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第11話 欺瞞と盗人


 革靴と裸足のふたつの足音が石畳を叩く。


 奴隷商とハンナはびしょ濡れなまま、重い体を引きずっていく。人が見たらかなり不審な2人だが、夜も遅くなったせいか都と言えど人影は見えない。


 奴隷商は冷える体に身震いする。すると隣から聞こえていた、裸足の足音が止まる。


「……ッ」


 ハンナは呻き足を抑えるようにして屈む。奴隷商は脚を止め、どうしたのかと振り返る。


「怪我してたのか」


 ハンナは答えたくないのか、無理をして立ち上がろうとする。だが痛みに顔を歪め、膝から崩れ落ちる。それを咄嗟に奴隷商は抱え、ハンナの体を支える。


「無理するな。悪化するぞ」


 奴隷商は道脇に、そっとハンナを座らせる。そのハンナは痛みに耐えるよう、深呼吸をし口を結ぶ。

 

 そんな様子を確かめながら、奴隷商はハンナの足首を掴む。


「え、ちょ、何やって━━」


 体勢を崩し体をばたつかせるハンナだが、奴隷商はお構いなしに足裏を伺う。


「ズタズタじゃないか。どんな所走ってたんだ」


 足裏にはそれなりの深い切り傷がいくつもある。いくつかは膿んでしまってしまっていて、我慢し続けていたのだろう。


 足裏の悲惨な見た目から、痛みがひしひしと伝わってくる。だがハンナは大丈夫とでも言いたげに歯を食いしばる。


「……別にこれぐらい」


 寒いはずなのに異常なほど汗をかくハンナ。どう見ても大丈夫と表現は出来ない様子だった。


「治療するから大人しくしろ。傷口一つで死ぬこともある」


 ハンナの足裏に手をかざす。ハンナを探すために魔力を使ったが、この所奴隷商の魔力はオーバーフロー気味。だからこそ満足に治療は出来うる。


 奴隷商に医療の専門知識は無い。患部を清潔に保つ事ぐらいしか分からない。

 だからと、手のひらに魔力を込めつつ、奴隷商は患部の様子をジッと伺う。傷口は深くこのまま治療魔法を施せば、異物や菌を体内に残してしまう。


「歯を食いしばっておけ」


 ハンナは何をするのか分からないようで茫然としている。その様子を確かめつつ、奴隷商は手のひらに浮かべた水球の形を崩し、患部へと汚れを洗い流すように注ぐ。


 するとハンナの眼は見開かれていき、顔は分かりやすく顰められる。


「ちょ、ちょっと……しみっ……!!痛いって……!!!!」


 ハンナの顔が歪み暴れる。だが奴隷商は足だけはしっかりつかみ、治療を止めない。


「ほんとに……ッまってって……!!」


 そう騒ぎ奴隷商を殴ろうとするハンナ。だがそれを無視し続ける奴隷商は、おおよそ洗い終えると、治癒魔法をかけ傷口を慎重に塞いでいく。


 それでやっと終わったと、ハンナは安堵した表情を浮かべるが。


「よし、じゃあ次は右足だ。もう少し我慢しろ」


 すると、ハンナは唇を震わせ分かりやすく怯える。それを意にも返さず奴隷商は手を伸ばすが。


「え、いや……ちょっと……一回休憩って!!」


 奴隷商はそんなハンナを無視し再び患部を洗う。ハンナは声を抑えつつも呻き、痛みに耐える為か、奴隷商の腹を治ったばかりの左足で蹴ってくる。


(元気になったのは良いが……)


