなかったかい?」
パチパチと音を鳴らす暖炉の前。さっきまでニコニコとハンナの話を聞いていた老人の顔が歪んでいた。そんな老人の様子を不思議そうにしながらも、ハンナは聞き返す。
「バラ?なにそれ?」
「赤いお花だよ。無かった?」
ハンナは腕を組み今日の事を思い出す。
「あ、あったかも?それに騎士の人他にも沢山いたよ?」
老人の顔は険しくなる。そして一度頷くと、ゆっくりと立ちあがり、どこからかその三叉になった槍を取り出す。
「ハンナ。ちょっと外に出てくるね」
「……え?」
飾りとばかりと思っていた槍。それを肩に乗せ老人は扉に手を掛ける。だが訳も分からないままそれを送り出す訳もなく、ハンナはその袖を握る。
「な、なんで…?もう外真っ暗だよ?」
急に物々しい雰囲気になる老人にハンナは怯える。
そんな様子のハンナに老人はその髭に手をやる。そして少し悩む素振りを見せると、ふとハンナの頭を撫でる。
「村長は子供達を売る気だ。教会に取られる前にね」
「え、ん?どういう……?」
訳も分からない。急に老人の雰囲気が変わったのも、子供が売るがどうのという話も。だが、老人は1人で納得しハンナの頭を撫でる。
「バラの連中には気を付けるんだよ。そいつらと関わると碌な事にならないから」
それだけ言って小屋から出て行ってしまいそうになる老人。それに引きずられるられる様にして、ハンナも外へと出てしまう。外は酷く冷え込んで乾燥していて、ハンナの悲痛な叫び声も良く響いた。
「ね、ねぇ!!だからそれで何するの!!!」
子供には半分も理解の及ばない老人の言葉。だがその表情と手に持った物騒なそれで、大体の想像がで来てしまった。
それを否定して欲しいと縋るが、老人の顔は晴れない。
「……ちょっと村長さんと話に行くだけだから」
困ったように微笑む老人。それでハンナの嫌な予感が消える訳もなく、袖を引き何とか引き留めようとする。
「レオンだって!!エドガーだっているんだよ!?」
そう叫ぶハンナを困ったように見下ろす老人。あまり時間をかけると危ないとも考える老人だが、その顔はふと村の方へと向く。
揺れる木々の音の間隙を縫って、小さな足音が聞こえてくる。それは何かが焼けるような匂いと共に。
「……村長の息子か」
老人がそう視線をやるのはレオンだった。ここは山上にあるというのに、ここまで走ってきたのか全身は汚れている。
「エドガー達が!!」
老人の腕へと転がり込みながら叫ぶレオン。その様子からして尋常ではない事態になっていると、老人もハンナも分かった。
「大丈夫。落ち着いて。何があったの?」
老人は槍を置きレオンの癖ッ毛を撫でる。ハンナも心配でレオンの顔を覗き込むが、酷く怯えているようだった。
「父さんが……ッ皆売るって……」
老人はやはりかとため息を零す。だが息子が逃げてきたという事は、売られそうになったのだろうか。そう思うのだが。
「反対したら俺も売るって……ッ」
確かレオンは妾の子。あの村長も去年に続く不作で、なりふり構わなくなったのだろう。老人は、周囲への警戒をしながらレオンに続きを促す。
「だ、だから俺逃げて……」
落ち着かせるように老人は頭を撫でる。だがレオンはどんどんと過呼吸になってしまう。
「でも途中篝火倒しちゃって……村が……」
小屋の周囲を囲む森の向こうの空が、淡くオレンジ色に反射している。どうやらかなりの火事になってしまっているらしい。
「なんで……ッ父さんは……」
親に売られるなんて経験、幼い子供が受ければ精神が不安定になるのも仕方ない。老人は怒りを隠しながら、微笑みハンナを見る。