 ハンナの眼は既に涙目。さっきまでの涙とは違い、痛みからの分かりやすい涙だ。それに今ので体力を使い切ったのか、治療が終わりに近づくと、ぐったりしてしまっている。


 そうして両足の治療を終えるが、今が夜で良かったと安心する。これだけ騒げば衛兵の1人ぐらい来るかと思ったが、大丈夫だったらしい。


「じゃあ行くぞ」


 奴隷商はハンナの足を離し、そう催促する。だが、立ち上がろうとするハンナは生まれたての小鹿のようにうまく立てないでいる。


「あれ……なんで……感覚が」


 足裏の皮膚を殆ど張り替えたような物。歩こうにも違和感が強いのだろう。

 立ち上がっては、バランスを崩しそうになるハンナ。それを見て奴隷商は呆れたように近づく。


「騒ぐなよ。面倒になる」


「……?」


 ハンナは訳が分からないと奴隷商を見上げる。奴隷商は黙ってその軽い体を持ち上げ肩に抱える。


「え、は、ちっ、ちょっと!!下ろせって!!」


 お姫様抱っこは嫌がるだろうからと、気を遣った奴隷商。だがそもそもこの扱いが嫌らしく、ハンナは暴れる。


「荷物かよ!!私は!!!」


 そう言われてみれば、確かにと納得する奴隷商。


「まぁ商品ではあるな。俺奴隷商だしな」

 

 何はともあれメンタル自体は怒りを感じる程には回復したらしい。問題は施設に戻ってからも、同じような元気さがあるのかと言う事だが。


(まぁそうはいかないだろうな)


 相も変わらず他の奴隷達には嫌われたまま。ハンナはどうするつもりなのか。それを奴隷商は聞くことなく、諦めたように大人しくなったハンナを担いでいく。


 そうして奴隷商らは施設の正門へとたどり着く。


(あいつこの時間まで起きて何してんだ)


 2階の窓にはクロエのブロンド髪が見える。廊下からこちらを見ているようだが、心配するような性質でも無い。


 だがすぐにそれは奥の暗闇へと消えていく。そして奴隷商は視線を下ろすのだが、玄関前にいるそれを見てため息をつく。


「外で寝るの好きすぎじゃないか」


 玄関には木刀を抱えたまま、船を漕ぐコンラートの姿があった。それを捉えつつ、ハンナをそっと地面に降ろす。


 するとフラフラしながらも両足で立ち、コンラートを不思議そうに見る。


「この人は何を……?」


「分からん。ただバカなのは確かだが」


 奴隷商はコンラートの目の前に立ち見下ろす。昼に出てこの時間までいるという事は、もしかしたら半日ここに居座っていたのかもしれない。そう考えると、やはり呆れの感情が湧いてしまう。