「この子を頼んで良いかい?」
ハンナはどうすればいか分からなかった。だが既に迷うだけの時間が無くなってしまっていたらしく、松明を片手に持ったレオンの父親が、老人たちを見つける。
「よう偏屈爺さん。何年振りかね?」
煙たいと手を払うレオンの父親。そしてその後ろからはぞろぞろと、物々しい鎧に包まれた集団が現れる。それを見て老人はレオンをハンナに託し、槍を構える。
「自分の子供にまで手を出すのか」
老人にとってはありえない選択肢。だがレオンの父親はまるで当たり前の事を聞くのかと、不思議そうに首を傾げる。
「ん?レオンは妾の子だしね。皆次男女子は差し出してるんだから、村長の身内だからって特別扱いは出来ないさ」
目隠しをされ口を塞がれるエドガーら村の子供達。煤で汚れているのを見るに火事の混乱の中、彼らは捕まえられたのだろう。
そして1人の騎士が前に出、咳ばらいをしながら兜を外す。
「魔力がある子もいるようで良かった」
茶髪を後ろ髪を纏め、見た目は人の良さそうな顔をした男。ハンナにとって昼間聞いたその声。
それに老人も思わず警戒を解けそうになるが、気を引き締めるように槍の柄を強く掴む。
「お前らなんぞには勿体ない子だ。諦めろ」
騎士はハンナらを見ようと体を捻るが、それを隠すように老人は体で視線を遮る。それを見て騎士は爽やかに笑う。
「ま、どうせ遠くには逃げれないだろうし良いか」
騎士は肩に剣を乗せ呑気にそう言う。
この会話の内にも騎士たちは老人を囲もうと、ぞろぞろと広がっていく。小屋を背中にハンナらを守る様に、老人はジッと一歩踏み出す。
「その子らを解放しろ。例え村長だろうが、親だろうが子供を売るなんて許されない」
そんな言葉を村長は笑い飛ばす。
「さっすが街の”元”貴族様は違いますねぇ~。田舎の事情を何も知らない理想論だ」
老人はレオンの父親である村長に槍を向ける。そうしている内にも騎士らは老人を囲んでいく。
「貴様の首だけでは贖えない罪だな」
老人は言い放つ。そして腰を落とし槍を構え突っ込んでいき、騎士達相手に火花を散らす。
それを遠見にハンナは眺める。レオンは怯え俯くばかりで、ハンナはその肩を掴む。
いつもは弱々しくて、ハンナに荷物を持ってくれるようお願いするような老人。それが身長以上の槍を振り回し、大勢相手に大立ち回りしている。
「……おじいちゃん」
段々と包囲が狭められ槍が敵に掴まれる。それでも老人は腰に差したナイフで、1人また1人へと飛び掛かっていく。
「……なんでそこまで」
老人にとってハンナは血のつながりの無い赤の他人のはず。なのにここまでして、守ろうと必死に立ち向かってくれている。心の中で定まらないような微妙な感情が、ハンナの中に渦巻く。
その老人の奮戦の結果、既に何人かの騎士は地面へと倒れている。だが、老人の槍は地面に転がり、流れる血の量も増えていく。
そして老人が敵から奪った剣を振り上げる。
「まだまだぁッ!!!」
だがそれと同時に何本もの槍や剣が老人の胴を貫き、その蓄えた髭に血が流れ込む。
「━━まだッ」
まだ暴れようとするが、老人は口から血を吐き出し、ばたりと力なく倒れてしまう。それを見て唖然とするハンナだったが、それをしている暇では無かったらしく、顔に影がかかる。
「じゃあ君らも行こうね。使い物になるか知んないけど」
ハンナの視界に急に現れた、その兜の奥からのぞく気味の悪い笑み。
「え、んで……」
心臓が痛むほど急に跳ね、呼吸を忘れてしまう。そしてその騎士にあっさりとハンナとレオンは抱えられる。