「おい。起きろ。バカは風邪引かなくても俺は引くんだよ。早くそこをどけ」


「ん……?あ……?」


 のそりとコンラートの体が動き、ゆっくりと瞼が開かれていく。それを覗き込むようにして奴隷商は尋ねる。


「おはよう。よく寝れたか?」


「……え?ん?んん……」


 大きな欠伸をしながら立ちあがるコンラート。だがその開かれた緑眼は奴隷商の後ろにいるハンナへと向く。するとその眼はカッと開かれ、寝起きとは思えないほどの声を張る。


「え、ハンナちゃん!大丈夫だった?って、こんな濡れて……何かこいつにされたとか!?」


 寝起き早々ハンナの肩を揺らし、口早に詰めかけるコンラート。ハンナも困惑一色の表情で、奴隷商はとりあえずコンラートを掴み引き離す。


「落ち着け。まず着替えさせてやれ」


「え!?あ、あぁ、そうか……それもそうか……」


 ハンナを先に施設へと通す。すると玄関を上がった先に、暖かい灯が見える。そこにはラウラの顔が浮かび上がっていた。


「このバカ以外にもこの時間に起きてる奴がいたか」


 すると怒りの滲んた声が真後ろから聞こえてくる。


「バカって俺の事か?」


 振り返る事無く雑に奴隷商は答える。


「風邪引いた事ないだろ。お前は」


「ん?まぁそうだが?それがどうした?」


 奴隷商はコンラートとの会話を諦め、ハンナに続いて施設内へと入る。近づけばラウラの目元はクマが出来ており、こちらは寝ずに待っていたらしい。


「コンラートを止めなかったのか」


「言っても聞かなさそうでしょ。あの人」


「それは同意だな」


 ラウラはずぶ濡れのハンナに毛布を被せ、体を支える。奴隷商はラウラに任せて良いかと判断し、とりあえず着替えようと自室へと向かう。


「あ、でも先にやっておかないとか」


 そんな事を奴隷商が呟き、口元を布で覆い病気の子がいる部屋へと入っていく。


 それを横目にラウラは、中庭手前の脱衣所へと連れていく。


「クロエには言っておいたから。必要以上に関わらなければ良いからね」


「……お気遣いども」


 いまいち心を開いてくれないハンナ。奴隷商はどうやって引き戻したのか、それは気になるがラウラはとりあえず濡れた衣服を脱がせる。


 大体ここにくる子は栄養が不足している。だが意外にハンナはいい所の育ちだったのか、貧相では無いのに少し驚く。


「寒いけど我慢してね。井戸水の汲み方は分かる?」


 すると表情は読めず、ボソッと答えるハンナ。


「分かります」


 毛布に包まり中庭の井戸へと向かうハンナ。そしてその間にラウラは、着替えを用意する。


 そうしてドタバタと準備をしている内に、意外に早くハンナは洗い終わっていたらしい。それを着替えさせ椅子に座らせると、毛布を広げその頭に被せる。


「髪はもっと丁寧に扱わないと。綺麗な黒髪なんだから」


 憧れであったレイラを思い出しながら、ラウラはハンナの肩下まで伸びた髪を乾かす。すると昼とは違い会話をしてくれるハンナ。


「……この黒髪ってあんま良くないんでしょ」


「そう?私はそう思わないけど」


 ラウラ自身思う所はある。だがハンナにも事情があるのも察している。それこそ直感でしかないが、放火の件も懐疑的なのも確か。


 そう思考を回すラウラに髪を拭かれながら、ハンナは弱々しく答える。


「でも実際私の髪色だと売値が下がるって攫った奴らが」


 まぁ確かにそういう所もある。産まれで価値が変わるという話もボチボチ聞くからだ。だが、何ごとにも例外はある。


「へぇ。でもここにいたレイラって人も黒髪だったけど、一番高く売れたって話だよ」


 苦い顔をしながら髪を拭かれるのを受け入れるハンナ。本人もラウラに対して気まずい感情があるのだろう。


 だが戻って来たとしても、更に塞ぎ込むのでは。そうラウラは心配していたのだが、杞憂だったらしい。


(あいつは何を言ったんだか)


 奴隷に優しい言葉を投げかける人間ではない。でも事実ハンナが戻って来ているのだとしたら、何をしたのか気になる。そんな事を考えていると、相手からその会話の切り口を開いた。


「ラウラさんは……あの男はどう思うんです」


 髪をトントンとタオルで拭きながら、ラウラは少し考える。どこからか良い匂いが漂ってきて、お腹が空く感覚を覚えながらもはっきり答える。


「嫌いだね。あの施してやってるって言いたげな顔も、高潔ぶってるところも、加害者の癖に被害者面するのも、何もかも」


 意外に言葉がつらつらと出てきたラウラだったが、そちらに意識がいったのかいつの間にか手が止まっていた。それを不思議そうに見上げるハンナ。


「……?」


 その視線に気付くとラウラは咄嗟に笑みを作り、髪を乾かす手を再び動かす。


「まぁでも上手く付き合う事だね。ハンナちゃんがどう思っているか知らないけど、お気に入りになった方が色々都合が良いからね」


「……はぁ」


 大体拭き終わったとタオルを畳み出すラウラ。少しハンナの様子が気になった事もあり、ラウラはそのまま会話を続ける。


「ハンナちゃんは嫌いなの?あいつは」


 椅子に座ったハンナの肩に手を置きラウラは聞く。するとハンナは肩にかかる黒髪を触りながら、少し俯く。


「……分からない。さっきも誤魔化されたような気がしてならないし……」


 要領の得ない回答。それでは分からないとラウラは続けるのだが。


「ちなみに何されたか聞いても?」


「……」

 

 これは答えてくれないらしい。おおよそ個人の事情が関わっていて言えないのだろう。ここにはそんな子ばかりだから、ラウラには察しが簡単についた。そしてそれは互いに不介入な聖域なのも周知だった。


「ま、いつでも相談して。実は私もあんまりクロエは好きじゃないからさ」


 ラウラは笑顔を作り横からハンナの顔を覗く。頬に傷はあるが、整っていて透明感のある綺麗な顔だった。そしてその顔はやっと、ラウラへと視線を向ける。


「……もしかしてここってあんまり仲良くないです?」


「ん~どうだろ?」


 ラウラは笑って誤魔化す。するとタイミングを良くして背後から足音が近づいてくる。振り返ると珍しく外套を脱ぎ、麻布の衣服を身にまとった奴隷商が入り口に手をかけていた。


「飯出来たぞ。ラウラも食うか?」


 張り付いていた笑顔が剥がれ、トーンが分かりやすく低く返事をするラウラ。


「……いえ、私はもう寝ます」


「そうか。じゃあハンナは来い」

 

 するとハンナは奴隷商について行く前にと、ラウラの耳元で囁く。


「これからは私の事は放っておいてください」


 その言葉の意味がラウラには分からなかった。だがそれだけ残しハンナは去って行ってしまう。そしてそれと入れ違いにコンラートが入ってき、その手には木刀が握られている。


「今からやるんです?」


 寝起きでやけに元気なのか、声を張るコンラート。


「寝れないからね。ラウラちゃんもどう??」


 コンラートは満面の笑みでグイッと木刀を押し付けてくるが、ラウラはそれを遠慮気味に押し返す。


「え、いや……またの機会に……」


「そうか!いつでも相談してくれていいからね!!ハンナちゃんも!!」


 コンラートは去ろうとするハンナに対し、振り返り夜中には大きすぎる声でそう叫ぶ。いつの時間も元気な人だ。そう思いつつも流石に眠く欠伸し、ラウラはランタンの灯を付ける。


「ここにランタン置いておくのでよかったら」


「ありがとう!!じゃ、おやすみ!!」


「おやすみです……」


 ドア越しにビュンビュンと空を切る木刀の振られる音を聞き流しながら、ラウラは廊下の木をを軋ませる。


「……胃痛い」


 そう腹をさすりながら2階へと上がるラウラ。そしてやっと自室に近づいたかと思えば、その胃痛は更に酷くなる。


「あいつ帰ってきたんですね」


 白い寝間着に着替えたらしいクロエ。それがなぜか、私の部屋の前に立っている。おおよそ下の物音で起きたのだろう、そう思いつつ会話をする。


「良かったよ。本当に」


 だがやけにクロエの顔は苛立っているようだった。ここ数日機嫌が悪いが、これは明日もハンナとは距離を作った方が良いだろう。そんな事を思っていると、クロエは分かりやすく顔を歪める。