「いや……!離してって!!!」
「はいはい。あんまりうるさいと殴るよ~」
ただ冷たい。冷たい鎧に包まれハンナは連れていかれる。レオンは力が抜けたように茫然としているだけ。
「こんなこと……」
訳も分からないままのハンナ。涙が溢れ、全身から力が抜けていく感覚。
だが、ハンナらを運ぶ騎士が、その倒れる老人の傍を通り過ぎた時。そこには最後の輝きだと、動く人影が一つ。
「……?」
騎士は視界端に写った動くものに疑問を抱く。だがそれを認識する前に、老人は血を垂らしながらも咄嗟に体を起こし、その落ちていた剣を握る。
「私のッ!!」
息切れするように、だが一言一言は強く血と共に吐き出す。
「娘に手を出すなッ!!!!」
聞いた事もないような張り裂けるような大声。それが響くと同時に、血にまみれた剣が投げられる。
だが、それはカンと高い音を鳴らし、騎士の鎧に弾かれる。
「……ッ、死にぞこないが」
不機嫌そうに視線を向ける騎士。そしてそれを投げた老人は、すぐに周りの騎士らに刃を突き刺される。
そして僅かなうめき声と共に、老人はひねり出すようにハンナに伝える。
「……逃げッ━━」
言い切る前に老人の顔は、地面へと力なく落ちてしまう。そして広くその赤色が伸びていくのが、ハンナの脳裏にこびりつく。
「あーあ。死んじゃったか。ま、良いか」
そんな淡白な言葉を騎士は残し、ハンナらを連れて行ってしまう。そしてその運ばれる中、焼け落ちた村を通る。そこにはいくつかの真っ黒な人の形をしたものも転がる。
「……ッ」
レオンが吐き出す。泣きわめきひたすらに謝罪の言葉を叫ぶ。それは自分のせいで起きた火事のせいだと、分かってしまったからなのだろう。
だがそれを鬱陶しそうにした騎士は、レオンの首を絞める。
「黙れ。お前はどうせ使えないから殺してもいいんだぞ」
人の良さそうな顔には感情が一切抜け落ちていた。それを見てレオンは更に泣き出しそうになるが、恐怖を抑えるよう血が流れる程唇をかむ。
そうしてハンナたちは馬車に乗せられていく。エドガーらとは別で、レオンとハンナは2人並んで座る。だが、その2人とも茫然と荷台の床を見る事しか出来ない。
ハンナは全く理解が追い付かなかった。いきなりやってきた騎士の連中に、いつまでもいると思っていた老人の死。そして体を小さく丸め震え怯えるレオンの姿。
「俺のせいで……俺のせいで……」
村の事がフラッシュバックしているのだろう。ハンナ自身老人の死でショックを受けているが、それ以上に追い詰められ取り乱すレオン。隣にそんなレオンがいるからか、変にハンナは落ち着いてしまっていた。
「大丈夫だから。悪いのは騎士の連中で……」
自分が慰められたいというのに、レオンの背を撫で慰めるハンナ。だが、レオンの嗚咽は止まる事が無い。
「エドガー達にも嫌われる……俺が村燃やして、俺の親父が皆売ったなんて知ったら……」
ただただ可哀そうに見えてしまった。いつも笑顔で明るくて、でも偶に毒を吐く子。それがここまで追い詰められ、胸を抑え苦しむ姿。自分を助けようとしてくれた老人のように身を張りたい。
だからハンナは後先を考えずに言ってしまった。
「私が燃やした事にしていいから。それでレオンのお父さんの事も黙っておけば、レオンは何にも悪くない」
レオンの震えが止まる。もっと他にやり方があったのでは、そう後からは思うが、今のハンナにはこれぐらいしか思いつかなかった。
「で、でも……お前が皆に……」