「エドガーから聞きました。あいつ放火したんだって」


「らしいね」


 廊下の先、月明りを背中に立つクロエ。やはりハンナの事が気に食わないのか、怒りを隠そうとしない。


「なんであんなの庇うんです。カンジ悪いしほっとけば良いでしょ」


 放っておけば良い、そんな言葉そっくりそのまま返してやりたい。そう思っていたら、ついそのまま口に出てしまう。


「ならクロエは彼女の事は放っておいて。私が相手しとくからさ」


 言った後にまずいと思う。ここで私が言い返しても何も良い事が無いのに、ついイライラして言い返してしまった。


 また面倒になるだろうかと顔色を伺うが、やはりクロエは頬を引きつらせる。そして唇を噛み、何か含みあり気に言う。


「私かハンナ。ラウラさんはどっちの事信じる?」


 何を。そう聞ける雰囲気では無い。ラウラは逡巡の末、当たり障りのない事を答える。


「その時にならないと分からないかな」


 求めていた答えでは無いのだろう。クロエは無言のまま背を向け、わざとらしく足音をたてていってしまう。それを見送りラウラは胃の痛みに顔を顰める。


「……めんど」


 ラウラは痛みから逃れるように部屋に戻り眠りに落ちていく。ハンナが部屋に来るのを待とうとは思ったが、睡魔には勝てなかった。


 そして少し時は戻って1階でのこと。

 奴隷商とハンナはは食堂へと入ると、テーブルの上に置かれた一本の蝋燭を頼りに席へとついていた。


「……これは?」


 コンソメのような匂いが辺りに漂う。その黄金色のスープを伺うハンナに、奴隷商は答える。


「野菜とか肉とかを一緒に2,3日煮込んだ奴だな。ある奴隷が故郷の料理だって教えてくれてな」


 腹の音を鳴らしながらハンナは聞いておきながら、興味なさげに答える。


「へぇ」


 さっきからしていた香りはこれだったのかと納得するハンナ。木のスプーンを皿へと送りながら奴隷商は続ける。


「本当は明日用だったんだけどな。ほら一応年越しだからな」


「そういうの気にするんだ」


「息抜きだよ。飯を疎かにすると反発がすごいからな」


 会話もほどほどに、昼も夜も何も食べて無い事を思い出したかのようにハンナの腹の虫が鳴く。それを知ってか知らずか、奴隷商が食べ始めたのでハンナもそれに続く。


 そしてハンナは、木のスプーンに乗せたそれを口へと運び固まる。


「……やっぱ同じだ」


「ん?何がだ?」


 食事をしながら話半分に奴隷商は聞く。するとジッとハンナはスープを見たまま答える。


「これ、食べた事ある」


 確かハンナらの村は辺境の土地だったはず。それこそ赤竜山脈あたりのだ。


「へぇ、じゃあお前の両親が、その奴隷と同郷なんだろうな」


 奴隷商は何気なしにそう返し口にスプーンを押し込む。だがすぐに返事が来ず、どうしたのかとハンナを見れば、口を結びスープの水面をボーっと見ている。


「……両親の顔は知らないから」


 どうやら奴隷商は迂闊な事を言ったらしい。だが下手に取り繕っても仕方ない。


「そうか。それはすまない事を言った」


 そうして散発的な会話をしつつ、カタカタと食器とスプーンの当たる音が響く。蝋燭の暖かい灯と、窓から入る冷たい月明りが混じり合う。


「パンは無いの?」

 

 奴隷商はさっさと食べ終えていたが、まだ食事の途中だったハンナがそうせがむ。意外な食べっぷりに奴隷商は少し引き目に見る。


「……お前案外食べるんだな」


 するとハンナは不快そうに目を細める。


「人を乞食みたいに言わないで」


「誰もそこまで言っては無いだろ」


 そんな事を言いつつも、炊事場からパンを持ってき切り分ける奴隷商。それを見ながらハンナは、ふと気になった事がそのまま口に出ていた。


「なんで奴隷商やってんの」


 奴隷商は切り分けたパンをハンナへと手渡す。そして自身の分を切り分けながらも、一応の返答を奴隷商はする。


「成り行きだ」


 すると求める答えでは無かったらしく、ハンナはつまらなさそうに唇を尖らせる。


「答える気ないでしょ」


 奴隷商は返事の代わりに切り分けたパンをハンナへと渡す。それを不満そうにするハンナだが、追及しないらしく、黙ってパンを口に放り込む。


 ただまぁ一応解決はした。あとはラウラかコンラートに仲直りは任せておけばいい。そう奴隷商は放り出す。


「明日も早い。早く寝ろよ」


「……はい」


 分かりやすく目を落とすハンナ。さっきまでの元気は空元気だったのだろうか、そう思ってしまいそうになる程の落ち度。やはり何も解決していない現状に、不安に思っていたのだろう。


 ふと奴隷商の口は開き、何も言葉を出すことなく閉じてしまう。


 何かあったら頼れ


 その言葉が喉の奥に引っ掛かる奴隷商。これ以上深入りするのは互いに取って良くない。そうその言葉を無理やり飲みこむのだった。


ーーーーー


 次の日コンラートと奴隷商は炊事場で食事を作っていた。

 相も変わらず寒い中、素振りをしていたらしく、白い湯気を立ち上らせるコンラート。正直いるだけで鬱陶しい物理的な暑苦しさ。


 それを感じながら奴隷商は、冷えた指を曲げ木箱を覗く。


「お前腹減ったからって芋盗み食いして無いよな」

 