レオンの真っ赤な眼がハンナを捉える。もう既に顔はげっそりとしてしまっていて、今にも死んでしまいそうな程だった。
「私は大丈夫だから」
自身の辛さを押し込め笑みを作ると、レオンの頭を撫でる。こうしていると、自分が撫でられている様で、安心すらしてしまいそうになる。
「それで、いつか私が苦しいってなったらさ。その時レオンが助けてくれれば良いから」
だから私はレオンの為にも嘘を付く事にした。それで皆がいがみ合わず仲の良いままでいられるなら、私なんてそれで良い。
「ごめん……本当に……」
「大丈夫。私の方が年上なんだから」
そう半ば自分に酔ったような自己犠牲。自分の器量を見誤った物を背負ってしまった。
そしてその決意は、後々エドガーらと馬車を共にした時まで続いていた。
「私が燃やした。村を燃やしたせいで盗賊が私達を攫った」
皆の顔が暗い中、馬車の荷台でそう宣言した。レオンは気まずそうに顔を伏せる。だが、他の皆は段々と顔があがり、いくつもの淀んだ瞳が集まる。
それらは驚愕から嫌悪の色へと変化し、想定通りの反応が返ってくる。
「……それ本気で言ってんのか」
エドガーが肩をわなわなと震わせ、ハンナへと掴みかかる。だがそれでハンナは嫌われたとしても、その嘘を貫く。
「騎士の連中引き込んで、村の皆を殺した。燃やしてやった。気に食わなかったから」
エドガーの敵意が自分に向けられるものだと、苦悶の表情を浮かべるレオン。
それを見てハンナは、逃げたくなる気持ちを押し殺す。
「だから森であの騎士と会った時びっくりしたよ。バレちゃうかもって」
それはある視点では無謀で意味の無い事なのかもしれない。だがハンナには、これぐらいしか苦しむレオンにしてやれることが無かった。
そんなハンナの希望通りに、本来レオンへと向くはずのエドガーの怒りはハンナに向く。
「お前そんな奴だったのかよ……ッ」
ハンナに掴みかかるエドガー。その右手にはどこかで拾ったのか石が握られている。
「俺の母ちゃん火事の中、俺らを逃がそうと死んだんだぞッ!!」
唾を飛ばし怒り散らかすエドガー。それから目を逸らし、ハンナの視線が一瞬レオンへと向くが、それはジッとうつむいたまま助けようとしてはくれなかった。
「どこ見てんだよッ!!」
その言葉と共に空を切る音。
頬を抉る痛みと口の中に広がる熱い感覚。肩で息をするエドガーの右手には、ハンナの体の一部だったその血が滴る。
「……満足?」
ハンナのそんな煽るような言葉に、またエドガーの右手が振り上げられる。だがそれを止めるのは妹のカミラだった。
「……お兄ちゃん!!もう……やめて」
「で、でも、こいつは……!」
冷静になったのかハンナの血まみれになった顔を見て、頬が張り固まるエドガー。
だがハンナもエドガーを恨む気にはならなかった。相手は10歳程の子供で、親も故郷も無くしたとなれば同情の方が大きくなる。それで真犯人が目の前にいれば、殺さないだけまだ冷静とも言える。
それにこうなる事を意図して、煽って嘘をついたのだから。
「離してくれる?痛いから」
出来るだけレオンに疑念の目が行かぬよう、自分にヘイトを買うように煽る。すると分かりやすく舌打ちをするエドガー。
「……ッチ。お前なんて知らねぇ」
乱暴に馬車の床へと放りだされたハンナ。ガタっと荷台は揺れ、ハンナも背中を痛める。だがレオンは蹲ったまま、それを心配する事は無い。
(大丈夫。私が年上なんだから)
私が耐えればきっとレオンもエドガーとまた仲良くできる。それでいつかレオンが間を持ってくれて、また4人で遊ぶことだって出来るはず。