 無いとは思いつつ一応確認すると、コンラートは苛立ったように答える。


「人を盗人にするな。そこまで落ちぶれていない」


「そうか。ならいいが」


 包丁の食事を切る音に鍋の沸騰する音に薪の割れる音。いつもの朝の音だったが、そこにイレギュラーな叫び声が聞こえてくる。


「私のペンダントが無い!!!」


 朝の静かな時間。寝ている奴隷もいれば既に顔を洗う奴隷もいる。そんな中屋内に響くその悲痛な叫び声に、奴隷商らは天井を見上げる。


「コンラート。火の様子頼む」


「え、でも今のクロエちゃんだろ?俺も行った方が……」


 几帳面にエプロンまでしたコンラートがそう言う。だがタイムスケジュールがズレるのを、酷く嫌う奴隷商は、コンラートを何とか抑えようとする。


「皆の大事な朝ごはんを焦がす訳にいかないだろ?腹いっぱい食わせてやりたいだろ?」


 まくし立てるようにコンラートの怒りを買わないよう言葉を選ぶ。するとやはり単純な男、コンラートは頷く。


「……それもそうか。じゃあ任せろ!」


 これで納得してしまうのかと少し引く奴隷商。半ば冗談のつもりだったが、言いくるめられたなら良いかと奴隷商は階段を登っていく。


 するとクロエの部屋の前に数人がたかっているのが見える。だがその当人であるクロエは未だ部屋の中なのか、姿は見えない。


「どうした。朝から」


 ロルフについで背の高いエリックへと話しかける。するとエリックは眠そうな声で返事をする。


「……お兄さんの形見のペンダントが無いらしいです」


 赤みがかった髪を手櫛で溶きながら眠そうに欠伸をするエリック。そんな様子でも相変わらず睨んでくるが、それはいつもの事だと奴隷商は部屋の中を覗く。


「これはこれは……」


 クロエとレーナの2人部屋とはいえ、大した物は無い。だが探し回ったのか、衣服に藁がぐちゃぐちゃに散乱している様子は見て取れる。


「中庭に落としたんじゃないか」


 新しい奴隷が入ってくると、どうしてこうも問題ばかりが起こるのか。ハンナの一件もまだ解決していないのに、クロエが今度は問題を起こす。


 元々良くなかった朝の気分が悪くなる奴隷商。

 そんな事を知らないクロエは、乱れたブロンドの長髪を揺らし、同意を求めるように同室者に問いかける。


「昨日はここにあったのに!ね!?レーナ!?」


 レーナの大きな声に怯えたように胸の前で手を結び、オドオドしながら頷く。

 

「あ、うん……そうだね」


 奴隷商は辺りに視線を送る。この場には他にロルフやラウラもいるが、1年目の奴隷達はまだ寝ているらしい。盗んだ可能性もあるが、この場の奴隷の性格からは考えずらい。


「この部屋には無いんだな」


 レーナの様子を伺うと三つ編みを弄り視線は泳いでいる。そんな奴隷商の視線を遮る様にクロエは、間に入り声を張る。


「だから無いって言ってんじゃん!!起きてすぐ気付いてずっと探してんの!!!」


 キンキンと高い声で騒がれると、寝起きの奴隷商も頭が痛くなってしまう。だがこれを放置する訳にもいかない。


「……とりあえず中庭探すぞ。どっか落としたんだろう」


 ただの記憶違いなのだろう。そう奴隷商は伝えたつもりだったが、クロエはその言葉に従うことは無く俯いてしまう。


 そして少しの沈黙の後、拳を握りその可能性に言及する。


「誰かが盗んだ」


 この場の全員の視線が再びクロエへと集まる。奴隷商は眉を吊り上げながら、問いかける。


「……根拠はあるのか」


「あのペンダント高いから。最近来た誰かが盗んだんでしょ」


「つまり根拠は無いんだな」


 奴隷商が圧をかけても引くことは無く、クロエは金切り声を上げる。


「根拠根拠って!!なら全員の部屋確認させてよ!!」


 少しわざとらしいと感じながらも、奴隷商も下手に刺激しないようにする。


「それで満足するのか?」


「満足する!!だからやってよ!!!」


 形見と言っていただけあって余程大事なペンダントなのか。そうその様子を見て奴隷商にも伝わってき、やはり気のせいかと思いたくなる。


(まぁただ。だな)


 含むところはありつつも、奴隷商はクロエの提案を受けることにした。このまま騒がれ続けてもたまった物じゃないからだ。


「まず今この場の面子から探すか」


 エリック、ロルフ、ラウラを順番に見る。各々特に異存はないようで反対は無いらしい。その時点で何も無さそうに思いつつも、捜索したがロルフとレオンの部屋、エリックの部屋は白。