そう私は嘘を貫く。
だが、それからはまともにエドガーらと話した記憶は殆ど無い。
でも、それでも良いと思ってた。一人ぼっちで苦しくても、いつかはまた元通りに戻ると思っていた。
だから下手に嘘がバレないよう、周りとの関りも極力避けた。私が嫌われ孤立するのがレオンにとっていい。私がいればレオンは罪悪感で、奴隷達の輪に入れないかもと思ったからだ。
なのに、そうやって頑張って我慢してきたのに。レオンは、あれだけ庇ってきた私を捨てて逃げた。あの時は全ての頑張りが無為になったと、何もかもどうでも良くなってしまった。
だから私は衝動的に逃げ出してしまった。耐えられなかった。あれだけ向けられた嫌悪の眼が一生脳裏から離れない。
日は沈み目の前の用水路には三日月が浮かぶ。ハンナは橋の影に隠れるように蹲る。
「……情けな」
嘘の一つも貫けない自分が情けない。今更事実をエドガー達に話す訳にもいかないというのに、何がしたいのか。
「結局何がしたかったんだろう」
ただ、周囲に嫌われ、失望の視線が集まるのがただ怖かった。味方のいないあの場に居続ける事はハンナには出来なかった。
「なんでこんな事背負わないといけないの」
近くにあった小石を強く握る。
「なんでこんなに頑張ったのに見捨てるの」
石の角が手のひらに突き刺さり血が流れ出る。自分の言っている事が、本来の目的と矛盾している事にも気付かず。
「なんでなんで!!!」
反響する叫び声と共に投げ飛ばした小石は、水面の月を揺らし水底へと沈んでいく。
そしてハンナは力なく零す。
「……おじいちゃん」
いつの間にか夜になりハンナの叫んだ声は、誰にも届かない。ハンナは隠れるように橋の下で蹲り続ける。
「……あぁ」
手のひらに魔法で水玉を浮かべ、月明りがゆらゆらと顔に降りかかる。
人を救うためにと老人から教わった魔法。結局今まで人の為に使えた試しは無かった。今はただ自分を慰め、守る様に宙に浮くだけ。
「皆と遊んでいたかっただけなのに……」
いつかの傷の頬が痛む。そしてその水玉は私の心を写したかのように大きく揺れ、パチっと弾けてしまった。
ただそこで一つの解決策が浮かぶ。
あの村での事実を知っているのは私とレオンだけ。だがレオンはあの様子では白状なんてしない。
なら私さえいなくなれば、もう全て解決ではないのか。
それこそこの苦しみからも私が解放されるのではと。
「……水の中は苦しいかな」
地面に手を置き上がろうとする。だがその時、降りかかっていた青白い月明りが遮られる。
「肺に水が入る感覚知ってるか?最悪だぞ」
背の高くハンナを覆う程大きな黒い影。だがその足元は意外に土汚れが目立つ。そしてその見下ろす顔は、ハンナにとって求める友人のそれでは無かった。
「……あんたかよ」
黒い影がフードを下ろす。顔には戦闘の傷の跡が大きくあった。
「残念だったな。商品を手放す訳にはいかないんでな」
奴隷商は橋に手を掛け、下に立つハンナを見下ろす。
やっとの事で見つけた奴隷だったが、体力が摩耗し精神的にも追い詰められているように見える。
そしてその奴隷であるハンナは弱々しく返す。
「………もう少し言葉選んだら」
奴隷商はその言葉を聞いてやる気はなく、事務的に淡々と答える。
「奴隷相手だからな」
その言葉にハンナは諦めたように息をすぅっと吐く。
「…………あっそう」
引き戻す為慰めるものかと思えば、ひたすらに冷たい物言いをする奴隷商。
放火の件を疑っていた奴隷商ならあるいは。そんな僅かな希望を抱いていたハンナ。だがそれもすぐに潰えたと、あっさりと決意が出来てしまう。