「次はエドガーら1年目か」


 エドガーとカミラの兄妹の一室。そこをノックすると、静電気か金色の髪が絡み合うカミラが、目を擦りながらドアを開ける。


「申し訳ないが部屋を出て貰うぞ」


 戸惑いながらもカミラはコクっと頷き扉を開き切る。そうして朝から騒がしいエドガーを追い出し、部屋の中を検めるがやはりその物は見つからない。


「やはりどこかに落としたんじゃないか?」


 いい加減この茶番を終わらせたい奴隷商はそう提案するが、やはりクロエは止まらない。


「……まだ一部屋見てない」 


 あと一部屋と言えば。


「ラウラとハンナの部屋か」


 昨晩遅くまで起きていたという点では、可能性こそある部屋。だがクロエがこの部屋に執着しているのは、まるで犯人が分かっていると言わんばりの態度だった。


 引っ掛かりを覚えつつも、奴隷商は部屋主を見る。


「ラウラは良いか?」


 すると戸惑いながらもラウラは答える。


「疑われるよりかは。ハンナは呼び戻します?」


「いい。今走ってるんだろ?」


 そう聞くとラウラは窓から中庭を見下ろす。


「体力付けたいって。止めたんですけど」


 奴隷商はラウラと会話をしつつクロエの様子を伺う。ここまで執拗に盗まれた可能性を追うのに違和感もあるが、信用の一番あるラウラに疑念の目を向けている事もあった。


「ま、何はともあれか。探しに行くぞ」


 気付けばぞろぞろと奴隷を連れ廊下を歩く。ここに居ないのはコンラートとハンナだけだった。

 そうしてラウラらの部屋の中を手分けして捜索する。


 すると奴隷商の当たって欲しくない予感が当たる。


「え、これって……」


 ラウラが見覚えのない物を見つけたのか、そう声を零し一気に視線が集まる。そしてその手には件のペンダントらしき、緋色の反射をする物体が。


「あれか?」


 奴隷商が確認するように聞くと、クロエは目を見開き走り出す。それはまさに問いに対する答えらしく、クロエの両手はその緋色の輝きを掴む。


「良かった……!良かった良かった……」


 ラウラは困惑しつつもそのペンダントをクロエに返し立ちあがる。だがやはり身に覚えが無いのか、不思議そうに何度も首を傾げる。


「見つかったのはハンナの寝藁だよな」


「そう……だけど……」


 ハンナのクロエに対する動機は昨日の喧嘩だろうか。恨みからの嫌がらせか、それとも金銭が必要な理由があるのか。


「状況証拠じゃん」


 エリックがそう呟き、他の奴隷達も同意するように大事そうにペンダントを抱えるクロエを見る。そしてそのクロエはというと、ペンダントをギュッと握りしめ、奴隷商に視線を合わせるように振り返ってくる。


「あの子が盗んだって事ですよね」


「かもしれないな。ただ本人の話を聞いていないからなんとも言えないが」


 わなわなと肩を震わせ怒りを隠そうとしないクロエ。2年のも仲となれば、クロエの証言が信用されているのか、他奴隷達も同情するように慰める。


 それを一歩引いたところから見つつ、奴隷商はラウラへと質問をする。


「昨晩いつ頃ハンナは帰ってきた?」


「私が起きてる時には。だから1時間は多分……」


 自分で言いながらハンナが怪しく思ってしまっているのだろう。ラウラの顔が伏せっていく。


 夜食を奴隷商と食べていてたのはあって30分ほど。すぐに奴隷商も自室に戻っているから、数十分の間ハンナの行動を保証できる物は無い。


「ラウラから見てどうだ。やってると思うか」


 そう聞いても煮え切らないラウラの態度。


「やってない……と、思いたいけど」


「だが、犯人として考えられるのがハンナしかいないか」


 ラウラが暗い顔をしつつ頷く。だがこの様子からして、直接的にハンナがやったという確証はないらしい。


「どちらにせよ本人の話だな」


 未だに慰められるクロエを眺めつつ、奴隷商は肩の重さを認識する。この所問題が多すぎてどうにもストレスが多い気がしてならない。


「……利己的だった利他的だったり」


 奴隷商は奴隷達を立たせる。そしてクロエらをつれ、ハンナが走っているであろう中庭へと向かう。そしてその道中ボソッと奴隷商が呟くのを、ラウラは聞く。


「脱走の次は冤罪か」


 その意味が分からずラウラは首を傾げるしかない。


 そうしてラウラ達は事実確認をすべく、中庭にいるハンナへと向かうのだった。


申しわけありません。、投稿後に脱字に気付いたので修正しました。

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