「邪魔しないでくれる。どうせ私が居ない方がエドガー達も良いでしょ」
ハンナは一歩前へ踏み出す。この世の中に自分を信じてくれる人間が居ないと分かると諦めがつく。
奴隷商はその肩を掴み止めようとするが、ハンナは呆れ返る。
「商品だから?」
奴隷商の手は構わずハンナの肩を掴む。
「そうだな。商品だからな」
ハンナにとって、どこまでも人は信用できない。皆良い顔して結局裏では勘定をして、自分の事ばかりが可愛いだけ。自分一人我慢して、人の為に何かするだけ無駄。奴隷商に関しては体面すら繕っていない。
だからハンナはその手を振り払おうとする。だが奴隷商の手は、思いのほか強く掴み離れない。力の差を感じハンナがどうしようかと逡巡する。
そしてそんな少しの沈黙の後、奴隷商は仕方ないかとため息を零す。
「……お前には同情もするし共感もするよ」
奴隷商自身はハンナがやったとは思っていない。まず攫ったのが薔薇の連中って話な時点で、ハンナのような子供が絡む話では無い。それこそ村長と取引があるぐらいで、関係するとすればレオンぐらい。
と、そんな推察は置いておいても、今は目の前の奴隷だ。そうハンナを見下ろすが、奴隷商の言葉は響いていないらしい。
「なに急に……薄っぺら」
ハンナの乾いた笑いが漏れる。
奴隷商は慰めるまでも無く、ハンナを掴む手の力を強める。そして奴隷商はまるで自身に言い聞かせるように、重く強く伝える。
「やると決めたなら貫け。嘘を付いたなら最後まで責任を取るべきだ」
「そんな知った口━━」
言い返そうとしたハンナ。
だが、奴隷商に無理やり引き寄せられ目と目が合う。急に距離が近くなり、ハンナは目に見えて狼狽える。奴隷商から見てその瞳の輪郭は、酷く揺れているのに気づく。
「理解されないのは承知の上だろう。ここでお前が死んだらレオンやエドガーらは傷つくぞ」
「……そ、そんな訳」
否定するようにハンナが首を振り離れようとする。この反応ではやはり放火も嘘なのだろうと、奴隷商は納得する。
それを前提として奴隷商はハンナの肩を強く掴み説得を試みる。
「誰かを庇っていい奴気どりってか。お前が苦しむほど、その誰かが更に罪悪感に追い詰められるぞ」
「それは違━━」
ハンナの反論を遮る様に奴隷商が被せる。
「違わない。そもそもあの薔薇の連中は、お前みたいな子供が関与できる組織じゃない。いつの日かバレるような安易なウソだ」
ハンナは聞きたくないと、奴隷商の手を振り払うように体を揺らす。その紺色の瞳は奴隷商を全く捉えようとしない。
「……離せよ」
「それは無理だな。奴隷に死なれたら困る」
ハンナは精一杯に声を張ろうと歯を食いしばり息を吸う。そして聞きたくない物を耳に入れないよう、自分の声で掻き消えるように叫ぶ。
「だから!!だからだからだから!!!だったらなんなの!!!一生嫌われたままでいろって訳!?!?」
すぐに奴隷商は答えず、訪れる一瞬の沈黙。辺りには用水路を流れる水の音。
この方向では説得できないかと、奴隷商は一息つく。そして少し優しくなった奴隷商の口調。
「そうだ。そう言っている。そうお前が決めたんだろう」
奴隷商には理解出来ない程の自己犠牲。そこまでするほどの関係だったのか、ハンナが底抜けのバカだったのか。それは分からないが、奴隷商は続ける。
「俺は部外者だ。頑張れとしか言わない。責任を放りだして逃げ出すならご勝手に」
結局これぐらいしか奴隷商には出来ない。13の子供にはあまりに荷が重いのも理解しているが、奴隷商は必要以上に関与しない。
そう両手を離しハンナの体を自由にする。そしてその揺れる水面を指差した。
「……」
ハンナはその指を視線で追い用水路を見る。強く月明りが反射し、その水底は良く見えない。
「嫌な言い方するな。あんた」
「俺はお前の人生に責任は持てないからな」
ハンナが奴隷商から背を向ける。そしてその足は用水路の際へと向かい立ち止まる。
「なんで私だけがこんな苦しまないといけないの」
その声は橋に反響する。橋裏は反射した水面で揺れている。奴隷商はそれを眺めながら答える。
「さぁ。それがお前の運命なんだろうな」
ハンナは夜空に浮かぶ三日月を見上げる。紺色の夜空に一際眩しく王城の上に輝くそれ。橋の下からでは手が届きそうにない。
「この先、生きたって嘘しかない人生。誰も信用できないしされない人生」
先ほどまでの会話を反芻するようなハンナ。それは諦めの色が強いが、奴隷商は慰めない。
「それがお前の決めた道だろう」
奴隷商は一歩も動かない。ハンナは呆れたように、乾いた笑いをする。
「……ハッ。じゃあ私には分不相応だったって事じゃん」
「それは最後まで生きてみないと分からないな」
ジッとハンナの足が進む。そしてハンナの瞼が閉じられ、長く長く白い息が上がっていく。もういい加減良いかと、諦めがつけそうだった。
だがそのタイミングで奴隷商は両手を叩き、乾いた音を響かせる。
「……まだ何か」
その突飛な行動にわざわざ振り返るハンナ。そしてその目は水面の様に揺れ、瞳の輪郭は更に曖昧になっている。
「もう決めたから。色々言ってくれたけど」
「……」
沈黙する奴隷商を、少し動揺したハンナが問い詰める。
「なんか言わないの。私を止めないの」
縋るように震えた声だった。まさかこれから死のうと決意した人間の声には、全く思えなかった。
「私は死ぬべきなんでしょ?結局私の人生に意味は無かったんでしょ?」
まるで否定して欲しいかのような言いぶり。だが奴隷商は望んだ答えを返してはやらない。
「……お前はどう思うんだ」
突き放すような物言いに苦い顔をするハンナ。先ほどまで滝のように流れ出ていた言葉は詰まってしまう。
「私は……」
ハンナのか細い脚が、奴隷商の眼でも分かる程に震えている。その身に降りかかった重圧に耐えられないのだろう。
奴隷商はハンナの返事を待つことなく、白い息を吐く。
「ま、人生の意味とか子供に分かる訳無いか。俺が知りたいぐらいだ」
想定していない奴隷商の言葉に、ハンナはあっけにとられてしまう。
だが奴隷商はコツコツと靴を鳴らし歩き出す。そしてハンナの脇を通り過ぎ、一歩踏み出せば水路に落ちてしまう程の縁に、奴隷商は並び立つ。
「なにを……」
奴隷商が何をしているのか分からず、困惑するハンナ。そんな横顔を捉え、奴隷商は重い空気に似合わず軽い口調で言う。
「でな。ちなみにこの用水路大して深くないぞ」
「……は?」
ハンナの理解が及ぶ前に奴隷商は一歩踏み出し、そのままに水路へと落ちる。そしてそれは水の弾ける音と共に、水しぶきがハンナへと飛んでいく。
「━━つめたっ」
咄嗟にハンナは目を細め顔を守ろうと腕を前に差し出す。だがその腕の向こうからは、今まさに用水路へと飛び込んだ男の声がする。
「悲哀に満ちた悲劇のヒロインを気取っていたようだがな。そこから落ちてもせいぜい捻挫だな」
腕の間から見えた奴隷商は、ひざ下が水面に隠れただけだった。そしてそのまま奴隷商はハンナを見上げ誘う様に右手を差し出す。
「さぁ、死にたいんだろ。飛び込んでみろ」
覆った腕を下げ、その突飛な行動に怪訝そうにするハンナ。
「……なんのつもり」
奴隷商は寒さに身震いしそうになりながら、至って真面目に答える。
「言葉そのままの意味だよ」
その突飛な行動に似合わない、慰めるでも無い淡々とした口調。それがハンナには煽っているようにしか見えなかったが、奴隷商はまじまじと見つめてくるだけ。
そんな奴隷商に声を震わせながらハンナは怯える。
「……意味わかんない事言ってる」
「だからなんだ。死にたくないのか?」
奴隷商は両手を広げる。そんな姿を見て、ハンナは何がなんだか分からず狼狽えてしまう。
「何がしたいの……それ」
「さぁ。でも俺にはお前が死にたがっているようには見えなくてな」
そう言いつつも奴隷商は、不安そうに胸に手をやるハンナを見上げる。レイラに似た綺麗な黒髪で、良く青白い月明りを反射する。
奴隷商はジッと見つめ続けるだけ。ハンナの瞳は酷く揺れ口が開きかけてはまた閉じる。
「あ、あんたは━━」
そう決心したようにハンナが口を開きかけた瞬間。
ハンナの足元では欠けた石畳の破片が水面へと落ちる。
「えっ」
ハンナの右足が地面に擦れ離れていく。
そしてそれに遅れて、ハンナの潤んだ視界は加速し水面へと近づいて行く。
バシャン
その音は大きく辺りに響く。そして寒空の下全身ずぶ濡れになったハンナ。
「……」
真冬だからなのだろう。酷く水は冷たく体を芯から冷まさせていく。そしてハンナは尻餅をついたまま、水面に映った自身の顔を覗く
「……何してるんだろ」
「でも、死ななかっただろ」
奴隷商が歩きその水紋がハンナに反射する。
「冷たい」
「だな。早くしないと風邪ひくぞ」
目の前まで迫り奴隷商はハンナを見下ろす。だがハンナの視線は沈んだまま。
「それにやっぱ浅い」
「なら、今度はもっと深い所に行くか?」
奴隷商の言葉にさっきまでと違い沈黙するハンナ。
「……」
ハンナは体をのけぞらせ空に浮かぶ三日月を見上げる。そして大きく息を吸い、でも言葉が出ない。だがそれを繰り返す内に、急に笑い出しゆっくりと白い息を昇らせる。
「それは、また今度で良いや」
何かが変わったわけでもない。ハンナにとっては現状は悪化したまま。だが衝動的な自殺願望は、案外こういう衝撃で、薄らぐこともあるのだろう。
「理由は聞いても?」
ハンナは奴隷商を一瞥する。
「さぁ。でも、なんか悩んでたのがあほらしくなった」
奴隷商は小さく頷く。そしてハンナへと手を差し出す。
「じゃあ帰るぞ。腹減ったんだわ」
ジッとその手を見るハンナ。自身の育ての親である老人と似た、苦労の滲んだその手だった。
「その手は取らないから」
ハンナは奴隷商の手を振り払い立ちあがる。髪色のせいだろうか、どこかレイラと似ている、そう奴隷商は感じる。
そしてハンナは立ち上がり、一部欠けた石畳を撫でる。
「夕飯。残ってると良いけど」
奴隷商はとりあえずの安心をしつつ、用水路から上がろうと壁へと寄りかかる。
「なら良いけどな」
奴隷商の安堵したような顔が、月明りに反射をする。ハンナから見て、それは今までの奴隷商の印象とは異なる顔だ。
(勢いに流されたような気もするけど)
ハンナ自身なんでこうなったのか分からない。けど、なぜだか、根拠もなく奴隷商という大人を信じれるような気がしていた。
「じゃあ帰るぞ」
2人は重くなった体を押し用水路から上がる。そして静かになった街を、2人分の足跡と水滴が続いて行くのだった。
申し訳ありません。投降後に誤字に気付き、訂正しました。




